心のすきまを埋めるもの③
「アヴリオ殿下。どうされたのです」
「なんだ」
「なんといいますか、その……お顔が険しいので」
「顔?」
アヴリオは基本、笑顔を絶やさぬ男である。
王子という立場上、自身の不機嫌は周りに響く。彼はそのことを、無意識のうちに理解していた。上に立つ者は笑顔でいたほうが、何事も円滑に進むのだ。
しかしこの時ばかりは違っていた。落ち込みを隠そうとしないアヴリオに、側近のネロはハラハラとするばかりである。
「もしお疲れのようでしたら、少しお休みになりますか」
「……いや、悪かった。大丈夫だよ」
自分の気難しげな態度にやっと気付いたアヴリオは、あわてて笑顔で取り繕う。そして頭の中を占めるわだかまりから逃げるように、目の前の執務へと手を付けた。
どうも割り切れないのだ。フィリアとアクロの関係について。
フィリアと出会い、一週間程が経った。主従関係として、フィリアとアクロには強い絆があるのだろうと頭では分かっている。分かってはいるが……それにしても距離が近すぎやしないだろうか?
今だって、あの花屋でフィリアとアクロは二人きりだ。それは仕方がないとして、今日は驚愕の事実を耳にした。
二人は、同じベッドで寝ているらしい。信じられない。理解出来ない。アクロはフィリアのことを『妹のようなものだから』と言っていたが、そんなはずある訳が無い。
アヴリオには分かる。アクロのフィリアに対する振る舞いは、兄弟愛以上の何かだ。アクロのことだから本心を伝えたりしないだろう。けれどそれとこれとは別である……
「殿下。やはりお休みになられたほうがよろしいのでは。お顔が恐ろしいのですが」
「す、すまない。本当に大丈夫なんだ……」
何度振り払っても、つまらぬ妬みが頭の中へよみがえる。アヴリオはネロに心配をされながらも、嫉妬に囚われた毎日から抜け出せないでいた。
出会ったその瞬間から。いや……出会う前から、フィリアはアヴリオにとって特別な存在だ。
アヴリオもそう在りたい。フィリアにとって特別な存在でありたいと、どんどん欲は膨らんだ。出会ってひと月も経たぬというのに。
フィリアにしてみれば、長い年月を共に過ごしたアクロは『特別』な存在である。間違いない。彼女を見ていれば、ひしひしと感じる。アクロへの信頼は揺るぎないものなのだと。
プロスドキアに嵐の夜が訪れた日。初めて経験する嵐に、フィリアが頼るのはやはりアクロだ。
出会ってひと月そこらのアヴリオでは、アクロに太刀打ちできるはずがない。それも頭では分かっているのに、嵐のなか肩を寄せ合う二人を見ていると……どうにも耐え難いものがあった。
「二人は、なんでそんなに距離が近いの」
思わず、口から漏れてしまった。
どうしようもない嫉妬をぶつけてしまった。
「距離が近くて当然だろう。フィー様は妹のようなものなのだから」
「本当に? フィーのこと、アクロは本当にそう思ってる?」
優越感さえ感じるアクロの態度に引け目を感じて、子供じみた挑発を重ねてしまう。アクロの隣ではフィリアが眉を下げて困っている。このような口論は初めてだったから。
「リオン、私からも聞きたいことがある」
「何かな」
「お前は一体何者だ」
いつも冷静なアクロもむきになって、アヴリオの素性を問いただした。この様子だと、アクロとフィリアはアヴリオがただの庭師などではないと気づいているのではないだろうか。この場合、どう答えるのが正解なのだろう。
アヴリオが立場を偽るわけは、彼らを警戒させないためだった。しかし近いうちに、王子という正体を明かす時がやってくる。それならばもう、この場で素性を告白するべきか──
覚悟を決めて口を開こうとした時。
「俺は……」
「ま、待ってください」
フィリアがアヴリオを遮った。
「庭師じゃなくても、リオン様はリオン様でしょう?」
きっぱりとそう言い切った彼女の言葉に、アヴリオは胸を揺さぶられた。
言葉に詰まってしまうほど。
単にアクロから庇ってくれただけかもしれない。
そうだとしても。
アヴリオの胸に、熱いものが広がってゆく。
この花屋では……フィリアの前では、王子でもなんでもない『ただのリオン』でいられる。彼女だけは、肩書きも何も無い『リオン』そのものを見てくれている。
嫉妬で澱んでしまっていた部分さえ、フィリアのたった一言で浄化されてゆくようで。
そしてアヴリオは気付いた。アクロに嫉妬していたけれど、なにも彼に勝ちたいわけじゃない。
ただフィリアに、自分だけを見てほしいのだと──
やがて建国祭当日になり、『ただのリオン』としてのアヴリオは終わりを迎える。
正装に身を包み、髪を整えたアヴリオ。パレード用の馬に跨る彼は、誰からみても『プロスドキア王子』その人あった。
表通りをパレードで練り歩いたあとは、終点の広場で王子のお披露目が行われる。もしフィリアが建国祭へ参加したならば、『リオン』の正体はここで明らかになるはずだ。
(フィリアは服を受け取ってくれただろうか。建国祭へ……来てくれるだろうか)
『プロスドキアの王子アヴリオ』を目にして、フィリアはどう思うだろうか。
これまで素性をごまかしてきたアヴリオを、どう受け止めるだろうか……
願わくば受け入れて欲しい。
フィリアに焦がれるこの想いを。
フィリア達に正体を偽っておいて、そのような願いは身勝手だと言われても仕方がない。
そのような想いを抱いたまま、無情にもパレードは進む。
終点の広場へと近づくうちに、アヴリオは異様な雰囲気に気がついた。
静かすぎるのだ。広場は相変わらず人で溢れかえっているというのに、人々は静まり返ったまま。皆一様に、上空を見上げている。
皆の視線を追い、アヴリオも広場の上空へと目をやると、そこには。
(────フィリア!)
フィリアが子供を抱えたまま羽ばたいていた。
彼女の華奢な背中には、薄く透ける大きな羽。
アヴリオは初めてフィリアの羽を見た。
ありのままの姿を、見た。
なんて、なんて美しい──
フィリアは、どうやら子供を助けるために飛び立ったようだった。この、公衆の面前で。彼女は広場に背を向けたまま、消えてしまいそうなほど身を縮めている。その背中は、震えているようにも見えた。
これまで隠してきた羽を皆に見られてしまうも関わらず、彼女は服を脱ぎ捨ててまで救助に向かった。
臆病なフィリアが、どれほど勇気を振り絞ったのだろう。
プロスドキアまでやって来た時だって、一体どれだけの決意で。
「フィー」
上空のフィリアへと声をかけると、振り向いたフィリアの顔は今にも泣いてしまいそうだった。
「リオン様……申し訳ありません」
か細い声で、フィリアは謝り続ける。
広場をめちゃくちゃにしてしまったと。せっかくの服を脱ぎ捨ててしまったと。彼女は、子供の尊い命を救ってくれたというのに。
「それに私は……姿を偽っておりました。私は、人間ではなく──このとおり、妖精です」
フィリアは、もう終わりだと言わんばかりに悲しげな表情で呟いた。
しかし、それがなんだというのだ。フィリアは妖精で、羽を隠して暮らしていた。それならアヴリオだって、庭師と偽って会っていた。
「フィーはフィーだよ」
「……え?」
「フィーが以前、言ってくれたんじゃないか。俺は俺だって」
世間知らずで不器用でまっすぐで、プロスドキアの暮らしに目を輝かせる──それは美しく無垢な妖精。
ただ一人、アヴリオが望む女性。
「出会った時から……いや、出会う前から。俺はフィーのことが好きだよ」
アヴリオが想いをそのまま伝えれば、フィリアは目を見開いた。
そしてわけも分からぬまま、彼女は遠慮がちに降りてくる。赤い顔で目の前に現れたフィリアはとても不安げで……アヴリオは思わずその身体を引き寄せ、自身のマントでぐるりと覆った。
「フィリア王女……逃げないで。どうかずっと、俺のそばに」
すっぽりと包まれた小さな身体を震わせて、フィリアはその琥珀の瞳に涙を浮かべる。
ぽたりぽたりと落ちるその涙は、アヴリオ腕の中で虹色にはじけ散って──フィリアをいっそう眩く輝かせる。
これは安堵の涙だろうか。それとも別のなにかを意味する涙……
マントの中でよかった。このような美しいフィリアを、他の誰にも見せられない。
「……私でよろしければ、アヴリオ様のおそばに」
「ああ、フィー! ありがとう……!」
その一言で、これまで塞がることのなかったアヴリオの心のすきまが完全に満たされた。
味わったことのない甘く優しい感情が、身体の隅々まで行き渡ってゆく。
『アヴリオ、おめでとう』
『フィリアさま、おめでとう』
『二人とも、おめでとう』
広場の歓声に混ざりあって広場の木々達もざわめき、二人の未来を祝福する。
二人だけにしか聞こえない声に耳を傾け、アヴリオとフィリアは微笑みあったのだった。
次回完結予定です。
ここまで連載を追って下さった皆様、本当にありがとうございました!
※誤字報告ありがとうございました!!!




