第三話
メリアーナ・フラナドは思う。
フラナド伯爵家に嫁いでから三年。
(長かったわ……)
過去を思い出すと、ろくでもない思い出ばかりだった。
まず婚姻後初の仕事となる、お披露目を兼ねた領地視察が予定されていたのだが──
領地全土を回るには半年以上かかるだろうとメリアーナは計算していて、伯爵家領地の各地に送っている土壌研究者や、酪農・放牧経験者、貸し出している家畜たちのことまでもが気になっていることもあって、領地視察は楽しみでもあった。
だが、何ということだろう。伯爵はメリアーナに一言も視察のことを告げず、愛人を伴って出発してしまったのだ。
(領地視察を愛人とのお楽しみ旅行と勘違いしてそうよね)
起こってしまったことは仕方がない。
そう思ったメリアーナがフラナド伯爵家領地にまず手を入れたのは土壌の改良だった。
痩せた土地を掘り起こし、肥料を行き渡らせるため、家畜を大量に伯爵領に持ち込んだのはそのためだ。
最初の一年は全ての土地を休耕地にしたために税収がとんでもないことになったが、メリアーナの実家である侯爵家からの援助で乗り切ることが出来た。
同時に領主館のうらぶれた庭園もメリアーナ自ら指揮を執り、枯れた根と雑草を引っこ抜き、石を拾って荒れた土を丁寧に均し、新しい木や花を植えていく。
その甲斐あって、ようやく庭園にも手入れが行き届くようになると、余計な虫も訪れるようになるのは仕方のないことだろう。
いつもなら離れでいろいろお楽しみの伯爵と愛人だったが、庭続きである本館のほうの庭園にも堂々とやってくるようになってしまった。
「全く煩わしい。庭園が美しくなった途端にこれだ……」
「言い方。もうちょっと婉曲にね。全くもう。血筋の高貴さと言葉使いが比例してないのよねえ」
庭園の雑草を引っこ抜いているメリアーナが窘めたのは執事のギルバート。日傘をずっとメリアーナにかざして日焼け止め役になっている。
「ギルバート、貴方は下僕じゃないのだから、そんなことまでしなくてもいいのよ」といくら言っても聞かないので、もうそのまま放っておいてある。
ガルディが庭園の見回りのため、ほんの少し離れた隙に騒ぎは起こった。
元々ギルバートとガルディは護衛としてメリアーナに付き従っている。どちらかが付いていれば良いと少しの緩みが仇になった。
そんな状況で伯爵とジゼルが問題を起こさないはずもない。
見事な庭園の散歩を楽しんでいた二人が、麦わら帽子を被って庭仕事服姿のメリアーナを見つけて騒ぎ出したのである。
ジゼルは明らかに嫉妬していて、メリアーナがまるで下僕のようにギルバートに日傘を持たせているのが気に食わない御様子。
初対面の三年前から、伯爵に隠れてこっそりギルバートにちょっかいを出して、モノにしようとしていたのは周知の事実でもある。節穴なのは伯爵だけだ。
「……ああ、なんて芋っぽい方なのかしら……しかも殿方に日傘まで命じて……まるで王女様のようにふるまうのね。ハルには相応しくありませんわ」
メリアーナは『ハルって誰?』と思ったが、夫の名前の略称だと時間が経ってからようやく気が付いた。
(ああ、確かハルトムート・フラナド伯爵、だったわね)
それにしても、こんな服を着た王女様なんているかしら。
伯爵はまるで芋虫でも見るような目でメリアーナを見た。というのも、伯爵とジゼルは虫が大嫌いのようで、小さな虫一匹見つけただけでも飛び退いて大騒ぎするのを何度か目撃していたからだ。その時の目付きにそっくりだと思った。
ちなみにメリアーナも芋虫は嫌いなので"芋虫を見るような目"が理解出来る。あやつは雑草を食草にしてくれればいいものを、人間に益のある植物ばかりを狙ってくる厄介ものなのだ。
「まあ、そう言うな。せめてもう少しましな見た目だったらな」
「この方とハルが仲睦まじかったら、わたしは嫉妬してしまうもの」
「可愛いことを言う。お前の言う通り、床も共にしていないんだ。嫉妬しているのか……?」
そう言うと、伯爵は愛人を抱き上げる。
「きゃあっ」
「早く離れに戻ろう。芋みたいな女のことなどどうでもいい」
「ふふっ。悪い方ね」
ようやく伯爵と愛人が去ってくれて、メリアーナはほっとする。
「……ギルバート。なんていうか、大量の芋虫を見つけてしまった気分だわ。戻ってお茶を淹れてもらえる?」
「かしこまりました」
「ギルバートの淹れてくれるお茶が一番好きよ」
”この無自覚人たらし”ギルバートはそう思ったが顔が真っ赤になりそうな動揺を押し殺した。
表情を表に出さないのが執事なので。
◇ ◇ ◇
伯爵と愛人、腰ぎんちゃくたち一行の領地視察は最初の一年は半年ほど留守にしただけだったが、今ではほとんど戻ってこないし、余計な仕事も舞い込み始めた。
メリアーナ宛に地方の荘園管理者から手紙が届くようになったのだ。
「南のガバナック子爵から税を減らせと意味不明の嘆願書が届いているのですが、どういうことなのでしょう?今年の作物の税をわたくしの尽力で半減して頂けるはず、と書かれているのですが、約束した覚えがございません」
やっと戻って来た伯爵に手紙のことを伝えると、伯爵は顔を真っ赤にしてメリアーナに怒鳴った。
「あの子爵が管理する荘園は春の大雨で橋が流れてしまい、作付けもろくに出来ずに収穫量も落ちたからだ。領地視察で訪れた際、子爵から陳情を受けてジゼルが心を痛め、減税すると約束した。ガバナック子爵が管理する荘園は広大で、昔からこの伯爵家の忠実な家臣なんだぞ。お前は慈悲の心がないのか!」
「何故、ジゼルさんが約束したのにわたくしに嘆願書が?」
一瞬伯爵がギョッとしたのをメリアーナは見逃さなかった。
「そっ、それはお前が伯爵夫人だからだろうが!」
「ガバナック子爵から修繕用の木材の買い付けに失敗したという連絡が入ったので、追加修繕費用の援助を侯爵家にお願いしたにも関わらず、後日派遣した監察役と会計係が言うには、一切の修繕は行われておらず、帳簿に記載されていた購入木材のほんの一部が放置されたままだったそうです。帳簿上での修繕予算は木材を大量に購入したことになっていて既に底をついておりました。橋が流れた原因が修繕費の横領であることは明確ですし、子爵は処罰の対象ですらあります。なのに、減税とは……」
「あーっ!細かいことまでうるさい女だな!だったら、修繕用の資材を一括で届けるよう侯爵家に頼み込めばいいだろう!材料が届いたら、ガバナック子爵は嫌でも作業を進めるさ!」
メリアーナはギリッと奥歯を噛みしめる。
(まだ妻の実家の援助を当然だと思っているの!?)
領地視察に向かう場所は決まってきており、それらの荘園や寄子の領地からの、税を減らしてもらいたいという嘆願書が続々届くようになっていた。
どれもこれも『今年の作物の収穫量が減っていて』と書かれている。枕詞か。
領地経営が黒字転換していることを知らないとでも思っているのだろうか。
一度腐敗してしまえばきりがないのだと理解するには充分だった。
◇ ◇ ◇
格上のベルシュタイン侯爵家の令嬢だったメリアーナとの婚姻が無事に結べたのは、彼女の二度の出戻りと、自分が勇敢だったからだと伯爵は考えている。
援助が何より必要だったからこそ、出入りしていた男性用サロンで傷物疫病神令嬢と噂されていたメリアーナの話を聞きつけ、婚姻の申し込みを行ったのだ。それにだけ目をつむれば、侯爵家の財産は相当なものだった。
伯爵の思惑通り、侯爵家から莫大な額の援助を受けたことで伯爵家の領地経営は持ち直し、今では過去一番の税収を上げている。
戦神と呼ばれるベルシュタイン侯爵を周囲の誰もが恐れおののく中、援助目当てに果敢に縁談を持ち込んだ己には先見の明があったということだろう。
しかも援助費用は返却しなくてもいいのだから、伯爵の笑いは止まらなかった。
元々立て直せる素地はあったんだ。もうこの役立たず女は要らなくなった。疫病神だなどと噂される女など、不吉極まりない。
それに領地視察に同行し、すっかり奥方扱いされるのが慣れっこになったジゼルからは、『貴方の本当の妻になりたいの……』と泣きながらねだられてしまうようになった。
離縁は夫側からしか宣言出来ない。
妻は一方的に離縁を申し渡されても不服として裁判所等に訴えることも叶わない。
この国での妻は夫に比べて圧倒的に立場が弱い。
男子にしか爵位継承権が無いし、婚姻時に契約書を作成すれば妻も愛人を作ることが出来るが、そんな契約書が作成されるほうが稀である。
離縁は女にとって最大の醜聞。離縁された女は本当なら修道院に行くくらいしかないが、この女は二度も離縁しておきながら出戻って普通に暮らしている。
ハルトムート・フラナド伯爵はニヤリとした。
だったらせいぜい男だけが使える特権で生意気な女を辱めてやろう。
皆の前で俺との婚姻が三度目だと教えてやろうじゃないか。
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次回 第四話
メリアーナの反撃開始~ッ!
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