15.夏祭りの誘い
翌朝――。
翔汰は、まぶたをこすりながら、鉛のように重い足を引きずって学校へ向かった。
昨夜は布団の中で何度もスマホを握りしめ、入力しては消してを繰り返していたせいで、ろくに眠れなかった。
けれど、それ以上に支配していたのは、夜更けに一度だけ画面に浮かんでしまったあの言葉だった。
(実は俺――あの時の新堂なんだ。)
ただの文字列。それなのに、その一文が脳裏から離れない。
指先が震え、結局はすぐに消してしまった。
だが「もし送っていたら」という想像が、何度も翔汰を苛んでいた。
レンがどう反応しただろう。
驚いた顔。
困惑の沈黙。
あるいは――拒絶。
胸の奥に、ため息のような痛みが渦を巻いている。
教室に入ると、朝から賑やかな声が耳に飛び込んでくる。
前の席の男子が身振り手振りを交えて話し、「夏休みどうする?」と声を上げると、すぐに「海行きたい!」「いや、祭りだろ!」とあちこちから弾むような声が返ってくる。
机を囲む笑い声が重なり合い、教室の空気は熱を帯びていた。
その輪の中に、自分が入る余地など最初からない。
翔汰は視線を逸らし、何も聞こえなかったふりをして席に腰を下ろした。
ノートを机に広げ、鉛筆を握る。
けれど、数文字書いただけで、もう手は止まってしまう。
耳の奥ではまだ祭りや海の話題が響いていて、その度に胸の奥に小さな棘が刺さるように痛んだ。
顔を上げれば、窓の外には真夏の青空が広がっている。
照りつける陽射しに滲む白い雲。
やけに眩しくて、目を細めた。
放課後――。
生徒たちが友達同士で連れ立って帰る声が遠のき、やがて教室は静けさに包まれた。
ひとり残った翔汰は机に突っ伏し、浅いため息をついた。
昼間のざわめきが遠い世界の出来事のように感じられる。
そんな時、ポケットの中でスマホが小さく震えた。
取り出して画面を覗くと、そこにはレンの名前。
そして、一行だけのメッセージ。
「ねえ、来週の夏祭り、一緒に行かない?」
視線が釘付けになる。
思わず息を呑んで固まった。
(……夏祭り。俺が?レンと……?)
脳裏に情景が浮かぶ。
夜の街、屋台の灯り、花火が夜空を彩る瞬間。浴衣姿のレンの隣に、自分が立っている姿。
想像するだけで胸の鼓動が高鳴った。
だが同時に、重い罪悪感が冷水を浴びせる。
レンが誘ったのは“翔汰”ではない。“カケル”だ。
彼女の隣にいるのは、新堂 翔汰ではない。
指先が画面の上を彷徨い続ける。
本当は叫びたい。「新堂として君と行きたい」と。
だが、その言葉を送れば、全てが壊れてしまうかもしれない。
彼女の笑顔が、自分から遠ざかってしまうかもしれない。
その恐怖が、指を縛りつける。
何度も打っては消して、迷いに迷った末に、送信したのはたった一言。
「うん、行こう」
わずか数秒で既読がつき、レンからの返事が返ってきた。
「やった!楽しみにしてるね!」
画面に浮かぶ文字が、彼女の笑顔そのものに見えた。
胸の奥が温かくなる。
けれど同時に、ひどく痛む。
嬉しい。
けれど、このまま隠し続けたまま彼女と祭りに行っていいのだろうか。
答えは出ない。
翔汰はスマホを胸に抱きしめ、深く目を閉じた。
窓の外では、夕暮れの空がゆっくりと茜色に染まり、やがて夜の気配を連れてきていた。




