建国祭②
街の熱気と、パレードの鼓笛が近付いてくる。
陽気な音楽とはうらはらに、広場は緊張感で包まれていた。
フィリアの周囲から、広場のざわめきが消えてゆく。先程までの喧騒が嘘のように、あたりは静まり返っていて。
痛いほど感じる人間達の視線。
彼らの視線はフィリアの背中に向けられている。
大きく広がる、その羽に────
ワンピースを脱ぎ捨てたフィリアは、キャミソールにペチコートという下着姿で衆人のど真ん中に立っていた。そして大きくあいた背中には、薄く日に透ける……妖精の羽。
ありのままの自分を、皆が見ている。
人間達が、言葉もなく見つめている。
その視線が怖いけれど、こんな形で羽を出したくはなかったけれど、今は……一刻を争う。そんなことを言っている場合ではない。
フィリアはふるえる羽に力を込め、無我夢中で飛び立った。
ふわりと背中の羽をはばたかせ、フィリアの身体が浮き上がってゆく。
風にのる蝶のように、ひらひらと舞いあがる花びらのように──それは、まさに妖精の姿。夢のように軽々と、フィリアは子供のいる三階の窓まで飛んでいった。
広場から飛んできたフィリアを、窓枠の子供はじいっと凝視している。そして突如現れたフィリアと目が合うと、無邪気に笑った。
子供は、フィリアを指さしながらにこにこと笑っている。幸い、この子には全く警戒されていない様子だ。
「ちょうちょ、ちょうちょ」
「え? ちょうちょ? 蝶なんて、どこにも……」
子供が指さすのは、フィリアの背中。
ちょうちょ……なるほど。それは、フィリアの羽だ。
「そ、そうなの。ちょうちょと抱っこ、しましょう?」
自分は怪しいものではないということを、手を広げてアピールした。子供は『ちょうちょ』が話しかけてくることに目を輝かせている。
彼が興味を持っている今のうちだ。フィリアは恐る恐る、子供へと手を伸ばし……慎重に子供を抱き上げた。
(よかった……間に合ったわ……)
思わず大きく息をついた。
ありがたいことに、この子は『ちょうちょとの抱っこ』を楽しんでいるようである。
ふわふわとした浮遊感に、腕の中でケラケラと笑う子供の笑顔。ぎゅっと抱きしめると、子供もぎゅっとしがみついてくれる。その体温に、命の重みに、心の底からホッとした。
しかしホッとしたのも束の間。
安心したフィリアは、だんだんと頭が冷えてきた。
「ちょうちょ、ちょうちょ」とにこにこ笑う子供の声が響くくらいに、依然として広場はしんと静まり返っている。
怖くて広場を振り返ることが出来ない。
皆、きっとこちらに注目していることだろう。
助かった子供。その子を抱く下着姿のフィリア。その背中には……妖精の羽。
(どうしよう……ここから、どうしたら)
このまま飛んで逃げてしまおうか。
でも、この子を抱いたまま? 広場を混乱させたまま逃げてしまうと? 今日はここで、リオンのお披露目が行われるというのに──
フィリアには、逃げることも振り向くことも出来なくて。ただ羽をはばたかせ、すがるように小さな子供を抱きしめた。
(リオン様、ごめんなさい────)
「フィー」
不意に、名を呼ぶ声がした。
それはフィリアのはるか下……静まりかえった広場から。
その声はいつもやさしく、あたたかい。
今だって、なんてやさしい──
「フィー、大丈夫だよ」
フィリアはゆっくりと広場を振り返った。
そこには音もなく到着したパレード隊と、王族をのせた馬車。
そして──馬上からフィリアを見つめるリオンの姿。
彼は正装を身にまとい、衛兵達に囲まれ。どこからどう見ても『本日の主役』……この広場でお披露目を行うはずのプロスドキア王子、その人であった。
「……リオン様」
「大丈夫だから……どうか、降りておいで」
彼の姿はこれまでとまるで違うのに、広場から呼びかける声はいつものように……いや、それ以上にやさしくて。
安心した。胸に染み込んでゆくようだった。リオンの、変わらぬその声が。
「リオン様……申し訳ありません」
「なぜフィーが謝るの。フィーは子供を助けてくれた、礼を言いたいくらいだ」
「大切なお披露目の場を私……めちゃくちゃにしました」
「めちゃくちゃになんて、なってないよ」
「せっかく贈って下さったワンピースも、脱いでしまって」
「また、何度でも贈らせてよ」
「そ、それに」
後ろめたさが、申し訳なさが、口を突いて止まらない。声はふるえて、今にも泣いてしまいそうだった。
「それに私は……姿を偽っておりました。私は、人間ではなく──このとおり、妖精です」
泣いてはならない。フィリアが流す涙は『妖精の涙』なのだ。このような大勢の人間の前で『妖精の涙』を流すなど────
「フィーはフィーだよ」
「……え?」
「フィーが以前、言ってくれたんじゃないか。俺は俺だって」
「言いましたが……」
「俺はフィーが好きだ」
王子の爆弾発言に、広場の人間達がどよめいた。パレードの楽団も、馬車より顔を出した王達も……皆固唾を飲み、王子の告白の行方を見守っている。
「な、なにを」
「出会った時から……いや、出会う前から。俺はフィーのことが好きだよ」
「リオン様……」
「俺はアヴリオだ、フィリア」
プロスドキアの王子、アヴリオ──それがリオンの、本当の名前。アヴリオは今度こそ『フィリア』と、そう呼んだ。
「フィリア……降りてきて」
上空のフィリアを射抜く、碧い眼差し。
やさしく強いその声は、フィリアの胸へと真っ直ぐに届く。
良いのだろうか。このような自分で。大事なアヴリオのお披露目の場に、このようなあられもない姿で……
それでも、切望するかのように彼が手を伸ばすから──
フィリアは子供を抱いたままじわじわと、アヴリオのもとへ舞い降りてゆく。
羞恥心に悶えながら、やっとのことで彼の目の前へと近付くと……アヴリオからグイと抱きしめられた。そして腕の中の子供ごと、彼のマントでぐるりと覆われて。
「これ以上、その姿を他の者に見せたくない」
耳元でささやくアヴリオの熱い声に、思わず胸が跳ねた。ただ優しいだけではない、アヴリオの声。フィリアを望む、『男』の声だった。
「フィリア王女……逃げないで。どうかずっと、俺のそばに」
彼の瞳が想いを伝える。それが心からの願いだと、鈍いフィリアでも分かるほどに。
羽がふるえている。
羽だけではない、胸も、吐息も……すべてが喜びにふるえて。
ありのままの自分を見られても尚、アヴリオに強く求められている。フィリアはそれが、こんなにも嬉しい。
駄目だと分かってはいるのに、瞳からは涙が溢れ出る。
ぽろぽろと、頬をつたって『妖精の涙』が流れてゆく。
フィリアが流す『妖精の涙』は美しく輝き、ぽたりと落ちると虹色の光となって弾け散る。
それは溢れる出る想いを伝えるかのように。
「きれいだ……とても」
彼のやさしい手のひらがフィリアの頬をふわりと包み、流れる涙をそっとぬぐう。
「……私でよろしければ、アヴリオ様のおそばに」
「ああ、フィー! ありがとう……!」
アヴリオはフィリアをきつく抱きしめた。
その笑顔は、これ以上無い喜びを伝えるようで──
同時に、広場からは歓声がわあっと湧き上がった。
二人の行く末を見守っていた者達からの、割れんばかりの拍手。あちらこちらから祝福の声が上がり、あたりは笑顔に包まれる。
楽団が祝福の曲を演奏すると、広場は再びお祭りムードへと引き戻され……
生い茂った広場の木々も、二人へと祝福の声を絶え間なく贈る。
王子の幸せな結末により、プロスドキアの街は喜びの声で溢れたのだった。
さいごまで子供、抱っこしたまんまです……!
次回は王子視点のお話です。




