第六話 破壊と消滅の炎による宣戦布告
……大好きな群青色の瞳がわたくしを映し、見開いて、そして──
「メリアーナっ!」
あっという間に抱きしめられる。
心地よい体温に、どれだけ自分が不安で辛くて哀しくて心細かったか気がついた。
「ギルバート!」
手を伸ばしてもいいのかしら……
おずおずと抱きしめ返すと、ものすごく速いギルバートの心臓の鼓動を感じる。
わたくしの心臓の音も聞かれてしまうかも……顔もきっと爆発しそうになってるわ……
「あのね、ギルバート……わたくし不安で不安でどうしようもなくて……ひっく……」
「うわっ!?」
「姫さま?」
涙で霞む向こう側で、侍女頭のミランダがガルディと補佐役を連れて移動していく。
「さあ、お邪魔虫はあっちに移動しましょ!まだ全部の荷物を運び終えていませんからね。魔導士さまたちもこちらに」
う……ひっく……涙が勝手に……
泣くなんてはしたないと思っていても止まらない。
でも、思いっきり誰かに言いたかった。
「……怖かったのです~!!」
「……こうして私がいるのですから頼って下さい。分かりましたね?」
「は……はい……」
頭を優しく撫でられるとようやく自覚した。
ギルバートのことが好きなのだわ……
グズグズしていると、ギルバードがわたくしにだけ聴こえるように耳元でそっと囁いた。
「まだ泣き続けるようでしたら、どこかに監禁して誰にも涙を見られないようにしてしまいますよ……」
……スン、となった。
人って不思議。ショックを受けると涙が引っ込むように出来ているらしい。
「ギルバート。荷物の確認を一緒に手伝ってほし……」
「妹よ~!何故兄に気がつかないんだ~!?こんなに劇的な場面なのに~」
え。お、お兄様、いつの間にそこに!?
見ると、フードを目深に被り珍しく魔導士のローブを着たお兄様が近付いてくる。
三年ぶり?ものすごく久しぶりに見るというのに、わたくしと同じ色素の薄い髪も青い瞳もずっともっときらきらしい。
「ギルバートと一緒に移動してきたのに!おいこら!私の妹とイチャつくな!」
ギルバートに更にぎゅむっとされてしまった。う、動けないわ。
「お嬢様成分の補充中です。引き剥がそうとしないで頂きたい」
「私だってメリアーナ成分を補充したい!三年ぶりに妹に会うんだぞ!お前はずっと一緒だったじゃないか!少しは譲れ!」
そう言って両手をワキワキさせている。
成分て何。
困ったものだわ……わたくしはもう三度も人妻になったというのに。
小さい頃にお母様がいなくなってからというもの、ずっとお兄様は『私が母代わりになる!』と宣言して、わたくしが寂しくないように一緒にいてくれた。よく抱きしめてくれたのを思い出すわ……
……でもあの両手の動きは一体……何かの儀式……?
お兄様がわたくしの顔の正面に素早く移動してきたかと思うと、泣いてしまった顔から熱を取り去ってくれる。
ひやっとして気持ちいい……
剣の稽古のときも、こうして痛む箇所を冷やしてくれたっけ。
「こんなこともしてやれない男は、メリアーナに触れている資格など無い。離れろ。さあメリアーナ。こっちにおいで」
ワキッ ワキッ
………
思わず薄目になってしまっても、誰も咎めないわよね。
さっきまで感謝の気持ちはあったのだけれど、スン、となった。
決定打を放つことにする。もう少し冷静になって下さい。
「……お兄様。前を押さえて、内股で前かがみに走り去る羽目になりたくなければ、少し落ち着いていただけます?」
「……ヒッ」
途端にお兄様は静かになった。こういう状態を何て言うのでしたっけ?
……ああ。"借りてきた猫"ってやつなのね。
まさかお兄様が、こんなに静かになる日が来るなんて。
◇ ◇ ◇
……幻かと思った。
移動の瞬間に浮かんだ愛しい女性が、はっきりした形でそこにいたのだから──
衝動に突き動かされるように、駆け寄って抱きしめた。
逃がすまいと、力がこもる。
捕まえた──もう、二度と放したくない。
無事だったことに安堵する。
相当緊張していたのだろう。身体がこわばっている。
小さく震えているので声を掛けるかためらっていると、ぎゅっと服をつかまれ、抱きしめ返される。
心臓が早鐘のように打ち始め、熱が集まるのが分かった。
「あのね、ギルバート……わたくし不安で不安でどうしようもなくて……ひっく……」
……泣いている?
あのメリアーナが?
いつも毅然として、笑顔を崩さなかった彼女が──
今は、私にすがって泣いている……
愛しさが募り胸が張り裂けそうになる。
……ああ。駄目じゃないか。こんなに泣いて……
貴女の涙を他の奴らに見せるくらいなら──
「まだ泣き続けるようでしたら、どこかに監禁して誰にも涙を見られないようにしてしまいますよ……」
……本音が口を突いて出た。
そっと囁いたつもりだったが、返ってきたのは──
しゃんと立ち直った彼女の姿。
けれどその目はどこか虚ろで……
……しまった。言葉を、間違えた。
──しかしその後、メリアーナが、手伝って、そう言ったように聞こえた。
本当に?現実だろうか?
彼女の声を遮ったのは鬱陶しい小侯爵だ。私を気の利かない奴扱いし、メリアーナから引き剥がそうとする。
そんな彼に対して思うところがあったのだろう。
メリアーナが五月蠅い小侯爵を、いとも簡単に黙らせてしまった。
まるで狩りの女神が猟犬をたしなめているようだった。
それもまた美しく感じる。
◇ ◇ ◇
ギルバートに抱きしめられていた時間は心の振れ幅が大きすぎて、しかも自分の恋心を自覚してしまったこともあって、ものすごく時間が経ったように思っていたのだけれど、実際はそんなに経っていなくて、すぐにまた移動魔法陣が光り出した。
大広間の床のほとんどに魔法陣は描かれているため、足元も光っている。
読めないけれど古代語だという一文字一文字がまるでなめらかな詠唱のように光っていき、一つの文章が完全に光っては次の文章という具合に、緩やかに流れる光の川のよう。本当に美しいわ。
「ベルシュタイン城からまず騎兵と、お嬢様に一刻も早く会いたいと駄々をこね……失礼、封土を分け与えられた騎士たちが、何故か城に滞在中らしいのでやってくるでしょう。本当に我が主に忠誠を誓ったあの者たちは、気味悪いほど……失礼、異様に勘が鋭い」
ギルバート、本音が洩れているわよ。
それにしても騎士たちは、自分たちが治める土地をほっぽって何をしているのかしら。実力は認めるけれど、お父様より年上で引退していてもおかしくない年齢なのに。
「皆メリアーナが可愛くて仕方ないんだよ。それに護衛を増やさないとだしね。ガルディだけでは足りないだろう」
お兄様がいれば、大抵の襲撃は防げてしまいそうだけれど……
魔塔の主だから、魔導士は皆お兄様に従うし、お兄様自身も膨大な魔力を持つ魔剣士でもある。
パタンと入り口の扉が開いて、護衛騎士のガルディと補佐官、侍女のミランダが入って来ると、魔法陣の文字列が最後まで光って眩い柱が立った。
「お嬢様、騎馬が数頭やってくるので少し後ろに下がりましょう」
そう言って恭しく手を差し出されたので手を添えると、さっきまで抱きしめられていたのが嘘のように思える。わたくしはあの時のことを考えただけで赤面してしまうというのに。そういえばまたお嬢様呼びに戻ってしまっているわ。
騎馬……確かに浮かび上がるシルエットは馬の形だ。
そしてまた驚くことになろうとは。
魔法陣で移動してきたのは馬に跨った騎士たち?角度的に後ろ姿しか見えない。
すぐに外に出られる構造になっている大広間とはいえ、室内に馬ごと移動してくることに驚いていると、周りにいる皆が一斉に跪いた。
ええっ……?お兄様にギルバートまで?
「我が主」
「ベルシュタイン侯爵様」
「父上」
一息遅れて正面の魔法陣を見やると、驚きの人物が馬に跨っている。
「お……お父様!?」
何ということだろう。ベルシュタインの要であるお父様とお兄様が二人ともこちらに来てしまったというの!?
お父様は三年前と全く変わりがなかった。
元々とても成人した子を持つ親には見えないと言われていたけれど、ますます若々しく感じられる。年齢不詳とはお父様のような方のことを言うのだわ。
「皆立つがよい。堅苦しい挨拶は要らぬ」
決して華美では無いが、武具師の技術を凝らした優美な飾り模様の付いた軽量鎧を身につけ、マントを纏ったお父様が馬から下りる。
一緒にやって来た二人の従者が馬から下りてお父様の馬の手綱を預かり、重厚な音を立てて開いた大広間の大扉に向かった。
「お父様、お久しゅうございます」
お父様が歩くたび、ベルシュタイン侯爵の名を一躍有名にした、名剣“グラディトゥール”の鞘が音を立てた。
「メリアーナ……三年ぶりだな。少し痩せてしまったのではないか?」
「忙しくはしておりましたが、健やかに暮らしておりました。予定外の執務に筆頭補佐官をお借りしてしまい、お家乗っ取りの大義名分をフラナド伯爵に立たせてしまった事申し訳なく思っております。それにしてもお父様が直接……」
お父様が言葉を制する仕草でわたくしの言葉を最後まで言わせない。
むう。やはり家臣たちに来るのを反対はされたのね。
「私が来たほうが早いだろう。それでメリアーナ。離縁を申し渡されたのは間違いないな?」
「はい」
……お父様もお兄様も目がキラキラしているわ。興味をもってしまったみたい。
ああ、もうこれは──
既に移動魔法陣は新たに光り始めていて、外で指示していた従者たちが、ベルシュタインからやってくる者の手配を行うべく待機している。
彼らにこの後ベルシュタインからやって来る者たちの差配を任せ、わたくしとギルバート、お父様とお兄様、補佐役と護衛騎士のガルディ、戻って来たお父様の二人の従者という面々が、補佐役の提案で地図を貼ってある館の元執務室に向かう。ミランダは情報を仕入れてくると言って、使用人たちが今日の分の食事を作っているところに紛れ込みに行った。
部屋に入るとお父様の目が地図に釘付けになった。
無理もない。この地図の出来は素晴らしく、フラナド領の弱点まで緻密に記された有益な情報の宝庫だ。
「この地図は特上の機密だな。二度目の領地戦の際に重宝した地図と同じ作者の物だろう。この作者はどうしたのだ?」
お父様はよく分かってらっしゃる。
作者はわたくしが匿っている。平民と分かれば囲い込まれ飼い殺しにされることは目に見えているもの。
人が財産、という言葉がぴったりな作者だ。
「三度目の領地戦に役立つことだろう。剥がして持っていけ」
「かしこまりました」
お父様の中でやはり領地戦は確定のようだ。
反対する理由は見当たらない。フラナド領への援助金は相当な金額になる。
この領地に嫁いできてから、ずっと考え続けた。領地経営が黒字になりさえすれば、伯爵も領地館に落ち着いて執務を行うようになるだろう、と。
そう考えていた時期もあった。愚かだったわ。
フラナド伯爵家に仕える家臣たちの腐敗も加わって、更に酷くなってしまったのだけれど。
貸し出している家畜たちを安易に没収すれば、罰を受けるのが平民たちなのは明らかだ。
わたくしがベルシュタインに出戻れば、あの伯爵の采配では再び土地が荒廃するのは間違いないだろう。
戦の知識は完全に門外漢だし、争いは好きではないけれど、せっかく栄えさせた土地を台無しにしたくない。
フラナド伯爵と腐敗した領地経営陣だけを排するためには、領地戦は確かに有効な手だろう。
布告する側から、戦地を指定することも可能だからだ。
圧倒的戦力差がある際の『慈悲を施す行為』と呼ばれている。
領地戦を行うに足る大義名分と、世論の追い風が必要になるのだが、この三年間の伯爵らの行いを改めて考えた。
「──して、フラナド伯爵を裁判に引きずり出すための罪状はどのようなものだ」
補佐官が一歩進み出た。
「身分詐称共犯、契約不履行、持参金横領──他にもございますが有罪に持ち込めるのがこの三点となりましょう」
「ふむ……」
皆声を出す事なく静まり返る。
全員が"弱い"と思っているに違いない。
一番大きな罪は、平民である愛人ジゼルがわたくしに成りすました身分詐称罪で、彼女は死刑確定だろう。平民が貴族と偽るのは重罪なのだから。
契約不履行に関しては、婚姻契約書には領地視察への同行という契約項目があった。土壌研究者と経験者、貸与した家畜の様子を知るために加えた項目だったが叶わなかった。一度も同行していないのだから不履行となる。
持参金とは、妻が輿入れする際に実家が渡してくれる財産のことだ。婚家の資産として別枠で組み込まれはするが、夫に万が一があった際に妻が使うことが出来る、唯一ともいえる独立した妻の財産であり、婚姻が解消されれば妻に返却されるものである。生涯にわたり妻の婚家での立場を守る資金ともなるので、持参金の使い込みは横領罪となるのだ。
ただ身分詐称罪については、フラナド伯爵は正犯ではないので死罪にまでは持ち込めない。
残る二つも同様にそれほど重い罪状ではない。
なので裁判はフラナド伯爵の行いを世間に知らしめるためのものだ。
返却しなくても良い援助金の総金額は莫大だったが、それにも関わらず持参金まで使い込んだとなれば、世論はベルシュタインに好意的になること間違いなしだから。
領地戦には大義名分と好意的な世論が必要となるが、これで二つとも揃った。
ベルシュタイン侯爵家門は"名誉を著しく汚された"として、フラナド伯爵家門との領地戦に持ち込むことになるだろう。
わたくしたちが元執務室で話し合っている間にも移動魔法陣は稼働し続け、魔力が充填されるたびに
ベルシュタインから移動してくる。
何回か繰り返されたあと、ついに移動魔法陣が光らなくなった。
ベルシュタインにいる魔導士たちの魔力がとうとう尽きたのだろう。
移動出来るということは逆もまた然り。
敵陣営に使わせるわけにはいかないため、諸刃の剣である移動魔法陣は消し去られた。
時間と労力をかけたであろう美しい魔法陣が、消えるときは一瞬だったことに切なくなる。
「それでは出発するとしよう。盛大に狼煙を上げようではないか」
お父様がそう宣言し、わたくしたちはベルシュタイン領に帰還する。
別館が魔導士たちの手によって完膚なきまでに燃え尽きた。
破壊と消滅の炎はハルトムート・フラナド伯爵への宣戦布告である。
読んで頂きありがとうございます。
襲撃エピソード入れたほうがより話が分かりやすいかと思いましたら、また文字数が増えました……
終わる終わる詐欺になってしまって申し訳ありません。
次回 第七話
無事にベルシュタイン城に辿り着けるのか。
卑劣な襲撃が迫る。
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