18.君と見上げた夜空に
――祭りの当日。
駅前の広場は、人であふれかえっていた。
浴衣姿の男女、子どもを連れた家族、笑い合う友達グループ。
ざわめきと熱気が入り混じり、真夏の空気をさらに濃くしていた。
その喧騒の中で、翔汰は――いや、“カケル”としての自分は、ひときわ早く鼓動を打つ心臓を抱えながら立っていた。
汗ばむ手のひらに握られたスマホには、たった今届いたメッセージが光っている。
「今、着いたよ。どこにいる?」
指先で返信を打とうとした、その時。
「……カケルくん?」
振り向けば、そこに彼女がいた。
人混みの向こうから駆け寄ってくる少女。
白地に淡い水色の浴衣が、夕暮れの光を受けて柔らかく揺れていた。
髪は普段よりも丁寧に結い上げられ、耳元で揺れる小さな簪がきらめく。
その瞬間、翔汰――いや、翔汰でありながら“カケル”を名乗る自分は、息をするのを忘れた。
「ごめん、待った?」
そう尋ねる声は震えていた。
それでもレンは、にっこりと笑う。
「ううん、私も今来たところ。よかった、本当に会えた。」
(レン、君は“カケル”を探していたんだよな。けど、目の前にいるのは“新堂”で……。)
胸の奥で渦巻く罪悪感を押し殺すように、翔汰は笑みを返した。
「浴衣、すごく似合ってる。」
「ほんと?ありがとう。カケルくんにそう言ってもらえると、頑張った甲斐があるよ。」
無邪気な笑顔。
その一言が、ナイフのように胸を突き刺す。
自分のために浴衣を選んでくれた。
自分のために「特別」を用意してくれた。
けれど彼女が想いを向けているのは、本当の“新堂”ではない。
(言わなきゃいけない。本当の名前を、俺が“あの時の新堂”だってことを。だけど――今、どうしても言えない。)
言葉は喉の奥に詰まり、ただ笑みだけが取り繕いのように浮かぶ。
二人は並んで歩き出す。
境内へ向かう参道は既に人で埋まり、屋台の明かりと香ばしい匂いが辺りを包んでいた。
焼きそば、りんご飴、綿あめ
――目に映る景色はどれも鮮やかで、隣にいるレンの存在をさらに現実のものにしていく。
「わあ……すごい人だね。どこから回ろうか?」
「レンの行きたいとこ、優先でいいよ。」
「じゃあ……金魚すくい!」
笑顔で指さす彼女にうなずき、並んで歩く。
金魚すくいの屋台では、レンが真剣な顔でポイを構え、ひとつ、またひとつと挑戦しては破れてしまう。
「だめだぁ……全然すくえない。」
苦笑いする彼女の隣で、翔汰は震える手を伸ばし、ぎこちなくポイを動かす。
結果は同じく失敗だったが、それでもレンは楽しそうに笑ってくれた。
「カケルくんも下手なんだね。」
「まあ、な。」
二人で顔を見合わせて笑った瞬間、胸の奥にじんわりとした温かさが広がる。
同時に、鋭い痛みも走った。
(俺は、レンとこうして笑いたかったんだ。“新堂”として――。)
だが現実には、“カケル”という仮面を被ったまま隣に立っている。
夜が深まり、花火の時間が近づいてきた。
河川敷へ移動する途中、レンがふと足を止める。
「ねえ、カケルくん。今日、一緒に来てくれて本当にありがとう」
その言葉は真っ直ぐで、翔汰の胸を強く締めつけた。
「私ね、ずっと今日を楽しみにしてたの。実際に会って、一緒に歩いて、同じ景色を見られて……すごく幸せ」
「……レン」
呼びかける声が震える。
――「俺は、あの時の新堂だ。」
その一言がどうしても出てこない。
代わりに、小さな声で返す。
「俺も、幸せだよ。」
花火が夜空に咲いた。
大輪の光が二人を照らし、レンの横顔を鮮やかに浮かび上がらせる。
その瞬間、翔汰は痛感した。
(俺は、どこまで黙り続けるんだろう。)
祭りの喧騒と花火の轟音の中で、胸に抱えた秘密だけがひときわ重く響いていた。




