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星が織りなす物語 Elysium  作者: 白絹 羨
第二章 海を渡る風

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第十八話 西へ

 夜明けの光が、廃墟となった街を青白く染め上げていく。私たちは、瓦礫の山と化した領主の(やかた)を背に、街の西門へと歩を進めていた。

 石畳を踏むブーツの音だけが、死に絶えた空間に響く。私の髪は白く変色し、体も鉛のように重かったけれど、足取りは不思議と確かだった。あの「模倣された世界」という、底なしの沼のような閉塞感から抜け出せたからかもしれない。


「……状況を整理しよう」


 先頭を歩くエリアス・ヴァルトが、杖で瓦礫を避けながら口を開いた。その声には、帝国の魔導師団(まどうしだん)特使としての冷徹な響きが戻っていた。彼はもう、不可解な現象に狼狽する学者ではない。国家の危機管理を担う高官としての顔をしていた。


「現在地は、セントリスと我がローゼン帝国を結ぶ国境都市ベルン。……いや、『かつてベルンだった場所』だ」


 彼は懐から羊皮紙の地図を取り出し、歩きながら広げた。


「この街が十年前に滅んでいたということは、帝国とセントリスを結ぶ陸路の大動脈は、とっくの昔に切断されていたことになる。東のアンデッド領から伸びた『死の楔』が、ここまで深く食い込んでいたとはな」


「帝国の諜報部は、気づかなかったのですか?」


 リリアが、周囲への警戒を怠らずに問う。


「ああ。恥ずべきことだが、完全に欺かれていた。私自身、何年も前からここを馬車で通過した際、何の疑いも抱かなかった。……検問も、市場も、完璧に機能していたからだ」


 エリアスは悔しげに唇を噛んだ。帝国(ていこく)全土を行き来する彼でさえ、その目は「正常」だと認識させられていた。それほどまでに、この場所に施されていた「物語の記述」は強固だったのだ。


「だが、ヴェールは剥がれた。今やここは、東から溢れ出す死者たちの通り道だ。徒歩でこのまま南下し、国境を越えるのは自殺行為に等しい」


 エリアスは地図の上で、南へ向かう街道に指でバツ印をつけた。そこはもう、帝国の版図ではなく、アンデッドたちの狩り場となっている。


「では、どうするのです?」


「西へ向かう」


 エリアスの指が、地図の左側――青く塗られた領域へと滑った。


「ここから西へ三日ほど歩けば、港湾都市『ポルト・ミナ』がある。そこから船に乗り、海路で大きく迂回して帝国の沿岸部へ上陸する。……風に乗るのが、現時点での最適解だ」


 ――風。


 私はその言葉を反芻した。海を見るのは初めてではないけれど、ここ数日の灰色の景色と、閉塞した空気の中にいた私にとって、その響きは眩しいほどの「開放」を感じさせた。


「陸路が死に絶えているのなら、海を行く。……合理的な判断です、ヴァルト特使」


 リリアさんが同意し、私を見た。


「セリーナ様、少し遠回りになりますが、よろしいですか?」


「ええ。任せるわ、エリアス」


 私は頷いた。南へ直進して敵中突破する体力は、今の私にはない。それに、海からの風に当たれば、この澱んだ魂も少しは洗われるかもしれない。西門を抜けると、そこには荒涼とした平原が広がっていた。朝霧の向こうから、微かに潮の香りが漂ってくる気がする。


「……ところで、リリア殿」


 しばらく無言で歩いていたエリアスが、ふと足を緩めずに声をかけた。その声色は、先ほどまでの事務的なものとは違い、学究的な興味を含んでいた。


「先ほどの話だが……君は、セリオナ王国の王に会ったことがあると言ったな」


 私の心臓が、トクリと鳴った。リリアさんは表情を変えず、ただ前を見据えたまま歩いている。


「ええ」


「セリオナ王国は、数十年前に王と共に滅んだ国だ。その王となれば、過去の存在……あるいは、死者だ。それを『会った』と語る君は……一体、何者なんだ?」


 エリアスの問いに、敵意はない。あるのは純粋な、未知に対する知的好奇心だ。彼は魔導師(まじゅつし)として、目の前にいる「常識外の騎士」の正体を測りかねている。


「私は、セリーナ様の剣であり、盾です。それ以上の意味はありません」


 リリアさんは静かに、けれど拒絶の意志を込めて答えた。


「……今はまだ、そう答えておきましょう。エリアス殿」


「ふむ。……今は、か」


 エリアスは口元に微かな笑みを浮かべ、それ以上追求することを止めた。彼のような賢い人間は、無理に扉をこじ開けることの愚かさを知っている。(とき)が来れば、鍵は自ずと開くものだと。


「いいだろう。私の興味は尽きないが、今はセリーナ嬢を無事に送り届けることが最優先だ。……急ごう。日が昇りきれば、死肉を漁る鳥たちが動き出す」


 エリアスが歩調を早める。私たちは、背後の廃墟を振り返ることなく、西へと続く道を踏みしめた。風が変わった。腐臭とカビの臭いは薄れ、湿った塩の香りが強くなる。それは、次の舞台への招待状のように、私の白くなった髪を優しく揺らした。

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