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ヤマダヒフミ自選評論集

思想家としての伊藤計劃

 伊藤計劃という作家を一人の思想家として見ると、どんな風に見えるだろうか。僕は彼を「十五分の映画プレビューの世界」を規定した人間として考えたい。


 「十五分の映画プレビュー」とは、『虐殺器官』で象徴的に用いられる語彙だ。主人公の殺し屋シェパードは友人と一緒に映画の十五分プレビュー(そこだけ無料だ)を繰り返し見る。二人はドミノ・ピザを注文し、ピザを食べながら映像を見る。それは穏やかな消費社会のひとときであり、先進国である日本でもーーつまり、我々が普通に享受している毎日の事だ。


 僕は青山七恵という作家を批判する文章を書いたのだが(削除済み)、よしもとばなな以降の『伝統』を彼女は引き継いでいる。ぼんやりした日常の肯定、彼氏がいて、恋をして、美味しいものを食べれば幸せになる世界。しかし、その世界の外側はどうなっているのかとは考えない。考えない所に、僕達の幸福があると言っても良い。


 世界に対する全き肯定。水の中に溶けた水のように、日常を生きていく事。深淵は回避され、悲劇はよそに置いてある。あるいは仮に悲劇があるとしても、それはスクリーンの中でだけ起きれば済む話だ。青山七恵とは逆に、深刻な物語を作る作家もまた、深刻さそのものに対してはどこかよそよそしい。彼は題材として悲劇をよそから取り寄せているだけであり、彼が本当に身を入れて描きたいものではない。我々は正常な人間であり、幸福であろうと願い、市民社会において成功しようと望んでいる。その過程に悲劇や深淵が使えるならば使えるだけの話であり、消費社会においては人間の深刻さもまた、傍観者である僕達によって消費される。物語は、フィクションは、僕達を愉しませるためにあればそれでいい。そして僕達は密かに、自分を正常と思いなし、自分だけは幸福でありたいと望んでいる。


 もちろん、それは悪い事ではない。しかし、この論理を伝って、密かに世界の外側に害毒を流してはいないか。自分達の幸福のために、外部の人間が不幸になったって知った事ではないという顔をしていないか。青山七恵の世界には外部はない。知った事ではない、という顔もない。が、その世界では巧妙に外部は排除されている。僕達の食卓に出てくるもののために、どこかの誰かが犠牲になっていたとしても、そんなニュースは知りたくはない。僕達はただ生きたいのだ。「虐殺器官」において、虐殺を引き起こしてきたジョン・ポールは次のように語る。


 「人々は見たいものしか見ない。世界がどういう悲惨に覆われているか、気にもしない。見れば自分が無力感に襲われるだけだし、あるいは本当に無力な人間が、自分は無力だと居直って怠惰の言い訳をするだけだ。だが、それでもそこはわたしが育った世界だ。スターバックスに行き、アマゾンで買い物をし、見たいものだけを見て暮らす。わたしはそんな堕落した世界を愛しているし、そこに生きる人々を大切に思う」


 ジョン・ポールが虐殺を引き起こす理由は以下の様なものだ。


  自分たちの貧しさが、自分たちの悲惨さが、ぼくらの自由によってもたらされていることに気がつきそうな国を見つけ出す。

  そして、そこに虐殺の文法を描く。

  国内で内戦がはじまれば、怒りを外に向けている余裕はなくなる。国内で虐殺がはじまれば、外の人々を殺している余裕は消し飛ぶ。外へ漏れそうだった怒りを、その内側に閉じこめる。


 ジョン・ポールが守ろうとしている世界は僕達の世界だ。スターバックス・ドミノピザ・アマゾンが支配する世界。僕らの領域では名前は入れ替わり、セブン-イレブンかもしれないし、ユニクロであり、深夜アニメの再放送かもしれない。この世界を巡って、争いが行われている。世界の外側を認識する事は辛い事で、これから目を背ける方が遥かに楽だ。また、この世界が今のように(長い不景気で)凋落しかかっている時、責任を誰か別の人間に押し付ける方が楽だ。アマゾンとスターバックスの世界が崩落してきた時、内部に間違った人間がいると信じて、その人達に責任を押し付ける。同時に、この世界を維持するために、外側の人間がいかに犠牲になっても気にかけない。


 消費社会が許した市民的な、微温的な世界。家族との団欒、恋人との仲睦まじさ、友人との祝杯。それぞれに互いの事を気遣う、温かい、正常な人間関係。自分達は幸福であるという実感。が、その背後には果たして何があるのか。もちろん、こう考えて、自ら私財を投げ打って、ボランティア活動に勤しんでも、問題は多分、解決しない。(トルストイは実際そうした) 問題は僕達の無知にある。この無知は意図されたものである時、悪意となる。僕達は自分が何であるか、とは問わない。ただ、僕達は幸福であろうとする。


 「虐殺器官」の主人公も、「ハーモニー」の主人公も、どちらも独特な一人称で語られる。これらの主人公は大きなシステムの分水嶺に位置していて、システムの欺瞞を感じつつも、そこから抜け出る事はできない。多分、ここから抜け出て、人は生きる事はできない。先進国が駄目なら後進国へ、とはならない。後進国が富み、先進国が貧しくなっても、問題の所在が入れ替わるだけで、問題そのものは解決しない。


 システムの境界すれすれに位置しつつ、そこでの葛藤を演じるというのは、「ライ麦畑につかまえて」を想起させる。「ライ麦」のホールデン・コールフィールドもまた、富裕なアメリカ社会の境界に位置している。彼はそこから出ようとするが、出られない事を知っている。彼は境界を行ったり来たりして、最後には元に返ってくる。


 伊藤計劃はこれらの問題を解決しはしなかった。多分、この問題を個人レベル、つまり小説というレベルで解決する事は不可能だろう。しかし、既存の社会、生活の中に位置しつつ、そこから抜け出ようともがく事によって現れる悲劇は、文学の根底と関わった構造であるように思われる。「源氏物語」は宮廷生活の華やかであるが、怠惰で堕落した世界を描いていた。「源氏物語」にとって、登場人物達に用意された出口は『出家』する事しかない。紫式部は当時の生活を肯定しつつ、それがもたらす問題を認識し、その外部に人間が歩いて行く様を描いたように思われる。


 「虐殺器官」の主人公は、自らが虐殺を引き起こす側に方向転換する。「ハーモニー」はもはや、言葉が途切れた後の世界が示される。それでも、伊藤計劃は、システムが整備された世界の先にもまだ、言葉は存在するのだ、という風に描いていた。(Amazonで250円で売っている伊藤計劃論にその解釈は書いておいた)


 伊藤計劃はこれらの問題を解決しはしなかったし、解決する事は実質的に不可能だった。それでも、問題を認識する事としない事では天と地ほどの差がある。村上春樹が全盛期だった時、彼は七十、八十年代の社会風俗に浸りながらも、そこに疑いを抱く主人公を造形してみせた。それはそれで意味があるものだった。村上春樹は時代が自分から離れていくに従って、物語形式の中に孤立するようになった。現代の世界のあり方は変容している。それはスターバックス的、ドミノ・ピザ的であり、それ自体極めて充足した体系である。ここでは、いわゆる「セカイ系」のように、個人と世界とが一対一対応で葛藤する事が妥当なものとして現れてくる。伊藤計劃は「虐殺器官」「ハーモニー」のいずれも、主人公をシステムの中枢に位置するエリートとして設定している。これは、主人公にシステムの内情を語らせ、なおかつ境界を行ったり来たりすることが可能であるための作者の配慮であったように思う。


 思想家として伊藤計劃を見る場合、彼は大きな問題を解決したわけではない。だが、少なくとも、「ドミノ・ピザの普遍性」「映画の十五分プレビューの世界」の外と内とを往復する物語を造形したと言える。この認識は口で言うほど簡単なことではない。なぜなら、似たような事をやろうとしてもすぐに僕達の心の中の、「消費者として物語を消費する」という態度に吸い込まれてしまうからだ。優れた頭脳を持つ哲学者も面白い物語を作る物語作者も、いずれも、大衆の歓心を買う事によって自分を高めようとする存在に転化してしまう。この時、彼は自分が創造しているような気がするが、実は大衆の認知が彼を作り出している。問題はそれらの構造そのものを相対化する事だ。伊藤計劃は、境界線で物語を作った。彼の思想としての意義は、まず、境界をはっきりさせた事に求められる。次に彼はこれを越えようとしたが、言葉は境界を越えた所で途切れた。(「ハーモニー」のラスト) 


 途切れた言葉は歌となり、無人の境をさまよった。彼の言葉は、この空虚な世界にも響いている。伊藤計劃は何よりも、世界の接線を判定しそれを作品内に取り込む事に成功した。「虐殺器官」「ハーモニー」の主人公はいずれも境界を越えようとするがうまくいかない。僕らはこの思想をどう受け取ればいいか。まずは、この世界の有り様をそのように認識する事が可能になったという事を知るべきだと思う。青山七恵、中村文則らの現代的な作家が、自家薬籠中のものとしていた世界内の物語それ自体を相対化する事に、真の物語は存在する。その認知を伊藤計劃という作家は与えてくれた。矮小な僕にとっては、伊藤計劃はそのような物事を教えてくれた存在だった。それが僕にとっての『思想家としての伊藤計劃』の意味になる。

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― 新着の感想 ―
[一言] ごめんなさい。最初に告白しますと、虐殺器官ですが、読んでおりません。なんとなく興味はあって、いつかは読んでみようとは思っておりますが、この作品を読んで、ますますその想いが強くなりました。 …
[一言] 面白い。内側と外側の物語も面白い。絵画なんかは、もしかしたら現しているのかもしれない。ただの推察ですが。作品に対するピカソなどの言葉を読んで、噛んで、なんとなくではあるけれどという程度。しか…
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