第5話 土の精霊
「(う~~ん……眩しい……カーテン閉め忘れたかな…)」
いつもの朝より日差しを強く感じる。それにベッドも固い。
「何だ…?胸元がカピカピする…」
確か昨日は森まで遊びに行って、その後………
「…………!!!って!!!!」
俺は飛び起きて、自分の胸元を確認する。
着ていた白いシャツは血と土でグチャグチャだ。
だが体を撫でるように触ってみても、そこにはつるんとした素肌。
傷はおろか虫刺されの一つもない。
「何で…?夢…なわけないよな…」
帝国兵が俺を剣で刺したのは間違いない。
その瞬間の痛みだって覚えている。
それに怪我をしなければ血なんか出るわけがない。
でも怪我の痕すら見つけられない。
持ち物もチェックしてみたが、ネックレスもお金も無事だった。
帝国兵に奪われたのではと心配だったが、流石に子供の荷物を漁るほどの外道ではなかったようだ。
「森人様が助けてくれたのかな…?」
俺が怪我をしたのは間違いないだろう。
であれば、何かしらの外的要因によって自身の傷が癒えたのだと仮定できる。
胸を貫くほどの深い傷、自然に治る訳がない。
それを完治させるとなると森人の精霊術か魔人の特殊能力、国宝級の回復薬を使うしかないだろう。
だが、周囲を見回してみても俺を助けてくれた人はおろか、あれだけいた帝国兵すら見つけられない。
日は真上に位置している。
大陸の中央に位置するこの森は各国の共通条約で不可侵領域になっている。
いつまでも兵を配置しておくわけにもいかず、すでに撤収したのだろう。
父さんも母さんも無事に包囲を突破できたし、いつまでもここにはいられない。
母さんの能力について知らない帝国兵は、帝国の各主要道に村の人間を捕縛するため兵を張り付けているはずだ。
自分が助かった理由は気になるが、今は父さんの指示通り、フィーリア王国へ向かうしかないだろう。
さあ行くかと腰を上げたところで、俺は自分がおかしいことに気付く。
腰を浮かせようとした動作で立ち上がれてしまったのだ。
体が異様なまでに軽い。
それにーーー
「俺……何で父さん達が包囲を突破できたって知ってるんだ…?」
父さん達とは山小屋を出てから一度も会っていない。
運悪く哨戒中の兵に見つかってしまった俺は、父さん達も無事ではないだろうと逃げながら諦めていたはずだ。
にも関わらず、今、俺は父さん達の無事を確信している。
思考もおかしい。
確かに母さんから鬼のように勉強をさせられていたが、俺はまだ9歳の子供だ。
知らない単語だって沢山ある。
〈外的要因〉〈捕縛〉〈哨戒〉。
こんな単語は習った記憶がない。
でも俺はその単語の意味を理解して、自身の考えの中で使用していた。
それに、こんな危機的状況にも関わらず、何か俺、冷静沈着すぎやしないか?
「どういうことだ…?」
ーーーちなみにこれらの原因は、二神の加護による精神と肉体の強化、オオイが同化したことによる知識や経験の引き継ぎによるものなのだが、彼はそれを知らない。
違和感を覚えるがそこはまだ子供、別にマイナスになることでもない。
神様からのプレゼントだ!と、実は大正解である理由で自分を無理矢理納得させ、彼は隣国へ続く道を歩き始めた。
~~~~~
フォレストサイトまでの道のりは、比較的順調に進んだ。
歩き通しだったが、疲れを覚えることはなかった。
丸一日何も食べていないので空腹は酷かったが今は非常事態、ぐっと我慢の子だ。
血だらけのシャツは気持ち悪かったので着替えたかったのだが、替えもない。
途中で見つけた小川で洗濯した。
背中と胸の穴はどうしようもないが、汚れは何とか目立たないくらいまで落とせた。
それからもひたすら歩く、歩く、歩くーーー
夜になり、やっと森を抜けたところで、遠目に街の明かりが見えてきた。
「くぁ~~、やっと着いた~~~」
危険のない森と分かっていてもやはり緊張していたのだろう、俺は盛大に息を吐き出す。
遠くに見えるのは白い壁に囲まれた大きな街。
フィオーナ王国の台所と呼ばれる農業都市、フォレストサイトだ。
しばし街の夜景を見つめるが、俺のミッションはここからが重要だ。
街を視界に収めて終わりではない。
外壁と警備兵をかいくぐり、あの街に入ることが目的なのだから。
村の畑から幾度となく金蜜柑をぬす…分け与えて頂いた、華麗なる俺のスニーキングテクニックを見せてやろう!!!
~~~~~
「は~~~~~、つまんねぇな~~~」
そんな愚痴をこぼしながら街の外壁を巡回しているのは、フォレストサイトの新米警備兵であるトンプソン、16歳。
この辺りは強い魔獣もおらず、わざわざ人間の街に近寄ってくる野生の獣など更にいない。
形式的なルーチンワークに彼はうんざりしていた。
先日、その態度が上司にも見咎められ、叱責の後、土の精霊にお仕置きされるぞ、等と子供扱いされてしまった。
この辺りは農業が盛んであり、土精信仰がある。
その影響で、悪い子や仕事を怠ける子は土の精霊がお仕置きに来ると子供の頃に躾をされるのだ。
街の人たちの役に立つ仕事がしたい。
その信念を持ってこの仕事を選んだ彼だったが、決まったコースの巡回と落し物の取り扱いが主な仕事、あっても酔っ払いのケンカが関の山だった。
この街の住民は皆温厚な者が多く、犯罪の発生率も低い。
悪い奴を捕まえたり凶悪な魔獣から街の皆を守るーーー
警備兵の仕事をそんな風に考えていた彼はやる気を無くし、今日もふて腐れて歩いていた。
「何が土の精霊だ!お仕置き出来るもんならしてみろってんだ…」
そんな彼の耳に異音が響く。
---ズズゥゥン…ズズゥゥン…
大地の底から響くような音。微弱な振動が彼の足元まで伝わってくる。
「ま、まさか魔獣か!!!」
もし魔獣であれば、自分が夢想していたカッコいい仕事が出来るかもしれない。
この辺りに現れる魔獣であれば、それほど強いものでもない。
彼は急いで音のする方へと走って行った。
そこには小さな影が外壁に沿って動いていた。
自分が想像していたより、二回りは小さい。
奇襲をかけるため明かりを消し、ゆっくり近付いていくと、何か言葉が聞こえる。
「(こ、言葉を話す魔獣……?聞いたことがない…)」
更に耳を澄ますと、言葉の内容が聞こえてくる。
「お前じゃない……お前じゃない……お前でもない……」
そんな呪詛のような言葉が、小さな男の子の声で聞こえてくる。
「(な、何なんだ、こいつは。人間、か?でも言葉も行動も意味がわからない!!!)」
暗がりで意味不明につぶやき続け、轟音を響かせる小さな影。
人は未知なる存在に恐怖する。彼は意を決してその存在に光を当てる。
そこにはーーー
「お前かーーーーーーーー!!!」
「うぎゃーーーーーーーー!!!」
そこにいたのは小さな子供。
だがその様相は異常だった。
顔中に塗られた泥。
体中に草や枝を括り付けている。
そしてその頭上に大人数人がかりでも持てないであろう岩を、両手で軽々持ち上げている。
満面の笑みで。絶叫の後、彼は泡を吹きながら気絶した。
なかなか戻ってこない彼を同僚が心配し、この場所で白目をむいて倒れている姿を発見したのはそれから一時間後。
彼は悪夢にうなされるように「精霊が、精霊が」と繰り返していた。
その出来事の後、彼は人が変わったかのように真面目に仕事に取り組んだそうだ。
~~~~~
「あ、危なかった…」
抜け道に通じる石を見つけるのに手間取り、警備兵に見つかってしまった。
外壁が軽い素材の石だったので、すっぽんすっぽん抜けるのが面白くてろくに選定もせず片っ端から引き抜いたのも原因だ。
ただ、なぜか警備兵が俺を見た途端に気絶してくれたので大変ありがたかった。
フェイスペイントもしていたし、今後街中であったとしても気付かれることはないだろう。
俺は石をきちんと戻し、暗い道を進んでいく。
抜け道を通った先はどこかの物置の中だった。
小さ目の窓から月明かりが差し込んでいる。
使われなくなってしばらく経つのだろう、床一面に埃が積もっていて思わず口元を抑える。
若干の薪が壁の方にまとめて積んであり、それ以外は小さな木製の机が置いてあるくらいだ。
他にあるとすれば、壁にかかっている大鹿の首の剥製……いっつも思うけど、これってよくよく考えるとグロイよね。
そんなどうでもイイことを考えながら、何か使える物がないかと机の引き出しを引いてみると、そこには小さな封筒と真鍮の鍵が入っていた。
入っていた物はそれだけ。
封筒の中身を確認してみると、そこにはアシュレー・シーグラム、つまり俺の戸籍証明が入っていた。
戸籍の所在地はここ、フォレストサイトになっている。
つまり、俺が王国民であるということを証明する物だ。
「本物かどうかは分からないけど、多分偽造だろうなぁ」
どういった方法で父さんがこれを入手したのかは知らないが、かなり精巧に作られた物だ。
本物を見たことはないけれど、ばれる心配はほぼないだろう。
これで俺はこの街の中を自由に歩ける。
鍵はどうやらこの物置の扉の鍵のようだ。
とりあえず、街への侵入は完了。
抜け道からも追手が来る様子はない。
まだ、ベルクリオという人に会えてはいないが、身に迫る危険は回避できたと言えるだろう。
行動を起こすのは朝になってからだ。
俺は机の上の埃を払い、そこに寝転ぶ。
そして考える。
(父さんって、何者なんだろう)
王国の街の抜け道を知っている。
俺の王国戸籍(真贋不明)を用意できる。
王国の領主と、おそらく知り合い。
それに、村を襲った帝国兵についての情報も、よくよく考えると一介の村人が知りえるようなものではない。
ある程度、事前に知っていた可能性が高い。
でなければ、戸籍証明だってこんな場所に仕込んでおけない。
分からないことだらけだが、とりあえずはーーー
「……眠い…」
考えるのは、明日にしようーーー
俺は意識を手放した。