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その元・男、現・貴族令嬢にて  作者: 伊賀月陰
序章:転生令嬢、その華麗なる幼少期
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第20話:不穏





 ジルベール達が屋敷を出て半日。


 屋敷には、カロルが家事をする音と、リリアンヌが裏庭で剣で空を割く音だけが響いていた。


「リリ様、お食事をお持ちしました」


「ああ……ありがとう、ばあや」


 一心不乱に型稽古をしていたリリアンヌを気遣ってか、簡単に食べられるものや塩気の強いスープだ。有難く、ゆっくりと食べる。


「ねえ、ばあや。お父様達はもう交戦しているかしら?」


「そうで御座いますね……そろそろぶつかっていてもおかしくないのではないかと」


 屋敷の外は鳥の声すら聞こえない。鉄の音と人々の足踏みを恐れて去ってしまったのだろう。

 日常と違うことが、妙に心に引っ掛かってしまう。


「お父様達は、勝てるでしょうか」


「負ける勝負で御座いますから、勝てるとは言えませんが……無事、目的を果たして戻ってきますよ」


 そう答えるしかない。カロルは暗にそう訴えるようだった。

 何をやっているのだろう。

 両親を徒に困らせ、カロルに不安をぶつけ、まるで平静を保てない。


「分別のつかない子供みたいですね、今の私」


 自嘲する。そのことすらも日頃のリリアンヌではせぬことだ。

 同意されるかな、と頭を過ぎった。


「それでいいのではありませんか」


 ぱっと振り返る。カロルは普段と同じように、リリアンヌに優しく微笑みかけてくれていた。


「リリ様はまだ十六。もう十六、とも言えますが、お嬢様……リリ様の母上が十六の頃だなど酷いものでしたよ。

 我儘放題、勉強嫌い。あれこそ駄々っ子そのものです」


 今もマイペースなところは全く直ってませんがねえ、と苦笑する。


「むしろ安心しましたよ。リリ様はいつも気丈で聡明で、私どもなんぞより遥か遠くを見通しているようでしたが。

 年相応に子供らしい面も、ちゃんと持ち合わせていたのですね」


 カロルの言葉に、これまでの自分の振る舞いを思い返して顔を真っ赤にした。

 恥ずかしくてたまらない。

 なんて思い上がったことを口走っていたのだ。まるで子供みたいだ、などと。

 現世で十六年と半分、前世でそれより少し長いくらいの人生で、何を調子に乗っていたのか。

 自分は子供時代を二回繰り返しただけではないか。しかも、純粋な年数でも目の前のカロルに遠く及ばない。


「恥ずかしい……本当に、恥ずかしいです……」


「はは、こんなにしおらしいリリ様は久方ぶりですねえ」


 亀の甲に胡座を掻いて、年の功に圧し折られてしまった。

 自分への罰として、甘んじて頭を撫でられる恥辱を受け入れる。


「お嬢様にもこれを詳細に伝えておきませんと。リリ様は大人ぶってるけど根っこはただの意地っ張りな乙女で……」


「ちょ、ちょっとやめてよばあや―――――ん?」


 きゃいきゃいと姦しくしていると、ふと扉を叩く音がした。

 聞き間違えようもない、屋敷正面から響いたこの音は。


「帰ってきた!」


「まあ、本当に御座いますか」


 カロルを置いて、屋敷を回り込む。

 やっぱりなんとも無かった。嫌な予感は自分の考え過ぎだったんだ。


 両親を笑顔で出迎えたら、しっかり休んでもらって、今日は自分が料理を作ってみよう。

 カロルに習ってこっそり練習していた、前世の知識を活かしたポトフ。

 野菜の栄養がたっぷり詰まったスープは三人の疲れを癒やしてくれるだろう。


 屋敷の角を曲がれば、すぐに正面玄関が目に入る。


 さあ笑顔で彼らを迎えよう。


「お帰りなさい! おとう、さ……ま……」


「ぐ……申し訳、ありま、せん……リリ、さま……」


 正面玄関に、扉を開けず寄り掛かっていたのはセバスチャンだった。

 苦しげに息を吐き、いつも糊を欠かさなかった執事服は切り刻まれて襤褸切れになって、左肩には矢が刺さったまま。

 右腕の根本は赤黒が多く混じった白い包帯できつく縛られ、肘から先は何処にも見えない。


「申し、訳……あり……ま……」


「喋らないで! ―――ばあや、急いで!」


「はあ、リリ様、何があっ………ああ、セバス!」


「傷を検めて! 私は応急処置の準備をしてくる!」


「は、はい、リリ様……ああ、何故こんな……」


 正面玄関を蹴り開け、まずは桶に水。

 魔力を通してそれを加熱しながら玄関に取って返し、常備している薬箱を箱ごと引っ掴んで外へと飛び出す。

 言われた通り、カロルはセバスを俯せに寝かせて傷を確認していた。


「ばあや、傷は何処!?」


「右腕がないですが出血は止まりかけています。

 左肩の矢傷は浅いので、抜いてすぐ止血すれば大丈夫。全身に切り傷がありますがどれも出血は止まってます」


「毒、矢では……ない、はず……です……かく、にん、しました」


「ありがとう。でもじいやは喋らないで」


 箱から短刀を取り出し、セバスチャンの服を切って全て脱がす。

 傷に貼り付いた布を剥がされて苦悶の声を漏らすが、浅い傷なので後回しにする。


「こんな傷だらけで……」


 持ってきた桶に手を突っ込んで温度を調整。


「ばあや、ちょっと離れて。……ごめんじいや、ちょっと痛いよ」


 桶のぬるま湯を全身にかける。びくん、と身体が跳ねるが耐えてもらう。汚れたまま放置するより断然マシだ。


「ばあや、身体押さえてて。矢を抜く」


 露わになった矢傷を見ると、カロルの言うとおりあまり深くは刺さっていない。

 勢い良く抜く。悲鳴に近い声が挙がるが無視。

 ぬるま湯で流し、清潔な布で水気を取り、包帯を巻く。


 あと一ヶ所。しかしここが一番の問題だ。


「右腕……無いね」


 断面が露出した右腕は痛々しくて見てられない。だが意を決して処置を開始する。


「じいや、ごめん。―――焼くよ」


「わか、り、ました……ぐ、う……」


 右腕周りの布を、包帯を残して綺麗に取り去り、ぬるま湯で流す。

 断面からはまだ僅かながら出血が続いている。骨も露出し、放置は危険な状態だ。


「本当にごめんね。『炎よ、在れ』」


 掌に火の玉を作り出す。なるべく高温を維持したそれを……傷口に押し当てた。


「ぐっ、が、あっ!」


 悲痛な声を漏らしながら不随意に震える身体をカロルが必死に押さえ込む。

 リリアンヌも、歯が砕けそうなほど噛み締めながら、丹念に傷口を焼く。再び出血することのないように、しっかりと。


「……………これで大丈夫なはず」


 数秒眺めて、そっと焼けた断面に包帯を巻く。

 これで一通りの処置は完了した。


 仰向けに寝かせ、顎を調整して呼吸を楽にさせる。


「じいや、生きてる?」


「だい、じょうぶで、ござい、ます……が、ふ……申し訳、ありません。こんな体たらくを……」


「何があったか、言えるだけ言ってください」


 セバスチャンの呼吸が緩やかに切り替わる。緊張状態から、身体を弛緩させるものへと。


「端的に、申します。……我らの部隊は、潰走、しました」


「ぶつかったら負けるのは予定通りだったはず。何があった?」


 思い出したように身を震わせる。


「帝国の……勇者、です」


 勇者率いる部隊と遭遇して、逃げる隙もなく壊滅した。ということだろう。


「何をされた?」


「わかり、ません。隠れる、我々に……いきなり、少年が、真っ直ぐ来て……。

 恐ろしい、速度と力……それに、魔法ではない、妙な攻撃で……吹き飛ばされ……」


「魔法ではない?」


「何もない場所から、強烈な魔法のような、光が……」


 魔法ではない。武器でもない。何もない場所から、このセバスが避けきれないほどの攻撃が来た。尋常ではない。

 帝国の勇者とは、ただの扇動者ではなかったのか?


「侵攻ルートは?」


「予測通り……農村へ」


「勇者以外の兵士は?」


「少ない……我々と同じくらい……」


 瞼が落ち始めている。興奮状態から脱し、身体が休息しようとしているのだ。

 だがあと一つだけ聞いておくことがある。


「お父様とお母様は?」


「足止め……を……申し訳、あり、ま……………」


 かくん、とセバスが気を失う。


「ばあや。じいやをお願いします。屋敷に入れて、身体を拭いて。

 一番近い寝床まで運んであげて。無理なら玄関先に布を敷いてもいいから」


「は、はい」


 未だ混乱しているカロルに指示を残して、裏庭に取って返す。そこに残したままの愛用の剣と、大切な短剣を拾い上げる。


 自分でも驚くほど平静を保っていた。先程まではあんなに不安だったのに、今はなんの迷いもなく行動できる。

 革靴の紐を、容易くは脱げないようきつく結び直す。動きの邪魔にならぬよう服の裾を留める。軽く屈伸運動をして手足の調子を確かめる。万全だ。

 屋敷の正面に戻ると、カロルは屋敷の玄関に厚手の布を敷いてセバスチャンを寝かせていた。身体が冷えないよう、上から寝具をかけている。


「ああ、リリ様。こちらは終わりました」


「ん、ありがとう。包帯はこまめに取り替えて、全身を時々拭いてあげてください。じいやの目が覚めたら、何か食べさせてあげて」


「………リリ様は?」


「ん、ちょっと行ってくる」


 散歩してくる、くらいの気軽さで言い放つ。

 右手には剣を、左手にはマインゴーシュを握って。


「リリ様、いけません。相手はセバス達がやられたほどの―――」


「ねえ、ばあや。帝国軍の侵攻速度、ちょっとまずいと思わない?」


 制止を遮って話を進める。


「勇者ってのは多分一人で、それに数十人が帯同してる。これは想定より少ないんです。少ないから補給も楽で、移動も速い」


「何を……」


「予想よりずっと早く、帝国の侵攻が始まる」


 ル・ブルトン領の制圧されるが早いか、先遣隊の到着するが早いか。そういう次元の話になる。


「領内は多少の山林はあるけど、基本的にだだっ広い穀倉地帯。

 攻めるに易く、守るに難い。……だからきっと王国軍はこの地域を放棄する」


 もう少し王都側まで下がれば丘陵地帯もあるし、河川も渡る必要が出る。防衛線を構築するならそこまで下がった方が確実だ。


「でも今なら……もう少しだけ足止めすれば、もっと国境寄りに戦線が構築できる」


 国境付近の緩衝地帯は山林が多い。だからこそルートは限定され、実際予想通りに相手は来た。


「だからといって、リリ様が出る必要はありません!」


「ある。だって今私が出れば領地領民は守れるし、お父様やお母様を助けられる可能性だってあるんです」


 そして、今戦えるのはリリアンヌだけ。




 ごめんなさい。

 心中で謝る。

 ばあや、勝手なことしてごめんなさい。

 じいや、乱暴な処置をしてごめんなさい。

 お母様、ばあやの言うこと聞かなくてごめんなさい。

 お父様。

 初陣は負け戦になってしまいました。ごめんなさい。




 制止の声を振り切って、屋敷を飛び出す。


「『風よ、火よ』」


 魔力を励起。使うのは風の魔法と火の魔法の混合。


「『混ざり、爆ぜよ』!」


 ぎゅぼ、とくぐもった爆発音と共にリリアンヌの身体が射出される。

 移動用に考案した複合魔法だ。単に吹き飛ばすだけなので、このままではそのまま地面に叩きつけられるが。


「『風よ、運んで』!」


 大気を操作し、身体を風に乗せて空中を飛翔する。

 並大抵の魔法使いでは早々に魔力が尽きる乱暴な方法だが、リリアンヌの魔力量と左手の収束具の組み合わせならばさしたる負担でもない。


 魔力を湯水のように放出しながらリリアンヌは農村へと飛んだ。







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