心のすきまを埋めるもの①
※アヴリオ王子視点のお話です。
『おはよう、アヴリオ』
『おはよう』『おはよう』
「ああ、おはようみんな」
朝起きて最初に言葉を交わすのは、城を囲む木が相手だった。幼いアヴリオは、窓から見える木々に向かって朝一番の挨拶をする。
彼らは挨拶を返せば喜ぶし、無視をすれば寂しそうに揺れる。植物にもちゃんと喜怒哀楽があって、個々に性格も違っていて。それに気付いたのは物心ついた頃だった。
人間の国プロスドキアの王子、アヴリオ。彼は生まれつき、植物の声が聞くことができた。人間には聞こえるはずのない声。しかしアヴリオにだけはハッキリと聞こえた。
「アヴリオ殿下。どなたと話してらっしゃるのです?」
しばしば、周りの者達からは不思議がられた。
自分以外の者には、植物の声が聞こえない。その事に気付いたのも、そして同時に『自分だけ、どこか変だ』ということを知ったのも……その頃だった。
木が話しかけてくる。花と会話ができる。
その事実を大人に相談してみても、まともに取り合ってくれる者はいなかった。子供特有の夢見がちな妄想だろうと、誰からも信じて貰えなかった。何度、本気で訴えてみても。
それもそのはず、皆には植物の声が聞こえないのだ。木々の声が聞こえるのは、アヴリオただ一人だけ。
自分だけがおかしい。
けれど信じてもらえない。
塞ぎ込みがちになっていたアヴリオに、ある者が言った。
「殿下は、妖精のようなことを仰りますね」
「妖精?」
「ええ、彼らは植物と話すことができますからね」
妖精のよう。
自分は『妖精のよう』なのか。
孤独感に苛まれていた幼いアヴリオは、それだけで心の隙間が埋まってゆくような気がした。自分のような存在がいるということが、幼いアヴリオにとってどれほど嬉しかっただろうか。
アヴリオはすぐさま、子供なりに妖精のことを調べ始めた。
妖精。それは深い森の国ヒューレーに住んでいて、ほとんど国を出ることは無い種族。背中には羽を持ち、飛ぶことが出来るその身体はとても小柄で華奢であり……非力故に臆病であると、どの本にもそう書かれてあった。
そして、妖精達は植物と非常に親密な関係にあると。彼らは植物の声を聞き、その力を増幅させる力を持つ。そのため妖精族が住む土地は、作物が良く育つとも。
(似ている……)
自身の背中に羽は無い。当然だ、人間なのだから。飛ぶことは出来ないし、植物の力をコントロールすることだって出来ない。
けれど、アヴリオは植物と話が出来る。ずっと悩んでいたその事を、妖精族は当たり前のこととして生きている──
調べるうちに、アヴリオは妖精の虜となっていった。妖精に会ってみたい、話をしてみたい。そのようなわがままを、護衛にぶつけたことがある。
「殿下、それは難しいかもしれませんね」
「なぜ?」
「妖精族にとって、我々人間のイメージは決して良いものではないのです」
昔、人間が妖精をさらっていた時代があったという。護衛から聞かされたのは、プロスドキアの罪深い過去であった。
王家は罪人を厳しく取り締まり、妖精族は護るべきものであると意識の改革を行ってきた。そしてそれは現在広く国民に浸透しているというが──
幼いアヴリオは、胸が痛くなった。知らなかったとはいえ、昔プロスドキアでそのようなことが行われていたことに。
そして、か弱い妖精達を守るため、プロスドキア王家へ嫁いだ妖精姫がいたことも知った。
当時嫁いだ妖精の姫は、妖精の力をもってプロスドキアの土地を豊かにすると約束をした。かわりにこれからも妖精族を護るようにと、人間達へ交換条件を携えて。
つまり、王家に生まれた自身は妖精姫の子孫──アヴリオは、少なからず妖精の血を引いている。
植物の声が聞こえるこの特殊な能力も彼女の血を引いていると思えば、難なくストンと腑に落ちた。
「妖精に会うことは難しいかもしれませんが、当時の姫様が持ち込んだといわれる『ヒューレーの薔薇』なら、温室にございますよ。ご覧になりますか?」
心の拠り所を探していた小さなアヴリオは、縋るように温室へと向かった。
それは温室の奥で、静かに咲いていた。
元々は妖精姫により庭園いっぱいに育てられていたという『ヒューレーの薔薇』も、いまや温室に一株だけ。腕の良い、王室お抱えの庭師でも「この薔薇は難しい」と首を傾げる薔薇であった。
『こんにちは』
「こんにちは」
『私の声が、聞こえるの?』
「聞こえるよ」
『あなたは妖精?』
「残念ながら人間だよ」
『妖精を連れてきて。妖精を……わたし、妖精に会いたいの』
ヒューレーの薔薇は、まるで涙を流すようにしなだれていた。そんな薔薇の哀しみが、アヴリオには痛いくらいに伝わってくる。
中途半端な自分を恨んだ。
植物の声を聞けたとしても、彼らを助けることは出来ない。妖精の血を引いていても、人間の身であるために妖精に会うことも叶わない──
そうして、アヴリオは妖精に焦がれながら生きてきた。
植物へ語りかける姿をおかしいと言われても、不思議に思われても。
中途半端な自分にもどかしい想いを抱えながら。
だから、いてもたってもいられなかったのだ。
まさか妖精が来てくれるなんて。
プロスドキアに、再び妖精の姫が降り立つ日が来るなんて──




