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その元・男、現・貴族令嬢にて  作者: 伊賀月陰
序章:転生令嬢、その華麗なる幼少期
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第21話:リリアンヌ・ル・ブルトン






 農村に辿り着いたリリアンヌを待っていたのは、地獄だった。


 燃え盛る家々。

 散らばった家財。

 これみよがしに転がされた男たちの死体。

 汚らしい粘液に塗れた女たちの死体。


 村の中心では、武装した男達が下品な笑い声を挙げながら酒を煽っていた。

 言葉も出ず呆然と立ち尽くすリリアンヌに、その内の一人が気付いた。


「おい、女だぞ」


 その言葉に周囲の男達もこちらを向く。


「おおマジだ。まだ生き残りがいたのか」


「いや迷い込んだんじゃねえの。村娘にしちゃ小奇麗だぜ」


「うほ、すげー別嬪じゃん。胸もでけーしよ」


 下卑た欲望を隠しもせずリリアンヌに近付いてくる。

 リリアンヌは確信を持って問うた。


「お前たちは帝国か?」


「んあ? ……ああ、帝国様だぜ。ほら殺されたくなきゃ服を脱―――ぐげ?」


 抜き打ちの一閃が男の顔を半ばで両断した。

 吹き出る鮮血に、男達の酔いも吹っ飛んだのかめいめい剣を抜き放つ。

 だが酒が回ってるのか、それとも練度が低いのか。動きはとても鈍い。少なくとも、リリアンヌにとっては。


「お前らか」


 左手に握られたマインゴーシュに魔力が収束する。

 辺り一帯にぱちぱちと火の粉が散った。


「お、おいやべえぞ。逃げ――――」


 その段になってやっと気付いた男の一人が逃げようとするが、間に合うはずもない。


「お前らかあああああああああああああああああああああ!!!!」


 業火が暴れ狂う。

 男達の悲鳴ごと肉を溶かし、骨を焼き、灰も残さず呑み込んでいく。

 数瞬の後、無惨に溶け曲がった剣だけがその場に残された。


「おい、どうし―――」


 小屋の中から顔を出した帝国兵を小屋ごと両断する。

 異変に気付いた帝国兵が逃げ惑うが、その動きはリリアンヌからすれば憐れなほどのろまだ。

 灼かれ、切り裂かれ、水弾に押し潰され、地に埋められ、視界にいる帝国兵全てが沈黙するまで一分とかからない。


「どこだ」


 仕留めた帝国兵には見向きもせず、標的を探す。

 こんな雑兵はいてもいなくても同じだ。敵はたった一人。


「勇者とやらは何処だ」


「ここだよ」


 声に従い振り向くと、いつの間にやら男が一人立っていた。


「あーくそ、ちょっと離れた隙にやってくれちゃって。全員やられてるじゃん」


 苦々しげに、しかし軽い口調で語る男に、リリアンヌは無言で剣を構える。

 僅かに溢れる魔力の気配だけで、この男が油断ならぬ相手だと分かる。

 この場所においてそんな敵手は一人しか有り得ない。


「問おう」


「なんだ?」


「お前が、帝国の勇者とやらか?」


 問いに鷹揚に頷く。


「そう呼ばれてる」


「そうか。もう一つ、聞きたい」


「なんでも聞いてくれ」


「ジルベールという男と、シャルロットという女を知っているか?」


「ああ」


 そんなこともあったな、と思い出すように答える。


「ジルベールってのはさっき斬った。シャルロットって女の人は兵がどっかに連れて行ったぞ。知り合いか?」


「『火よ、疾走れ』」


 左手に魔力を収束させ、炎を放つ。手加減はしない、するつもりもない。

 常人なら反応も出来ず焼かれる速度のそれを、帝国の勇者は驚いた顔で見つめて。


「うわ、危ないなもう」


 持ち上げた右手で触れる。

 炎が、熱も残さず霧散した。

 迎撃でも干渉でもない。まさしく消滅としか言い様のない不意の現象。


 それに驚くが身体は既に次の行動を取っている。

 炎に乗じて疾駆したリリアンヌは、下から掬い上げるように右腕を断ち切りに行く。


「うおっ、速い」


 斬撃に対して勇者は腰から刃を抜き放って受け止める。

 リリアンヌの攻撃を見てから鞘に手を伸ばし、抜いて、受けた。

 尋常な速度ではない。

 そしてリリアンヌが体重をかけて押し込んでも、勇者が片手で軽く握った刃は微動だにしない。

 根本的にスペックが違う。

 目眩ましに魔法を放ち、距離を取る。放った魔法はまた右手に消されるが、間近で観察できた。


「いきなり襲い掛かってきてなんだよ」


「それはこっちの台詞だ帝国の勇者。私達の国を襲ってきたのはお前らだぞ」


「あー……とりあえず、その帝国の勇者って面倒だからやめてくれ。俺の名前はヨシヒコってんだ」


 ヨシヒコ。変わった名前だが、帝国はそういった名前が多いのだろうか。


「勇者ヨシヒコ。如何なる理由で我が国に侵入し、こんな狼藉を働いた?」


「こんなメチャクチャなのは、こいつらが勝手にやったんだ」


「兵を率いていたのではないのか?」


「そうだけど?」


 どうにもちぐはぐだ。


 戦力としては規格外だが、責任感も緊張感も皆無。

 ジルベールとシャルロットを殺したようなことも口走っていたから、戦場に忌避感があるわけでもない。

 体捌きも変だ。身体能力が人外なのは見ていれば分かるが、挙動そのものは無駄だらけ。完全に素人のそれだ。

 鍛えて身につけた身体能力というのは、多少の差はあれ洗練されたものとなる。


 まるでハイエンドなハードに時代遅れのソフトを突っ込んだようなミスマッチを感じる。


「聞きたいことはそれだけ?」


「最後に、一つ。………兵士は消えたが、お前はこれからどうする?」


「んー、どうすっかなー。一人旅もかったるいし一旦帰ってもいいけど……怒られそうだなあ」


 困ったな、という態度を隠そうともしない。演技ではなく本当に迷っているように思える。

 何が来てもおかしくない不気味さがある。腰を落とし、いつでも戦闘に入れる姿勢を取り―――


「下手人だけ捕虜にすれば勘弁して貰えるかな」


 だから、ヨシヒコが展開したそれを回避することができた。


「――――っ!」


 自然な動作で向けられた左手、その直線上から全力で逃れる。

 一瞬前まで立っていた場所をじゃらりと何本もの鎖が通過していった。


「うわこれ避けるのかよ。初見だろ?」


 魔力を感じないその鎖は、左掌から延びているように見える。

 しかし普通の鎖ではない。

 何の仕掛けもない鎖は目にも留まらぬ速度で射出されないし、人の掌に吸い込まれるように巻き戻ったりもしない。


「んー、じゃあこれならどうだろう」


 距離をとったリリアンヌに対し、ヨシヒコはすっと刃を掲げる。

 何をする気にしても、まず距離を取って――――



『何もない場所から、強烈な魔法のような、光が……』



 フラッシュバックした記憶が、前進を選ばせた。

 結果的にそれがリリアンヌの命を救うことになる。


「『出でよ、神の雷』――――!」


 掲げられた刃の先端が激しく明滅する。

 攻撃方向は不明。故にリリアンヌは前に出る。

 明滅が臨界に達した時、ヨシヒコの刃は振り下ろされた。


「―――――――!」


 何事かを叫んだようだが、音は全て光に呑まれて聞こえない。

 発動の瞬間、一か八か爆破魔法でヨシヒコの横をすり抜けたのが功を奏した。


「ぐ、う……」


 衝撃で吹き飛ばされたリリアンヌが、向き直って見た先には。

 ヨシヒコを起点に、地平線の先までごっそりと抉られた大地があった。


「うえ……完璧に避けられるとか初めてなんだけど。あの爺さんでもかすったのに」


 げんなりとした顔をしているが、それはこっちの感想だ。

 こんな攻撃を何発も撃てるヨシヒコとやらはただの化物だ。人間が相手をしていい存在ではない。


「なんなんだよ、お前……」


 それでもリリアンヌは、頭の中でこの勇者ヨシヒコを殺す算段を立てる。

 正面突破は無理、遠距離から魔法は無理、現状隙を見せたのは光の一撃だけなので発射前後に攻撃を捩じ込むか。

 しかし露骨に攻撃を待つと鎖による拘束を受ける可能性がある。あれは見てからでは躱せないから、待ちの一手は危険。

 だから前に出ようとして。


「あ、う……?」


 何もない場所に足を引っ掛けて転んだ。

 立ち上がろうとして、足が言うことを聞かないことに気付く。

 多大な魔力、精神力、体力の消耗。及び激しい戦闘によるダメージ。

 興奮状態で維持していた一線が、ついに切れた。


「くそ……動け、動け……今、動かないと……!」


 身体に鞭打って動かさんとするが、最早身体は限界に達していた。

 せめて敵手の動きだけでも見んと首を持ち上げ、視線をヨシヒコに突き刺す。

 ヨシヒコは倒れ伏してなお戦意を叩きつけるリリアンヌに、怯えるように後退った。


「な、なんだよ……分かんないよ。なんでそんな目で俺を見るんだ……?」


 分からないのは、リリアンヌの方だ。

 なるほど帝国の勇者とやらは強い。そして暴力を相手に叩きつけることに何ら躊躇がない。これは相手を殺すに大事なことだ。

 そのくせ、妙に戦いに不慣れだ。挙動は雑、武器の扱いも体捌きも素人そのもの。

 何よりも、圧倒的有利なこの状況で相手の敵意に尻込みしている。


 いよいよもって理解不能だ。この男は何者なのだ。

 だがそんなことは関係ない。


「分からないなら教えてやる」


 声を振り絞り、高らかに宣言する。


「私はリリアンヌ・ル・ブルトン! この地の領主であるジルベール・ル・ブルトンの娘だ!」


「ジルベール……あ、さっきの男の……」


「そうだ、貴様に父を殺された! 領地を踏み荒らされ、領民を嬲られた!」


 セバスは右腕を失い、半死半生。カロルの精神は深く傷付けられた。

 これを許せる方がどうかしている。


「口惜しい。その首を刎ねられんことが悔しくてならない!」


 しかしどれだけ喚いたところで決着は覆らない。

 ヨシヒコには傷一つなく、リリアンヌは地を這いずるのが精一杯の身。


「お前の勝ちだ。私を好きにすればいい。

 捕虜にするか? 母と同じように辱めるか? それとも父と同じように、そのカタナで斬るか?」


 どれも御免だが、自身が嬲られることで王国軍到着までの時間を稼げるなら、それはそれで構わない。

 拘束されるなら体力の回復にも努められる。


 さて何で来るか。


 そう考えるリリアンヌに対し、ヨシヒコは。


「今、なんて言った?」


 これまで一番の驚愕を露わにリリアンヌに詰め寄った。


「好きにしろ……と言った」


「そうじゃない。お前、俺の武器のことカタナって言ったか?」


 ヨシヒコはそう口走って握った刃を示す。

 両手持ちの柄に鍔、反りの入った片刃の長刀。ごく一般的な―――前世での話だが―――日本刀と呼ばれるものに見える。

 王国では見たこと無いが、帝国にはあるのだろうと気にも留めていなかったのだが。


「これは、鍛冶に作らせた一点ものだ。帝国では俺しか持ってないし、ましてやカタナなんて呼ぶ奴は見たこともない」


 前世では常識の、しかし現世では見たことも聞いたこともない武器。

 魔法ではない規格外の異能と身体能力。

 ヨシヒコという特異な名前。


「ま、さか……」


 考えなかったわけではない。

 自分がそうであるから、同じような境遇の人間もいる可能性は十分ある。

 しかしまさかそれが帝国にいたとは。


「『日本人……なのか……』」


 実に十六年ぶりの日本語が口をついた。


「『やっぱり! 君、日本人なんだ!』」


 ヨシヒコの喜びの声も、日本語だ。使わなくなって久しいがちゃんと聞き取れた。


「『うわあ、凄い偶然。どこ出身? 俺は品川。東京。電車に轢かれて死んじゃってさあ。

 神様のミスだって言われたから、見返りに色々能力貰ったんだ。ほら俺強いで――――』」


 同郷の者に話しかけながら歩み寄るヨシヒコは、しかしリリアンヌの瞳を覗いて困惑した表情を浮かべる。


「『……なんでそんなに怒ったままなの?』」


「何故と聞くか、下衆め」


 リリアンヌは先程と変わらぬ……否、より強い憤怒と憎悪を漲らせてヨシヒコを睨みつけていた。


「先程も言った。私は、リリアンヌ・ル・ブルトンだ」


「それ今の名前でしょ。元々の自分の名前忘れちゃったとか?」


 とんと理解できない様子で問い返すが、もうこれ以上親切にしてやる義理はない。


「殺したくば殺せ。犯したくば犯せばいい」


「やらないよ……同郷の女の子を殺すのって考えるだけで気分悪いし。今日はもう帰る」


 そう言って、踵を返して本当に国境の方へ歩き出した。


 待て、という叫びを呑み込んで拳を震わせる。

 ここで見逃して貰えれば、敵部隊の遅滞どころか撤退まで達成となる。

 使用した部隊は比喩抜きで全滅。しかし敵の主戦力と思われる勇者の情報はたっぷり持ち帰ることができる。


 怒りに任せて無為に死ぬことは許されない。


 自分はル・ブルトンの娘だ。


「ああ、そうそう」


 思い出したように顔だけ振り返るヨシヒコ。


「……なんだ」


「出来ればこっちに来て欲しいんだけど」


「断る」


「そっか。心変わりしたらまた言って。俺の誘いだって兵士に伝えたら、多分会わせて貰えるからさ」


 断られるのは予想済みだったのか、それだけを言い残して去っていき……見えなくなった。

 しばらく魔力の気配を追っていたが、急に加速して感知圏外へと消えた。あの身体能力だ、走るだけで馬より速かろう。


「ぐ、う……」


 消えそうな意識を繋いで、死体のみが転がる村を這いつくばる。行き先は先程ヨシヒコが指し示した方向。


 あと一つだけ、仕事が残っている。


 歩けば数十秒で着く僅かな距離が、遥か遠くに思える。


 目も霞んできた頃、視界に入った小屋の影に折り重なる影が二つ。


「あ、ああ………」


 覆い被さっているのは長髪の女性。

 着ている貫頭衣は無惨に切り裂かれ、肌は露わ。小さな擦り傷、切り傷は全身に数え切れぬほど残され、白く濁った汚濁に塗れて事切れている。


 下になっているのは、生きていれば壮健だっただろう男。

 こちらは傷の数こそ少ないが、腹を大きく開いて腸が零れ出ている。当然、息をしているはずもない。


「あああああああああああああああ!!!」


 僅かな力を振り絞って、泣いた。喪失の哀しみに叫んだ。


 両親との別れは血と砂の味だった。









序章〆


このシーン書きたくて投稿始めました。

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