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「禁字の本と管理人と」

 日曜日の朝、功太はいつもよりも早く起きた。朝六時。管理人が来る一時間前だった。

 一階のリビングは、朝七時に暖房が入るように設定してある。八時に起きるのが平常である功太にとって七時という設定は非常に都合がよい。眠い目をこすりながらリビングへ行けば、暖かい部屋が迎えてくれるからだ。……もっとも、暖かい、という表現は一般的に適切ではない。ここでの生活に慣れきった功太にとっては暖かく感じられる程度だ。

 暖房が入るより一時間も早く起床した功太は、寝室から出るのを躊躇していた。眠気が抜けない内はどうにも温度に弱く、あまり寒いところへは行きたくない。とはいえ今日は管理人が来る日。わがままは言っていられない。暖房の予約を変更し忘れた自分を恨みつつ、功太は寝室を出た。

 図書館の二階はまるで旅館のようになっていた。細い通路といくつもの扉があり、その扉はどれも別個の部屋に繋がっている。部屋の間取りは基本的には変わらず、功太が使っている部屋も例外ではない。

「使っていない部屋は埃だからけでね。どうにも開けたくないのよ」

 管理人はそうこぼしていた。外観はそこまで年期の入った建物には見えないが、少なくとも功太が生まれるよりも早くに建っていたのは間違いさそうだった。

 ため息も凍りそうな寒さの中、功太は暖房のスイッチを入れる。冬もいよいよ本番だ。

 お湯を沸かしながら、一階のカーテンを開けた。一階間取りさえ功太はよくわかっていない。リビングにある窓と、玄関の隣にある小窓。功太が視認できる距離には、これしかなかった。部屋はまだまだあるようなのだが、その多くは鉄製の扉に鍵が掛かっており管理人以外は入れない。日常生活する上で困らないので特に気にしたことは無かったが、異様な光景であるのは間違いなかった。

 功太はテーブルに置いた赤いハードカバーの本を手に取った。先日、整理の最中に見つけたものだ。中はページ番号が振ってあるだけで、それ以外に黒い染みを見つけることはできなかった。奇怪ではあるが、この図書館では別段珍しいものではない。普段なら「その他」の棚に保管して終わり、なのだが、今日は管理人との話の種にと持ってきたのだった。管理人ならこういった奇怪な本の由来も知っているはずだと、功太は考えた。


 刺すような空気がいくらか揺らぎ始めた頃、玄関の開く音がした。時刻は七時ちょうど。開け放たれた扉から、背の高い茶髪の女性が入ってくる。ここの図書館の管理人であり、功太の雇い主の香坂冬美コウサカフユミ。茶色のロングコートに藍色のマフラー。包容力のある落ち着いた雰囲気は「大人の女性」を体現していた。化粧による白さよりも、もっともっと自然な肌の白さを有している。以前、功太は彼女を海外の生まれかと勘ぐったが、彼女はやんわりと否定していた。生まれつきなんだろうと納得したものの、改めて見ると日本人離れしていることは明らかだった。

「ああ、荻原君お疲れ様。荷物はいつものように積んであるから、あとで出しておいて頂戴」

 マフラーを外しながら手際よく功太に挨拶をする。露わになった首もとが妙に色っぽくて、功太は息をのんだ。

「紅茶淹れておきましたので、よかったらどうぞ。さっき淹れたばかりなのでまだ冷めてないと思います」

 冬美は時間に遅れることがない。また、早く来ることもない。それをこの二ヶ月で十分承知していたので、冬美が来る時間になると紅茶を淹れておくことが功太なりのもてなしになっていた。

「ありがとう。いただくわ」

 香坂冬美からマフラーを受け取り、功太は壁に掛けた。毎週日曜日に行う形式的なやりとりだが、二人は違和感無くこなした。功太はその足で外に向かい、小室が持ってきた食料や日用品の山を取りに、車へと向かった。



 功太は小型車につまった荷物の山をリビングに運び入れると、黒いソファに腰を下ろした。

「美味しいわね、これ。今度うちでも買おうかな……」

 功太が買っている――実際に購入しているのは冬美だが――紅茶は、よく大型ショッピングモールで見るような徳用品だ。紅茶の味がわかる人間が買う代物でもない。功太も新藤香も、紅茶についてはドのつく素人だ。彼らは良く紅茶を嗜むが、香にとっては「功太に淹れてもらう」ことに意義があるのだし、功太にとっては、安物も高級も値段以外の差はなかった。

 功太が社交辞令のような言葉を返そうとしたとき、冬美はテーブルの上においてある一冊の本に気づいたようだった。赤い表紙に、ミミズが這ったような金色の筋が彫り込まれている。功太が地下室から持ってきた本だった。

「これは?」

「ああ。これはですね……ほら」

 功太は本を手に取り、中身を冬美に見せた。中身が白紙になっているのを見て、彼女は納得したようにうなずいた。

「その本、手にとって大丈夫? 何ともない?」

「何ともない、ですが……」

 しどろもどろに答える。ここ最近、香の絡みで妙な現象に巻き込まれることが多い。それを警戒してのことだった。

「それ、妖怪の一種よ。ただの本に見えるでしょうけど」

 何となく予想が付いていた功太は、またかとうなだれた。慌てて本を手放す。

「どんな妖怪なんですか。というか、何で妖怪が平然と貯蔵庫に混じってるんですか」

「まあそういう図書館だからねえ」

 そもそも、そういったトラブルも込みで功太の給料は定められている。給与査定者である冬美が「そういう場所だから」というのだから、納得するほか無かった。

「そのまんまだけど、金字の本とか呼ばれてるわね。「金の文字」で金字だけど、昔は「字を禁じる」で禁字だったとか。内容的には……過去を映す鏡とかと同じ感じかしら。ちょっと制約はあるけど」

「制約?」

「ええ。金字の本は、最初に手にとった人間の過去を、次に手を取った人間に映すの」

「じゃあ今、香坂さんが手に取ったら俺の過去が見えるってことですか?」

「普通はね。でも、荻原君の場合はそうもいかないと思うわ」

「……と、言いますと?」

 冬美は言葉を区切って、花柄のティーカップを手に取った。会話の途中に水分を含むのはいくつかの意味がある。一つは喉を潤すため。そしてもう一つは、会話の雰囲気を静かで、真面目なものに変えるため。冬美の場合はこれだった。

「荻原君。ここの仕事の採用基準って、何だと思う?」

「えっと……え?」

 唐突な質問に、功太は答えることができなかった。対する冬美はいたずらな目をしていた。からかい半分といった感じだ。たてた人差し指の赤いマニキュアと、白色の肌とのコントラストが功太の目を引きつけた。

「正解は、妖怪とか、人の死とかに耐性があること。ここにはそういった類の本がたくさんある。妖怪のほかにも、首吊り自殺の台として使った本とか、鈍器として使われた辞書とかね。だから、そういうものに対して強いっていうのが絶対条件なの」

「でも俺、死体どころか血も人並みにしか見たことないし、妖怪も……この図書館に来て初めて実在するんだって思いましたよ」

 冬美は小気味良く笑った。功太の反論が少し的外れだったらしい。

「ごめんね、違うの。私が言った耐性というのは、ほとんど生まれ付き備わっているものなのよ。人間と妖怪ってお互いにお互いを害す毒電波? みたいなものを持ってるの。ちょっと語弊が過ぎる気がするけど……。文献に見られる、妖怪による被害の大半はこれのせいよ。で、荻原君のような人は、生まれ付きその電波の影響を受けない体質なの」

「ん……よくわからなかったです」

「人間って、個人個人でパーソナルゾーンを持ってるでしょう? 赤の他人が入ると不愉快に感じる距離、って聞いたことないかしら。そのパーソナルゾーンは妖怪も持っているの。それで、妖怪が人間の、あるいは人間が妖怪のパーソナルゾーンに入ると、妖怪にとっても人間にとっても悪い影響を及ぼすのよ」

 功太はその具体例を知っていた。数日前の「影喰い」事件だ。沙弥の話を鵜呑みにするのなら、あの事件は「影喰い」と「新藤香」のパーソナルゾーンが重なったことで起きたことになる。そこに影喰いの悪意は無い。影喰いは悪意をもって新藤香を襲ったのではなく、純粋に二人が近くに居てしまったことが問題だったのだ。

「なんとなくわかりました。ようするに、お互いが近くに居ると良くないことが起こると。それで、耐性というのは?」

「まあその悪影響を与えないし受けないって考えればいいかな。だから、あなたは近くに妖怪がいても特に不利益を被ることはないんじゃないかしら。たぶん」

「たぶんって何ですかたぶんって」

「ここ二ヶ月、特になにもなかったのでしょう? だったら大丈夫よ」

 確かにその通りだった。ここ数日起きた出来事も香絡みであったし、半分以上は香がややこしくした面がある。功太にとって今の仕事や環境は十分に満足できるものだったし、別に「大丈夫」じゃなくても、この仕事を降りるという選択肢は無かった。

「まあいいですけどね。それなりにおいしい仕事だし」

「そうよねえ。もうちょっと給料下げてもいいかしら」

「勘弁してください」

 冬美はからからと笑った。その後も、冗談を交えながら世間話を進めてゆく。香との会話とはまたひと味違うが、不快なものではない。功太とは雇い主と雇用者という関係だが、そういった社会的な階級がなければ、二人は良い友人になるに違いなかった。

 二杯目の紅茶も冷めてきた頃、話題は一周回って金字の本に戻っていた。功太は冬美の語る、金字の本によって起きた厄災や奇談を面白がった。自分からアクションを起こすほど彼に好奇心はないが、与えられる情報や知識を楽しむ程度の興味はあった。

「人の過去を見せる、か。俺、香坂さんの過去とか興味あるなあ」

「私? 別に面白いものでも無いと思うけど……。まあどちらにせよ、私に金字の本は使えないけどね」

 疑問が功太の頭を捕らえたが、それはすぐに解消された。この図書館の雇用条件が「妖怪に耐性があること」ならば、管理人たる彼女もあってしかるべきだというところまで思考が至ったのだ。

「残念です」

 時計の針はちょうど真上で重なっていた。そろそろ腹の虫が鳴き始める時間だ。功太はソファから立ち上がった。

「何か作りますよ」

 意気揚々と巡撫する功太を、冬美はやんわりと辞退した。すっかり雑談に夢中になってしまったが、彼女は仕事でここに来ているのだ。まずは仕事を片づけなくてはいけない。立ち上がりながら、セミロングの茶髪を整えた。

「ありがとう。軽食はいくらか持ってきているから大丈夫よ。さっさと仕事を済ませて帰ることにするわ」

 手伝います、と功太は申し出たが、冬美は断った。図書館の重要な仕事は彼女にしかできないし、それ以外の人間にさせてはいけない物だった。冬美は和やかに笑って、道具を取りに車へと戻っていくのだった。




「これで、よしっと」

 図書館の最奥に、冬美の姿はあった。彼女の前には厚い気密扉がある。鉄製の扉は無機質に口を閉じていた。気密扉の用途は様々だが、少なくとも一般的な図書館にある物ではない。国宝級の書物がある国立図書館は別だろうが、少なくとも山奥の人のいない建物に必要な代物ではない……。

 冬美はもう一度施錠したことを確認し、扉から離れた。あたりの色は功太が生活している場所と代わりは無い。木を模したフローリングに白い壁、青白い蛍光灯。一般的な図書館と比べると違和感があるが、来客を想定した図書館ではなく、蔵書の保管を目的としているのだからこうなるのだろう。

 いくらか通路をいくと、そこにも大きな鉄製の扉があった。巨大な南京錠で施錠されており、まるで牢獄か、あるいは怪しげな宗教の聖域かのようだった。冬美は軽々とその南京錠を持ち上げ、手に持った銀色の鍵で開鍵した。扉をくぐり抜けた後、彼女は再び南京錠を扉にかける。万に一つでも人が侵入してこないように、扉を開閉する度に施錠するのが決まりだった。「人が侵入してこないように」なんていうのは遠回しな言い方だ。こんなへんぴな図書館に訪れる人などほとんどいない。この重々しい鍵は「荻原功太」という一個人を入らせない為のものと言っても差し支え無かった。

 どうやって入ってきたのか、いつのまにか冬美の隣には一匹の獣がいた。茶色の毛といびつな手足。かすかな腐敗と血肉の臭い。そして犬のような顔。以前、功太が目撃した追い犬だった。

 追い犬はその鋭い犬歯や臼歯をちらつかせながら、隣の女性に声をかけた。

「随分と悠長なことをするのだな。あの人間がきて、もう二ヶ月以上経つだろう」

 冬美は追い犬が日本語を語ったことに驚きもしなかった。普段功太には見せないような鋭い視線で追い犬を刺す。そこに柔らかな妖艶さはなく、狡猾な狐を思わせた。

「私は悠長だとは思わないわ。彼にとって必要な時間よ」

 追い犬は怪訝な顔をした。値踏みするように冬美を見る。追い犬の野性を宿した瞳に睨まれても、冬美は動揺を見せない。

「私は急いだ方がよいと思うのだがね。急を要すると嘆いていたのは主だろうに」

「……あなた、勝手に彼と接触したんですってね」

「荻原功太にこれ以上の猶予を与える必然性は無い」

 怒りを含んだ声だった。獣に敵意を向けられるというのは想像以上に恐ろしいことだ。修羅場に慣れていない人間なら、それだけで腰を抜かしてしまうかもしれない。しかし、冬美は全くひるまなかった。それどころか、その程度の弁論は予測していたかのように、素早く返答した。

天子(テンゴ)の件は天狐に一任しているはず。あまり勝手な行動をしないで」

「娘の方はどうするつもりだ? 事故は一度キリとは言い切れないだろう。それに、我々に敵対心を持つものだっている。そういう者どもが、娘に手をかけないとなぜ言える」

「……新藤香は、あなたが見てくれているのでしょう?」

 冬美はくすくすと笑う。小馬鹿にしていると言うよりは、口では強く当たりながらも味方になってくれる追い犬に笑みをこぼさざるを得ないといった感じだ。

「それだって完璧じゃない。現に、影喰いに魅入られた」

「どちらにせよ、彼女をこの図書館から遠ざけるという選択肢はとれないわ。天子の方を何とかしない限りね。新藤香の安全は、天子の契約がすまない以上は保証しかねるわ」

 試すような言い方だった。名高い追い犬ともあろうものが、人間一人の安否を何故そこまで気にするのか。そう、責めているようにも聞こえた。

「……まあ良い。迅速に頼むぞ」

 言い終わると同時に、追い犬は風のように姿を消した。どういった術によるものなのかは冬美も知らない。冬美は肩の力を抜くようにしておおきく息をはいた。 追い犬の意見はもっともだ。今週中、できれば数日中には結果が欲しい。

「水曜日くらいが、妥当かしらね」

手を挙げて身体を延ばし、うめく。――悩み事の多いこと。それが彼女の仕事なのだと理解しつつも、ぼやかずにはいられなかった。

 再び長い通路を歩き、重い扉をもう一つ開けると、見慣れた場所に着く。図書館一階のリビングだ。功太はソファで本を読んでいた。冬美が帰ってきたことに気づき、立ち上がる。

「お疲れさまです」

「ええ」

 少し疲れた様子の冬美に、功太はそれ以上言及しなかった。食事や紅茶を勧めたものの、彼女は体よく辞退する。

「今週の水曜日にまた来ようと思うのだけど、大丈夫?」

「え? ええ、まあ」

 冬美が平日に姿を現すことは一度もなかった。毎週日曜日。これを崩したのは、はじめてのことだった。

「じゃあ、よろしくね」

 それだけ言うと冬美は図書館から出ていった。普段では考えられないような淡泊さに唖然としてしまう。仕事が上手くいかなかったのかな、程度で納得した。その仕事の内容さえ、彼は知らないけれど。

 特に意識もせず、金字の本を手に取った。もしこれが高坂冬美に使えたなら、彼女の憂いの理由もわかるのだろうか。一人、嘲う。栓のないことだ。功太は本をテーブルに置き、キッチンへ向かう。夕飯まで随分と時間がある。読書にふける前に、洗い物の一つでも済ませてしまおう。冬美の様子を片隅に添えながら、緑色のスポンジに洗剤を垂らすのだった。


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