20.二つの面影
祭りの熱気はまだ残っていた。
浴衣を脱ぎ、解いた帯を椅子の背に掛ける。
髪をほどき、指でほぐしながら鏡をのぞき込むと、そこに映っていたのは、さっきまで笑顔でいたはずの自分ではなく、どこか切なげに口元を歪めた顔だった。
――カケルくん。
夜空に大輪の花火が咲くたび、隣で笑ってくれた。
人混みの流れに押されそうになれば、歩幅を合わせてくれた。
浴衣の裾を気にして立ち止まると、何も言わずに足を緩めて待ってくれた。
優しいのに、どこか不器用で、ちょっと言葉足らずなところ。
スマホ越しのやりとりで知っていた“カケル”そのものが、目の前に確かに存在していた。
――だからこそ。
時折、胸の奥がざわつく瞬間があった。
笑ったときの目元のかたち、少し緊張したような声の響き。
(……新堂くんに、似てる。)
思い浮かんでしまった名前を慌てて頭から振り払う。
違う、そんなはずはない。
あの日、勇気を振り絞って声をかけた。
胸が張り裂けそうなくらい緊張して、それでも「新堂くん」と呼んだ。
けれど彼は、ほんの一瞬こちらを見ただけで目を逸らし、そのまま背を向けてしまった。
確かに聞こえたはず。
距離だって近かった。
気づかないなんてありえない。
だから「新堂くん=カケルくん」なんて考えるだけ無駄。
無理に決まっている。
そう思おうとするのに、心は勝手に二人を重ねてしまう。
机の引き出しの奥にしまってある、一枚の写真。
友達のSNSから保存してしまった、学園祭のスナップ。
制服姿の新堂くんが、仲間に囲まれて笑っている。
作り物じゃない、自然な笑顔だった。
人混みの中でも、不思議とその笑顔だけが真っ直ぐ目に飛び込んできて、視線を離せなくなった。
名前を知らなくても、その笑顔は何度も心を温めた。
見るたびに息が詰まるくらい愛おしかった。
忘れられるはずがなかった。
そして――。
今、隣で歩いてくれたカケルが、その笑顔に重なって見えてしまう。
――憧れと、安心。
新堂くんには、一目で惹かれた。
触れることすらためらわれるほどのまぶしさで、遠くから眺めるだけで満たされると思っていた。
けれどカケルは違う。
秘密も、弱さも、飾らずに見せてくれる。
どんなに情けない話でも、どんなに小さな悩みでも打ち明けてくれる。
言葉を交わすたびに、彼の輪郭がはっきりしていって、心の距離が縮まるのを感じた。
まるで、憧れの人と、心を許せる人が、同じ姿をしているみたいに。
「……バカだな、私。」
布団に潜り込むと、ため息がこぼれた。
違うって分かってる。
無視されたときの冷たい現実を、まだ忘れていない。
それなのに、心が勝手に二人を重ね合わせてしまう。
もし本当に同じ人だったら。
もし新堂くんが、カケルくんだったとしたら。
そんなありえない想像をしてしまう自分が、少し怖い。
いや、それ以上に、そんな想像をしてしまうほど二人に惹かれている自分の気持ちが、どうしようもなく愛おしかった。
スマホを開くと、カケルから「今日はありがとう」というメッセージが届いていた。
たった十数文字。
なのに、その文字がやけに優しく沁みる。
「こちらこそ」
返事を打ちながら、ふと指が止まる。
本当は――“新堂くんに似てる”って書きかけてしまった。
慌てて削除する。
そんなこと、絶対に言えない。
言ってしまったら、何かが壊れてしまう気がする。
秘密にしておこう。
この揺れは、私だけのもの。
カケルくんには悟らせない。
スマホを伏せて目を閉じる。
夜空に咲いた花火の鮮やかな残像と、横で笑っていた彼の横顔が何度も浮かんでくる。
新堂くんとカケルくん。
別々のはずの二人が、頭の中でどうしてもひとつに重なってしまう。
――でも本当に、違う人なのかな。
小さな問いが芽生えては、また消えていった。




