建国祭①
表通りの広場から、鐘の音がきこえた。
それは建国祭の始まりを知らせる合図。
窓から見える空は晴天で、雲ひとつない青空にフィリアは目を細めた。
「……悔しいですが、良くお似合いですよ。まるでフィー様のためにあるようなワンピースです」
「そんな。大袈裟よ」
フィリアが身にまとった淡いクリームイエローのワンピースは、昨日リオンから贈られたものだ。可憐で軽やかなワンピースは、ふわりと揺れて……
背中の羽を圧迫しないストンとしたシルエットは、まさにフィリアへぴったりだった。このようなところにもリオンの心遣いが感じられて、思わず胸が熱くなる。
「鐘が鳴ったわ……パレードは、もう始まるのかしら」
「そろそろ、城を出発したかもしれませんね」
建国祭のメインは、なんといってもパレードであった。王族は馬車に乗り、騎士は馬に乗り……音楽隊を先頭に城を出発する行列は、広場までの大通りをゆっくりと進む。
毎年多くの人出で賑わうらしいが、今年は王子のお披露目も重なり、さらなる混雑が予想されるそうで。
「フィー様……人混みは初めてですね。どうか私からはぐれませんよう」
「え、ええ。頑張るわ」
今日は王子……リオンのお披露目だ。その姿を一目見ないことには、リオンに申し訳が立たない。
身支度を整えた二人は入口に『店休日』の札をかけ、路地裏の花屋を後にした。
歩いてわずか数分。
表通りへと通じる路地へ出てきたフィリアとアクロは、そこから見える光景に面食らっていた。
裏通りはいつも通り閑散としていたというのに、表通りの人出は只事ではなかった。
パレードが通る路面の中心部を除き、表通りの両脇は人でごった返している。この人の流れに乗らなくては、フィリア達がパレードを見ることは叶わない。
「アクロ、どうしましょう。表通りに出ることすら難しいのだけれど」
「……人と人の、わずかな隙間を狙いましょう」
「隙間なんて、ないわよ……?」
「あります……さあ、今です」
ぎこちないフィリア達は、その隙間へと飛び込んだ。やっとのことで表通りへ出ることのできた二人は、人の流れに乗って歩き始めたのだった。
「や、やったわ! アクロすごい!」
「はい。……ですがこれでは、身動きがとれませんね」
「どこまで歩き続ければいいのかしら……」
「さあ……私にも……」
四方を人に囲まれ、ただ流れにのって歩き続けるフィリアとアクロ。通りにはそこかしこで美味しそうな香りが立ちのぼり、魅力的な露店が並んでいるにもかかわらず……店までたどり着くことも出来そうにない。
もしかしたら、アクロもこのような人混みを歩くのは初めてなのかもしれない。珍しくも困惑顔である。フィリアは甘い香りの飴細工や香ばしい串焼きの香りに後ろ髪をひかれながら、とにかく人の流れに身を任せた。
流れにあわせてゆっくりと歩みを進めて、どのくらい経ったのだろうか。パレードの音楽と喧騒に混ざって、水の音が聞こえてきた。ようやく広場の噴水近くまで来たのだろうか。
パレードの最終地点である広場の人混みは、さらにとんでもないことになっていた。どうやらここで、王子お披露目の挨拶が行われるらしい。そのせいで、隣の者と触れ合ってしまうほどに人がひしめいている。
「アクロ、これは凄い混み具合ね…………アクロ?」
隣に立つはずのアクロに話しかけたつもりが、返事が返ってこない。おかしく思い隣を見れば、そこには小柄なアクロと似た背格好の少女が立っていた。
(いけない! はぐれてしまったわ!)
あわててアクロを探し、辺りを見回したときにはもう遅かった。小柄な彼は逆流する人の波にのまれ、広場からどんどん遠ざかってゆく。
「フィー様! そこから! 動かないで下さい!」
力の限り叫びながらも、アクロはさらに遠ざかってゆく。ついには人の壁に阻まれ、彼の姿は消えてしまった。
(アクロ……行ってしまった……)
幸いにもフィリアの周りに動きは無かった。皆、パレードの到着を待つ者達のようだった。ぎゅうぎゅうに混みあってはいるが、ここに留まりアクロを待つことは出来そうである。
アクロは無事にあの人の流れを抜けられるだろうか……あの調子では、なかなか難しいかもしれない。
プロスドキアで二年ものあいだ暮らしている彼も、このような祭りへの参加は初めてなのである。いわば人混みへの対応力は、フィリアと同レベル。アクロの無事を祈るしかない……
『フィリアさま』
『フィリアさま、きいて』
アクロの心配をしていたフィリアへ、人々のざわめきに混ざって誰かが呼びかけている。
これは……フィリアの耳に届いたのは、広場を囲む木々の声。いつものんびりと話しかけてくる彼らなのに、今日はざわざわと、どこか様子がおかしい。
『あぶないよ』
『おちてしまうよ』
『助けて』『助けて』……
(え……? 一体、何のことを言っているのかしら)
ただならぬ声にあたりを見回してみるけれど、フィリアに何が起こっているのか見当がつかない。けれど、彼らの言っていることはきっと本当だ。植物が嘘をつくことは無いのだから。
木々達の声はどこか焦りを含んでいて、しきりにフィリアへと呼びかけ続ける。
『あの子がおちるよ』
『しんでしまうよ』
『助けて』『助けて』
死んでしまう。
とんでもないことが聞こえた。
木々は……彼らは、誰のことを言っているのだろう。
(『あの子』って誰……一体、どこに)
今この声を聞くことが出来るのは、フィリアだけ。フィリアが助けなければ、『あの子』が落ちてしまう────死んでしまうかもしれない。
悩んでいる暇は無くて。
フィリアは木々に話しかけた。
アクロと交した、妖精の掟を破って。
「『あの子』は、どこにいるの? 教えて!」
フィリアが木々に語りかけた瞬間────
広場を囲む木々が、一斉に枝を伸ばし始めた。
それはみるみるうちに、広場に面した商店の三階へと伸びてゆく。ざわざわと、みしみしと……大きな音をたてながら。
まるで枝が意志を持つかのような光景に、広場の人間達は悲鳴をあげ、大騒ぎとなっている。
その木々が枝をのばす先……人々の視線の先にある、商店三階の窓。
そこに、なんと子供の姿があった。
「いた……『あの子』だわ!」
やっと赤ん坊を卒業したくらいの、小さな子供だ。彼は無謀にも開け放たれた窓枠に立ち、外を楽しそうに眺めている。きっと祭りの音に引き寄せられたのだろう、窓から身を乗り出すだけではもの足りず……『あの子』は乗り越えてしまった。柵もない、三階のその窓を。
あの子が一歩でも前に踏み出してしまえば、たちまち落ちてしまうだろう。
広場の人々はそれを不安げに見守る他なかった。この人混みで身動きがとれぬ中、救助を呼ぶことも出来ない。いや、救助を呼べたとしても、そのような猶予はあるだろうか──
『落ちるよ』
『助けて』
『フィリアさま』
絶え間なく耳に届く木々の声。
その声は何重にも重なって、臆病なフィリアを奮い立たせる。
彼らは知っているのだ。
フィリアなら、あの子供を助けることが出来ると。
なぜなら──この場でただ一人、フィリアの背中には羽があるのだから。
ごくりと喉を鳴らす。
自然と、覚悟が決まってゆく。
(リオン様……申し訳ありません)
フィリアは贈られたばかりのワンピースを、その場でバサリと脱ぎ捨てた。




