表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
13/19

1話裏話

今回1話デートの裏話です

本編書けって?書いてますよ!!笑

白雪澪は、朝からずっと落ち着かなかった。


 鏡の前で髪を整えて、少し離れて見て、また前に戻って、前髪を指で直す。そんなことをもう何度も繰り返していた。


 病室の窓から入る朝の光は柔らかくて、外は春そのものだった。天気予報では晴れ。桜も、きっとまだ綺麗に残っている。


 それだけなら、本当は嬉しいはずだった。


 けれど胸の奥では、別の感情がずっとざわついていた。


 今日、会える。


 ようやく会える。


 でも、きっと彼は覚えていない。


 その事実が、何よりも怖かった。


「外出許可、夕方までだからね」


 担当の看護師にそう言われて、澪はいつも通りを装って「はーい」と軽く返した。笑えていたかどうかは、自分でも分からない。


 本当は、その一日がどれだけ大事なのか、誰にも説明できなかった。


 何年も胸の奥に置いてきた約束だった。


 桜の下で、また会おう。


 たったそれだけの言葉を、澪はずっと捨てられなかった。


 忘れても、前に進んでも、別の誰かを好きになってもいいはずだったのに、どうしてもできなかった。自分でも呆れるくらい、昔の約束を大事にしていた。


 きっと、馬鹿みたいだ。


 でも、陽斗がくれた言葉だった。


 だから今日だけは、どうしても会いたかった。


 会って、もし覚えていなくても。


 それでも、一回だけ隣を歩いてみたかった。


 病院を出た瞬間、風が頬を撫でる。


 空気が、少しだけ冷たい。でも痛いほどじゃない。


 澪は小さく息を吸い込んだ。


 春の匂いがした。


 それだけで、少し泣きそうになる。


「泣かない。まだ」


 誰に言うでもなく呟いて、澪は歩き出した。


 大学へ向かう道の途中、人の流れを避けるように立ち止まる。胸の鼓動が、うるさい。ちゃんと会えなかったらどうしよう。会えても、冷たい顔をされたらどうしよう。名前を呼んで、困らせたらどうしよう。


 考えれば考えるほど足が重くなった。


 けれど、ここで逃げたら、一生後悔すると分かっていた。


 だから進んだ。


 人混みの向こうに、見覚えのある姿を見つけたのは、その少しあとだった。


 背格好も、歩き方も、昔より大人になっているのに、すぐ分かった。


 神崎陽斗。


 自分だけが長い間覚えていた名前が、目の前の現実としてそこにあった。


 一瞬、足が止まる。


 喉が乾く。


 声が出ない。


 でも、次の瞬間には、もう前に出ていた。


 ぶつかったのは、わざとではなかった。けれど半分は、そうだったのかもしれない。こうでもしないと、きっと声なんてかけられなかった。


「いったぁ……って、あ……!」


 顔を上げた瞬間、澪は息を呑んだ。


 ああ、本当に陽斗だ。


 ずっと会いたかった人が、ここにいる。


 でもその目には、明確な“知らない人を見る色”があった。


 胸の奥が、少しだけ冷たくなる。


 それでも、澪は笑った。


「……やっと会えたね、陽斗」


 言ってしまってから、ほんの少しだけ怖くなる。名前を呼ばれて、彼がどんな顔をするか分かっていたからだ。


 案の定、陽斗は警戒と困惑を混ぜたような顔をした。


 それでも、逃げなかった。


 その事実だけで、澪は救われる。


「名前知ってるの、ちょっと怖いんだけど」


 冗談っぽい返しだった。


 昔の彼なら、たぶんもっと素直に反応しただろう。でも、今の彼はちゃんと距離を測る。知らない相手に簡単に懐かない。その変化が少しだけ寂しくて、でも同時に愛おしかった。


「大丈夫、ストーカーとかじゃないよ?」


 そう返しながら、澪は必死だった。明るく見せるのも、冗談を言うのも、全部、本心を隠すためだった。


 今ここで泣いたら終わる。


 この人は、困ってしまう。


 だから笑った。


 少し歩いて公園へ向かい、ベンチに並んで座る。肩が触れそうで触れない距離。その距離を測るだけで胸が苦しい。


 覚えてない。


 本当に、覚えてないんだ。


 その現実を、澪は隣に座って初めてちゃんと飲み込んだ。


 目の前に本人がいて、声も聞こえて、こうして並んでいるのに、自分だけが昔を知っている。そんな状況が、想像以上に残酷だった。


「……覚えてないよね、私のこと」


 聞くつもりはなかった。もっと軽く入るつもりだったのに、口から出たのはそれだった。


 陽斗の表情がわずかに動く。


 困ったような、申し訳なさそうな、どう答えていいか分からない顔。


 ああ、だめだ。


 そんな顔をさせたいわけじゃなかったのに。


「でもね、私はずっと覚えてた」


 そう言うしかなかった。


 ずっと覚えてた。本当に、その通りだったから。


 小さい頃の約束のことも、桜のことも、泣いていた自分に差し出された手の温かさも。何一つ忘れられなかった。


 無理に思い出さなくていいよ、と言ったのは、半分は優しさで、半分は逃げだった。思い出せと言って、彼を苦しめたくなかった。けれど本当は、少しだけ期待していた。何かひとつくらい、引っかかってくれたらいいのに、と。


 だから、「もう一回、やり直さない?」と言った。


 今の私と、今の君で。


 昔に戻れなくてもいいから。


 せめて今日だけ、新しく始められたら。


 陽斗が戸惑いながらもその場を離れなかったとき、澪は自分でも驚くほどほっとした。まだ何かが終わっていない気がした。


 デート、しよ?


 そう言ったときも、本当は心臓が痛いくらい鳴っていた。


 軽く言わないと壊れそうだった。


 彼が手を取ったとき、澪はもうそれだけで十分だと思ってしまいそうになった。


 そのあと最初に入ったカフェでは、澪は平静を装うのに必死だった。


 メニューを開きながら、何を頼むかなんて本当はどうでもよかった。ただ、陽斗と同じ空間で、向かい合って座って、飲み物を待つ時間が、ひどく夢みたいだった。


「何にするの?」


 そう聞かれて、澪はメニューを見るふりをした。けれど、この店に来るのは初めてではない。以前、病院帰りにひとりで寄ったことがあった。陽斗と来たら、ここでこれを頼んでみたいと思っていたものがある。


「プリン、ここの美味しいよ」


 そう言ってから、自分で少し笑う。


 自然すぎたかもしれない。初めてのはずなのに、知っているみたいな言い方だった。


 でも陽斗はそこを深くは追及しなかった。


 その優しさに、甘えてしまう。


 プリンが運ばれてくると、澪は小さく「いただきます」と言った。スプーンを入れる。柔らかい。ほろ苦いカラメルと甘さがちょうどよくて、美味しい。けれど味よりも、陽斗がそれを見て少し笑ったことのほうが印象に残った。


「ほんとに好きなんだな」


「うん。病人の数少ない楽しみだから」


 冗談っぽく返したけれど、半分は本当だった。


 病室にいる時間は、時間の進み方が普通とは違う。楽しみなんて、自分で作らないとどんどん消えていく。だから小さな楽しみを拾っていた。


 その中の一つに、いつか陽斗とこういうふうに話せたら、という妄想があった。


 陽斗は知らない。


 自分がずっと、その妄想の中にいたことを。


 カフェを出たあと、本屋へ向かった。


 本屋は不思議な場所だった。会話が途切れても不自然じゃない。隣を歩いていても、沈黙が気まずくない。だから澪は好きだった。


「陽斗、本読む?」


「まあ、たまに」


「たまにって顔してる」


「どういう顔だよ」


 そんなやり取りをしながら、棚の間をゆっくり歩く。


 恋愛小説の棚の前で立ち止まりそうになって、やめる。さすがに分かりやすすぎる気がした。代わりにエッセイや写真集の棚を見ながら、どうでもいい感想を言い合う。


「こういう空だけの写真集って誰が買うの?」


「空好きな人」


「雑」


「でも綺麗じゃん」


「それはそう」


 陽斗の返しは素っ気ないようで、投げやりではなかった。ちゃんと聞いて、ちゃんと返してくれる。その一つ一つが、澪には嬉しかった。


 それからゲームセンターに入った。


 正直に言えば、そこに入るつもりはなかった。


 でも、入口から見えたクレーンゲームの景品の中に、小さい桜色のマスコットが見えて、澪は無意識に足を止めていた。


「やるの?」


「……ちょっと気になる」


「取れる気しないけど」


「そういうこと言うやつが一番ハマるんだよ」


 そう言って、澪は100円を入れた。


 アームが動く。狙いをつける。落ちる。全然だめ。


「あー、今のは惜しかった」


「絶対嘘」


「いや、ほんとに惜しかった」


 もう一回やる。今度は位置を少しずらしてみる。やっぱりだめ。


 澪は思わず笑ってしまった。


「何これ、全然取れないんだけど」


「見てていい?」


「見てるだけ?」


「そういうときに取ると空気読めない感じするだろ」


「なにその気遣い」


 少しやり取りしたあと、結局陽斗も財布を出した。


「一回だけな」


 そう言ってアームを動かす。


 変に器用なのが、ちょっと悔しい。


「待って、なんで今のでそんな良い位置行くの?」


「知らね」


「むかつく」


「褒めろよそこは」


 あと一歩の位置まで寄ったマスコットを見て、二人でしゃがんで眺める。知らない人から見たら、本当にただの普通の大学生カップルみたいだったかもしれない。


 その想像に、澪は少しだけ胸が痛くなった。


 こんな時間が、本当に普通に続けばよかったのに。


 そんなことを思う自分が嫌だった。


 今ここにあるものだけで十分だと、自分に何度も言い聞かせる。


 結局、三回目でマスコットは取れた。


 最後の一手は陽斗だった。


「ほら」


 そう言って渡された桜色の小さなマスコットを受け取った瞬間、澪はなぜか泣きそうになった。


「……ありがと」


「そんな嬉しい?」


「嬉しいよ。こういうのちゃんと取れたことあんまないし」


「そんなもんか」


「そんなもん」


 澪はそのマスコットを両手で持ちながら、しばらく見つめた。桜色で、少し間の抜けた顔をしていて、別に高いものでも特別なものでもない。


 でも、今日の自分には宝物みたいに見えた。


 それから二人は、音楽ゲームの前を通り、プリクラ機の前で少し立ち止まって、結局入らずに笑った。


「これはハードル高くない?」


「高い」


「まだそこまでの関係じゃないしね」


 澪がそう言うと、陽斗は少しだけ困ったように笑った。


 その顔を見て、澪は自分で言っておいて少しだけ後悔する。


 “まだ”。


 そんな言葉を使う資格なんて、自分にはないのに。


 ゲームセンターの外に出ると、夕方が近づいていた。


 空の色が少しずつ変わっていく。人の流れも、昼とは違う。


 楽しい時間ほど短い。


 そんな当たり前のことを、澪は嫌というほど知っていた。


 川沿いまで歩く間も、他愛のない話を続けた。


「オムライス好きなの、ちょっと意外」


「なんでだよ」


「もっと渋いの好きそう」


「どういう偏見?」


「なんとなく。ブラックコーヒーとか飲んでそう」


「苦いの無理」


「かわいい」


「やめろ」


 言ってから、澪は少しだけ黙った。


 かわいい、なんて昔だったらもっと自然に言えていた気がする。今は、その一言すら距離を測るようになる。


 でも陽斗は強く否定しなかった。


 そのことが、また嬉しくて苦しい。


 夕方の川沿いは静かだった。


 桜の花びらが水面を流れていく。風が少し冷たくなってくる。


 澪は隣に立って、その景色を見た。


 きれいだと思った。


 でもそれ以上に、隣に陽斗がいることが現実みたいに思えなくて、何度も横顔を見てしまう。


 今日が終わってしまう。


 その事実が、少しずつ近づいてくる。


「今日さ、楽しかった?」


 聞いたのは、確認したかったからだ。


 自己満足じゃなかったか知りたかった。自分だけが大事にしていただけじゃなくて、陽斗にとっても少しは意味がある時間だったなら、それだけで救われる気がした。


「……楽しかった」


 その答えを聞いた瞬間、澪は目を閉じた。


 それだけでよかった。


 もう十分だと思った。


 思ったのに。


 それでも終わりは来る。


 だから、自分で言わなければならなかった。


「明日、私のこと忘れて」


 あの言葉は、ずっと前から決めていた。


 本当は“忘れないで”と言いたかった。ずっと覚えていてほしかった。何度だって会いたかった。


 でも、そんなことを言ったらこの人は優しいから、きっと全部背負おうとする。だから言えなかった。


 忘れて、と言えば、自分のほうが少しは悪者でいられる。


 そのほうが、たぶん彼は前に進みやすい。


 そう思っていた。


 でも、その直後に抱きしめられたとき、全部が崩れそうになった。


 澪は一瞬、本当に息が止まるかと思った。


 温かかった。


 ずっと昔に失くしたと思っていたものが、急に胸の中へ戻ってきたみたいだった。


「……やっぱり、ずるいなぁ」


 それが精一杯だった。


 忘れてほしいのに、忘れられなくなる。


 そんなこと、分かりきっていたのに。


 それでも嬉しかった。


 最後に耳元で「大好き」と言ったとき、澪は半分泣いていた。


 たぶん声でばれていた。


 でも構わなかった。


 どうせ最後なら、綺麗に終わりたかった。


 全部をちゃんと嘘にするんじゃなくて、一つだけ本当を残したかった。


 だから言った。


 あれだけは、何のごまかしもない本心だった。


 あの日のデートは、短かった。


 でも澪にとっては、人生でいちばん長くて、いちばん短い一日だった。


 カフェで向かい合って笑った時間も、本屋の静かな通路も、ゲームセンターでどうでもいいことで言い合ったことも、最後に川沿いで並んで立った時間も、何一つ捨てたくなかった。


 陽斗が覚えていなくても。


 あのときの彼にとっては“初めて”だったとしても。


 澪にとっては、ちゃんと約束の続きだった。


 だからこそ、苦しかった。


 だからこそ、幸せだった。


 病室へ戻る車の中で、澪はずっと桜色のマスコットを握っていた。


 指先に残る感触が、まだ現実だと教えてくれる。


 窓の外では、春の景色がゆっくり後ろへ流れていく。


 もう終わった。


 でも、終わらせたのは自分だ。


 そう何度も言い聞かせる。


 それでも、胸の奥では別の声が囁く。


 もう一回会いたい。


 もう少しだけ一緒にいたい。


 忘れないでほしい。


 そんな、自分勝手な願いを抱えたまま、澪は目を閉じた。


 結局、最後まで綺麗にはなれなかった。


 それでも。


 あの日、陽斗が隣で笑ってくれたことだけは、きっと一生忘れないと思った。


 たとえ、彼が忘れたとしても。


 自分だけは、絶対に忘れない。


 そう思っていた。


 あのときまでは。


詳しく書いたら長くなっちゃった!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ