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城田は敷地内の駐車場に車を留め、校舎を見上げた。典型的な中学校舎より少し華美で装飾的な建物。筑年数はかなりのようだが、コンクリートの黒ずみは汚いというより何やら荘厳な様子に思えた。平日の昼間である今は、授業の最中らしくしんと静まり返っている。
ここは高等中学校と呼ばれる所だからだろうか、と校舎の趣の理由について考察した。現在、義務教育は小学六年に中学四年の合計十年面倒を見る。それが終わると学びは多様化する。学力低下を嘆く政府が企業に教育機関を設け、そこに任せる形で働きたければ勉強しなくてはならない制度に変えたからだ。悪い成績をとれば解雇される。その恐怖から学生は自らの意志で学ぶのだという。だが自営業などでは職業学校を作ってはいられないうえ医師学校に入るには学力が必要で、中学で教育機関とはおさらばしようと考える人や志しの高い人のために普通の中学より少しレベルの高い教育機関として高等中学校が創られた。中学と同じく義務教育後半四年に換算される。普通の中学を卒業した城田のような人間は、本当には高等中学の実態を知りえずに終わるので高等中学に対し夢見がちだった。
だがあながち夢でもないかもしれない、と校舎に入ってから思った。ただ“ここ”が、なのかもしれないが、そこは何か、低俗で幼稚な空気を排除されたような空間で、海外にでも来たような異質な風が吹いていた。城田は来客用玄関の受付で応接室の場所を教えてもらうと、落ち着かない気持ちで緑がかったリノリウムの廊下を足早に進んだ。
応接室なのだからわかりやすく玄関から近い所にあればよいものを、応接室は玄関の対角線上の深い部分にあるらしい。進んでいると中庭に面した回廊に出た。アーチ状の天井だとか石の手摺りだとか一々凝っていてまた居辛くなった。
この突き当たりが応接室だ、と分かった時、いきなり右手の教室からがたりと物音がした。外廊下に面しているために風に晒され揺れるプレートには『進路指導室』と書かれており、人が密集している時のざわめきはない。知らずと耳を澄ませていた城田は、その中に熱い呼吸の繰り返しを聞いて動けなくなった。子どものような好奇心で城田は耳をそばだて、そこに背徳的な少年の声を聞くと今度は扉の窓から中を覗き見ていた。
窓のない薄暗い空間の中、二人の人影は本棚にもたれて熱心にキスを繰り返している。濡れた音と頭の角度でそれが深いキスであると分かる。本棚に背を預けているのは詰め襟の少年で、もう一人は濃いグレイのスーツを着た大人の男だ。顔はよく見えないが眼鏡をかけているようで、その眼鏡とスーツに自分を重ねてしまい、城田は赤面し鼓動が速まるのを感じた。
背丈の違いで覆いかぶさるようにキスしていた男が、少年の詰め襟の制服と中の真っ白なシャツをはだけさせ、口付ける位置を下げながら膝を折っていく。キスをやめたことにより少年の顔が見えた。艶やかな黒髪は優等生然とした様子に整えられ、ひと昔前の学童を連想させた。だが顔がそれを裏切る。目元に紅を掃き潤んだ虹彩はゆらゆらとどこへとなく飛んで、反開きの唇は先ほどのキスで濡れた光を放ち朱く何かを誘っている。濃くはないが長い睫が痙攣するように小刻みに揺れた。
男が少年の淡い色の胸の粒を舐ぶると、少年は白い喉を晒して仰け反り、濡れた声を上げた。その声の甘い低さと掠れに城田の体温は上がった。城田はただ少年だけを注視し、その変化の一つひとつをゆっくりと味わう。男の頭が少年の股に到達すると、白く細い指がその頭を抱え少年は俯いた。いや、俯こうとして正面を向き、止まった。さっきまでゆらゆらと舞っていた視線が一点を向く。少年は城田を見ていた。揺らぐことのない目で、一心に。
城田はへたへたとその場に座り込んでいた。驚きとも恐怖とも快感ともつかぬ感覚が城田の膝を殺した。驚きや戸惑いのような表情を向けると思っていた。しかし少年は見物人の存在を知ってなお恍惚とした表情を崩さず、笑ったのだ。蟲惑的な、色気のある笑みだった。これが中学生かと、中学生とはこんな生き物だったかと信じられない思いに思考は停止した。
がらりと目の前の引き戸を開く音で我に返った。教師らしきスーツで眼鏡の男がぎょっとした顔をしながら足早に出て行った。カツカツという怒ったような硬質な音が離れていく。『進路指導室』の中で少年は胸元を晒し、ズボンを緩く穿いた状態で横たわっていた。まだ荒い息に蒸気した頬。潤んだ瞳で見つめられた。
「見ていましたね」
「犯罪だ……」
「合意でも犯罪になるのは十三までだったと思いますけど」
「相手は教師だ」
「みんな黙認しています」
城田は疲れてがっくりとうなだれた。フッと少年が楽しそうに笑い、ゆっくりと這ってきた。少年は城田の顔を覗き込み、右手でそっと頬から耳の後ろへと撫でた。その指が髪に触れた時、少年の股間に顔を埋めていた男の頭を思い出した。この指があの男の頭を、髪を、同じように撫でたのだと思ってびくりと体を震わす。また少年は笑った。
やんわりと少年は城田の頬を包み、城田の顔のいたる所に口付けた。遊ぶような息が触れる。
「止めてくれ。君はあの男とヤったのにまだ足りないって言うのか」
「違う。僕はいろいろな人にこの体を差し出してきたけど、貴方を見て初めて自分から欲しいと思った」
「俺の意志はどうなる」
「何言ってるんですか」
少年の手が城田の股を握りこむ。はっとして城田は一気に赤面した。
「だって貴方勃ってる」
にやりと笑った少年の顔を見て頭に血がのぼった。城田は勢いよく少年を突き放し立ち上がった。
「うるさい、勃ったからって同意したわけじゃない」
叫んだ声は笑えるほど上擦って惨めに響いた。それを聞いた少年は子どもをあやす母のような困った笑顔で城田を抱き、精一杯腕を伸ばしてその髪を撫でた。
少年は巧みに体重移動して城田を部屋の中に引きずりこみ、強引に机に追い詰めた。
「ごめんなさい、怒らないで。少し嬉しかっただけなんです」
哀れみを誘うような媚びるような声を出すとすぐに不意をついて城田の唇を舐めた。その間に指はかちゃかちゃと城田のベルトを外している。城田は完全に少年のペースに呑まれていた。城田は動揺しておろおろするばかりで、その場から逃げることができなかった。ついに少年の指がファスナーを下ろし、昂ったものを下着から引きずり出した。少年の指に直に掴まれ、城田はうっと息を呑む。そのまま少年は目をきらきらさせながらしばらくそこを見つめていた。恥ずかしさに城田は泣きそうになりながら、こいつは害性生物だ、いつか必ず処分してやる、と心の中で悪態をついた。やっと動いたと思えば少年はそこを赤ん坊が乳を飲むように熱心に吸うだけで、じれったい快感に城田はあられもなく喘ぎ、泣きながら少年に許しを乞うていた。しかし今度は少年は笑わない。そのままずっと吸われ続け、解放された時には足腰が立たずに座り込んでいた。
「よかった」
「よくない」
「イったのに」
「よくない」
「泣いてよがってたのに」
「苦しかった」
弱り切って呟くと少年が黙り込んだ。城田は泣きながらずっと左手薬指を摩っていた。そこには指輪がある。大切な指輪がある。
「結婚してるんですか」
「婚約してるんだ」
「ふぅん」
少年は城田の下肢を綺麗に舐め清め、服を整えて渋い色のチェックのハンカチで頬を流れる涙を拭った。少年は城田にそのハンカチを握らせ、自らも服を整えた。
「僕は江口泰雄です。今度会ったら呼んでください」
「もう会うか」
「会います」
少年は迷いなく言うと、また痺れるような蟲惑的な笑みを浮かべ城田の唇にキスをした。
「絶対にまた会いますよ」
最後のキスは自分の放った物の青臭い臭いがして、城田はまた泣きたくなった。