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ヒューレーの薔薇

「フィー様。ペトラさんから聞きましたよ」

「なにかしら?」


 フィリアは店頭でブーケを作っていた。

 皿洗いもろくに出来ないほど不器用なフィリアだが、ブーケ作りは妖精の国ヒューレーでも評判だったくらい得意だった。隣のペトラにも「フィーちゃんは上手ねえ」と褒められた。それ以来、フィリアは率先してブーケ作りに勤しんでいる。


「八百屋の木は、フィー様のことがそれはもう大好きなのだと」

「あっ……」

「なにをされたのです?」


 アクロからの探るような視線に、思わずブーケ作りの手が止まる。


 あの時は別に何も……特別なことはしていない。木に話しかけたりもしていない。なのにアクロの疑いを受けただけで、なぜこんなに後ろめたい気持ちになるのだろう。

 ただ、フィリアはあの木に触れただけだった。すると木が揺れて喜びを伝えて……それを見たリオンが言ったのだ。『嬉しいって言ってるみたいだ』と──


 勘のいいリオンのことをアクロに伝えると、彼は何やら考え込んでしまった。

 リオンの名前を出したりして、我ながら言い訳じみていただろうか。人前で木を触ってしまったことも、軽率であったかもしれない。




 フィリアが自分の行動に自信がなくなって反省していると、アクロは突然──店の奥からバラの鉢を持ち出した。


「これを見てくださいますか」


 それは、手で持てるほどの小さなバラの株だった。ピンクにも赤にも見える小さな蕾が、ぽつんとひとつだけ。鉢に使われている土はとても良いようで、この持ち主が熱心に世話をしていたことが伺える。ただ……全体的に、元気がない。


「若いバラね。元気が無いようだけど……」

「フィー様。どうか、良く見てください」

「え?」


 フィリアは、くったりとしたバラの鉢に近付いた。

 その葉は光沢があり美しく、蕾を見ればその花弁はとても薄く儚くて……そして果実を思わせる、とろりと甘い香り。

 この香りを、フィリアは良く知っている。


「えっ、このバラって、もしかして……」

「そうです。これは紛れもなく『ヒューレーの薔薇』です」


『ヒューレーの薔薇』。

 それは、妖精の国ヒューレーにしか咲かないはずの繊細なバラ。その美しさ、そのとろけるような香りから、妖精達は皆このバラを愛している。今も、ヒューレーの城には『ヒューレーの薔薇』が咲き誇っているはずだ。

 妖精の国にしか存在しないはずのこのバラが、なぜここにあるのだろう。


「アクロが持ってきたの? ヒューレーから」

「いえ、これはうちのものではありません」

「ではこれは一体」


 これは妖精の国の花だ。アクロのもので無かったとしたら、いったい誰のものだと──


「リオンです」

「え?」

「先日、リオンが持ってきたのです。『どうか頼む』と」

「リオン様が……?」






 アクロは、二年前プロスドキアへと降り立った。

 フィリアが嫁ぐであろう国・プロスドキアの姿をこの目で確かめるために。いつかプロスドキアへ嫁ぐフィリアを、そばで支えられるように。


 妖精の羽を隠し、空き家を探し、やがてそこに花屋を構えて。

 そうやってプロスドキアに根を下ろしたアクロの元へ、ある日やって来た客が──リオンだった。


「バラの育て方を教えて欲しい」


 変わった客だと思った。

 庭師を名乗る彼は若く、整った容姿をしていて。庭師なら、バラの育て方くらい知っているだろう。アクロがそう言っても、彼は「なかなか上手くいかない」と食い下がった。

 その後もリオンは、しばしばやって来て「庭用に」と花の苗を買い、バラの育て方を尋ねて去って行く。

 そのうち、アクロ一人きりの花屋を手伝い、奥のキッチンで休憩し……彼はアクロの毎日へ、するりと入り込んだのだった。

 そんなリオンに、アクロも心を許していったのだが。

 



「フィー、どうしたの?」


 今日も、リオンは店へとやって来た。手にはいつものように差し入れの紙袋。『ヒューレーの薔薇』のことなど口にせず、ただにこにこと柔らかな笑顔を浮かべる。

 

 リオンが、妖精の国にしか咲かないはずのバラを、なぜ。

 どういうつもりで、ここへ持ち込んだのだろうか。なにを信じて、『頼む』などと────


 気になり始めれば、二年前の出会いまでも不自然に感じてしまって。

 なぜリオンはこのような路地裏の花屋へやって来たのだろう。表通りにだって花屋は何軒もあるはずで。そちらは無愛想なアクロの花屋よりも、ずっと立派で評判も良い。わざわざこのような路地裏まで足を運ぶ必要は無いのだ。


「あ、あの。リオン様」

「なに? 今日はいいものを持ってきたよ」

 

 彼は持ってきた紙袋をがさりと開いて見せた。中を覗き込むと、そこにはガラス製の瓶に入ったデザートが並んでいた。

 

「これは、何ですか」

「プリンだよ。表通りのカフェで評判なんだ」


 ひとたび紙袋を開けてしまえば、たちまちバニラの甘い香りが広がった。なんて、なんて……


「美味しそうでしょう?」

「……はい」


 堪えきれず目を輝かせるフィリアを、リオンは微笑ましげに見つめた。

 自分でも、なんて食い意地が張っているのだろうと情けなく思う。けれど仕方がないのだ、プロスドキアの食べ物はどれも美味しくて、デザートは美しくて、その甘い香りはフィリアの思考をぼんやりさせる。


「冷たいうちに食べよう。さあ、アクロも」

「俺は、いい」

「駄目だよ。アクロのぶんもあるんだから。さあ、フィーがお茶を入れてくれるって」


 リオンが目配せをするので、フィリアは急いでお茶の用意を始めた。フィリアが淹れたお茶ならば、アクロはそれを無視できない。そういうことも、リオンはよく分かっている……


 フィリアはお茶を淹れながら考えた。


 そういえば、リオンからはフィリアとアクロの関係について追求された覚えが無い。

 出会った初日に『親戚』だと伝えたのみで、それからはどんなに主従関係がハッキリとした態度でいても、彼からなにか言われた事は無かった。


 アクロは誰の前でも態度を変えず、フィリアのことを『フィー様』と呼ぶ。ただの親戚という設定であるのに、そこは崩せないらしかった。

 そんな特殊な呼び方のせいで、八百屋のペトラを始め近所の人には色々言われた。『本当にただの親戚なの?』と疑われたりして。その度に、フィリアはお嬢様でアクロはその分家だったのだと、苦し紛れな言い訳をしていたのだが。


 リオンは、何も知らないはずなのに、受け入れているのだ。

 フィリアとアクロの関係を。

 そのことも、小さな違和感となってしまって。

 



 アクロに冷たくあしらわれても、にこにこと友人の顔をするリオン。

 陽だまりのような彼の背中に、違和感が薄い影をつくるのだった。






 

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