17.転機の足音
祭りの日まで、あと数日――。
翔汰の心は、落ち着くという言葉から最も遠い場所にあった。
授業中も、帰宅して机に向かっても、気を抜いた瞬間に頭を占めるのはレンのことばかりだ。
浴衣姿で並んで歩く姿、夜空に咲く花火を見上げる横顔。
そんな光景がふいに脳裏に浮かぶ。
だが必ず、そのすぐ後に罪悪感が影のように寄り添ってきた。
(俺は“カケル”なんだ。レンにとっては、あくまでネットで知り合った友達で。新堂翔汰として横に立つことなんて、許されてない。)
ノートに書きかけた文字は、気づけば線が歪み、意味を成さなくなる。
ため息をひとつ落として鉛筆を置く。
夏祭りが近づけば近づくほど、嬉しさと苦しさは比例するように膨らんでいった。
その日の夜、机の上に投げ出したスマホの画面が、ぽん、と光を弾いた。
そこにはレンからのメッセージが並んでいた。
「明日、浴衣の着付け練習してみるね。ちゃんと歩けるか不安だけど」
翔汰は震える指で返信を打った。
「もし歩きにくそうなら、無理しなくてもいいよ」
返事はすぐに返ってきた。
「ううん。特別な日だから、頑張って着たいの」
自分と過ごすために“特別”を選んでくれる。
その気持ちが痛いほど嬉しい。
けれど、同時にその分だけ隠している嘘が重くのしかかってくる。
(どうして俺なんだ。どうしてレンは、俺なんかを選んでくれるんだよ。)
机に突っ伏し、瞼を押さえる。
胸は苦しいはずなのに、心臓の高鳴りだけは収まらなかった。
翌日の休み時間――。
教室のあちこちで「浴衣デート」とか「花火の穴場」とか、夏祭りの話題が飛び交っていた。
前の席の男子が声を上げるたび、周囲からは大きな笑い声が返ってくる。
笑い合うその輪から距離を取り、翔汰は一人窓際に腰を下ろした。
けれど、不思議と孤独ではなかった。
ポケットの中には、レンから届いたメッセージの履歴がある。
画面を開けば、昨日のやり取りがすぐに蘇る。
――たとえ直接声をかけられなくても、繋がっていられる。
それだけで心細さは少し和らいでいた。
放課後、帰り道――。
夕暮れの坂道を歩きながら、翔汰はスマホを取り出した。
「当日、駅前で待ち合わせにしようか?」
ほんの一分ほどで返事が届く。
「うん、それがいいね!人多いかな……でも探すから」
思わず口元が緩む。
翔汰は躊躇いながらも、指を動かした。
「絶対見つけるよ」
彼女と約束を交わすたびに、未来がほんの少しずつ形を帯びていく。
その未来を心から欲しいと願ってしまう自分が、怖かった。
布団に潜り込み、目を閉じても、頭の中から光景は消えてくれない。
夏の夜道を並んで歩く姿、頭上に響く花火の轟音、浴衣越しに触れる距離の近さ。想像するだけで息が詰まりそうだった。
(俺は、当日までに覚悟を決めないといけない。隠したまま、彼女の隣に立つのか。それとも――)
答えはまだ見えない。
だが確かなのは、レンと迎える夏祭りが、翔汰にとって決して避けられない“転機”になるということだった。




