第14話:デビュタント
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オーランド公爵家は古くよりイーストエッジ王国の護りを担ってきた。
王国の西に隣接する帝国、ウェストシクル。
有史以来衝突を繰り返しているこの脅威より、西部貴族を統制して防衛を主導するのが代々のオーランド公の役割だ。
その性質故か、オーランド公爵家は富裕にも関わらず贅沢よりも質実たるを良しとする。武門の名家だ。東部貴族からは吝嗇家と揶揄されることすらある。
だが、この大広間を見てオーランド公を吝嗇と呼べる者はおるまい。リリアンヌはそう思った。
「ほあー……」
扉を潜ったリリアンヌの眼前に広がるのは、ル・ブルトン家の屋敷が丸ごと入ってなお余裕がありそうな巨大な空間だ。
天井は霞みそうな程に高く、硝子がふんだんに使われた照明が等間隔に吊り下げられている。きらきらと煌めき、まるで夜空に浮かぶ星のようだ。
床は磨き上げられた白石。スカートの中まで映ってしまいそうだ。このホールに敷き詰められた石だけで一体幾らの金貨が飛んで行くのか。
壁には絵画や剥製などの調度品が高さも互い違いに飾られている。非対称なのにどこか統一感があるのは配置の妙であろうか。
そして何よりも、これほど豪奢だというのに下品さを全く感じない。富を見せびらかすのではなく、空間を演出する為の道具と割り切っている。感嘆こそすれ、嫌悪感は欠片も覚えない。
その上品さはリリアンヌにとっても好ましい空間ではあるのだが。
(うう……息苦しい……)
入ってすぐ、ル・ブルトン家一行に視線が集中する。
露骨にではなく注意を向けるといった風であるが、日々の鍛錬で気配に敏感になっているリリアンヌにとっては、全身に視線が突き刺さるようなものだ。
それでもル・ブルトン家の名においてみっともない姿は見せられない。
背筋を伸ばし、胸を張り、顎を引いて視線は少し下げる。ジルベールに手を引かれるままゆっくりと歩みを進める。
これで問題は無いだろう。そう思っていたのだが。
(何故視線が更に集まる? 不作法であったか!?)
心中狼狽するリリアンヌであったが、これは彼女が悪いのではない。
ル・ブルトン家は男爵位と低い爵位ではあるものの、その立ち位置は特殊だ。
その特殊性は立地から来るものだ。
ル・ブルトン領は王国最西端、帝国との国境付近にある。
帝国は長年争ってきた仇敵であるが故、当然ル・ブルトン領は幾度となく侵攻に晒された。
一時はその領域を帝国に占領されたこともある。だが歴代のル・ブルトン男爵は王国軍と共に最前線で戦い続け、護り、取り戻してきたのだ。
対帝国の防人たるのがル・ブルトン家の役割。爵位が低くとも侮る者はいない。
その男爵家が、後継ぎとなるであろう一人娘を連れてきて、しかもその娘が堂々たる振る舞いで歩いているのだ。
耳目を集めて当然であった。
緊張しつつも歩いていると、最寄りで談笑していた男の一人がこちらにニコニコと近付いてきた。
知り合いらしく、ジルベールもにこやかに対応する。
「おお、ジルベール殿。お久しゅう」
「これはセドリック殿。お久しぶりです。今年も景気が良いと聞きましたよ。羨ましい限りです」
「はは、何か困ったことがあれば是非当商会まで! ……おっと、こちらの娘さんは?」
ジルベールと握手を交わした、セドリック呼ばれた男がこちらを向く。
「うちの娘だ。今日が初めててね。リリ、挨拶を」
「はい」
促されたのを確認して、すっと前に出る。
ドレスの裾を摘まみゆっくりと一礼。
「お初にお目にかかります。リリアンヌ・ル・ブルトンと申します。本日はお会い出来て光栄です。
若輩者ですが、本日は皆様の胸をお借りするつもりで楽しませて頂きたく」
「は、ははは。初めまして、リリアンヌ嬢。ジルベール殿も随分と教育熱心でありますな。うちも見習わせて貰わねば」
セドリックの顔が引き攣った。何かミスがあったのかもしれないが、精一杯頑張りましたという姿勢を示すため小さく頭を垂れる。
「いやはや、私に似ず良い娘に育ってくれていますよ。……ではセドリック殿、また後程」
「ええ、後で。今日は楽しみましょう」
くい、と杯を傾ける手つき。どうやら酒好きのようだ。
二人が別れ、また次の参加者と挨拶。終わればまた別の参加者へ。顔繋ぎなのだろうが、こうも繰り返すと作業ではないかとすら思う。貴族も大変だ。
まさか全員と行うのでは……とこれまで会った相手の顔と名前を再確認していると。
「リリ。そろそろ時間だ」
「何のです?」
問い返して、気付く。周囲がざわつき始めている。皆が大広間の中央奥、一階上のテラスを注視しているのが解った。
そちらに視線を向ける。
そこに一人の男が立っていた。
「よく見ておくんだリリ。あれが―――この地を統括する主、オーランド公だ」
それは益荒男であった。
背丈はリリアンヌの倍、幅は三倍あろうかという、遠目にも分かる巨躯に、彫りの深い顔立ちともじゃもじゃの髭。
膨れ上がった肩は筋肉によるものであろう。胸板も異常に厚く、服の上からでもわかる見事な逆三角形。
上着の裾でよく見えないが、下半身もそれを支えるに足る鍛錬を積んでいるだろう。
全てが豪胆という言葉で構成されているような人であるのに、周囲を睥睨する瞳はどこまでも理知的だ。
これが王国西部の護りの要、大貴族オーランド公。
「諸君」
呼び掛けが低く響く。集まった貴族達は口を紡ぎ、じっとオーランド公に注目している。
それを見回したオーランド公は一つ頷き。
「今日はよくぞ集まってくれた。毎年恒例ではあるが、毎度ながら今年は誰も来ないのではないかと飯も喉を通らない」
控えめな笑い声がホールを満たす。笑いが止むのを待ってオーランド公は言葉を続けた。
「今年もそれは要らぬ心配となった。今回も楽しい宴席を用意した。皆、楽しんでいってくれ。
……長々と挨拶をしてはせっかくの料理が冷めてしまい、料理長にどやされる。これで挨拶とさせて頂こう。それでは、イーストエッジの更なる繁栄を願って!」
乾杯、と唱和。そして宴が始まった。
さて何をしたらいいのだろう、とジルベールの顔を見上げる。
「リリがもう少し大きければダンスの誘いも来たろうが……まだ早いな」
「そもそもダンス教わってないですお父様」
「そうなのか?」
「はい、全く」
リリアンヌが受けた教育は勉学、作法、教養、そして剣術と魔法だ。最後の二つが最も比重が高い。
この場で踊れと言われても、リリアンヌに出来るのは剣舞くらいである。
「まあ今回は別段の問題はない。子供同士で素直に楽しんでくるといい。最低限の礼儀は弁えてな」
「子供同士で……」
視線を巡らせる。同年代と思しき子女は幾らか見当たるので、彼ら彼女らと楽しく遊興すれば良いということか。
「お父様」
「今度はなんだ」
「子供同士で、何をすれば良いので?」
「……………剣術?」
「さっきから何頓珍漢なこと言ってるの、この剣術馬鹿」
見かねたシャルロットが口を挟んできた。
「夫に向かって馬鹿とはなんだ馬鹿とは」
「子供同士で剣術の話しろって、そりゃあ馬鹿としか言いようがないでしょう剣術馬鹿」
「うぐう」
ぐうの音も……出ているが、反論は出ない。
子供同士で剣術の話はしないだろうとリリアンヌも流石に予想は着く。同じ理由で魔法もアウトか。
地政学もダメだろうし、時勢についてはリリアンヌの方が着いていけない。
「お母様、何を話したら良いのでしょう?」
「聞かれたことを答えればいいのよ」
いいこと、と声を潜めてリリアンヌに教授する。
「貴族のボンボンなんて自慢話しかしないわ」
「はあ」
凄い言葉が出てきた。
「政治の駆け引きをするのはもっと大きくなってから。子供なんだから仲良くなれればそれでいいのよ。
相手の話をニコニコ聞いて、誘われたら一緒に遊び回ってなさい」
「ふむふむ」
言われてみれば、気を遣いすぎる子供もあまり可愛げがないか。
最低限の礼節は弁え、あとは子供らしく従順に。爵位の低い家であるから自己主張をするより相手を立てる姿勢を示す。
流石は母上、為になる。
「というわけで、一人目の相手はこっちで案内してあげる。あとはそこから広げてみなさい」
「おいおい、それで大丈夫か?」
「この子なら大丈夫よ。変に過保護と見られても困るわ」
「むう、しかしだな……」
リリアンヌ個人の感情としては、近くにいてくれた方が気が楽だ。
しかしてここは貴族要人の集まりであるサロン。現当主たるジルベールとシャルロットにとっても重要な交流の機会であろう。
子供同士で遊んでいればいい、というのであればリリアンヌにもなんとかやれるだろう。
「あの、お父様。リリは頑張るので、お父様方はお仕事を頑張って下さい」
「む……」
「ほら、子供に気を遣わせちゃったじゃないの」
「そこまで言うなら、任せよう」
渋々と言った風にジルベールも承諾する。
「それじゃあリリ? 一つ目の家に挨拶したらそこの子と遊んでらっしゃい」
「頑張ります!」
「遊んでくるんだからな?」
和やかに、一つ目の家に向かう。
「は、初めまして。リリアンヌ・ル・ブルトンと申します」
「あ、ああ。レオナルド・オーランドだ。宜しく」
謀ったなシャルロット。
リリアンヌは母を恨んだ。
「父上達は忙しそうだ。僕達は僕達で楽しくやる、方がいい、と思うんだが……」
「は、はいっ」
向こうからも困惑が感じられる。
当然だろう。リリアンヌも逆の立場だったら困惑を示す他ない。
彼はレオナルド・オーランド。
そう、オーランド家の男子なのだ。
確かに彼と仲良くなれば他の家とも自然と繋がるだろうが、これは荒行にも程がある。
「リ、リリは……いえ、私はレオナルド様のお話を聞きたいです」
「えっ、ああ、うん……そうだなあ……」
加えて、彼はリリアンヌより幾つか年上。つまり貴族社会においては大人に近い。
こんな子供とタイマンで時間を潰すとなるとあらゆる意味で難しかろう。
ダンスをするには体格が違いすぎ、レディファーストを示すには幼すぎる。
こうしておろおろしている様を見るに、父親には似ず、内向的な性格であるようだ。シャルロットが言ったように自慢話で時間を潰すのは望めそうにない。
リリアンヌは八方塞がりとなった。話を促す以外に出来ることはない。
「僕はね、今年で十六になるんだけど」
「へえ」
五つ上なのか。童顔なのかもう少し幼く見えた。
背は高いが細身で、肌も生っ白い。運動よりは本を読む方が好きといった風体。
「実は、まともにサロンに出るのは今日が初めてなんだ」
「そうなのですか?」
「リリアンヌ様も」
「リリアンヌで結構です。歳下ですし」
爵位もメチャクチャ開いているし。
「では……リリアンヌも、今日が初めてと聞いたが」
「はい、初めてです。……あ、今年で十一になります」
年齢を聞いたレオナルドは驚いた様子を見せた。
「まだ十一歳だったのか。大人びて見えたから、十四ほどかと」
「猫を被っているだけで御座いますよ。今も必死です」
「背が高いのは?」
「きっと、野山を走り回っているからでありましょう」
「それはいいな。僕など屋敷に篭ってばかりだ」
見た目通りのインドア派だ。
「お屋敷では、いつも何を?」
「そうだね。家庭教師に勉強を教わっている他は、書庫で本を読んでいる」
「あら奇遇です。私もお屋敷の書庫は好きなのですよ。……あ、とは言ってもオーランド公の書庫とは比べ物にならぬ貧相なものでしょうか」
ごめんなさいお父様。
くすくすと二人で笑っていると、自然と緊張も解けてくる。
レオナルドは内向的と自分で言っていただけありまだまだ硬いが、徐々に素が見えてきた。
彼は生前の自分と似て、どちらかと言えばオタク気質だ。
自分の好きな分野には多弁だが専門外のことはどう話したらいいか分からない。
ならば、話題を合わせてやれば喋りやすかろう。リリアンヌとしても読書は好きだ。話を合わせるのは容易だった。
お互いの両親が密かに見ていることも知らず、二人は弁を重ねるのだった。