第2話 ――伯爵の思惑――
誕生編第二話です。
いよいよ伯爵とブライアンはお屋敷を離れて王都へ向かいます。
第2話 ――伯爵の思惑――
「伯爵様は10時には出発される予定ですので、馬車の準備をお願いします。」
馬屋の御者にそう伝えるようにメイドに頼んだのは6時を少し過ぎた頃だったが、実際にブライアンが、玄関前に馬車を移動させる御者の姿を確認したのは9時30分を少し回った頃だった。
ブライアンは服装を正装に着替えていた。極力地味な服装で伯爵様の引き立て役になるよう、白いシュミーズに黒を基調としたジェストコールと、細かい刺繍模様の入った茶色のジレ(ベスト)、丹念にシワを入れた黒いキュロットパンツ(半ズボン)、そして、真っ白のショーソ(靴下に相当するタイツ)をブレ(トランクスのような下着の一種)に結びつけ着込み、茶色の分厚いブーツを履いて、最期に青い小ぶりのエメラルドのブローチで飾ったジャボを首に巻き、鏡を見て服装をチェックする。
ブライアンは窓越しに玄関を確認し、馬車の用意ができていることを認めると、伯爵の寝室に向かった。
伯爵はブライアンを満面の笑みで出迎えるが、未だにナイトガウンのままだった。
「伯爵様、そろそろ、お時間になります。馬車のご用意もできましたので、お召し替えを。」
「おお、ブライアンか、良い所に来た。何を着て行こうかと迷っていたところだ。 なにしろ、鎧以外はどうも目利きが利かんのでな、お前の見立てで良いから選んではくれぬか?」
「それでしたら、ブリジット夫人にお任せすればよろしいかと。良い見立てをしてくれるでしょう。お呼びいたしましょうか? 先に私は馬車の方を見ておりますので。」
伯爵が首肯するのを確認してから、サイドテーブルの金色の呼び鈴を涼やかに鳴らす。サイドテーブルにはもう一つ銀の呼び鈴もある。それぞれ、音色が変えてあり、金の場合は必ずブリジット夫人が呼ばれる手はずができているのだ。
ブライアンはブリジット夫人と入れ替えにその部屋を退出し玄関前に向かった。
玄関前には、意外なことに、2頭立ての馬車を引く馬の世話をする御者と伯爵令嬢らしく純白のコットの上に鮮やかな青に染められたシュルコ・トゥルーブに身を包んだセシリアがいた。胸の――程よい豊かと言っても良いだろう――夫婦山の裾野を際だたせるようなクロ―ラインが金糸の刺繍で装飾されている。こうしてみるとなかなかに目の毒ではある。
「あら、ブライアン。見て、見て! この子可愛いのよ。」
そういってはセシリアは栗毛の馬の首に頬ずりをしたり、なでてみたり、また、馬に髪の毛の先端をモジュモジュと食まれてしまったり、といったことを益体もなく繰り返しては、キャッキャとはしゃいでいる。なんか楽しそうだ。
「んーーーすりすりすり、お前はいい子ね。」などと満足気な声をときおり出している。
御者は、馬車の車輪に油をさしたり、黒毛の馬の首筋をブラシで梳いたりと忙しそうにしている。
「お嬢様、あまり馬に近づき過ぎると危ないですよ?」
「大丈夫よ。この子は賢くて、かわいいんですもの。」
「伯爵様のお見送りですか?」と聞くブライアン。
「そうね、そちらはどちらかって言うとオマケよ。」
「そうですか。では本命は?」と迂闊にも聞き返すブライアン。
「はぁ~、もう、張り合いなくすわ……。」とセシリアが嘆息する。
「もしかして、私をですか?」
「それ以外に、誰がいるというのですか? 鈍感にも節度というものがあるのでは?ブライ?」
「そうですか、申し訳ありません。お嬢様。」
セシリアは少しむくれたような表情をするが、それが逆に魅力的にブライアンの目には映る。所詮、自分には高嶺の花なのだと、身分の差に強烈なコンプレックスを感じる。
騎士の称号を得たならば、それなりに敬意を払われる身分ではあるのだが、昔のように気兼ねなくセシリアと話をするという訳にはなかなか行かない。このなんとなく存在する壁のようなものが、疎ましく思うブライアンだった。
「明後日には、帰ってくるのよね?」
馬から離れて、ブライアンに向き合うセシリア。
風が彼女の金色の髪を解きほぐして輝きを伴って広げ、青いサーキュラースカートをたなびかせる。彼女は僅かにかがむとその裾を押さえて、それ以上、スカートが暴れないように風と格闘している。
「ええ、予定通りなら、明後日には戻れるはずですよ。」
その様子を眩しそうに眺めながら、ぶっきらぼうにブライアンは答える。
「馬の調子はどうだね?トム。」
ブライアンが突如、話題を御者に向ける。
「問題ありません。体調も万全でさぁ」
脈絡もなく、呼びかけられたにもかかわらず、たいして慌てることもなくトムは人なつこそうな表情で、親指を立てつつ返事する。
「ありがとう。いつも助かる。」
不意にそんな会話を耐えかねたようにように声をかけるセシリア。
「あのね、ブライ……あ、うん……あのね……ううん、なんでもない。」
なんとも歯切れが悪く、セシリアが言葉を濁す。表情も心なしか曇ってるようだ。
「そういう言い方は気になりますよ、お嬢様。」
しばらく逡巡するような様子を何度か見せてから、決心したように必死の表情を作ったセシリアは弱々しくおずおずと言葉を紡ぎだす。
「……その、あのね……、 ――えとね、そのお嬢様っての……やめてくれない? 昔みたいにセシ姉って呼んでくれると、わたし、多分すっごく嬉しんだけど?」
そう言って、ブライアンを上目遣いで伺うように見上げてくるセシリア。
「――お嬢様はお嬢様ですから……。」
ブライアンには声を絞るように、そういうのが精一杯だった。
「あーぁ、やっぱりダメかぁ~~。そういうところばっかり大人っぽくなっていっちゃうんだね、ブライは……」
と、頭の後ろに手を組んで、背をそらし、クルッと片足を上げて、半回転すると、ブライアンに背を向けた。長い金色の筋がその動きにしたがって流れて、キラキラと太陽の光を乱反射し、金色の光の筋が光の粒子を粉砕していく。横顔から苦笑のようなものをたたえたセシリアが1歩、2歩、と足を進める。
「……。」
「……。」
「……んーーとそのぉ~。」――これはトムの声だ。
「……。」
「……。」
「……。」
「……。」
「……。」
「……。」
その後、見つめたままのニ人の間を沈黙が支配した。
そんな二人の間にサンドイッチにされた、御者のトムは視線を外すと、所在無げに空を見上げたのだった。
――――――
――ここは伯爵の寝室。
「伯爵様、私も僭越ながら、彼は良い騎士様になられましたと思います。」
「うむ、私も、あれはなかなかの拾い物だったと、若いころの自分をほめてやりたいところだよ。ところで、ブリジット夫人?この青いジェストコールというのはちとハデではないか?いくらなんでも金糸の刺繍で|グレイビング(彫金)を模した模様というのは……。」
「何をおっしゃいますか! まだまだお若いんですからこのくらい、ちゃんと着こなせますわよ。」
「しかしだな? なんというか、この橙色のジレ(ベスト)も派手すぎやせんか? いい年して若作りをとか思われんものかな?素材がシルクと言うのはともかくとして……。」
「いえいえいえ! 大丈夫でございますよ。旦那様、十分にお若いですから! うふふ。くっ、うふふふふ。」
ブリジット夫人はその笑いを抑えている様子を隠しきれていない。やや腰を折って手を口に当ててるところが、なお説得力を失わせていた。
「な!、ブリジット夫人。やっぱりこれは…ちょっとハデだろ。」
「まぁ、それはそうとして致しましても、本当にご立派になられましたよ。あの、鼻垂れのやんちゃ坊主が、今や押しも押されぬ王国騎士様なのですから。」
話題をわざとそらそうとするブリジット夫人。その瞳には優しい光が宿っている。 表情を少しかたくしてそう答えるブリジット夫人。
「うむ、しかし、セシリアは承知するだろうか?あれで、アレはなかなか頑固なところがある。土壇場で親同士の決め事など、気に入らんと言い出しかねないのではないか?」
「それは、心配ありませんわ。お嬢様ならきっと受け入れて下さいますよ。そのように私もお育てしてきたつもりですし……、そのために4年も計画を繰り上げたのではありませんか? それに、お相手が誰であれ、いずれはそうなるようにしかなりません。お嬢様はそういうお生まれなのですから。そんなにお気になされると、奥様が亡くなられた時に再三、後妻を娶られてはと、あれほどお薦めした私の立場がありません。」
「それはなぁ、すまないとは思ってはいるのだが……。とにかく、このダイリュート家とそこに住む領民の未来がかかってる話だからな……。領主として領地の安泰を血統をもって示すのは当主たる者の最期の使命なのだ。子共はアリシアの……妻の子だけで十分というのが、単にワシのわがままなのだと言われたら、それは否定できん。」伯爵は天井を仰ぎ見た。在りし日の妻との思い出にしばし浸る。
しばしの沈黙の後、彼は言葉を続ける。
「だが、私は、アリシア以外の女を愛することはでき無いし、他の女を娶るつもりももうないのだ。」
「はい、心中はお察しいたします。それに革袋が変わっても、酒は酒です。本質は何も変わりません。量はすこしばかり変わるかもしれませんが、移し替えるなら、それは致し方のないことです。――!、あっとジェストコールはボタンで止めてはいけませんよ。ぷっ、く、うふふふふふ……。」
伯爵が言葉を続けようとした瞬間、不覚にもブリジット夫人は少し吹き出すような様子を見せた。それが計算づくかはうかがい知れない。
「やっぱり、笑っておるではないか!」
「うふふ、これは失礼いたしました。最期にこのサファイヤのブローチで飾ったジャボを首に巻けば終わりですよ。旦那様。うんうん、いい男に仕上がりましたよ。私がもう20歳も若いければと、思わせるほどにはお似合いでございます。うふふふふ。もっと、自信をお持ちくださいませ、旦那様。お髪を整えればもっと素敵でございますよ。」
「そんなことを言っても、うぅぅ、わしはごまかされんぞ……」
そんな言葉のやり取りをしながらも、櫛を手に伯爵の髪を梳くブリジット夫人の手つきと表情はとても柔らく慈愛に満ちていた。
「はい、後はこれを帯びれば完璧でございます。惚れ惚れいたしますわ、旦那様。」
そう言ってブリジット夫人は銀色に輝く儀礼用の長剣を両手を添えて伯爵に、うやうやしく渡す。
「ふん!せいぜい、気の済むまで、笑い者にしてるがいいさ。」
……、とグダグダ文句を言いながら長剣を受け取り、腰に固定する。
「では、行くぞ。ブリジット夫人。今頃はブライアンも首を長くしてるにちがいないからな。」
「それはそれで、見てみとうございますわ。さぞ見ものなことでしょう。」とブリジット夫人はやわらく微笑んだ。 それを無視するように伯爵は部屋を出て、玄関へ向かった。その後姿にブリジット夫人も付き従った。
沈黙に支配されつつも、未だに無言で見つめ合うセシリアとブライアン。
それを所在なさげに無視し、空を見つめては、ため息を付き、栗毛の馬と黒毛の馬を交互にブラシをかけ続けるトム。
その気まずい沈黙を破ったのは、伯爵とブリジット夫人の登場だった。
「ブライアン、待たせたな。では出発するとしよう。ブライアン、はやく乗り込まんか!セシリア、見送りなぞ不要だ。さっさと部屋に戻れ。そんなに馬の近くにいては危ないぞ。」
「お父様、わたくしは、もうそんな子供ではありませんよ。」
セシリアがそんな父親の言葉に拗ねるように反抗する。
「一々口答えしとるうちは十分子供だ。馬からは離れてろ。」
それでも名残惜しそうに、セシリアは馬車の中に押し込められたブライアンに声を掛ける。
「ブライアン、お父様の事お願いね!」
「ああ、わかった。必ずお守りして見せる。」
「ふん!、まだまだ、若いものの世話になどなるほど耄碌しておらんわ!」
伯爵は大人気なく、スネたような声を出してそう言い残すと、馬車の中に潜り込んで扉を閉めた。そして、ガシャっと扉の窓を開けて伯爵が顔をだしてくる。セシリアも窓の直ぐ側に駆け寄る。
「んじゃ、行ってくる。セシリア、いい子で待ってんだぞ。わはははは。」
豪快に笑う伯爵。
「お気をつけて!お父様!それに、ブライ!」
「お気をつけて行ってらっしゃいませ。旦那様。」
「おう!」
「それでは、行ってきます。」とブライアンはセシリアに視線で返した。
こうして、伯爵とブライアンは王都へ向けて旅立っていった。
途中、兵たちのいる駐屯地に寄って護衛役に決めた、フルプレートメイルを着込んだ準騎士の少年を一人、ピックアップしてから、王都へ向けての旅が始まったのだった。
御者のトムと準騎士の少年は運転台に並んで座っている。
馬車は個室になってる箱型の車体を使っている。内部には前後に向かい合わせるようにクッションの効いたソファが設置され、ブライアンと、伯爵は互いに向かい合うように座っている。側面には左右両方とも扉があり、そこには窓が設えてあり、そこから外の景色も眺めることも出来る。。
ブライアンの背後には前方の御者達と話をするための開閉式の小窓が設置されている。
騎士駐屯地をでてからブライアンと伯爵は一言も言葉を発してなかった。そんな沈黙を伯爵が破った。
「ブライアン。お前、我が家に来て何年になる?」
「7才の誕生日以来ですから、ざっと11年になります。」
「11年か……早いものだな……。」
「そうですね。男爵家の三男坊でしかなかった私が、王国騎士の叙勲を受けられたのもひとえに伯爵様のお力添えのお陰です。今では更に執事長などという過分な仕事まで頂いてます。伯爵様にはいくら感謝をしても足りないくらいです。」
「ときに、ブライアン……。お前、セシリアのことをどう思っておるのだ?」
「お嬢様ですか?ええと、大変よくしてくださっています。まるで実の弟のように接していただけた頃もありました。」
「ふふふ、今でも、相当手を焼いてると聞いておるぞ? 特に朝とかな。あははははは。」
ブライアンは少し赤くなりながら伯爵の言葉に応じる。
「本当に、その件に関しては困っております。私以外にも、ピアノを弾ける人がメイドにいれば、それで良い話ではありませんか。」
ブライアンは、セシリアが朝起きない理由がピアノの曲を聞くのが好きだからだと思っているようだった。
「ほう、果たしてそれだけかな?本当にそうなら、ワシも気が楽になるのだが、困った娘だ。だから、しばらくはお前にあの娘は任せる。よろしく頼む。お前でなければ困るのだ。他の者には頼むわけにはイカンのだ。」
「あ、いや、まぁ、それは構いませんが……。」
お嬢様の目覚ましに行くたびに感じるモヤモヤは日に日に深刻化していってるような気がして、しかも、その正体が自分自身、全く見当がつかないということに、気が重くなるブライアンであった。
「だが、アレもそろそろ、伯爵家の娘として覚悟をせねばならん。」
「縁談ですか?」
――ドキン!
ブライアンの心臓がその主の意図とは関係なく跳ね上がる。その理由がブライアンにはまったくわからないが、奇妙で深刻な焦りを伴っている。
「そのとおりだ。あの娘も意中の男などがおるならともかく、そういった浮いた話の一つも聞こえてこない。パーティでも特にダンスに加わるでもなく、ぼけっと見ているだけだ。まぁ、お前とだけは別のようじゃがな?」
少し、からかうようにウィンクしながら伯爵はブライアンに視線を送る。
「そうですか……お嬢様を狙ってる、貴族の子弟達は両の手を使っても余るほどおりましょうに?」
「うむ、それが、まったく、これっぽっちも、まったくもって、全然、声すらも掛からんという有様じゃ。器量は我が娘ながら悪く無いと思ってるのだが、不思議な事だ。手前味噌ではあるが、家柄だって我が家であれば、そう悪くはないはずなのにだ。……ふぅ。困った娘だよ。」
「……そう……ですか……。」ブライアンはその伯爵の言葉に奇妙な安心感を感じたことに、より複雑な違和感を感じる。
「今回の王都行きは、その手の縁談のアテを探すというのも目的の一つなのだよ。」
そう言うと、伯爵は「さて、そろそろ一眠りするか」と、そのまま眠りに落ちてしまった。
「お前さえその気になってくれれば、苦労はないんだがなぁ……。この甲斐性無しめが……」
伯爵が眠りに落ちる直前に発した、小さな嘆息混じりの言葉を聞く余裕もなく、焦燥感にさいなまれていくブライアンであった。
というわけで、次回は王都来訪ってことで…
ブライアンは王都の混乱へと足を踏み込みます。
伯爵も何を画策するのかわかりませんねぇ
セシリアお嬢様も何を考えているのでしょうか?