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第四話


 伯爵はニヤニヤしながら大声で叫んだ。


「この女は俺と三度目の婚姻だったんだ。どれだけ役立たずか分かろうものだろ?なあ?」

 伯爵は首に巻き付いている愛人の剥き出しの腕に唇を這わせながら、蔑む視線をメリアーナに送る。

(どうだ。動揺しろよ。俺を楽しませてくれ)



 伯爵の言葉に、執務室に居る者たちが一斉に息を呑んだ。 



 勝ち誇った表情を隠そうともしない愛人は、ククッと笑う。

「いやだ三度も?みすぼらしいだけじゃなかったのね。しかも役立たずって可哀そうよ、ハル。……顔のいい執事を侍らせたところで、女として使い物にならないだなんて何て哀れなの」

 そう言いながら、前のめりになり胸を伯爵の背中に押し付けると、興奮した伯爵はジゼルを膝の上に移動させて抱き込んだ。

  

 平民出の愛人が行う伯爵の正妻に対しての発言とはとても思えないが、いつものことだったのでメリアーナは放っておいた。

 元より契約結婚で、契約書には婚姻前からの愛人の存在を認める項目が入っていて、愛人は公認の存在でもあったので。



 ハルムート・フラナド伯爵は、皆の反応が思ったのと違うことに気が付いた。

 この三年、行動を共にしていたジゼルはもちろん、家臣たちも予想通りの態度で伯爵夫人を嘲っている。

 だが他の者たちは?

(何でだ?女にとって離縁は最大の醜聞だし、しかもこの女は二度も離縁されて出戻っているんだぞ。ジゼルの言う通り、使い物にならない女の最たるものじゃないか!)

 

 メリアーナは麦わら帽を目深に被り俯いていて、表情がほとんど見えない。

(屈辱か?)

(悲観か?)

(羞恥か?)

(どんな表情をしてるんだ?見せてみろよ)


 他の奴らの表情も何かが違う。


 嘲りの表情は一切ない。

 むしろメリアーナに向ける視線は気の毒そうなもので、伯爵に向けられた視線はまるで人でなしを見るかのようだった。

 

(ふざけるな。なんだその視線は。こいつら全員解雇してやるからな)

(女として使い物にならないくたびれ芋女を、ここは嘲笑する場面だろうが)


 

「確かにわたくしは二度ほど侯爵家に出戻ってはいますけれど……」

 

「俺が離縁したら三度目だな。ますます"傷物疫病神令嬢"と呼ばれるだろうさ。もう誰もお前に釣り書きを寄こすことなど無いだろうよ。修道院にでも行け!」


 その言葉を聞いて腰ぎんちゃくたちは、一斉にプッと吹き出した。


「それとなぁ……」


 わざとらしく弱弱しい口調で、伯爵は尚も言い募る。

「離縁しても援助金は一切返さない。元々契約書にはそう記されている。収穫量が激減したと各地の荘園管理者から嘆願もされていることだしな」



 メリアーナは唇を噛んだ。

(事実ではないことを見てもいない癖によくも)


 金にまみれた接待をされるばかりで、領地を視察などしていないことは報告されて分かっている。

 豪華な歓待を要求され困惑している手紙をメリアーナ宛に送って来る、真っ当な男爵もいたのだ。




 けれど、見て見ぬ振りをするのは今日この時までだ。

 "領地を豊かにする"趣味を優先してきただけのこと……


 売られた喧嘩を買わない、とは一言も言っていない。





 この腹立たしい面々に鉄槌を──!






 メリアーナは最後とばかりにニッコリ微笑んだ。


「この領地にもまだ望みはありますわ。芋がこの領地の名産品となった今も、そしてこれからも。ですので思い残すことはございません。不毛の荒れ地でも、芋はそれなりの収穫が見込める数少ない作物ですものね」


 まだ何か言うのかと、伯爵は大げさに天井を仰いでため息をついた。

「また芋の話か。お前がまさしく芋だよ、メリアーナ。離縁だ、離縁。分かったらとっとと去れ。もうこれ以上話すことは何もない」


 愛人と腰ぎんちゃくたちがドッと沸くと"上手いたとえを言った"とばかりに伯爵はニヤリとほくそ笑んだ。


 メリアーナが頷くと、書記役が素早く動いてさっと書類を執務机に置く。羽ペンとインク、シーリングワックスの準備も手慣れたものだ。

「こちらは離婚証明書になります。領主印とサインをお願い致します」


 ふんぞり返って座っていた伯爵がまず三枚とも素早くサインをし、左小指から印章を抜き取ると、渡された書類のサインの隣に熱したワックスを垂らし押印する。

 途端、黄色い声が部屋中に響いた。


「きゃあ!ハルってば領主サマって感じ!?かっこいい~!ねぇねぇ、これでわたしが伯爵夫人!?」

「いや、まだだ。教会から司祭を呼び寄せてからだな」 



「こちらの書類に領主印をお願い致します」

 立て続けに何枚かの用紙を渡され、気を良くした伯爵が次から次へと内容を見もせずに押印していく。

 侯爵家の者は敵、伯爵家に仕える者は味方、という謎の構図が出来上がっているらしく、伯爵家に仕える書記を疑いもしないようだ。


 書記とメリアーナの目が合い、互いに小さく頷いたのにも、伯爵が気付くことはなかった。

 

 サインが入った用紙をまとめて受け取った書記役は、とてもイイ笑顔になると、深くお辞儀をする。

「それでは御前を失礼させて頂きます」


 その言葉が合図だった。

 部屋にいた部下たちも一礼すると、床に散らばった書類を踏まないように退室していく。


「でもまた領地は回りたいわ。本物の伯爵夫人だもの」

「歓待されていればいいから楽だしな。これから子を作らないとだし……なぁ……」

「あら、せっかちねぇ……」

 クスクス笑い合いながら伯爵の腕は女性のはしたない部分に伸びていて、退室していった書記たちは最後の挨拶だったのだが、気付いてもいないようだ。


 伯爵が印章で押印した最初の三枚は離婚証明書となり、そのあと押印された書類は書記たちの解雇証明書である。その数はたった三枚。

 欲望に塗れた行動を選択していく人の腐敗の速度に、そっとメリアーナは小さなため息をついた。


 

 同志たちが全員退室したのを確認するとメリアーナは淑女の礼を行った。

 上級貴族令嬢だけあって、手本のようなカーテシーである。



 真っ直ぐ向けられたその顔に、伯爵の心臓の鼓動が高鳴った。


 そういえば、この女の顔をまじまじと見たのはこれが初めてかもしれない。


 ブカブカな農作業用の服で隠されているが、意外に豊満な胸と、リボンで縛られているほっそりとした腰……出るところは出て細いところは細い、均整の取れた身体を舐めるように眺める。

(あの腰を思うまま掴んで脚を開かせたらどんなだろう)


「きゃっ!?」

 思わずジゼルを膝から落としそうになり、慌てて彼女を抱きなおした。

 もっとよくメリアーナを見ようとして、自分が前のめりになったことに気付かない。


「どうしたの?ハル、なんか変よ」

(ジゼルはこんな声だったか……?)

 接待されていた三年の間で飲んだ酒の量はどれほどだろう。掠れて濁ったような声に聞こえてしまう。


 ジゼルが自分に目を向けさせようとして舌で伯爵の耳を舐めると、ギョッとしたように伯爵の全身が震えた。

 途端に今手にしているものがどうでも良くなった気がして、ゴクリと唾を飲み込む。



 その時メリアーナの、光を受けてキラキラ輝く海のような真っ青な瞳と、伯爵の視線が合った──


「離縁賜りましたわ。わたくしが持ち込んだものと共に去るのはお許しくださいませね。それではごきげんよう。末長くお二人ともお幸せに」




 メリアーナが部屋から退室するとき、ジゼルのねっとりとした声が聞こえてくる。


「あの素晴らしい化粧品の販売権も伯爵家にあるんでしょ?それだけでもあれば、これから何もしなくてもお金は勝手に入ってくるのよね?」

「……あ、ああ。もう遊んで暮らせるぞ」

「んもう!どうしちゃったの?ボーっとしちゃって」

「……」 



(残念!化粧品はわたくしの名義で販売しているのよね)

 メリアーナはそう思ったが口に出すことはなかった。

 




読んで頂きありがとうございます。


次回 第五話

離婚証明書の行方やいかに。

離婚が許可されるのには国王の印璽が必要です。

思いもかけない人物がやって来ます。


少しでも面白かったり続きが読みたいと思って頂けましたら、

↓にある☆☆☆☆☆を黒くして頂けますと嬉しいです。

次回もよろしくお願いします。

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