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第五話 使用人を含めたベルシュタインへの帰還


 部屋から先に退出したメリアーナの執事ギルバートは、外れにある別館にいた。


 先々代のフラナド伯爵夫妻が使用していた館で、誰も住まなくなってからかなりの時間が経過しており、ボロボロになっていたのを改修し増築も行った。


 元使用人たちから、祖母を毛嫌いしていた伯爵はこの館に近付こうともしないと聞いている。


 領地各地に派遣されたベルシュタイン侯爵家に仕える者たちが密かに報告するための場所でもあった。

 広い元執務室の壁の一角にはフラナド伯爵領の地図が貼られており、この地図で人の流れを研究するのにも使われた。

 たくさんの赤色のピンが元使用人の居場所だった箇所を表わし、白色のピンは土壌研究者、黄色のピンは酪農・放牧経験者を指している。が、黄色のピンは既に三年が経過し、数は少なかった。


 本館と別館の間には背の高い木を植林し、意図的に人工林にしたあとは完全に視界を遮る役割を果たしている。

 視覚障害の魔導具も設置されていて、人工林に入る際に特定の言葉を唱えないと同じような景色が続き、館には辿り着けずいつの間にか元の場所に戻るようになっている。

 更地にしたかつて中庭だった場所には、出発直前の馬車がずらりと整列していて、馬丁が馬の世話に御者が馬車の管理と忙しくしている。館とその周囲の小屋に貯蔵された大量の食料と飼い葉、樽や桶の積み込みを、従者たちが下男に指示しながら進めていく。 



 この別館で一番特筆すべきは、大広間の床全面に描かれている移動魔法陣の存在だろう。

 二階部分が吹き抜けになっている大広間の窓という窓は全て潰され、馬車を丸ごと屋外に移動出来るように巨大な両開きの扉がある。

 

 ギルバートは移動魔法陣を自身の魔力で起動させると、繋がっている魔塔へと飛んだ。

 通信が届く距離になったのを見計らい、片耳に装着した通信用の魔導具で、メリアーナが離縁を申し渡されたこと、彼女が帰還することを伝えた。フラナド領の者だけでは足りていない御者の要請を同時に行う。


 騎兵の選定は城の家令に任せてある。城住みの騎士たちも三年ぶりのメリアーナの帰還となれば、こぞって参加したがるに違いない。

 

 魔塔へは限られた者しか入ることが出来ないため、ベルシュタイン城にある移動魔法陣へ魔力を込めに、魔塔に住む大半の魔導士が向かった。

 


 滅多に魔塔を出ることのない魔導士が、たった一人の女性に尽力するのは何故なのか。

 それは魔導士たちが、ベルシュタイン侯爵家門にかつて保護されたからに他ならない。


 

 遺跡となっていた魔塔を復活させたのは、ベルシュタイン小侯爵と呼ばれるメリアーナの兄である。


 ベルシュタイン侯爵領は魔素量が多く、生まれつき魔力を多く持つ子が生まれやすい。

 常に暴走しがちな魔力の扱いに悩み怯える子等を保護する場所として、魔塔の封印を解き復活させたのである。

 魔塔で魔力の研究を続けている魔導士たちは、手厚く庇護してくれている侯爵家門への恩を決して忘れない。

 

 人を数人移動させるだけでも相当な魔力量を必要とする。

 魔塔に残る魔導士たちが総出で魔法陣に魔力を込めていく。彼らはこれから短時間で魔力を込めることで、酷い頭痛を経験することになるだろう。


 


 ギルバートは、数名の魔導士と共に床に描かれた魔法陣の上に立つと、移動魔法陣に魔力が満ちるのをじりじりしながら待つ。

  

 感情を消し、表情には出ないよう努めているが、メリアーナのことを思うと焦りと怒りの感情が今にも溢れそうだった。

 辛い思いをしていることだろう。そんな時に離れなくてはならなかったのがもどかしい。

 

 うまく事を運ぶため、護衛騎士のガルディも退室させたに違いない。


 彼女を敵視する者たちの中、同志の書記らを守りつつ、たった一人で対峙している姿を想う。


 "メリアーナ・フラナド伯爵夫人"は"メリアーナ・ベルシュタイン侯爵令嬢"となり、三度目の出戻りとなる。

 正確には離婚証明書類が王城に到着し、国王が許可するまでは正式な離婚とならないため、未だフラナド伯爵夫人のままである。


 離婚が成立しないとどうなるのか。

 最悪なのは存在を葬られることだろう。

 三年の間、愛人のジゼルが正妻の座を狙うよう誘導してきたので、可能性は低いだろうが──


 妻の肩書きのまま監禁され、粗末な食事と引き換えに執務を無理矢理行わされる人生もありうる。

 表向き病死とされ、秘密裡に飼い殺しにされる可能性もまだ残っている。 


 移動魔法陣に描かれた無数の言の葉全てに光が灯った。


 魔力が満ちた合図だ。

 移動の瞬間、脳裏に浮かんだ最愛の女性(ひと)の姿が、眩暈のせいで揺らいで思わず目を閉じる。


 今まで静観してきたのは、彼女が好きなことに全力で取り組むのを眺めることが、自分にとって何よりも代えがたく至上だったからこそ。


 彼女の心はいつも彼女のものだった。

 紙切れ一枚の契約に過ぎないと、二度目の婚姻まではそう思っていたのだが──

 彼女の三度目の婚姻で時が満ち、自分の身分でも彼女を満足させることの出来る唯一の方法が可能になった。


 必ず離婚は成立させる。だからそれまでは……


 あまり一人で抱え込まないでくれないか──

 これ以上無茶をされると心が砕けそうだ……


 彼女を閉じ込め監禁し永遠に二人だけの世界で生きていけたらどんなにか……

 遊び相手として初めて出会った十歳の時から狂気は続いている。

 きっと永遠に続くのだろう。

 自分が相当歪んでいることを自覚している。

 妄執を振るわず踏み止まれたのは、彼女の輝く笑顔を見てきたからこそ。



 どうかお願いだ……


 私が戻るまで何事もなく無事でいてくれ──


 


 ◇ ◇ ◇




 同時刻、フラナド伯爵の領主館はにわかに騒がしくなり、住み込みの者たちが一斉に移動する準備を始めた。

 書記とその部下たちも執務室を退室し足早に移動する。

 まだ執務室の一行はメリアーナが一人で注意を引き付けている最中だ。


 最も重要な書類は大事にしまい込み、真っ先に書記は別館に向かう。

 事前の打ち合わせ通り、王城までの早馬に離婚証明書類を手渡すと、荷物をまとめに自室に戻る。生まれ育った故郷を見限ることに後悔は無い。尽くしても尽くしても、相手が必ずしも同じ思いを返してくれることは無いのだと既に知っていたからだ。

 




 メリアーナが執務室から退室し別館に移動すると、早馬が出立したことを知らされる。


 今のところ伯爵は離縁の方向で動いていて、侯爵家の令嬢という身分が盾となる。だが自分だけ助かればいいわけではない。


 同時にメリアーナには、この三年の間共に過ごした、フラナド伯爵領の身分なき者たちに対する雇用主としての責任があった。

 ベルシュタインに移動するという彼らの意思は確認済みであり、ベルシュタイン城まで一人も欠けることなく共に帰還せねばならない。

 

 もう一つの懸念──

 執務を自分の代わりに行わせ、有益な駒として飼い殺しに出来ることに気が付いてしまえば、伯爵は離婚証明書を破棄すべく動き出すだろう。


 そうなれば人知れず幽閉か。

 ジゼルが思った以上に人道から外れることを厭わなければ、病死に見せかけた毒殺か。

 どちらにしてもろくな未来にはならない。

 妻は夫の所有物に過ぎないのだと思い知らされる。



 非戦闘員の使用人たちを護衛しながらまずフラナド領を抜ける。

 その後、中立の小領地を一つ通過し、さらにベルシュタイン領と友好同盟を結んでいる小領地を通過する。

 最後に侯爵に忠誠を誓った騎士たちが治める、村や町単位の土地をいくつか通れば──

 視界に荘園の広大な穀物畑が広がり、ついにベルシュタイン領へと入るだろう。

 ベルシュタイン城に到着するまでに要する日数はおよそ四日間半。

 

 一方、フラナド領主館を出立し、途中から替え馬有りの早馬で離婚証明書が王城に到達するのが最短で五日。それも中継地点まで今も移動しているであろう、替え馬たちと早馬に何事も無ければ、だが。




 国王の印璽を頂き正式に離婚が認められるまで、メリアーナのこれまでの生涯で最も長い五日間が始まった。




 移動の準備を始めるが、持ち物は多くない。

 ドレスも必要ないし、動きやすく一人でも着替えられる服があれば十分だった。しかもメイドたちがテキパキと帰還の準備を進めてくれていた。


 庭仕事用の服から、乗馬も可能な女性用の騎士服への着替えを侍女頭が手伝ってくれ、帯剣するための腰ベルトを装着しながら、メイドたちに話しかける。


「ねえみんなの用意もあるでしょう?わたくしは必要最低限でいいのよ?何日も野営することになるでしょうし、長年この領にいたあなたたちのほうが持っていく物も多いと思うもの」


「大丈夫です!何かあった時のためにこっそり準備しておりました。あとはこの最後の荷物を運び終えたら、すぐに向かいますね」

 

 荷物の移動が終わると、メイドたちは一斉にメリアーナに礼を取った。


「わたしたちは皆メリアーナ様に救われました。お給金をなかなか頂けなかったり、紹介状も頂けず解雇され、身を売る一歩手前まで堕ちていた子もいます。わたしたちに再び生きるすべを見出してくださったことを感謝しています」


「そう言ってもらえて嬉しいわ。これからもよろしくお願いするわね。ベルシュタイン城までの道のりはそれなりにあるし、野宿だから大変だけれど皆でたどり着きましょう」


「はいっ」


 メイドたちが立ち去ると、侍女頭のミランダが最後のかばんに荷物を詰め込んで、馬車に載せるように手配していく。

 彼女だけはベルシュタインからメリアーナが連れてきたたった一人の侍女だ。親子二代で仕えてくれていて、母親は長旅を考慮して侯爵家に残してきている。


 下手に情報が流れても困るので、フラナド領の貴族子女を雇うわけにはいかず、結局ここではミランダ以外の侍女を付けられなかった。

 三年もの間全部彼女に任せてしまって申し訳なかったと思う。


「メリアーナさま、これでようやくベルシュタインに帰れますね!」

 いつも明るいミランダに心が救われる。

「三年間ありがとう」

「全然ですよぅ!侍女頭なんてすごい役職まで頂いちゃって。お給金ガッポガ……いえ失礼しました」


 ……ああ、こういう子だったわね。忘れてたわ。



 部屋を出ると護衛騎士のガルディと補佐官が話し合っていた。


「姫様!ご無事で本当に……」


「ガルディ!補佐官も。ああ無事だったのね……よかった。移動魔法陣に向かいましょう」


「姫様が囮になる作戦なんて二度とごめんですよ。こっちの寿命が縮みます。そうそう、魔法陣が光り始めたのでお伝えしようと。あいつも戻ってきます」


 ……姫はやめてって言ってるのに。それにあいつ、って。

「仲良くして頂戴ね。わたくしはギルバートが皆と溶け込んでいるのを見るのが嬉しいの。二人がいざという時は息がぴったりなのは分かってるわ。貴方たちの口が悪いことも。ただどこに耳があるか分からないから、ね。ギルバートは──」

 言いかけて止める。ガルディも気が付いたようなので、わざわざ言う必要は無かった。

「分かりました」


 これから報告を受けて、続々とやってくる人たちの差配をしなければならない。

 助けてほしいわ……ギルバート。早く戻ってきて……


「メリアーナ様、早馬用の替え馬たちがベルシュタインから出立したようです。王都のタウンハウスからも予定通りに。同時にダミーも走らせております。交換地点に予め替え馬を潜ませておきたかったのですが、王城への最短ルートには友好的な領地がありませんから」


 家を挙げて通信用魔導士魔導具の開発に力を入れている補佐役の情報は早い。

 通信が届く距離が短いのが欠点だが、いずれ改良されることを期待したい。

「それどころか、フラナド領地と同盟関係にある領地を通過しないといけないのでしょう?」

「左様でございます」

 離婚証明書はこちらの手を離れているので、出来ることはもう無い。

 我々がベルシュタイン領に逃げ込むことを最優先に考えないといけないだろう。

 

「しかし……王城まで五日か……何か仕掛けてきますかね」

「分からないわ。少なくとも、離婚証明書はもうわたくしたちの手を離れたから連絡を待ちましょう……ベルシュタインまでの隊列の安全に気を配らないと。五十人の平民を、移動しつつ守るのは容易なことじゃないわ」

「以前からの交渉通り友好領地の町村ごとに分散させて、万が一用の替え馬の準備を整えさせている最中です。騎士たちにも各自替え馬の手配を命じております。ご命令通り馬車は全て四頭立てとし、騎兵はもちろんのこと参加希望の声が大きい騎士とその従者も、全て騎馬での移動となります」


「短い時間でよくぞそこまで手配してくれたわね。ありがとう。輿入れの時とルートは変更してあるのよね?そちらの対策はどうなっているかしら」

「山越えはないものの、川の横断が二か所ございます。橋を落とされないよう監視者を置いて警戒中です」

「馬の飼い葉を予定量積み込めない以上、草地を利用しない手は無いものね」

「はい。二時間移動・半時休憩の繰り返しを前提にルートを決定してございます」

「それでいいわ。馬を潰すわけにはいかないもの」

「移動魔法陣でフラナド領民を全員移動出来れば良かったのですが、無いものねだりをしても始まりますまい。魔導士の魔力で現在移動出来るのが二十名弱となれば、このように差配するしかありませんでした」

「時を捻じ曲げる力なのだから、代償もそれだけ大きいということね。帰還ルートに敵領地が無いだけましよ。時間が経てば経つほどこちらに有利になるのだし」


 時が一気に動き出し、目まぐるしい。


 移動魔法陣が設置されている部屋の窓という窓は潰されていて、天井はとても高いのに、重苦しい空気がのしかかってくるように思えるのは、自分の気持ちの重さが反映されてしまっているからなのだろう。

 

 大広間に到着すると、既に魔法陣が光っていて一気に光量を増すと、うっすらと人影が映った。


 振動が収まり光が収束すると、少ししか離れていなかったのに、そばにいて欲しかった人の姿があった。




読んで頂きありがとうございます。


次回 第六話

分かりやすいように説明文を追加していたら、全七話になってしまいました。

思いもかけぬ人物がやってきます。

メリアーナがようやく恋心を自覚します。


少しでも面白いと思って頂けましたら、

↓にある☆☆☆☆☆で色を変えて頂けると、とても嬉しく思います。

次回もよろしくお願いします。


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>妻というものは実家の領域外であり、夫の所有物に過ぎないのだと痛感させられる。 実家の領域内にいる=娘は父の所有物に過ぎないということなのでどっちもどっちなのでは?部下は実家繋がりってことは父から貸…
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