殺気のコントロールと、基礎の構え
アイリスは剣を落とし、愕然とした表情で男を見つめた。
訓練場の空気が、一瞬で静まり返った。
団員たちは呆然と立ち尽くし、互いに顔を見合わせた。
「貴様……まさか王国序列1位の……ローゼス・グレイ!?」
男——ローゼス・グレイは、坊主頭を軽く撫でながら、にやりと笑った。
普段は長髪をなびかせ、髭をたくわえた野性味あふれる剣士の姿で知られる彼が、今日はすべてを剃り落とし、まるで別人のような格好だ。
それが、アイリスが気づくのを遅らせた最大の理由だった。
「はい、そうです。今日は特別講義をする為に、少しお洒落させて頂きました。」
アイリスは顔を伏せ、声を震わせた。
剣を握る手が、わずかに震えている。
「それでは、先程のやり取りを解説させて頂きます。確かに相手を挑発して冷静さをなくさせると言うのは戦略の一つとしてはありです。しかし一定の範囲を超えるとそれは怒りのパワーになってしまいます」
「……申し訳ありません。私の判断が甘かった。騎士として、冷静さを失うなど」
ローゼスは肩をすくめ、軽く手を振った。
「はい、そうですね。アイリスさんもその通りです。こういった策を意図的にやって来る相手もいます。途中で判断した『団員達に相手を地下牢に送らせる』この対応が正解になりますね」
アイリスは顔を上げ、凛とした表情に戻った。
瞳に、わずかな光が宿る。
「なるほど……戦場での心理戦の一環として、私自身が囚われの身となることで団員たちの警戒心を高める……見事な戦術でした」
ローゼスは小さく笑い、訓練場の中央に立った。
坊主頭が朝陽を反射し、意外なほど清々しく見えた。
「はい。ですが、私はこういった小細工は必要ないと思います。剣の技術さえしっかりしてれば、このような小細工に頼らなくてもいいのです。そういうのを横綱相撲と言います」
アイリスは深く頭を下げた。
銀髪が朝風に揺れる。
「なるほど……純粋な剣技で勝負する。私も見習わねばならない教えですね」
ローゼスは視線を団員たちに移し、静かに言った。
「私は序列一位などと言われていますが、それはこういった駆け引きや小細工が上手いからです。こちらの技術は会得するのには時間がかかります。純粋な剣技では間違いなくアイリスさんが上です。ですので、皆さんしっかりとアイリスさんの元で学んで下さい」
アイリスは静かに思う。
自分はローゼスの小細工・駆け引きに、まんまと乗せられていた。
これこそが序列一位の力かと思い知らされた。
ローゼスが上、自分はまだ下だ——そう感じざるを得なかった。
しかし、そのローゼスが剣技では私の方が上だと言っている。
そうだ。その通りだ。私は剣技なら誰にも負けない自信はある。
この自信を、もっと磨き続ける。それが、私の道だ。
アイリスの胸に熱いものが込み上げる。
彼女は深く頭を下げたまま、静かに言葉を続けた。
「私からも、騎士団の教えを統べる立場として……皆、この方の言葉を心に刻め。真の強さとは何か、よく考えるのだ」
ローゼスは一礼し、ゆっくりと訓練場を後にする。
「それでは皆さん失礼しました。本日の私の講義『基礎が出来れば小細工は不要』でした」
彼の背中が遠ざかるのを、団員たちは息を呑んで見送った。
アイリスは静かに剣を収め、部下たちに向き直った。
「よし! それでは今日の教訓を胸に、新たな基礎訓練を始めるぞ! 先程の講義を踏まえ、全員の基本姿勢から見直す。全員、私の動きをよく見ておけ!」
朝陽がさらに高く昇り、訓練場に新たな活気が満ちた。
アイリスは剣を構え、団員たちに視線を配る。
その瞳には、静かな決意が宿っていた。
真の強さとは、派手な小細工ではなく、 剣技でもなく、日々の基礎を積み重ねた先に見える、己の在り方を見つける事にある——
ローゼス・グレイの言葉が、朝の風に乗って、皆の胸に刻み込まれていた。




