10.新堂の影
楽しいひと時は時間の経過を忘れてしまう。
気が付くと、すっかり夕日が照らしていた。
窓から差し込む光が、レンの横顔をやわらかく照らし出す。
頬に映る光の揺らぎに、翔汰は思わず息を呑んだ。
まるで、目の前の光景だけが切り取られて、他のすべてが霞んでいくような感覚だった。
「もうこんな時間なんだね。」
レンが腕時計に目を落とす。
「ほんとだ。あっという間だったな。」
翔汰も笑いながら同意する。
心の中では、まだこの時間が終わってほしくないと願っていた。
二人は会計を済ませ、カフェを出ると、駅へと続く道を並んで歩く。
古びた街灯が等間隔に並び、夕日の残光と入り混じりながら、道をやさしく照らしている。
「ねぇ、カケルくん。」
不意にレンが口を開いた。
「うん?」
「今日は来てくれてありがとう。実際に会えるなんて思ってなかったから。」
その声には、ほんの少し名残惜しさが混じっていた。
翔汰は、一瞬言葉を探し、ゆっくりと答える。
「俺も。会ってみたいってずっと思ってた。だから、こうして会えて嬉しい。」
レンは立ち止まり、にこっと笑った。
その笑顔は夕暮れに溶け込み、どこまでも温かかった。
翔汰は、自分の正体を隠したまま、カケルとして過ごしていることに、罪悪感が芽生えていた。
「また会えるよね?」
レンが小さな声で尋ねる。
「もちろん。レンさえよければ、何度でも。」
翔汰は迷いなく答えた。
その言葉に、レンは微笑んだ。
そして、駅へと歩き出す。
ホームに到着すると、ちょうど電車が入ってくるアナウンスが響いた。
夕方の時間帯にしては車内は空いていて、窓際に並んで座ることができた。
ゴトンゴトンと揺れるリズムに包まれる。
窓の外には、オレンジから紫へと変わりゆく空が流れていく。
「不思議だね。」
レンがぽつりとつぶやく。
「何が?」
翔汰が首を傾げる。
「ずっと文字でやり取りしてたのに、こうして隣に座ってるなんて。なんか夢みたい。」
小さな声で言いながら、レンは窓の外へ視線を移す。
その横顔が、夕暮れに溶け込んでどこか切なく見えた。
翔汰は返事をしようと口を開きかけて、結局何も言えずに閉じた。
しばらく沈黙が続いた。
けれど、その沈黙は不思議と居心地がよかった。
互いに存在を確かめるように、ただ同じ景色を眺めているだけで心が満たされていく。
「……あ、次の駅で降りるんだ。」
レンが小さくつぶやく。
やがて、電車が減速し、車内にアナウンスが流れる。
ホームに降り立つと、すでに夜の気配が街を包み始めていた。
オレンジ色の残光がかすかに空へ残り、冷たい風が吹き抜けていく。
「改札口までだけど、見送るよ。」
改札へ向かって並んで歩く道のりは、ほんの数分。
けれど、その短さが惜しく感じられるほど、二人にとっては心地よい時間だった。
「新堂くんと一緒に歩いているような感じ。」
レンのつぶやきに翔汰は言葉を失った。
胸の奥の秘密が重くのしかかる。
けれど、レンはすぐに
「あ、なんか変なこと言っちゃったね。」
と笑ってごまかした。
――気付かれたわけじゃない。
けれど、確かに触れられてしまった。
強く握り込んだ拳をポケットに隠しながら、精一杯穏やかな声を出した。
「今日はありがとうね。」
翔汰の心には、強い確信と小さな葛藤が同時に芽生えていた。
――この時間を、きっと次につなげなければならない。
でも、そのためにはいつか、“俺があの時の新堂”だと伝えなくてはいけない。
夜風が頬を撫でる中、翔汰は静かに息を吐いた。




