それじゃあ……
両腕を横にまっすぐに伸ばし、両足を肩幅に開く。頭の天辺から両足の爪先まで、右手の指先から左手の指先まで、身体の全ての部分が数ミリの誤差もなくあるべき位置にあることを意識して静かに立つ。
受験勉強が本格化して高3で部活を引退して以来の1年間のブランクは大きくて、なかなか身体感覚が戻ってこない。
そうやって端から端まで把握したみずからの身体を、さながら精密機械を扱うように動かす。指先が、肘が、膝が、爪先が、思い通りの位置から思い通りの軌跡を描き、思い通りのスピードで思い通りの位置へ滑らかに移動する。
それが無意識にできるようになるまで、基本動作を何度でも繰り返す。
思うように身体が動かなくて鬱憤が溜まる。
「ヒトシくん、なんか真剣な顔だと見慣れないね」
「なかなか本調子に戻らなくて困ってるんですから、茶々入れないでくださいよ」
そもそもオレが体操部にしたのは団体競技や個人対戦種目など、同じ競技場を同時に他人と共有する種目が苦手だったからだ。昔のヒーローショーのトラウマだけじゃないが、他人は自分が想定したのと違う行動をするし、自分がする行動を必ず相手が予想して合わせてくれる保証はない。
その点、個人競技はいい。オレが演技している間は、ほかの誰もオレが自由に動いたことで怪我させたりしないし、オレが自由に動くことの妨げになることもない。
考えてみるまでもなく、ヒーローショーなんて、それとは正反対だ。もちろん殺陣や振付で動作が決まっていて、その通りにすれば見た目は美しく身体は邪魔し合わずに各演者が動けるのだろう。
それでもコントロールできない要素がある。
人質役の子供。昔のオレだ。何をしでかすかわからない。
オレや他の演者がハプニングに対処する身のこなしに自信があったとしても、誰も怪我させない、というのとショーを止めない、というのとが両立するとは限らない。
そして、自分がしでかしたことで誰かが怪我したりショーが止まってしまったりしたら、その原因を作った子供にはトラウマが残る。
昔のオレの拡大再生産だ。
オレはそれがイヤだったから、淡咲さんのお父さんの誘いに乗るのには躊躇いがあったのだ。だけど、
「こんな言い方は卑怯かも知れないけれど、阿尾さんがやらなくたって誰か他の人が戦隊ショーをやることに変わりはないんですよ。そこで客席から選んだ子供がしくじることだってもちろんある。でもね、そういうとき銀河保安官5のひとりが阿尾さんだったなら、しくじった子供の痛みに寄り添った言葉をかけてやれるんじゃありませんか?」
そんな風に淡咲さんのお父さんに言われたものだから、それ以上強く断れずに、お試しで暫く練習に参加することになったのだ。
引退してからだいぶんのブランクで、思い通りに身体が動いていない自覚があったオレは、合同練習に参加する前に自主練で身体感覚を取り戻そうとしていた。だけど、なかなか道は遠かった。