第4話 まさか、この世界で初めて男性のアレを目にするのが私になってしまうなんて
「……ちょっと、ぐっすり眠り過ぎたかもしれない」
朝目が覚めて「ああ、なんだか今朝はとってもいい目覚めだぞ?これも久しぶりに夜に寝て朝起きるという健康的な生活リズムを実行したからだろうか?」なんてことを思いながら悠々と客間の壁に掛けてあった時計に目を向けると、そこに示されていた時刻はなんと朝の9時である。
思わず枕元においてあったスマホでも時間を確認して、壁掛け時計と交互に二度見したくらいには信じたくなかった。
確か、ゲームの方ではこの日のストーリー進行は朝の7時からである。
いくら元が不規則な生活リズムをしていたとはいえ、およそ二時間の大寝坊だった。
「大丈夫かこれ?なんかバタフライエフェクトみたいに、俺の知ってるゲームの流れと大幅に変わったりしないよな?」
正直、現時点では判断しかねるが、不安でしょうがない。
何はともあれ、早く支度を済ませて誰かしらに現状を教えてもらわなければならないだろう。
そう思ってグルグルと必死に頭を回転させていた時だった。
こんこんこんっと、丁寧なノックが三回扉を鳴らした。
「……失礼致します、転生者様。既にお目覚めになられておりますでしょうか?」
ノックの少し後に聞こえてきたのは、どこか落ち着いた印象を受ける、中世的な凛とした声色だった。
自分もどちらかと言えば中世的な声をしているが、この声色には女性特有の艶があり、おそらく女性だと思われる。
というより、ここがヒロせかの世界観である以上、誰の声であってもそれは基本的に女性の声であるはずなんだ。
そう、女性である。
それも、ここがヒロせかの世界であるのなら、この声の主もいつかは俺のヒロインになってくれるかもしれない人だ。
俺は、ヒロせかが転生者以外全員女性の世界観であることを知っていたし、普段の俺であればここで一度キリっと身を引き締めていたことだろう。
しかし、今の俺は二時間の大寝坊と初めての異世界での寝泊まりというイレギュラーな状況が重なり、完全に浮足立ってしまっていた。
故に、俺はつい現代の地球と同じ感覚で、返事をしてしまったのだ。
「はい、今出ますね!」
それはまさしく、前世で自宅に引きこもっていた時と同じように。
週2で頼む出前の配達が来て、ドアベルが鳴った、くらいの感覚だった。
今の俺には、早く応対して現状を確認しなければということしか頭になく、それ以外の事など深く考慮する余裕も無かった。
故に、俺はそのまま自身の身だしなみをも確認することなく、まっすぐに部屋の出入り口の方へと向かってしまったのだ。
ここは自室であるどころか、ましてや周りには女性しかいない異世界の、それも王宮の客室だというのにである。
こればかりは、やはり10年以上掛けて染みついた生活習慣の影響だろう。
俺は、普段脱衣所以外では滅多に服を脱がない為、現在の自身の格好すらも完全に失念していたのである。
そして、ついにその時が訪れてしまう。
訪れてしまうのだった。
ここは素直に寝坊したことを白状して謝罪をすべきか?
はたまた、こちらでは正確な時間を指定されていたわけではないのだから上手い事はぐらかすか?
……など、そんな事ばかりを考えるので精一杯だった俺は、やはり最後まで今の自身の格好には気づくことなく、ついに部屋の扉を開いてしまう。
ガチャリっ。
扉を開くなり、俺はとりあえず朝の挨拶から返すことにした。
「おはようございます!」
「はい、おは――――」
そこでなぜだか言葉に詰まった目の前の女性
その様子がおかしい理由に、俺は未だ気付いていない。
むしろ、呑気にもその女性のあまりの美人さに思わず息を呑んでしまったくらいだ。
そこに立っていたのは、スーツ姿の一人の女性。
所謂燕尾服と呼ばれるような服装ではなかったが、しかし、それに近い執事のような印象を受ける格好の綺麗なお姉さんだった。
蒼い蝶の髪飾りで留めたダークブラウンのロングポニーテールに、澄んだ碧眼。
まさしく男装の麗人といった雰囲気の女性だ。
しかし、一部胸元の膨らみがご立派だったため、完全な男装とは言えないし、むしろ若干のコスプレ感もあるのだが……。
まあ、その出で立ちには確かな強者感があった為、そのような陳腐さはあまり感じない。
特に武装をしている訳ではないようだが、なんとなく剣の似合いそうな凛々しい女性だと感じた。
ベル様とはまた別ベクトルの魅力がある。
先ほどの艶のある中世的な声といい、本当に綺麗で、魅力的な人だと感じた。
それに、何よりも注目すべきはその表情だろう。
彼女はまさしく人形のように、その場でぴくりとも表情を動かしていなかった。
その表情は、先ほどから一貫してどこか落ち着いた印象を受ける爽やかな笑みのまま固まっていた。
そう、固まっていたのだ。
それはもう、全く微動だにしないという言葉がぴったりなくらい。
「……ん?」
そこでようやく、俺も何かがおかしいと勘づき始める。
そして、俺がその違和感に気づくのと、女執事さんの固まった表情が瓦解するのはほぼ同時だった。
「あっ」
思わず声を漏らしたのはどちらだったか。
先ほどまでの落ち着いた笑みはどこへやら、ようやく現状を理解したのか、女執事さんの表情が見る見るうちに真っ赤に染まっていく。
それはもう、大変乙女な可愛らしい赤面顔だった。
「……っ!!!???」
そして、ついには羞恥心が破裂したのだろう。
ぼっと煙を吹くようにしてぐるぐると目を回しながら、女執事さんがその場に崩れ落ちる。
「ちょっ、お姉さん!?」
俺は咄嗟にそれを支えようとしてしまったが、すんでのところで思いとどまった。
なぜなら、現在の俺の格好は真っ裸。
幸か不幸か、今視界に入っている分には彼女以外に人の姿は見えない。
しかし、流石にこんな状態で初対面の女性を抱き抱えるというのはいかがなものだろうか?
うん、ダメだ。絶対によくないな、うん。
俺は多大な申し訳なさに頭を抱えつつも、まずは回れ右してベッドの上のスマホを回収し、手早くそれを操作した。
大して時間もかかっていないのだから、これくらいきちんと確認しておけば良かった。
俺はもうどうしようもない後悔を胸に抱きつつ、昨晩も適用していた衣装スキンを今の自分にも適応する。
よし、これで一応全裸ではなくなったな。
まあ、既に色々手遅れではあるのだが、とりあえず今は女執事さんの様子を確認する方が先だ。
明らかにヤバそうな倒れ方してたからなあのお姉さん……。
ほんの数秒の事ではあったが、少しでも早く確認しに戻る。
すると案の定、そこには扉の前の廊下でぶっ倒れる女執事さんの姿があった。
そのままピクリとも表情を変えず、微動だにもしない女執事さんは、明らかに重症だ。
「まさか、この世界で初めて男性のアレを目にするのが私になってしまうなんて……」とでも言いたげな表情のまま今も気を失っている。
……とりあえず、部屋のソファにでも寝かせて目が覚めるのを待とう。
あまり初対面の女性にみだりに触れるような真似は憚られたが、まあ、イレギュラーな事態ということでここは甘んじて運ばせてもらった。
その間、俺は彼女が目を覚ました時のうまい弁明はないかと、きっと今まで生きてきた中で一番に頭をフル回転させていたことだろう。
― ― ―
さて、あれからはや10分程、俺は客室のソファに寝かせた女執事さんが今だ微動だにしないのを見て、流石に申し訳ない気持ちでいっぱいになっていた。
――――まさか、ここまで男の裸に免疫がなかったとは……。
勿論、この女執事さんが特段に免疫が無かっただけかもしれない。
しかし、この世界がゲームの方にあった設定の通りなら、この世界の人たちにとって男という存在は創作上の存在としてしか知られていないということになる。
その為、彼女にとっても男という存在は未知の存在であり、ベクトルは違うかもしれないが、俺達地球人で言うところのエルフの美女や獣耳美少女の全裸姿を突然目の当たりにしたようなもの。
確かに免疫が無ければ、大きく取り乱したっておかしくはない。
ヒロせかにおける人類の出生は、母体になることを望んだ者に精霊と呼ばれる存在がその命を引き換えにして子を宿させる、という設定がゲームにあった。
その為、この世界にはそもそも男という存在自体、過去にも存在していないものとして考えられている訳だ。
女執事さんのこの反応にしてもそうだが、やはり、この世界もゲーム通りの世界観なのかもしれない。
一応、そのうえで男に対する免疫力といえば、ゲームの方でも自動生成されるヒロインごとに違いはあった。
実際にゲームでは、対象のヒロインがそういった創作物にどれほど触れているかや、元々の性格によってなどによって男に対する免疫が変わる。
その為、これは単にこの女執事さんの免疫が特別なかっただけの可能性も勿論あった。
しかし、現状俺はこの人の反応しか知らない為、あらゆる面で確定は出来ない。
そういう意味では、しばらくこの世界の住人とあまり不用意な身体的接触などは避けた方がいいかもしれないと少し思案する。
勿論、そのあたりの機微はおいおい察していく事になるのだろうが。
この女執事さんのように毎回気絶するほどの反応を返されてしまうと、単純に反応に困るし、それ以上に若干申し訳ない気持ちになる。
まあ、この女執事さんの件に関してだけ言えば、単に俺の不注意が招いただけのことのような気もするが……。
やはり、いくらロマンある男であろうと意識していても、俺も元が出来た人間という訳ではない為、こういう咄嗟の行動にはどうしてもボロが出てしまう。
しかし、それならそうとその後にどうフォローするかが大切なのだ。
こういう時にへこたれずに次にできる事をすぐに考える。
これもまた、俺がゲームの世界でベル様から教わった、大切な【ベル様流処世術】である。
故に、俺は罪悪感を抱くのもほとほどにして、彼女が目覚めた時の事を改めて考える。
まあ、日本人的な価値観で言うのであれば、俺が100%悪いので、誠心誠意謝って事情を説明するしかない。というところなのだろうが……。
現状、この世界での俺の立ち位置も考慮すると、女執事さんのあの反応も相まって、かえって彼女の方が重く気負ってしまっている可能性の方が高そうだった。
もしそうであったなら、俺はその辺りうまい落としどころも考えておくべきだろう。
まあそれはそれとして、やはり自分の不用意な行いの所為で余計な気を負わせてしまったのだから、誠意ある対応はすべきだ。
しかし、それもこれも全て彼女が目を覚ましてくれなければどうにもならない。
さて、どうしたものか……。