第七話 夜襲
戦闘回です
2025/7/3加筆しました。
◇ ◇ ◇
「それでですね。最後まであのご一行様に気付かれないように、厨房と給仕とメイドの人たちが一丸となって頑張ったみたいですよ」
今はベルシュタイン領に帰還中だ。未だフラナド領を進んでおり、襲撃は今のところまだない。
馬車にはギルバートとミランダの三人で座っていて、馬車の真横には騎馬姿のガルディが護衛騎士らしくぴったり付いてくれている。
昨日の夕方に出発したあとは日没近くまで進めるだけ進んで野宿になった。どうやら侍女頭のミランダは夕食を作る厨房班に紛れ込んで情報を仕入れてきたようだ。
「みんなでイイ笑顔を振りまきながら豪華な食事を出して、"ご一行様お帰りなさい会"をしたそうです。それで皆ご機嫌になったらしくて、お酒をだいぶ嗜んだとか。そこに睡眠薬をちょろっと。きっと全員まだぐーすか寝てますよぅ」
お酒に仕込んだ睡眠薬はとても効きますからねえ。きっと起きたら頭ガンガンのグルグルりんですよ~。ミランダはそう言って、とてもイイ笑顔になった。
それなら追いつかれる心配はほとんどなさそう。
わたくしに直接危害を加えることは無くとも、共に移動している平民たちは何をされるか分かったものではないので、馬車は荷馬車以外は全て黒塗りの箱馬車に統一してある。
いえ、万が一追いつかれても……
お父様は隊列の先頭、お兄様はしんがりを務めて護衛役を買って出てくれている。
他にも魔塔から魔導士たちと、ベルシュタイン城住みの騎兵と地方の土地を治める騎士たちが護衛してくれているのだけれど、一個旅団くらいなら簡単に沈めてしまいそう……まさに最強だわ。
「起きたら館には誰もいないんですから、びっくりするでしょうねぇ」
あー見物したかったな~とミランダが悔し気に呟いた。
「それは面白い」
ギルバートが珍しく笑っている。
ただし、クックックと暗黒魔王の呼び名に相応しい笑い方だ。
ああ……
「わたくし一人でやらなきゃ、って思っていたけれど、とっくに皆が一緒に頑張ってくれていたのね」
ギルバートとミランダが同時にこちらを見る。
何をいまさら、って表情よね。
「そうです。お嬢様はもっと人に頼ることを学んだほうがいい」
「そうですよぉ。やれることはやる。頼るときは頼る。人によって得意なことは違いますし」
同時に言われてしまった。
でも、一人じゃないっていうことがこんなに嬉しいなんて。
「ただ、追いつかれる可能性は低くなっても、襲撃はまた別よね……伯爵の性格を考えると、館で働いていた者たちが一斉にいなくなっていたら、たとえ自分では給金を払っていなくても報復しようとするでしょうし」
「そこは我が主と小侯爵にお任せするのが最良でしょう。伊達に戦神と呼ばれているわけではありませんよ」
「争いは苦手だわ。領地を豊かにするのが好きなだけなのに。それにしても今回はやりがいがあったわ。土壌作りから始めたのが初めてだったもの」
ギルバートが忌々しいという表情になった。
「おかげで三年もかかってしまいました。あのクソ伯爵……失礼」
「わたくし、よっぽど夫運が無いのね」
「今回のクソ男もいかにも好色そうで、契約書に白い結婚の項目を追加して頂けていたら、こんなに苦しまずに済んだのですが……」
ギルバートは相変わらず口が悪いけれど、言葉を甘く感じるのは気のせいかしら……
気のせいじゃないみたい。向かいに座っているミランダが薄目になっているもの。あの表情にはなんだか覚えがある気がするわ。
「あら。ああいう男たちは、契約違反に燃える性質だから、そんな項目最初から無い方が安全なのよ?やたらとプライドが肥大した輩なので、命令には素直に従えない天邪鬼が多いから」
「……確かにそうですね。さすが我が主の血を受け継いだご令嬢でいらっしゃる」
「それわたくしじゃなくお父様を誉めてるじゃないの。それと、とうとうただのクソ男になっちゃってるわよ」
「あのようなクズなど、どんな言い方でも足りません。何が芋女だ。万死に値する」
とうとう"クズ"まで墜ちてしまった。
野宿二日目、時は深夜──その言葉にまさに相応しい出来事が起こることになる。
◇ ◇ ◇
「誰か!何故誰も来ないんだ!」
フラナド伯爵領の領主館に怒号が響いた。
「どうなっている!?給仕はどこだ?クソッ解雇してやる!!」
大声を出した途端、頭がガンガンと酷く痛み、フラナド伯爵は顔をしかめる。食堂の机に突っ伏したように寝ていて、身体のあちこちが痛んでいた。
"領主様お帰りなさい"の歓迎会として豪華な食事が並び、給仕係や普段は食事の場には出てこないキッチンメイドも、誰もが顔に微笑を浮かべながらにこやかに給仕していた。
ついいい気分になり、キッチンメイドの尻を撫でながら酒もほどよく進んだまでは記憶にあるが──
「……ウッ」
「頭が……痛む……なんだ……これは」
いつも領地視察に同行している家臣たちが、続々と目を覚ました。
これはどう考えても異様だった。
全員が机に突っ伏して意識を無くしていたようだ。
「頭……痛ぁい……ちょっとぉ、誰か水を持ってきてちょうだい」
給仕がそもそも見当たらないし、ジゼルの声にやって来る気配もない。
「んもう。なんで誰も水を持ってこないの……って、ここにあるじゃないの」
ジゼルが机に置かれた水差しを手に取って、金属のカップに注ぎ入れると一気に飲み干した。
「ああっ!怪しいものを飲んではいけませんぞ!?」
書記頭が手を伸ばして制止しようとしたが、手遅れだった。
「何よぉ……頭に響くから大声出さないでちょうだい……う、頭がクラクラす……る……」
皆がジゼルのほうを見ると、再び机に突っ伏してスースー寝息が聞こえてくる。
「……どうやら薬を盛られたようですな……」
書記頭が頭を片手で押さえながら口にする。
「なんだと!?……ツっ」
大声を上げるたびに頭が割れるように痛むが、つい声を上げてしまうのは仕方のないことだ。
「奥方に盛られたのではないですかな。我々が戻ってきたので、都合が悪くなった書類をあわてて処分するためにとか……」
「離縁したのだからもう関係ないだろう!印章を押し離婚証明書にサインもしたではないか」
それが……、そう言って書記頭は言い淀んだ。
「離婚証明書に国王陛下の印璽を頂くのが正式な離婚の許可となります。貴族の婚姻も離婚も許可制ですので……」
「何故それを離婚証明書に印章を押したときに言わないんだ!」
「伯爵様は初婚でしたので、ご存じではなかったでしょうが……」
書記頭の旗色が悪いので、筆頭補佐官が責任転嫁するように言葉の誘導を行う。
「奥方は三度目の結婚でしたから当然ご存じだったはず。侮られたものです」
そうだ……メリアーナ。
最後に見た彼女のことが忘れられない。
見事な肢体をモノにしたい衝動が抑えられないでいる。妻なのだから夫として当然の権利だろう?
そこまで考えてハッとする。
離婚証明書──!
そんなものは破棄してしまえば、好きなだけあの身体を思うがまま楽しめる。
「書記頭、離婚証明書はどこにある?探し出しておけ。俺は妻に用がある」
都合のいいことにちょうどジゼルも寝ているじゃないか。
何もかも終わってからあとで話せばいい。一度でもヤってしまえばこちらのものだ。メリアーナを妻のままにしてジゼルには我慢させよう。我慢出来ないのなら、家臣に下げ渡してもいいし追い出しても構わない……もうずっと嫉妬深くて大変だったんだ……たっぷり愉しんだしな……
メリアーナ……彼女はどこにいる?執務室か?寝室か?
まだフラフラするが、欲望が上回った。
食堂を出ると、館内はしんとしていて、人の気配が全くない。
(二階か?)
階段を上り、伯爵夫人用の部屋に辿り着き、ドアを静かに開けると、鍵がかかっていることもなく開いた。
部屋には誰もいなかった──
衣裳部屋も浴室も応接間も、もちろん寝室も隅々まで探した。
瞬間怒りが沸騰する。
「どこに行ったんだ!せっかく俺が正真正銘妻にしてやろうと!」
書記頭の焦ったような大声が聞こえた。
「伯爵様!どこにも離婚証明書がありません!それどころか、この館には我々以外誰一人おりませぬ!」
「どっ、どういうことだ!」
「本当にどこにも誰もおらぬのです。奥方はもちろんのこと、執事や護衛騎士、侍女頭までも。妙なのが平民の使用人も全員が姿を消しております。今付近の村や町に怪しい者が通過しなかったか、確認を取りに行かせております」
次々と報告がやってくるが、どれも芳しくない。
「馬小屋ももぬけの殻です。馬が一頭もおりませぬ!」
「メイドの部屋を探らせたところ、服が一切合財消えているようです。馬鹿馬鹿しい考えとは思いますが、使用人たちも連れて逃げ出したのでは……」
「使用人を連れて行くなんて、そんな無駄手間などかけるわけなかろう」
と、そこに書記頭の部下が息を切らしてやって来る。
「近くの村の子供が見たそうです!とんでもない数の黒い箱馬車が村を外れて移動していったと」
「そ、それはいつの話だ?」
「昨日の夕方だったようで」
「奥方はベルシュタイン領に向けて出立したのではないでしょうか。目撃時間が離縁を言い渡されたあとのようですし、我々がちょうど食事をしていた頃のようで」
「まるであらかじめ用意をしておいたようではないか。余りにも出立が早すぎるし、使用人が人っ子一人いないのもおかしいだろ」
そこにいた皆がハッとした。
食事をしていた頃、だと?
それは薬を盛られたのと関係しているのでは?
「轍を探せ。それだけの馬車が移動しているのなら、轍を追えば行先が分かろうというもの。近隣の村と町からも目撃情報を集めるのだ」
書記頭が指示すると、数人の部下たちが館を離れた。
「もしかして離婚証明書も既に王城に向けて移動中ではないでしょうか。印章の押印とサインを求めた書記もおらぬようですから」
「それはまずいぞ。破棄しないと離婚が成立してしまう」
新たな欲望を露わにした伯爵に勘付いて、書記頭はニヤリとする。
あんなただの農作業好きの小娘が考えることなどたかが知れている。
ここで出し抜ければもっといい思いも……
「こういう時のために同盟があるのですよ。同盟領に通達して探し出させ、破棄させるのです」
「そうだな……」
(だが、まずメリアーナだ。俺はあいつをモノにしたいんだ)
「私にも独自の伝手がございます。ベルシュタインへの隊列がどのような構成なのか確認したのち、しかるべき追っ手を送り込みましょう。なに、馬車の移動速度などたかが知れております」
「では任せるぞ。妻を何としてでも連れ戻せ。側にいる者は全て始末しても構わない。使用人もだ。逃げ出すなどと……俺を侮辱した罰だ!」
◇ ◇ ◇
「こ、こんな話は聞いてねえ」
「なんだこの隊列は……まるで軍隊じゃねえか」
フラナドの書記頭が調達したのは、自身の荘園で雇った十数人もの傭兵だった。
過去にベルシュタインの領地戦に参加したことがある、という触れ込みで売り込んで来たので雇うことにしたのだ。
『なに、俺らが戦ったのはベルシュタインとは敵のほうでしたがね』
『おおっ。では公爵家側ではないか!それとも筆頭侯爵家側か?』
素晴らしい奴らが売り込んできたものだ。
これはついてるぞ。
『公爵家側……と言えなくはないほうですかね』
書記頭は知らないが、"領地戦真っ最中の土地を横切った"だけでも参加したと嘯く傭兵も多い今の世の中。
が、運よく"本物の"傭兵だったので、まだついていたといえよう。
帰還中の一行は順調にベルシュタイン領に近付いていて、現在は書記頭の治める土地に入っていた。
傭兵団は依頼を受けてから悟られないよう、隊列の戦力と弱点を掴むべく情報を収集してきた。
隊列は昨日の夕刻にフラナド領主館を出発し、現在は二日目の昼過ぎである。
速度は常歩で、馬を潰さないよう慎重に隊列を進めていることから、当分は替え馬の交換所が無いことを示している。
進行ルートを予測するに、今後は中立の小領地に入り半日進んだあと、ベルシュタイン侯爵領と友好同盟を結んでいる小領地へと入ってしまうだろう。そうなれば迂闊に攻撃を仕掛けることも出来なくなる。時間が経てば経つほど隊列の有利に繋がるのだ。
問題はこの隊列の戦力である。
隊列の前方には、明らかに尋常ではない優美な鎧を身に着けた騎士が立派な軍馬に跨り、その四方を守るように騎馬が複数付き従っている。
次に進むのは箱馬車が九台に荷馬車が二台。騎兵が馬車の左右にそれぞれ護衛に就き、馬車の後には鎧を身に着けた騎士たちが、これもまた堂々たる軍馬に跨っている。
しんがりにはローブ姿の騎馬が五体。おそらく一番厄介であろう魔導士たちなのが見て取れた。
日が出ている間は急襲しても返り討ちにあうだけだろう。
だが夜も更けた頃ならば──
もっとこちらの戦力を増やし、更に夜襲ならば、無力で足手まといな平民たちを逆にこちらが盾にして戦うことも不可能ではない。
傭兵団のリーダー格の男が提案する。
「俺に考えがある。まずはあの隊列の戦闘人員より人数を増やしてからだが……」
「───」
「……そりゃいい!」
どんな作戦だろうが、卑怯と罵られようが勝てばいいのだ。
──ただ、彼らは対立している相手の本質を知らなかった。
この国はもう何年も外敵との戦争は起こっておらず、だからこそ領地戦が許可されている。
傭兵たちも領地戦経験者ではあったが、同盟領地の小競り合いに参加したのがせいぜいで、ベルシュタイン侯爵家一家の顔を知らず、姿も見たことは無く、主戦場の経験も無かった。
ベルシュタインの戦いぶりを少しでも見ていたら、彼らはそもそもこの仕事を受けることは無かっただろう。
同日深夜──
月は細くほぼ暗闇の中、数人の人影が心細いランタンの光に照らされて馬車のステップを下りた。馬は数か所に分けて、杭と板とで作成された簡易的な柵の中にいる。
「ねぇ……危険じゃない?」
「仕方ないじゃない。生理欲求だけは我慢出来ないもの……」
馬車を囲むように野営テントが設置されていて、交代で見回りをしている兵士がメイドたちに気が付いた。
「すみません、お花摘みに行きたいのですが……」
見回りの兵士は慣れているのか軽く頷いた。使用人にはメイドが多いので何度も同じやり取りをしているのだろう。
「ここで見張っているから、あそこに設置してある簡易厠で済ませてくるといい。穴を掘って板を載せてあるだけの簡単なものだが、テントで周囲を遮ってある。女性用は赤い端切れで分かるよ」
「あ、ありがとうございます!」
良かったね、と言い合いながらメイドたちは設置されたテントに向かう。
「赤い端切れ……あったわ、こっちよ」
ランタンの光で辛うじて端切れが縫い付けてあるのが分かる。
テントは二つあったが、もう片方に端切れは見当たらないのでこっちだろう。
一人ずつ用を済ませ、再びランタンの光を頼りに三人で固まって少し進むと、馬のいななく声が聞こえ、別の方角から夥しい火矢が飛んでいくのが目に入った。
「ええっ!?」
ぎょっとしたメイドたちが、あわてて自分たちのいた馬車に戻るため走り出そうとする。
だが、いくつかの人影が彼女たちの進路を断ち、口を塞いだ。
メイドたちの異変と急襲者に気が付いた兵士たちは、メイドを救出しようとしたが、傭兵はメイドを人質に取って大声を張り上げる。
メイドは恐怖で身動きも出来ずにガタガタと震えるばかりだ。
「この女たちの命はねぇぞお!もっと後ろに下がれ!」
メイドの身体を盾代わりにして人質に取っている男が叫ぶ。
「俺らの依頼者は、使用人を帰らせるのをお望みだ。分かったら大人しく、平民の使用人たちをこっちに固まらせろ!他の者は無視してもいいってお達しだから、使用人を置いてあんたらは先に進むといい」
メリアーナは状況があまりよく分からない馬車の中で、もどかしく思っていた。
馬車の中で寝泊まり出来るように、元々ミランダとギルバートは馬車から下りていて、ギルバートがメリアーナの無事を窓から確認し、出ないよう厳命したのだ。
(過保護なんだから)
そう思ったが、状況を把握するまでは迂闊に動けないので、大人しくしているより他ない。
馬のいななきが静けさをつんざき、メイドの悲鳴らしきものと、知らない男の声が後ろに下がれと言っているし、火矢で馬の柵が燃えていて、窓からユラユラと照らされた炎が見える。
間違いなく夜襲なのだが身動きが取れない。
使用人を固まらせろという声が聞こえた。
馬車の中で素早く腰ベルトを装着し帯剣する。もとより寝る時もずっと騎士服を着たままで着替えは必要ない。
近くにある馬車から、大勢が移動している気配がする。あまり良い感じでは無いが、お父様やお兄様、ギルバートやミランダ、ガルディはどのような動きをしているのだろう。
使用人を連れて帰る?他の者は無視するから先に進め?
馬車からわざわざ下ろして?それでどうやって連れて帰るというの。
明らかに虚言だろう。
ガタン
音がした。
馬車の床板が外され、草地が薄らと見える。
「平民をお前のせいで殺されたくなければ、大人しくこっちに来な」
足下から声がした。
(すぐに殺される心配はなさそう。それにしても用心深い)
すっくと馬車から飛び下りて、中腰のまま馬車の真下から抜け出すと、傭兵らしき男がこちらに来いと手招きしている。
男の腰には視覚障害の魔導具がぶら下がっていて、後ろ手に縛られた。
(ああ、あれがあるからここまで来られたのね)
フラナド領主館の別館の人工林にも設置していた魔道具と同じものだが、特にベルシュタイン侯爵領だけが占有していたわけではないので、敵方に使われたら厄介なのだな、と苦々しく思う。
見ると使用人がひと固まりにされていて、その後ろにメイドの身体を盾にしている男たちが三人。
ベルシュタインの兵士がたいまつを持っていて状態は把握出来る明るさではあるものの、人質を取られていて迂闊に近付けず攻撃も仕掛けられないようだ。
馬のほうに放たれた火は全部消されているのがせめてもの救いで、馬がストレスで鼻面を柵にぶつける音や、ザリザリと地面を絶えず掻いている音はするけれど、いななきは聞こえなくなっている。
それにしても、人質になっているメイド……って、一人はミランダじゃないの。いつの間に何をやってるんだか。
どこでも紛れ込める才能はすごいわね。
けれど、彼女が人質のメイドの側にいてくれるのは心強い。
普段ぼーっとしていても、侍女頭兼護衛だから。
「お前らは先に進んでもいいって言ったがなあ」
腕を掴まれて別の傭兵の前に引っ張り出される。後ろ手に縛られたままだから転びそうになった。
視覚障害の魔導具を持っている男から離れたので、わたくしが突然出現したように見えただろう。
「……なんつってな?」
ベルシュタインの面々が一斉に息を呑んだ。
わたくしがまんまと捕まってしまった(?)から。
「メリアーナさまっ!」
皆が悲痛な叫びを上げる。
「銀髪の女だけは連れて帰れって命令でな。悪く思うなよ」
なるほど。離縁するのが惜しくなったのかしら。
……ここにいるのと、使用人が集まっているところ、人質になっているメイドの近くで全員かしら……
結構いるわね……二十人より多いくらい?
攻めるより守るほうが人数が必要だ。こちらの護衛も三十名に足りない人数だから、ほぼ同人数で使用人を無傷で守るのは想像するよりはるかに難しい。
なんだろう、違和感を感じる……
何だかしっくりこない。
何故わたくしを捕らえたとわざわざ知らせたのだろう。
視覚障害の魔道具があるのに、馬車から下ろしたあとそのまま連れ去ろうとしなかったのは何故?
メリアーナは縛られ捕らえられているにも関わらず考え込んだ。
◇ ◇ ◇
傭兵団のリーダー格の男は、襲撃するための情報を得ていくうちに、この隊列が何かおかしいことに気が付いた。
連れ帰る対象は高貴な血を持つ貴族の女で、数いる護衛たちは女を守っているものだと、最初はそのことを疑いもしなかった。
離婚証明書に国王の印璽が押印されるまでは、フラナド伯爵夫人のままなのだと聞かされている。
(結婚離婚に他のやつの許可なんているのかよ。貴族ってのは面倒くさいな)
結婚なんてものは、肉体関係を持って一緒に住んでしまえば事実婚で、離婚に至っては夫のほうから"お前とは離縁する"と言えばそれで離婚だ。他人がどうこういうもんじゃない。
領主館に逃げ込んでさえしまえば、妻は夫の所有物。たとえ実家が筆頭侯爵家で伯爵家より格上だとしても、正面切っての対応は難しくなる。
のらりくらりとかわしつつ、伝染性の病死ということにして、体型が似ている代わりの死体を焼き、残った骨を棺に納めれば一丁上がり。こうして身分を抹消された女を飼い殺しに出来る。
フラナド領地には昔敵国方面に建てられた要塞もあり、かつての領主らが住んでいたが、長年の平和な時の流れと共に各地の領主たちは、石造りの城よりも快適で贅を凝らした領主館を建て、居住するようになっていく──
銀髪女は表向きの身分も一緒に焼かれ、領主館が一生の監獄になるだろうが、そんなこと知ったことではない。
俺は俺の仕事をするだけだ。
だが──
予想外だったぜ。こいつら……
たかが平民の使用人のほうにほとんどの護衛をつけていやがる。
二度も戦をしてるから、雇う人間がいなくてそんなことしてんのか?
(はっ。馬鹿馬鹿しい)
お笑いもんの想像を頭から追っ払う。
最初に立てた作戦では、銀髪の女をこっそり拉致してから、火矢で馬車ごと狙い撃ちにする予定だった。
その混乱に乗じて一気に領主館まで駆け抜ける。
替え馬の用意も準備済みで、しかもここはフラナド領だし書記頭の管理地ときている。
準備金を最初は渋られもしたが、用意に金をかけなきゃ戦ってもんは勝てないってことを言えば、傭兵の言葉に説得力があったんだろう。結局は折れて金を寄越してきた。
どんな立派な馬でも、一時間も全力で走らせようとすれば確実に潰れるし、それなりの速度でも三、四時間が馬の限界なのは分かっている。
替え馬を多頭用意しているこっちのほうが俄然有利。初動である程度距離を離しさえすればいい。
質より量ってのはよく言ったもんだ。
ただ、最大の難問が、いかに気付かれずに先んじて馬を走らせるか、だった。
この隊列にいる軍馬はめったにお目にかかれない立派な馬で、軍馬というものは戦場の混乱のさなかでもパニックを起こさないように特別な訓練を受けている。
使役馬とは違い、野営テントのすぐ側に繋がれているので、始末しようにもすぐに気付かれる。
そんな馬と自分たちの馬の程度は比べるまでもない。馬は血統の生き物だからこそ、下手したら城だって買えるほど値打ちのある名馬もいるのだ。
見張りも見回りも周囲への警戒を怠ることなく、こちらは魔道具を使ってやっとのこと観察するのが精々だった。
たとえ銀髪女を拉致し馬を走らせることに成功しても、追い付かれるのは目に見えている。
なのでその作戦は放棄し、自分たちの領分で作戦を立てることにした。
卑怯な手には自信がある。
騎士とか貴族ってやつらはとにかく名誉ってもんを大事にする。
傭兵の仕事をしていないときは、よく野盗の真似事をして貴族の馬車を襲ったりしたもんだが、女子供を人質に取れば大抵のことはあっけなく乗り切れた。
人質の命乞いをするばかりで、身動きが取れなくなるんだよな。
"人道心"とか"名誉"?
そんなもんで腹はふくれないぜ。金にならないものなんざ必要ねえ。
だが相手は、都合のいいことにそういうのが一等大事だろ?
今回もせいぜい利用させてもらうとしようか。
◇ ◇ ◇
使用人の近くにいた傭兵たちが、何かを一斉に投げた。
面白おかしく笑いながら、思い切り使用人たちに投げ付けていて、たまにびしゃっと弾け飛んで使用人たちが濡れているのが目に入った。
誰かが叫んでいる。
「油だ……っ!」
「そうだ、油だよ。火を点けたらよく燃えそうだよなあ?」
「違いねえ」
傭兵たちはゲラゲラ笑いながら、使用人たちから離れていく。
ずっと気になっていたけれど、火矢を放った別動隊がいる。
右手にはところどころ背の高い木の生えた小高い丘があり、左手はここしばらくずっと鬱蒼と木々が生い茂る森だ。
有効射程距離を四百メルトとするならば、潜む箇所はある。
固まって怯える使用人たちに油を投げ付け火だるまにしようとしている?
そうなったら、逃げ惑う彼らで阿鼻叫喚になるだろう。
こいつらは使用人たちを、火を放たれて逃げ惑い、救出しようとする者たちを足止めする為に、文字通り"生ける盾"に──
「伯爵夫人、我々が火を放ったらどうなるか分かるでしょう?彼らを救えるのは貴女だけです」
えっ?
先ほどまでの違和感がようやく分かった。
ああそうか。
わたくしを攫ったあとの追っ手を恐れて、時間稼ぎをしようとしているんだわ。
「さあ伯爵夫人、全員に言っていただけませんか。"自分はフラナド領主館に戻るから皆はしばらくここで待機して"と」
どうしたら……
その時、はっきりと皆が見えた。
"ぶ"、"ち"、"の"、"め"、"せ"
ガルディが指でサインを送って来る。
大きい身体なのに、気配を消すのはほんと超一流なんだから。
おかげで心が落ち着いた。
一人じゃない。皆もいる。
わたくしが捕まった時、視線はこちらに集中していて、その隙にギルバートやお兄様、魔導士たちが使用人の近くまで近付いていたようだ。よく見たら使用人たちの中に補佐役が交じっている。
けれど一刻の猶予も無い。
焦っていたけれど間に合った!
ずっと後ろ手に縛られていた縄を緩めることに専念していたのだ。
さて……まず敵の目を引き付けないと。
「わたくしも舐められたものね……」
そう言うと、傭兵が怪訝そうな顔になった。
「ぁあ?」
するりと縄抜けして、片方の手に引っ掛かっていた縄をバラバラと落とすと、傭兵たちが揃って仰天する。
「なっ!なんで!?縛っていただろ!!」
まあ、さっきまでは?確かに縛られていたけれど。
そこまで驚くことなのかしら。
剣も没収されてないから、わたくしのこと舐めてたんでしょうね。
ベルシュタイン侯爵領地が王都と隣接している、その意味を考えたことがあって?
ベルシュタイン侯爵一家は、武力を以て王国の守護神と呼ばれているのよ!
「縛られる時に親指の向きに気を付けて、あとは手のひらをグッパグッパしてただけよ。それで外れることを知らないなんてね。さてはもぐりの傭兵さん?てやっ」
回し蹴りで男を吹っ飛ばしそのままの勢いで剣を抜くと、近くにいた傭兵の数人に斬りかかった。
わたくしは背がそんなに高くないので、勢いをつけ重心を下げて傭兵たちの腱を狙う。
人質の中にいたミランダが、周囲の傭兵たちに攻撃を仕掛けたのが見えた。
彼女の得物は短刀だ。いつも太ももに装着している。
スカートいつの間にまくり上げたのかしら。
魔導士たちが水泡のようなもので使用人たちを包み込む。
一瞬ぎょっとなった使用人たちも呼吸が出来ると分かると、油が身体から浮き始めるのを不思議そうに眺めている。
まとめられた使用人の近くにいたギルバートとお兄様が、傭兵を次から次へと斬り捨て、もう一方では使用人を庇いつつ補佐役が、匕首で傭兵の頸動脈に狙いをつけ、残りの魔導士たちが他の傭兵の動きを光の鎖で封じていく。
あーっ!頸動脈は止めたほうがいいと思うわ。血が噴き出してしまうもの。
同時にベルシュタインの兵士たちが、回収した人工林に設置していた視覚障害の魔導具を使って、使用人の近くまで忍び寄っていたのであっという間に制圧してしまった。
視覚障害の魔導具は本人は見えないけれど、足音や足跡はそのままなので、わたくしを拉致しにきた男みたいに、もっと用心するべきだったと思うわ。
わたくしの近くにいた残りの傭兵がこちらに飛びかかって来るけれど、
「姫さまに近付くな!百年早いわ!」
そう言ってガルディが剣を使う前に拳で傭兵を吹っ飛ばしてしまった。
「ありがとう!ガルディ」
「なんの!」
ほっとした次の瞬間。
ミランダの近くにいた三人目の傭兵がミランダに襲い掛かるのが見えた。
二人目までは倒したのか、地に伏せたまま動かない塊が二つあるようだけれど、彼女はメイドを庇っていて身動きが取れない。
やめて!
やめて……!
間に合わない!誰か!
焦りで時がゆっくり流れているよう……ミランダ!
ミランダとの想い出が走馬灯のように流れていく……
お金に目が無いけれど、だからこそ信用出来る侍女兼護衛。
でもお金だけじゃない絆も確かにあって……
それこそいくらお金を積んでも足りないくらい、危険で大変な目に遭わせてしまったことだってある。
彼女の背には、わたくしをかばったために、今も消えない斬られた傷が大きく残ってしまっているのだ。
それでもいつも朗らかに笑ってくれるの。
彼女はいつだって、わたくしの心の拠り所だった……
失いたくない…………
……その時だった。
風が空気を切り裂く鋭い音がミランダのほうへ──
……ああ、この音は聞き覚えがある……
かまいたちのような風の切っ先が三人目の首を斬り落とした。
見るとお父様が剣を構え、空を薙ぎ払っている。
踏み込んだ体勢からすらりと立ち上がり、一息の乱れもなく剣を鞘に収めると、鞘がカタカタと鳴って、止んだ。
「間に合ったな」
名剣グラディトゥールは自在に空を斬る──
今日ほど、この剣がお父様の所有であることを感謝したことは無い。
次こそ最終回
メリアーナとギルバートの恋の行方は?
少しでも面白いと思って頂けましたら、
↓にある☆☆☆☆☆で色を変えて頂けると、とても嬉しく思います。
次回もよろしくお願いします。