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「甘い紅茶と影喰いと」

 荻原功太の働いている図書館は、まるで西洋の洋館のような様相をしていた。開閉するたびに大きな音をたてる鉄の門を潜ると、巨大な庭が見える。庭と言っても、手入れをする人間がいないために雑草も伸び放題で、空き地と言った方が近い。以前功太は草刈りに手を付けたが、あまりの膨大さに三日で諦めることとなった。

 図書館は首都圏にある山の奥深くに立地している。もともと人がくることを想定した建物ではないので、妥当な場所と言える。道はある程度舗装されており、なんとか車一台を通すことが出来る。来るたびに車に傷を付けることになるので、関係者以外の来訪は肝試しが関の山だった。

 功太の主な仕事は書庫の整理だ。この図書館には行き場の無い、いわゆる「いわくつき」が集められている。人形寺院に主人をなくした人形を保管するように、ここでは本を保管していた。

 貯蔵されている本は普通の小説から、辞書や妖怪モノや中身が白紙のものまで様々だ。整理がてらそれらに目を通していた功太は、知識だけが無駄に蓄積されていた。今日もスローペースで書庫の整理を行おうと、地下への階段を降りる途中、呼び鈴が鳴った。

 珍しい。今日は雇い主が来る日ではないので、本当の来客ということになる。功太は踵を返し、玄関へと向かった。


 功太が扉を明けるまでも無く、来客は既に図書館に足を踏み入れていた。

「勝手に入るのは、どうかと思うよ」

 侵入者が見知った顔であったため、功太はホッと胸をなでおろす。腰辺りまで伸びたすらりとした黒髪。吹けば飛びそうなほど細い手足。黒いロングコートが細身の身体によく似合っている。功太の幼馴染である新藤香シンドウカオリだった。細すぎる手足に、功太は何度もダイエットを控えるように言ったのだが、本人は満足していないようだ。彼女の両親が一人暮らしを認めないのも、そこに原因があるらしい。功太は香の両親とも仲が良く、相談も頻繁に持ち込まれたが、香自身がダイエットを控える気が無い以上曖昧に合意することしかできなかった。

「携帯が繋がらない功太が悪い。直接くるのにどれだけ苦労したことか」

 山奥だけあって、携帯電話は圏外になる。ごくまれに電波が入ることもあるが、信用できる頻度ではない。功太は図書館の固定電話の番号を教えていたが、香は教えてもらったこと自体をすっかり忘れてしまっていた。

「番号、教えたはずなんだけど。相変わらずのエピソード記憶の弱さ……。それから電話がつながらないのと、勝手に敷地に入り込むのは全く関係がない」

「功太、うるさいぞ」

 ぴしゃりと小言を遮った。功太は聞こえるように溜息をつき、香を客間に案内した。


「なんでスーツなんだ? ここには功太以外誰も居ないのだろう? 部屋着で仕事すればいいと思うのだが」

 ソファに座るなり、香が無表情に言った。功太はキッチンに向かい、ポットでお湯を沸かしている。彼女の好きな甘い紅茶を出して、穏便にお引き取り願おうと思ったのだ。

「一応これでも仕事だからな。給料もいいし、住み込みだから家賃も浮く。多少は真面目にやるさ」

 仕事中に本は読むけれど。「真面目」という言葉に自分自身で突っ込みを入れる。

「ふむ。まあいいさ。スーツも眼福。可能ならパジャマで出てきて欲しかったが」

「男女逆転してないか? セリフがおっさんくさいぞ」

 いつものように軽く香をいなす。癖のある彼女の性格も、さすがに二十一年経てば慣れたものだった。昔は自己中心的だと喧嘩したこともあったが、今では彼女の個性と受け入れることができた。

 功太はストレートティに角砂糖を三つ入れ、テーブルに置いた。

「砂糖、いくつ入れた?」

「三つ」

「さっすが。褒めてつかわす」

 子供のような笑顔を咲かせたあと、間髪入れずに紅茶を手に取る。舐めるようにして熱さを確認し、まだ飲めないと判断してカップを置いた。

「熱い」

「そりゃあそうでしょ」

「お客様に対する配慮がかけてると思わないか?」

「仕事中の幼馴染に対する配慮が欠けていると思わない?」

「どうせ始業も終業も自由なんだろ。この自由業め」

「頼むから他人の前では自由業って言うなよ? ヤの付く仕事と勘違いされるだろ」

 冗談を交えながら、お互いの近況報告をする。基本的に功太は図書館から出ないため(生活品は雇い主が功太の監視がてら支給してくれている)、一ヶ月ぶりの再会だった。一通り会話に花を咲かせたあと、功太が注意深く聞いた。

「で、今日は何しにきたの?」

 香は冗談は好きだがそこまで非常識ではない。単に話したいだけなら、普段は土日を狙って訪問していた。

「うむ。実はな。何故だかしらないが昨日から私の影が無いんだ」

 ポカンとする功太だったが、すぐにあることに気がついた。座っている香の、影がない。淡いオレンジの蛍光灯に照らされた彼女の落とす黒い染みが、どこを探しても存在しなかった。この図書館の本を読み耽った功太の頭に、ある民話が浮かんだ。影喰い。日本に伝わる妖怪の一種だった。俯きながら、必死で影喰いについての情報を頭の中から引き出してゆく。得ることのできた情報の量に満足すると、顔を上げて香の顔を見た。

「そりゃ影喰いだ」

「影喰い?」

 今度は香が呆気に取られる番だった。功太に相談しても仕方がないと思っていただけに、わずか数秒の間に固有名詞が帰ってくるとは思わなかったのだ。

 功太は慎重に言葉を選ぶ。冬にもかかわらず、髪から汗が垂れるのが分かった。

「ああ。どこぞに伝わる妖怪だ。人の影を喰うから影喰い。影喰いに影を持ってかれた奴は、自分の一番大切なモノを殺さないと近い内に死ぬらしいぞ」

「それは難儀だな」

 影喰いの報告例はかなり多かった。大切なものを殺して助かった例も多いが、殺せずに死んだ例も多い。香はかなり深刻な状態にあった。

「一番大切なものを殺すというのは、人じゃなきゃいけないのか?」

「いや。馬を殺してなんとかなった例もあるし、人以外でも大丈夫だろう。人以外で心当たりがあるのか。人を殺さずに生き残れるのはラッキーだな。地下の書庫に、資料が結構あるが……探してみよう」

「いや、いい。ところで功太。もう一つ話があるのだが」

「なんだ?」

 香は姿勢を正して功太を見つめた。いつにない真剣な表情に胸が高鳴るのと同時に、深刻な話なのかと不安に駆られた。

「うむ。実はな。私、お前のことが大好きだ。結婚を前提にお付き合いしてくれ」

 わずかな硬直の後、呆れたように口を開いた。

「……なんだろう、この死刑宣告されてる感じ。かつてないほど嬉しくないタイミングの告白だわ」

「安心してくれ。私もほんの六十年くらいで同じ場所へゆく」

「結構がっつり生きるんだな」

「功太の命を貰って生きるようなものだからな。六十年でも足りないぐらいだ」

 香は紅茶をすすった。紅茶味の砂糖と言っても差し支えないそれを美味しそうに飲むのを見て、功太は苦笑いした。

「まあとにかく。俺は殺されたくないのでさっさと貯蔵庫行ってそれ以外の方法調べようか」

 香は考えるような動作を見せたあと、人懐こい顔を功太に向ける。

「私は功太でも一向に構わないが」

「俺が構うので協力してください」

「そうか。残念だ」


 貯蔵庫は地下にあるので、痛く冷える。電気ストーブが設置してあるものの、広大な部屋なので目に見える効果は無かった。しかしコートを着てしまうと作業効率が落ちるため、功太はヒートテックを愛用していた。ヒートテックに長袖を一、二枚。その上にワイシャツとスーツを着ても、それでも室内の空気は功太の血液を凍らせた。

「この寒さに耐えるくらいなら功太を殺したほうがマシなんだが」

「本当になんで君に告白されたのかわからなくなってきた」

「大好きだぞ、功太」

「でも殺すんだ」

「うむ」

「まあいいか。影喰いのような民話タイプのものは二番と三番の棚にある。……とは言っても、半数以上の本が未整理のままだけどな。お前はそこを頼む。俺は未整理のものを探してるから」

「了解した」

 功太は三○六番の棚から順に本を確認していく。三十六番は本来小説の類が置かれているはずなのだが、百科事典や心理学入門などあらゆる本が入り交じっていた。その中に影喰いについての図書がないか念入りに探す。単調で疲れる作業だが、慣れたものだった。わずか十数秒で確認を終え、隣の棚へ移動する。それを三、四回繰り返したところで、香から声がかかった。

「私はひらめいたのだが」

「どうした藪から棒に。というか、二番と三番を見てくれっていっただろ。そこ、三○二番なんだけど」

「そんなことはどうでもいい」

 一蹴され、功太も仕方なく香の言葉に耳を傾けることにする。本棚から視線を逸らし、香の整った顔を見つめる。

「影喰いって、いっそステータスにできないだろうか」

「と、言うと?」

「今、巷で影喰い系女子がアツい!」

「お前は影喰い系じゃなくて影喰われ系だ」

「む、一理ある」

 香は顎に手をやり、考える仕草をする。幼い頃に探偵アニメの真似事をしていて身についた癖だった。

「ではこれはどうだ」

「今度はなんだ」

「今、影喰い界で新藤香がブーム!」

「名指しか。ブームもなにもお前このままだと死ぬんだけど」

「じゃあ功太を殺すしかないな」

「殺されないために努力してるんだけどね」

「うむ。手伝おう」

 それを合図に、二人はもう一度探索に戻った。

 相変わらずの速度で本の識別をする功太に対し、香はたどたどしい。一段見終わってはもう一度同じ場所を見直し、途中で詰まっては一旦戻る。本人の不器用さもあるが、熱心に探しているとは言い難かった。


 三時間が経ち、二人は一度リビングに戻った。いくつかの文献は見つかったものの、そのどれもが影喰いの被害や民話を示すものであり、解決法は「大切なものを殺す」としか記されていなかった。

「一つ疑問があるのだが」

 功太はソファで集めた文献を捲っていた。地下でも軽く目を通したが、しっかり読み込めばなにか書いてあるかもしれない。一方の香はというと、本日のカロリー上限を先程の砂糖紅茶で終えてしまったため、ぼんやりと功太の様子を眺めていた。

「なんだ。何か分かったか?」

「いや。もし私が功太を殺したら、私は功太よりも自分の命を選んだことになるよな?」

「まあ、そうなるな」

「それだと私の一番大切なものは功太ではなく私の命だということになる。よって大切なものが殺せていないから死ぬ。が、功太を殺さずにいると、自分の命よりも功太を選んだことになり、死ぬ。なにこれ」

「……でも、文献では自分の大切なものを殺した奴は生き残っているみたいだぞ。自分の一番大切な物って、ただし自分の命は除く、って感じじゃないのか」

「ふむ」

 がらにもなく真面目な顔で顎に手を当てる香。何を考えているのか予想がつかず、功太も手を止めて香の顔を見つめた。

 ――性格さえ直せば、良い顔立ちをしていると思う。目は程よく離れており、平均よりも大きい。ジト目気味なところが気になるものの、全体的な顔のバランスはかなり美人と言えた。あとは細すぎる身体さえなんとかすれば、渋谷を歩くだけで仕事が見つかるだろう。

「そもそも、一番大切なものとはなんなのだろう。何と比較して、一番だと結論付けるのだろうか。この世には比べられるものの方が少ないというのに」

 驚くほどまともな意見に、功太は目を丸くした。香のこんな真摯な様子は長い付き合いで初めて見るものだった。一見した様子では判断がつかないが、意外と影喰いが響いているのかもしれない。当然か、と功太は思い直す。誰だって死が目前に迫れば、落ち着いては居られないだろう。彼女なりの焦燥なのかもしれない。

 事実、彼女の状況はかなり悪かった。一番早い例では、影を喰われた当日の夕方には死んでいる。香は二日目。いつ死ぬことになってもおかしくない状態だった。

「――ま、影喰いさんにはそこら辺の事情は汲めないのだろうよ。なんせ妖怪だからさ。人間の都合なんて構わないんだろう」

「なるほどな」

 そう言って、香は目を閉じた。何を考えているのか。いくら眺めても、答えは出なかった。功太は仕方なく視線を文献に移し、調べ物の続きをすることにした。ハッピーエンドを迎えるために。

「あ、そうだ功太。紅茶をくれないか」

 突然の申し出に、困惑する。一秒も無駄にできないとは思いつつ、彼女らしい言葉にほっとする自分を感じていた。

「はいよ」

 キッチンに向かい、紅茶の準備をする。少し高いティーパックを使ったストレートティ。角砂糖が三つ。昔から、香が大好きな味だった。

 お湯をカップに入れ、パックを蒸す。指定された時間よりもじっくりと蒸した後、パックを取り出して角砂糖を溶かした。良くかき混ぜて、リビングへ。

「出来たぞ」

「砂糖は?」

「三つ」

「さすがだ」

 テーブルに置くと、食器が擦れる音がした。時計の秒針の音が緩やかに響く。香はまだ目を瞑って沈黙していた。

 二、三分ほど経って、紅茶がほどよく冷めた頃。香はそのジト目を開き、紅茶を手に取った。

 そして彼女はカップを口に持っていくことなく、おおきく振りかぶって壁に投げつける。中身は振りかぶった際に飛び散り、ソファやテーブル、絨毯を紅色に染める。カップは鈍い音を立てて壁にぶつかり、破片を飛ばした。割れてはいないものの、小さな欠片が辺りに飛び散った。

 功太が目を見開いてその様子を眺めていると、香は振り返って笑った。

「これで、よし」

 なんのことか分からずうろたえていると、香の足元からみるみる内に黒い染みが広がっていった。それは人の形を描きながら膨張し、香とそっくりな形で止まった。

「えっと、これはつまり?」

「どうした功太。一番大切なモノを殺せば良かったのだろう?」

「それが、紅茶?」

「砂糖が三つな」

 功太は静かに文献を閉じた。

「うむ。助かったぞ。これで死ぬことはなさそうだ」

「俺、驚くくらい何もしてないんだけど。ついでに今までの時間驚くくらい無駄だったんだけど」

「いやいや。いい機会になった。やはり私はお前が大好きなようだ」

「……君の中で思いっきり紅茶、大なり俺って式が出来てることが判明したんだけど」

「ああ。私は君の淹れるストレートティが大好きだ」

 それだけ告げると、香は玄関へと歩きだした。それを追うこともできずに、功太は立ち尽くしていた。

「また今度来るぞ。それじゃあな」

 扉が締まる音がしてから数十秒。途方にくれていた功太が、文献を一つ、また一つと腕に抱え始めた。おおよそ十を数えたところで、功太の腕が一杯になる。全てを片付けるには、二、三往復する必要がありそうだ。

「さて、仕事に戻りますか」

 冬の肌寒さを感じながら、功太は階段を降りていくのだった。



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