幕間 アリア・リーズロッテ
それは昨晩の事。
私が今から就寝しようかというところで、公爵家の家人全員に緊急で召集がかかった。
こんな時間に家の人全員が集められるなんて、一体どれほどの大事なのか?
それも召集を掛けたのは他でもない現当主のお母様だ。
私は一瞬、今はなき二家の公爵家の事を思い出し、邪神の軍勢の存在を脳裏にちらつかせる。
先ほどまでのまどろみが嘘のように吹き飛ぶほど、すぐそこまで死の足音が迫ってきているかのような錯覚を、強く覚えた。
――――死んでしまうかもしれない。
そう、死。
死である。
今この世界では、不老の人類種【亜神】であるにも関わらず成人まで至ることのできる若者が激減している。
それも、特に強力な力を持って生まれてくる貴族の血筋を引く者達を中心にだ。
それが、今この世界を脅かしている邪神の軍勢という驚異。
故に、これがもしも邪神の軍勢に関係する話であれば、貴族の令嬢たる自分にとって、まず真っ先に覚悟しなければならない事が命を賭することへの覚悟だった。
怖い。
正直に言えば、この時私の心中にはただ底知れない恐怖と不安だけが渦巻いていた。
何せ、栄光の最中にあったかの英雄の一族を襲った悲劇は、未だこの国の記憶に新しいのだ。
私だって、その時の事は今でも鮮明に覚えているし、同じ公爵家の者として、次は自分達の番かもしれないとその魔の手に怯えがないと言えば嘘になる。
実際、ここに集められていた他の人たちも、その多くが私と同じ予想をしてきたのだろう。
全体的にどこか物々しく、まさに決死の覚悟というような雰囲気が漂っていた。
しかし、そんなどこか異様な雰囲気は、お母様の一言ですぐにでも霧散する。
――――みんな心して聞いて。私達の女王陛下が、ついに異世界からの転生召喚に成功なされたそうよ。
私達は、いい意味で予想を裏切られた。
まずはその内容への衝撃よりも、安堵の方が勝っていたのだ。
その所為か、正直私がその旨をお母様から聞かされた時は、どこか現実感がなく、まるで他人事のようにさえ思っていた。
だって、異世界に、異世界人だ。
かの大賢者様が遺された情報があったとはいえ、多くの人は半信半疑だったと思う。
しかし、その次の内容で、私は一気にこれが自分達に大きく関係のあることなのだと思い出させられた。
――――王家と各公爵家間での話し合いの結果、転生者様の養子入りの受け入れ先は、あらかじめ決められていた我がリーズロッテ公爵家に改めて決まりました。ちなみに、転生者様は大賢者様がおっしゃっていたとおり15歳の男の子だそうです。
男の子……。
それも、年は私よりも一つ下。つまり、その子が養子入りすれば、私の義弟になる訳だ。
男の子に、義理の弟……。
いずれも、物語の中でしか登場しない架空の存在。
大賢者様の予言があるまでは、皆がそう思っていた。
ううん、今でも、多くの人は半信半疑でそう思っている事だろう。
無理もない。実際にその存在を確認した人がいたならまだしも、今の今までその存在が実際に立証されたことは一度もないのだ。
故に、この世界において男性という存在は、一つのオカルトのようなものでしかなかった。
実際、架空の男性を祭り上げる危ないカルト集団の情報なんかは、お家柄度々入ってきたりしていた。
ただ、その実態は結局ただのインチキな犯罪集団であることがほとんどだったし、そういう事例がいくつもあった所為で、余計に人々の中で男性という存在は架空の存在であるという意識が強くなっており、あまり現実感を抱けない。
それでも、こうしてこの国の情報を司るお母様が、その存在を正式に認知した発言を陛下の名を出してまでこの場で公表したのだ。
これが嘘であることなどほとほとありえないと言っていい。
そう思うと、途端に考えはその男の子に対する興味へと移り変わる。
男の子に、義理の弟……。
そう聞いて、私がまず最初に思い浮かべたのは【少女漫画】だ。
そう……これもまた、かの大賢者様の偉業の一つであり、この世界の女性たちが、【男性】つまり異性という存在を認知、意識するに至ったきっかけでもある。
今や大賢者様が携わった全ての【少女漫画】は、この世界の人々が男性という存在を始めて知ることになった聖典として、各国の王家にその初版がシリーズごとに保管されているらしい。
そして、私の一番好きな少女漫画【転生者様は私の義弟で私の騎士で】通称【おときし】は、そんな大賢者様が直々に執筆成された作品の一つで、今もこの本は正式に複製されたものをほとんどの書店で誰もが購入できる。
何なら、王都の図書館でも運よく巡り合えればお金がない人だって読むことが出来た。
そしてこの【おときし】は、私と同じ公爵令嬢の主人公が、異世界からやってきた転生者と義理の姉弟という関係から始まり、最終的には騎士と主君という関係を得て結ばれるお話だ。
図らずとも、そのお話と今私の置かれている状況はかなり似ている。
まあ、私の場合は転生者様を守らなければいけない立場になるだろうから、あの少女漫画の主人公みたいにはなれないだろうとは思う。
それこそ、騎士様のように守ってもらったり、恭しくエスコートしてもらったりなんて夢のまた夢だろう。
それでも、やはり期待しないかと言われると嘘になる。
私だってまだまだ16歳。多感なお年頃なのだ。
それに私自身、根がかなり単純な性分というのもある。
一度そのことに興味を抱くと中々落ち着かないもので、正直に言えば昨晩は飛空艇の中でもほとんど眠れなかった。
やはり例の少女漫画の事もあって、色々な妄想が捗りに捗り、気付けばそのことばかりを考えてしまっていたのだ。
これでは、妹のレティアちゃんに頭お花畑だの、脳内ピンクだのと言われても仕方がない有様である。
しかし、それでもこれだけは確かだった。
本当に男の子に会えるのであれば、やっぱり可愛くないところなんてあまり見せたくない。
せめてこんな私でも、あの漫画の主人公の様に、格好良くて素敵な人に、可愛いと言って褒めて欲しかった。
その為に、多少の寝不足なんて決して悟らせまいとかなり気合を入れておめかししたし、心構えだって十分に整えてきたつもりである。
それこそ、私はリーズロッテ公爵家の跡取りなのだ。
皮肉なことに、自分を少しでもよく見せるための手管なんて、私にとっては最早手慣れたものだった。
そう――――私には、ただ自分を少しでも良い様に見せることしかできない。
レティアちゃんやお母様のように天性の才能がある訳でもない私は、沢山頑張って、自分を少しでもよく見せることしか出来ないのだ。
そして、それは大貴族の跡取りである者にとって、当たり前のことでしかない。
正直言って、私はレティアちゃんにも、お母様にも決して小さくない嫉妬の感情を抱いていた。
それもあって、あの二人には素直な気持ちを見せる事なんてもうずっと出来ていない。
出来るはずがないのだ。
私は、あの二人に嫉妬こそしているが、それでも家族としての愛情は決して霞んでいなかった。
だからこそ、思わぬところで私の地雷を踏み抜かれ、自分の中にある負の感情が強まってしまう事を何よりも恐れたのだ。
私は、私はいつも一人。
優等生の仮面を被ると決めたその時から、私には孤独に戦う道しか残されていなかった。
私がこれまで、自分の頑張りと運のみで築き上げた【聖女】という二つ名と地位。
英雄なきこの国で、私は最高峰の癒し手としてこの国の希望の一つとなってしまった。
皮肉なことに、私よりも才能のあるレティアちゃんは筋金入りの怠け者で、それも能力が限定的だった。
それこそ、あのお母様の能力だって、シンプルに考えた時には搦め手としての趣の方が強い。
故に、今の時世に最も必要とされている【回復】の分野のみをただひたすらに磨いてきた私が、図らずとも次期リーズロッテ公爵家の当主として多くの人に期待されることとなってしまったわけだ。
本当に、運が良いのか悪いのかわからない。
私は最早、どれだけつらくても、誰かに甘えたくても、一杯褒めてほしくても、そんな我儘が許されるような立場ではなくなってしまったのだ。
だからこそ、きっと私と同じで、今後自分をよく見せることをとにかく求められるであろうまだ見ぬ転生者様に、無意識にそんな自分を重ねてしまっていたのだろう。
今後一緒にいれば、彼を恭しく支えれば、自分はその人の一番の理解者に。そして、転生者様もそんな私の一番の理解者になってくれるかもしれないなんて。
そんな卑しい考えが私の脳裏に何度も掠めた。
存外、極端な話である。
つまり、私の事を心から理解してくれるなら。
私の事を、心から肯定してくれるなら。
本当は、誰でも良かったのだ。
私は、そんな最低で、単純な女だった。
だけど、そんな私の悲観的で、どこか退廃的だった価値観は、その転生者様との出会いで一変することとなる。