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 眠ると江口の夢を見る。城田は婚約者である藤井美里と同棲していない。だから毎晩一人で惨めさに耐える。恋人とヤって男としてのプライドを満足させることなど言語道断だと思う。女性に対して失礼だ。寄り掛かるのが嫌で美里とは会い難くなった。


「顔色悪いね」


 田上が心配そうに城田の顔を覗き込む。きっと寝不足で隈ができていることだろう。そういう田上は田上で先日の事故で腕の骨が欠け、腕を吊っての出勤だ。少し顔色も悪い。欠けただけだったために一日休んだだけですんだが、田上と衝突した自転車は轢き逃げしていったらしい。岸が酷く怒って城田に語った。田上は苦笑して伏し目がちになった。だが田上の顔色が悪いのはきっと轢き逃げされたからでも傷が痛むからでもない。引取りの仕事ができなくなったからだ。引取りができなければ自動的に毎日の仕事が処理だけになる。休めばいいのにと思いながら城田は田上の着替えを手伝った。


「そう言う田上さんも顔色悪い」

「いつもの事だろ」

「なお悪い」


 城田は心の中で何度も休めばいいのにと呟いた。田上の疲れた表情を見続けるより、元気な顔でたまにでいいから会ってほしかった。


「何か悩みでもあるの」

「夢見が悪いだけだよ」

「本当に」


 真実だ。美里と会わないのは相手を不快にさせない配慮だし、江口とのことは過ぎたことだ。夢見が悪い、それだけ。

 城田はさりげなく右手薬指を摩った。


「誰かに頼るのは悪いことじゃない」

「夢見が悪いだけで何を頼るっていうんだ」

「夢の内容を人に話すと客観視できるらしいよ」


 ぎくりとして城田は固まった。それに気付いた田上は探るように城田の顔を注視した。城田は見つめる田上から顔を逸らす。


「くだらない内容だ」

「なら俺に聴かせてよ」


 城田は左手をぎゅっと握りしめた。体中いたる所から嫌な汗が滲んだ。


「嫌だ」

「それが原因だね」


 田上が無事だった右手で城田の額を鷲掴み、顔を上げさせた。田上は怒っている。城田はうろたえた。どんなに恥ずかしい内容でも話さなければならなかったのか。あんなにも繊細で温厚で、少し押しの弱い田上が怒っている。


「それは絶対に悩み事だ。俺は何だって君に相談したのに、君はしてくれない。いつもあっけらかんとして」

「悩みなんてなかった」

「今まではね。でも今はあるだろ」


 城田は田上の手から逃げて俯いた。沈黙の中、田上は優しく城田の左手を握った。意図的に薬指に触れている気がする。


「ごめん。僕が信用ないなら彼女でもいい。親でも、他の友達でも。でも誰かに頼った方がいい。話すのが嫌なら口に出さなくてもいい。誰かに頼りなよ」

「田上さんは一番の親友だ。信用ないわけない。ただ簡単に話せることじゃない」


 信用していないわけではないが、繊細な田上には話したくなかった。毎晩少年に責め立てられる夢を見て下肢を高ぶらせる自分の異常さを知られたくない。田上は城田の苦しみを理解しようとするだろうが、きっと異常さに嫌悪を覚えるだろう。


「おい、何もたもたしてるんだ」


 岸だ。大柄な体を揺らしてどしどしと歩いてくる。立ちすくむ二人に呆れたように鼻を鳴らすと、岸は持っていたファイルで城田の胸を叩いた。


「早く支度しろ。ベルトコンベヤーが動かせないだろ」

「「はい」」


 二人の声が重なる。岸が消えると目が合って、田上が苦笑した。


「俺も自分勝手だな。本当は城田が悩んで動揺してるのを見て少し嬉しかった。城田はやっぱり人間だなって思った」

「やっぱりって何」

「分からなくてもいいんだ」


 田上は柔らかく笑い、作業室にするりと消えた。城田は何とも腑に落ちない気持ちで後を追った。それでも田上の言葉は真摯に響く。




 美里から会いたいと連絡がきて、迷いながら城田は田上の言葉を思い出していた。田上は頼れと言った。口に出さなくてもいいから、と。そのうちに、城田は会いたいと言う恋人の言葉を嫌でもないのに無視し続けるのは自分のエゴのように感じ始め、あまり気の利いたことはできないと断ったうえで夕方美里の家に行くことにした。美里はそんなこと気にするはずがないと笑った。

 美里の家は少し広めの1DKだ。優しい風合いの当たり障りないインテリアが飾る。落ち着ける雰囲気ではあると思う。


「いらっしゃい」


 玄関に足を踏み入れると、美里が微笑んで出迎えた。その足の間から茶縞の猫がナァオと顔を出す。彼女の愛するチッチョだ。部屋の奥から美味しそうな匂いが届き、自分のために食事を用意してくれたのかと思ったら心が温かくなった。


「ごめんなさい、時間がないから簡単なものをと思ってカレーを作ってたんだけど、カレーって煮込むものよね。まだ出来てないの」

「いいんだ、そんなに腹も空いてない」

「そお」


 促されるまま風呂に入った。疲れているだろうと聞かれ、もう沸かしてあるから、と乗せられた。

 美里の部屋のバスルームは今どき一人暮しでは珍しいユニットバスではないバスルームで、小さいながら脱衣所もついている。来るたびに高いのだろうなぁと感心した。しかし衣食住以外にこだわる所のない美里にしてみれば問題ないのかもしれない。城田の職場にも近いから、結婚したらここに住むことになるのかもしれない。

 風呂から上がってみると脱衣所の籠に美里の部屋に置かせてもらっている城田の下着とパジャマが入っていた。風呂に入ると言ったら泊まっていくと思うのは当たり前だったろう。悪い予感がした。まだ心の整理がついてないのに。


「私もお風呂、入ってしまうから、テレビでも見て待ってて」


 脱衣所から出ると美里がにこにこと笑いながら言って、入れ違いに脱衣所に消えた。城田は途方に暮れながらダイニングの椅子に腰を下ろした。座り心地はそれほどよくない。溜め息を吐くとチッチョが足に擦り寄って鳴いた。その姿が可愛くて、城田はチッチョを抱き上げる。犬のようにべろべろと顔を舐めてきたりはしない。拘束されたことが不満なのか、チッチョは城田の胸を叩いて暴れる。仕方ないな、と城田はチッチョを膝の上に下ろした。チッチョはおとなしく城田の膝で丸くなる。早くも眠りそうなその顔を見て、少し笑う。


「テレビ、見てなかったのね」


 ぼんやりとチッチョを撫でていたら下着姿で美里が現れた。城田は苦い顔をした。テレビは寝室にあるのだ。


「寒いだろ、服を着なよ」


 我ながら無神経な言葉だと思いながら、他にどう言ったらよいか分からずに城田はそういった。


「寝室に行かなきゃないわ」

「いってらっしゃい」

「一緒に来て」


 美里が城田の首筋に抱き付き、そのセミロングの髪が頬に触れた。甘い香りがする。


「いいよ」


 期待させるようなことはするべきではないかなと思いつつ、美里のいじらしさに苦笑して頷いた。城田はうとうととしているチッチョを膝から降ろし美里について暗い寝室に入った。城田はクローゼットの戸を右手で示す。


「さぁ服を着な、そしたら夕飯にしよう」

「酷い人」


 美里が城田に抱き付いてベッドに倒れ込んだ。城田はどうして自分はこんなにも安定感がないのだろうと思って、不意に『進路指導室』でのことを思い出してしまい顔を顰めた。あの時もあの江口という少年の動きに任せて室内に連れ込まれ、机に押さえ付けられたのだ。


「淋しかったのよ、何日も会ってくれないから」

「ごめん」


 城田は美里のその柔らかな胸に抱き込まれた。弾力のあるその感触と甘い香りに何か不思議な安心感を覚える。母性を感じると言ったら美里は怒るだろうか。頭を上げ美里の顔を見ると、どんな顔をしていいのか分からないというような微妙な表情をしていた。


「ねぇ触って。私のこと愛してるって」


 美里は言葉尻を濁した。城田が苦い顔をしたからかもしれない。かわいそうになって城田はその頬に口付け、もう一度柔らかな胸に顔を埋めた。それでもまだ性的な交わりは恐くて、ごめんと呟いてまた逃げた。


「どうしてもそんな気になれないんだ。君のせいではないよ。少し、気分が悪くて」

「いいの、そんな日もあるわよね。私だってそうだわ」


 寛容にも美里は優しくそう言って、城田の頭を抱いた。柔らかい圧迫感が心地よくて、城田は自分の心が癒されていくのを感じた。城田も美里の腰を抱いた。


「もう一つ我が儘を言っていいかな」

「なに」

「少しこのままで」


 このままでいていいかい、と聞き終わる前に美里の腕が城田の頭を抱く力が強くなり、頭上からくすりと笑う声が聞こえた。


「いいわ。私も、このままでいたい」


 その答えに安心して、心地よさに城田はまどろんだ。




 夢を見た。江口もいる。しかしいつもとは違った。ただ目を合わせ、対峙している。詰め襟の学生服の江口は真面目な顔で、なぜか裸足の足が赤かった。近づくことはない。2メートルほどの距離を保って、触れることはない。何も恐い事などない。

 その日から城田が江口の夢に苦しめられることはなくなった。


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