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19.転機の夜

祭りの熱気が少しずつ遠ざかっていく。

屋台の灯りも、人混みのざわめきも背後に置き去りにして、二人は並んで歩いていた。

夜の街は昼間とは違う静けさに包まれていて、遠くで鳴る花火の残り音が、まるで余韻のように空気に漂っている。

街灯の下を通るたびに、レンの浴衣姿がやわらかく浮かび上がる。

紺地に小花の柄が涼しげで、白いうなじがきれいにのぞいていた。

さっきまで人混みの中にいたのに、今はすぐ隣で息づかいが聞こえる距離にいる。

その事実だけで、翔汰の胸は高鳴り続けていた。


「……人、減ったね。」

レンが小さくつぶやく。

「うん。さっきまで賑やかだったのに、嘘みたいだ。」

ほんの他愛もない会話。

それなのに、声を交わすたび胸の奥が熱を帯びる。

スマホの画面越しに幾度となく聞いた言葉が、今は現実の声になって耳元で響いてくる。

その近さに慣れなくて、翔汰は少し呼吸を浅くした。


レンは浴衣の裾を気にしながら歩いていた。

慣れない草履のせいで、ほんの少しぎこちない。

段差でつまずきかけ、バランスを崩した瞬間、翔汰は思わず腕を伸ばして支えた。

「……っ、ごめん。」

レンは頬を赤くして、恥ずかしそうに笑う。

「大丈夫? 足、痛くない?」

「うん、平気。ありがとう。」

そう言って袖口で口元を隠すように笑う仕草に、心臓が一気に跳ね上がる。


再び歩き出す。自然と歩幅を合わせ、ほんの少し肩が触れそうになる距離を保った。

肩先がかすかに揺れるたび、手の甲が偶然触れそうになって、そのたびに翔汰は視線を逸らす。

触れたくて、でも触れてはいけない気がして――苦しくなる。


「花火、きれいだったね。」

レンが夜空を仰ぐようにしてぽつりと言う。

「うん……すごかった。いや、それ以上に――」

言いかけて、慌てて言葉を飲み込む。

危うく「君の横顔のほうがずっと」なんて続けそうになった。

喉の奥で言葉が絡まり、代わりに夜風だけが通り過ぎていく。

(……本当は。俺は――)

胸の奥でどうしようもなく膨らむ想い。それを隠したまま、ただ隣を歩く。

彼女の横顔が街灯に照らされるたびに、理性が少しずつ削られていく気がした。


やがて駅前の明かりが見えてきた。

再び人の流れが増え、賑わいが戻ってくる。

別れの時間が近づいている。

もっと一緒にいたい。ほんの数分でも長く。

だが、言葉にならない。

「今日は、ありがとう。」

やっと絞り出せたのは、そんな平凡な一言だけだった。

レンは小さく首を振り、浴衣の帯を直しながら微笑む。

「こっちこそ。カケルくんと一緒で、楽しかった。」

その笑顔は温かく、痛いほど嬉しい。

だが同時に胸の奥にある秘密がさらに重みを増していく。

彼女は“カケル”に向けて笑っている。

現実の自分――あの時の新堂ではないのに。


レンは改札の前で、少し躊躇うように立ち止まった。

浴衣の裾を整え、小さな声で言う。

「また話そうね。」

その声は、別れの寂しさを隠しきれていないように聞こえた。

翔汰は喉の奥が熱くなるのを堪えながら頷く。

改札を通っていくレンの背中を、最後まで目で追った。

浴衣の鮮やかな色が人混みに紛れて見えなくなるまで、翔汰はその場から一歩も動けなかった。


――一人になった帰り道。

街灯に照らされた歩道を歩きながら、祭りの光景が何度も頭の中で繰り返される。

屋台の匂い、夜空に散った花火、そしてすぐ隣で笑っていたレンの姿。

思い出すたびに息が詰まるほどだった。

(隠したままでいいのか? それとも――)


答えは出ない。

だが確かなのは、今夜の夏祭りが自分の心を大きく変えてしまったということだった。

彼女と肩を並べて歩いた夜道の記憶は、ただの思い出では終わらない。

二度と戻らない夏の夜が、翔汰にとって決定的な“転機”になったのだ。

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