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夜明け前の花屋



 母が神木の杖を使い、空へ向かって円を描く。

 するとそこには不思議な光が渦巻く空間の狭間が現れた。


 フィリアはごくりと喉をならし、覚悟を決めた。


「転移先をアクロのもとへ繋げたわ。さあ、お行きなさいな」

「は、はい……!」


 薄く透き通る羽をはばたかせ、フィリアは不思議な光へと飛び込んだ。

 ぐるぐると押し寄せる光の渦に身を投げると、強烈な母の魔力に包まれる。必死になってその空間を進んでいくと徐々に、母の気配が薄れてゆき────






 まばゆい光が弱々しく消え去り、母の魔力が完全に無くなった時。

 フィリアは狭い部屋に立っていた。


 花の香りがたちこめる部屋。ぐるりと見渡せば、並べられた桶には沢山の花が活けられている。鉢植えのチューリップ。ガーベラ。アネモネ……花で埋め尽くされた部屋は、まだ薄暗い。どうやら人間の国プロスドキアはこれから夜明けを迎えるようで、なんだか……しんと静かすぎた。


「ア、アクロ。いるの?」


 フィリアは小さな声でアクロを呼んだ。

 しかし、アクロの声は返ってこない。


「アクロ……アクロ」


 一向に返事は無い。


 フィリアはとりあえず、隅に置かれた小さな椅子に腰掛けてみた。妖精の国ヒューレーのものとは、座り心地が違う椅子。椅子だけではない、テーブルもドアも……吸い込む空気までもがヒューレーとは違っていて。

 見知らぬ部屋で、彼女の胸はじわじわと心細さに襲われた。


 本当に、ここにアクロがいるのだろうか。もしかすると……いない、なんてことはないだろうか。実際、アクロの姿など無いではないか。彼がプロスドキアで暮らしているなんて実は母の勘違いで、アクロは今もヒューレーでのんびりお茶を飲んでいたりして……


 となれば、人間の国プロスドキアにフィリアはひとりきり。何も知らない、味方もいない。ヒューレーへの帰り道である光の渦も消え去ってしまった。


「……いるわよね? アクロ……」


 フィリアがひとり途方に暮れていると、彼女の不安を察知した花々がさわさわと揺れ始めた。

 それはまるで意志を持っているかのように……部屋を埋め尽くす花達は、うずうずと身を揺らしている。


「みんな…………」


 物言わぬ彼らの声を聞いたフィリアは、弱々しく顔を上げて花達に問いかけた。


「ここに、アクロはいないの?」


 すると──次の瞬間。




 花々は、爆発的に葉を茂らせた。


「な、なに!?」

 

 つるバラが、ジャスミンが、スイートピーが……みるみるうちに己の蔓を伸ばしてゆく。

 つるバラはフィリアを気遣うように彼女のもとへと蔓を這わせ、ジャスミンはフィリアを癒そうと部屋中に甘い香りを満たし……

 スイートピーはフィリアをいざなう様に、奥の階段へと蔓を伸ばした。


「みんな……ありがとう。うれしいわ」


 妖精にとって植物は皆、絶対的な味方だった。

 昔から妖精族は植物を愛していたし、植物も妖精達を愛している。目の前で困っている妖精姫を、放っておけないくらいには。


「あんな所に階段があったのね。気づかなかったわ。となると、アクロは二階にいるのかしら……」


 花達のおかげで落ち着きを取り戻したフィリアは、幅の狭い階段を恐る恐る登ってみた。

 二階に上がると木製のドアが二つ。どうやら二部屋あるらしい。

 試しに、手前のドアを控えめにノックしてみた。




「アクロ? いるかしら……フィリアよ」


 ドアの向こうからは、誰かの気配を感じる。がさごそと身繕いをする音。起きたばかりの咳払い。この声は──

 間違いない。あの、アクロがいる……フィリアがほっと胸をなで下ろしたと同時に、立て付けの悪いドアがギィと開いた。


「! フィー様……!」


 そこには、つい先程まで寝ていたと思われるアクロが現れた。いつもきっちりと結えられている銀髪も振り乱し、急いで来てくれたようである。


「アクロ、久しぶりね。元気そうで良かった」

「どうされたのです。便りもよこさず、姫様お一人でいきなりこのような場所へいらっしゃるなど」

「……そろそろ、私の縁談もここプロスドキアで決まりそうなの」


 フィリアは、状況をのみ込めず驚きの表情を浮かべるアクロへ全てを説明した。

 先日、女王である母から縁談を告げられたこと。その相手が人間の国プロスドキアであったこと。フィリア自身はこの縁談に不安を抱いていること。アクロのもとで、プロスドキアについて見聞を広めたいこと──

 

「──成程。お話は分かりました。それではこのアクロ、精一杯お世話させていただきます」

「助かるわ。ありがとう」


 アクロには幼い頃から世話になっており、その人柄や能力は信頼に値する。


「そのかわり。フィー様には守っていただきたい掟がいくつかございます」

「掟?」

「そうです。妖精が人間の国プロスドキアで、身を隠すための掟です」


 人間の国プロスドキアで妖精という身分を明かさず『人間』として振る舞い、暮らす。アクロはその『掟』のもと、プロスドキアで何の変哲もない花屋を営んでいた。


「まず……」

「──待ってアクロ。あなた『花屋』ということは、下はお店で……花達は全て売り物ということ?」

「そうでございますよ。どの花も、とても美しいでしょう。わたくしが丹精込めて世話をしておりますからね。プロスドキアの花達は、素直で気が優しく、美意識が高く……」


 まずい。

 得意げに語るアクロをよそに、フィリアは先程の出来事を思い出した。


 確かに、プロスドキアの花達は心根が優しいようだ。フィリアの不安を嗅ぎ付けただけで、あのように……枝を伸ばし、蔓を伸ばし、花を咲かせてくれた。


 しかし。今は頭を抱えている。一階の惨状に。


「どうしたのですか? フィー様」

「いえ、その……」

 

 几帳面で折り目正しいアクロのことだ、一株毎に花の数や葉のバランスなど考えてきっちりと手入れしていたに違いない。

 それがどうだ、蕾のまま保たれていた花は満開に咲かせてしまい、枝や蔓はのばし放題広がって。部屋一面を覆い尽くさんばかりの勢いだ。


「アクロ、先に謝っておくわ。……本当にごめんなさい」

「……フィー様がなにを謝るというのですか」

「謝っても謝りきれないわ」

「ですから、なにを」

「一階を見れば分かると」

「一階……」


 フィリアの側仕えであったアクロは、ただならぬ事態を察知した。昔から彼女の、この顔を見てきたのだ。とんでもないことをしでかした後の、申し訳なさそうなこの表情。

 

「まさか!」


 アクロは目にも止まらぬスピードで階段をかけ下りた。

 (ああ……アクロ、ごめんなさい)


 フィリアは肩をすくめて断罪の時を待った。

 一寸置いて、階下からはアクロの悲鳴が轟いたのだった────





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