幕間
エレシュキガルはそのころ次の聖女……。いや次のエレシュキガル候補を探すことになった。聖女にして獣王の位エレシキガル。人類に魔王と恐れられる存在。
万が一自分は影裏族に負けたら……ありえないとは思うけど人間が裏切って来たら。
エレシュキガルというのは国の母であり国の姉である。単に王を意味しない。歴史では恐怖政治で獣族同士の国で殺し合いになったこともある。そんな内乱状態になったら獣族は滅びに向かってしまう。だからエレシュキガルという地位を設けたのだ。エレシュキガルに最も必要な素質は「慈愛」である。そうすることでエレシュキガルとなった者は内乱を防ぐのだ。
しかも強力な魔力を有し、己の力を野望の力に使わないということがクリルタイでの承認条件なのだ。しかもエレシュキガルの座を降りるときもクリルタイの承認を必要とする。そしてエレシュキガルとは終身の位ではない。
エレシュキガルはビヒモスラージャつまり獣王となる者と次代聖女をそれぞれ指名してもいい。エレシュキガルなんて最高位の中の最高位に着けるものはめったに居ない。だがビヒモスラージャを指名することは王の格落ちを意味していた。きっとそれではエレシュキガルの退位をクリルタイは認めてはくれないだろう。
なぜエレシュキガルの地位は終身じゃないのか。それは歴史上で身内同士での骨肉の争いがあったからだ。残念なことに親子同士で、兄弟や姉妹同士で殺しあったのだ。その時旧エレシュキガルだったものはなんと再度聖御台としてエレシュキガルになる義務を負うのだ。ちなみにこのせいで親族を次代のビヒモスラージャや聖女やエレシュキガルに指名することは禁じられている。
ふっと校長室を出て学生に眼を向ける。
逃れてきた学生の傷を措置している。なんて偉い学生なのかしら。看護学科の学生よね……。あら?あの子は……。
シャーロットだった。なんとアネットの姉。羊の角に竜の尾。足も羊の蹄となっていた。翼は誇り高き純白の翼。
聖女にとって特に子供は国の宝である。建前とかきれいごとじゃない。本気で言ってるのだ。だから人間を食うことで己の呪力をアップして結界を張ることはもちろんの事各種の祝福を行ってきた。特に大地への祝福はかかせない。エレシュキガルというのは医療・福祉・教育・産業に尽力を尽くす王の称号でもあるのだ。シャーロットもそんな「子」の1人である。
(皮肉よね)
そう……私も姉と妹の争い。姉である私が勝ったのだ。ん、ということは……。
(物事にはジンクスというものがあるのだわ。たぶん……)
「クロエ=シャーロット」
凛とした声が響いた。シャーロットはその声を発したものに畏怖を覚えた。
◆◇◆◇
「私には無理です……」
「大丈夫よ。聖女って本当は能力の問題じゃないの。ハート。心よ」
「私、結界を張る力なんてない」
「それは大丈夫。呪文を教えるわ。力は……そうね。それも心なのよ」
「えっ?」
「私なんて獣族の幼稚部に通う子が行方不明って聞いたら全国を探し回ったぐらいだから」
シャーロットは引いてしまった。
「そもそもなんで看護の道を?」
「人間時代の村が多産多死状態で医療水準が低かったから。看護師だけでなく助産師の資格も取りたくて」
「それでいいのよ」
「えっ?」
「エレシュキガルなんて大した能力持ってない」
「……」
「もっと多数の命を救ってみない?」
「私は……無理です」
「妹のアネットに聖女職が出来て?」
シャーロットはこの言葉にびくっとした。
「貴方は妹を見下していた。そのうえでアネット以外の家族全員が獣族になった。人の血肉を喰らって。でも今のままでは完全に貴方は命を救うという意味では妹さんに負けてるのよ。あの子……恐怖におびえながら職務を全うしてるわ」
シャーロットは両親やマルコシアスと一緒に自分が例のあばら家で嬰児や幼児をうまそうに食べていたことを思い出した。その場に選ばれなかった妹に優越感を覚えながら。あの頃はもう味覚が変化していた。人間の血肉はほのかに甘く美味であった。まもなく自分は痛みと快楽を同時に味わいながら獣族に変化していったのだ。
「や、やめて……」
「大丈夫。妹に勝てる方法は教えてあげる。秘伝の術も。もちろん……看護や回復魔法も……」
校長室にじわりと……黒い煙がエレシュキガルの体からいつの間にか出ていた。シャーロットは思わず煙を吸い込んでしまった。煙は甘く……切なく……誘惑の香りがした。
「お、教えてください」
シャーロットは意に反した言葉を言ってしまった。いや違う。これが本音だったのだ。
「あの子のように勇気さえ持てばいい。それと愛を」
エレシュキガルは微笑していた。
まさに魔王にふさわしい笑みであった。




