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第1話 ありがとう、深夜のコンビニスイーツ


 午前1時、住宅街の交差点。

 静寂の中に、ご機嫌な鼻歌が微かに風に伝う。


 鼻歌の主は、一人の成人男性。

 少し長めの茶髪に、童顔、小柄な体躯という容姿も相まって、度々実年齢を勘違いされる28歳だ。


 そんな彼は、それはもう自分の今に満足していると言わんばかりに、活き活きとした表情で一人夜道を歩いていた。





 ――――そう、この時ばかりは、まるで周りの目を気にすることもなく、子供の様に日々の全てに目を光らせて。


 ただその時までは、その身に振りかからんとするその不幸の果てすらも未だ見えず。


 今自らの歩む日々こそが、至上だとさえ思っていたそんな折の事である。




 ――――それは本当に、ただ運が悪かったとしか言いようがない【不幸な事故】で終わる筈の事だった。














 ――――ああ、こんなことなら、深夜に気まぐれでコンビニスイーツなんて買いに行くんじゃなかった。



 痛い。


 ただ、ひどく鈍い痛みが全身を襲う中、様々な後悔が脳裏に渦巻いていく。


 どうやら、俺は車に轢かれたらしい。


 それもこんな狭い道だというのに、随分な速度で跳ね飛ばされたようだった。





 瞬間――――


 固いアスファルトの上に、俺は頭を強く打ち付けられる。



「ぐっ、がはっ……」



 ああ、最悪だ。


 ぼやけた視界の端に映る血だまりが、あまりにも非現実的な光景に思えて実感がわかない。


 しかし、それは同時に自らの死の可能性を理解するには十分すぎる光景でもあった。


 こんなもの、絶対に助かるわけがない。



 どうして今日に限って、俺は通販で済ませられる様な手ごろなスナックで我慢せず、コンビニスイーツなんて……。



 普段は散々家に引きこもって、やり込みまくったお気に入りのゲームと、晩飯作りくらいにしか精を出してこなかったというのに。


 どうして、どうして今日なんだ。


 ああ、最悪だ。




 だが、自分でもわかっている。


 だって、ロマン(・・・)じゃないか。


 荒んだ暮らしに、深夜に貪るコンビニスイーツ。


 そんな気分を、ふと味わってみたくなってしまったんだもの。



 しかし、そんなささやかなロマンの為に支払った代償は、あまりにも重かった。



 ああ、最ッ悪だ!


 俺は、俺はもう……。


 もう二度と、あの神ゲーをプレイすることができないのか……?


 そんな、そんなことって……。




 ああ、いやだ。


 嫌だ。


 いやだいやだいやだいやだ。



 死への本能的な恐怖でさえ、あの神ゲーをプレイできなくなる事への恐怖に比べれば、ほんの些末なことだとさえ思えてしまう。


 今ばかりは、打ち所が良かったのか悪かったのか、朦朧と意識が残っているこの状況が好ましい。


 ああ、なんと粗末な不幸中の幸いか。


 せめて、せめて祈らせてくれ。


 この10年、俺は人生の全てを一つのゲームに費やして、金は投資一本でなんとかしてきた。


 好きなゲームを好きなだけプレイする為。


 ただそれだけをモチベーションに、ゲームに関係のない大嫌いな勉強まで沢山して、ようやく理想の暮らしを謳歌している最中だったんだ。



 だからどうか!!誰か!!誰か俺に、俺にッもう一度チャンスを!!






 そう、例えば異世界転生とか!!




 死ぬならせめて、俺をあの、あのゲームに転生させてくれッ!!





 俺――――【在篠拓斗(あるしのたくと)】がその人生を捧げて極めた、たった一つのフルダイブ型VRRPG。




 ――――【ヒロインしかいない異世界転生】通称【ヒロせか】の世界に!!



















そうして、俺の意識は闇の中へと呑まれ、目が覚めるとそこは……。











「ヒロせかの世界だった」


 俺は今、感動のあまり全身の力が抜けて、勢いよく固い床へと両膝をついた。


「いてぇ……」


 地面はちゃんと固かった。


 その淡い痛みは、ここが現実なのだと俺の神経を確かに刺激する。


 こんな繊細な触覚や、しっかりとした痛覚は、あの仮想世界では決して体感できなかったものだ。


「ああ、いてぇ、いてぇよ……ッ!」


 それは口をついて出た反射的な言葉に反して、間違いなく歓喜に満ちた慟哭(どうこく)だった。



 ただ、無意識にこの瞳から零れ落ちる大粒の涙。


 今の俺は、それはもうひどい顔をしていることだろう。



 それこそ、まるで自らの奉ずる神を目の当たりにした狂信者のように、見る者すべてが恐怖を覚えるような、そんな気持ちの悪い恍惚顔を浮かべているのかもしれない。



 正直言って、この姿だけをはたから見れば、完全に不審者にしか見えないだろう。


 最早、不審でない要素などただの一つも見つからなかった。



 しかし、俺はよく我慢した。



 そう、この場には今俺の他に誰もいない。


 このほどほどに豪華な王宮の一室に入るまで、俺はこの感動をなんとかすんでのところで我慢し続けたのだ。


 故に、いくら無様な姿を晒そうとも、今ばかりは誰の邪魔も入ることはなかった。



 偉い。偉すぎる。


 これこそまさに、ロマンあふれる男の振る舞い。


 その在り方は、念願の異世界に転生しても健在であった。



 これほどの感動を押し殺した理由は単純だ。


 ここがかの【ヒロせか】であるならば、俺のヒロインになってくれるかもしれない女の子が、いつどこで見ているかわからないのだ。


 やっぱり、可愛い女の子には格好いいところを全力で見せていきたい。


 そのスタンスは、それこそ俺が【ヒロせか】というゲームをプレイしていたころから変わらなかった。


 たとえ、相手がただのNPCで、交わされる会話も単なるAIエンジンによる自動生成だとわかっていてもだ。


 俺はそのロマンの為だけに恋愛ロールプレイングを巧みにこなし、ただAIのヒロイン達に格好をつけるためだけに強くなった。


それはこのゲームの主なマルチ要素であるPVSPコンテンツの、その二種類あるランク戦両方の【世界ランク一位】を不動のものとした唯一の動機。


だって、そこにロマンがあったから。



ゲームの中でだけは、誰もがドラマの主役になれる。



 あらゆる(しがらみ)を無視して、ただひたすらにそのロマンを追い続けることができる。


この【ヒロせか】というゲームは、特にそういった要素が顕著に存在していた。



 だから俺はこのゲームが好きだ。


 そして、きっとそんな【ヒロせか】そっくりのこの世界の事も心底好きになることだろう。





 時は、今から数十分前にさかのぼる。







― ― ―








「じょ、女王陛下!!陛下!!ついに、ついに成功いたしましたわ!!」


 何者かが唐突に張り上げた声を皮切りに、静寂が嘘のように湧き上がる。


 その声に思わずはっとして目を開けると、そこにはそれぞれ様々な聖職者の格好に身を包む女性たちと、華美な王冠を被り、黒と赤を基調とした剣士風の礼装を身に纏った一人の女性がいた。




「これは……」



 場所は教会と王宮を一纏めにしたかのような、神聖であり、豪華でもある西洋風の大建造物の一区画。


 そこに様々な格好の聖職者らしき女性達に、一人一際高貴なオーラを放つ堂々とした佇まいの美女がいる。



 また、その一際異彩を放つ美女には明確に見覚えがあった。


 額を露わにした赤髪のミディアムヘア。

 

 胸もとに垂れるナチュラルな巻き髪は高貴な身分を思わせる。


 少し気の強そうな凛としたご尊顔と、確かな気品と知性を感じさせる翡翠色の瞳。


 豊かな谷間から除く黒子なんてとってもセクシー。

 黒のタイツと白い太腿のコントラストも、なんというか……物凄く魅力的だった。




 間違いない、この女性は【ステファニア女王国】の女王陛下【ベルファスト・テミス・ステファニア】陛下だろう。




 さて、そんな彼女たちが見守る様にして位置する俺の周囲には、俺を中心とするようにして大規模な魔方陣のようなものが展開されている。


それは徐々に、俺の記憶の中にある【ヒロせか】のワンシーンと一致していった。


 

 ――――そうだ。


 これはまさに、この胸の高鳴りを、どうしようもなく止められなくなる程に既視感のある光景。


 俺は、まさか、まさかとは思いつつ……。


 いや、そんなことが本当に?と今一度周りの光景を注視する。


 すると、そこには記憶の中のそれとは違い、ポリゴンの粗さも何も感じないあまりにもリアルな質感があった。


 それが、まるで俺の一抹の希望に確かな根拠を一つもたらしてくれたようで、俺の意識はより一層覚醒していく。



 しかし、そんな俺が感傷に浸る間もなく、周りの女性たちが次々に声を上げた。


「陛下!わ、我々は長い長い苦難の末、ついに成し遂げられたのです!!」


「そうです、これはまさしく大精霊様の奇跡ですわっ!!!」


「やりましたね~やりましたよ~」


「うぅ、上手くいってよかったですぅ……」


「ふむ、やはりかの大賢者様は偉大なお方だったという訳だ」




 ……随分と個性の強い声が多いなと少しばかり思ってしまったが、それもまたロマンかと思い直す。


 ひとまず、彼女たちのおかげで俺も少し冷静になることが出来た。


 そうだ、この個性の強い賑やかしの雰囲気なんかも、とにかくヒロせかみを感じてならない。


ならばやはり、この瞬間、俺は本当の意味で目の当たりにしているのであろう。



 正真正銘、【ヒロせか】のプロローグ、その最初のワンシーンを、本当の異世界で……。








 俺は再度、リアルヒロせかに転生できたという事実に浸る。


 手をにぎにぎと握ると、確かに己の手の平の感触を感じる。


 舌を口内に這わせると、確かにくすぐったい感触が脳に伝わる。



 やはり、この触覚に伝わる感触のどれもが、今まで感じたことがないくらい現実的な感覚。


 それに、自らの死の間際まで確かに感じていた強烈な衝突事故のイメージや、真に迫ったヒロせかへの無念も、確かにこの脳裏にこびりついている。


 そう、全て鮮明に、認識できたのだ。


 俺は、本当にリアルヒロせかの世界に転生できたのだと。


 ならば、俺がこの世界ですべきことはあまりにも明白だ。


 なぜなら俺は、ヒロせかを心の底から愛している。


 故に、俺はこれからリアルと化したヒロせかを楽しみ尽くし、自らのロマンを思う存分体現していかなければならないのだ。


 当然、ここがリアルであるならばやり直しなんて利かないだろう。


 しかし、その事実が一層俺の中のロマンに火を点けていた。


 だから、俺の記念すべき異世界転生。


 その始まりのフレーズはこれだ。




 ――――ありがとう、深夜のコンビニスイーツ。




 そこには確かに、ロマンがあったから。


 今はまだ、この世界に転生できた理由も、今の俺がどういった状況に置かれているのかも完全には理解できていない。


 ただそれでも、この胸中を支配している歓喜の想いは本物だから。


 それ故に、俺は事の発端である一つのロマンへと、まずは最大限の感謝を示すことにしたのだ。




 ――――ありがとう、深夜のコンビニスイーツ。




 とっても大事な事なので、二回も言っちゃいます。


 あの時、ほんの些細なロマンに身を任せたのは正解だった。



 やはり、深夜のコンビニスイーツにはロマンがある。



 そう確信して、俺はしみじみする。


 俺の信じるロマンは、やはり間違っていなかったのだ。



 ここは紛れもなく、俺の愛したゲームの世界。



 俺がロマンを追い求め、いつだって「ロマンある人間たれ」としているように。


 この世界もまた、きっと俺というロマンの塊のような男を理解し、求めてくれると、そう信じられる。


 だって、ここは誰よりもロマンに憧れを抱いた男が、誰よりも愛し、極めたと言えるゲームの世界。


 【ヒロせか】は――――他の誰よりも(・・・・・・)、ロマンを愛する者に微笑んでくれるゲームだったから。


 だから俺は最後にもう一度、この世界への転生のきっかけをもたらしてくれた一つの些細なロマンに、最大限の感謝を送る。



「ありがとう、深夜のコンビニスイーツ」と……。










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