姉の来訪
「エリミア様。ご自分がしたこと、お分かりですか」
「はい……ごめんなさい、アクロ」
「謝る相手は私だけですか。街中を馬で駆けるなど、ここにいる全ての方々に迷惑をかけたのですよ。そうでしょうフィー様」
「もう姉様も反省しているわ……そろそろエリミア姉様を解放して差し上げて……」
「ごめんなさいアクロ、皆様……」
腕を組むアクロと、頭を垂れるエリミア。傍らではラナとミアが、叱られるエリミアを見ている。
馬の手網を持ったままアクロに叱られ続けているエリミアの姿は、なかなか情けないものがあった。
というか昔から大体この構図だ。一見どちらが王族なんだか分からない。見慣れてはいるものの久々の光景に、懐かしさで胸が熱くなる。
「アクロに叱られているあの方は、フィーのお姉さん?」
「そうです、三番目の姉でエリミアと申しまして……驚かせて申し訳ありません」
「遠くへ嫁いだとか……なぜここへ?」
その通り、エリミアは獣人族の国で幸せに暮らしているはずだった。なのになぜ、人間の国プロスドキアにいるのだろう。
「私にもさっぱりで……」
「あっ、アクロから解放されたみたいだよ」
解き放たれたエリミアは、半べそでフィリアの元へとやって来た。
「フィー! 会いたかったよお」
「エリミア姉様! 私もよ」
二人は熱い抱擁を交わした。姉ではあるが、フィリアより少し背の低いエリミア。頭を撫でると、エリミアはフィリアの肩に頬を擦り寄せる。
「姉様。なぜ、私がここにいると分かったの?」
「それは、馬を走らせながら植物に訊いて……むぐ」
「……エリミア姉様、ちょっと来て」
フィリアは思わず、エリミアの口を手のひらで塞いだ。
目を丸くするリオンを尻目に、エリミアをずるずると花屋の二階まで連れていく。ばたりと自室の、ドアを閉めると、やっと一息つくことが出来た。
「エリミア姉様。ここでは、私達が妖精というのは秘密なの。だから植物と話が出来ることも、大っぴらに言ってはならないの」
「りょ、了解したわ」
「どうか姉様の羽も、しまったままで」
「わ……分かった」
鬼気迫るフィリアの勢いに、エリミアはたじろいだ。他にも細々、プロスドキアでの掟など伝えると、エリミアはこくこくと頷いたのだった。
「ここは、フィーの部屋なの?」
「そう。アクロの花屋で居候しているの」
「へぇー、本当にアクロはプロスドキアに住み着いたのね」
エリミアの話によれば……彼女が獣人族との縁談を決めたその日から、アクロはプロスドキアの下調べをを始めた。フィリアの縁談相手はプロスドキアになるであろうと、見通しが立ってすぐのことであった。そしてそれほど経たぬうちに、プロスドキアへと発ってしまったという。
「『フィー様お一人でやって行けるはずがありません』とか言って。アクロらしいでしょ」
「そうだったの……」
アクロの献身的な思いやりに、胸がじんわりと温かくなった。暗に『一人では頼りない』と言われているのだが、フィリアがそれに気付くことは無いだろう。
「それよりもエリミア姉様は、どうしてこちらまで?」
「私、フィーが心配で……グレモスが送り出してくれたの。大丈夫よ、密かに護衛もついて来ているから」
「……心配してくれていたの?」
獣人族の国ソヴァロ王太子・グレモス。二年前結婚したエリミアの夫であり、ソヴァロの次期国王である。
体が大きく狼のような風貌のグレモスと、妖精の中でも華奢なエリミア。一見不釣り合いにも見える二人だったが、おおらかなグレモスと天真爛漫なエリミアの二人は相性もよく、仲睦まじく暮らしていると……そう聞いていた。
「ソヴァロの木も花も、みんな噂していたんだもの。『ヒューレーの第四王女は、人間の国へ嫁ぐことになりそうだ』って」
フィリアがあの人間の国……プロスドキアへ嫁ぐ。
遠く離れた獣人族の国ソヴァロで、妹の縁談に悶々としていたエリミア。そんな彼女を気遣い、夫グレモスは『心配なら会っておいで』と、送り出してくれたのだった。
「もしフィーが望むなら、私やグレモスも間に入ってお母様を説得するわ」
「えっ……?」
「まだ嫁ぎ先はプロスドキアと決まったわけじゃないんでしょ?」
「決まったというわけではないけれど……プロスドキアとの話はもう進んでいるはずよ」
姉からの思ってもみない提案に、フィリアは困惑した。
グレモスとエリミアで母を説得する、ということは……縁談を白紙に出来るかもしれないと、そういうことなのだろう。国と国が絡む話を、フィリアの一存で断ることなど許されるのだろうか。
一方、予想外に落ち着き払っているフィリアに、エリミアは言葉を失った。
フィリアは、プロスドキアとの縁談を断りたいに違いない。エリミアはそう信じ疑っていなかった。それもそのはず、妖精の国ヒューレーでフィリアと同じように教育されてきたエリミアも、人間への印象は良いものではなかったからだ。
「フィーはそれでいいの?」
尚も心配げなエリミアに、過去の自身の姿を見ているような気がした。
フィリアは、『そんなに心配しなくても大丈夫』とエリミアをなだめようとした自分に驚いた。まだここに来てひと月も経たないというのに、フィリアの変わり様はどうだろう。プロスドキアへ嫁ぐことが、あんなにも不安であったのに。
「……ここでいると、出会うのはとてもいい人達ばかりなの」
親切で優しいリオン。気さくに話しかけてくれるペトラや近所の住人達。フィリアの花束を繰り返し買い求めてくれる客。
皆、世間知らずなフィリアを内側に入れてくれた。臆病だったフィリアの心に、皆の温かさが上書きされてゆく。ここは、なんて居心地が良いのだろうと──
「それは……フィーのこと、人間だと思い込んでいるからだとしたら?」
「え?」
「フィーやアクロが実は妖精だと分かっても、あの人間達はずっと『いい人』のままでいるかしら? プロスドキアの王子も、『いい人』でいてくれるのかしら」
思わず、フィリアは言葉に詰まった。
彼らの前で羽を隠している後ろめたさ。それでいて『人間』だから温かく迎えられているのかもしれない、という事実の寂しさ。そういったものが、フィリアの胸をズキリとえぐる。
もしも、フィリアが『妖精』だと気付けば、彼らの態度は変わってしまうのだろうか。
エリミアからの核心を突く言葉を受け、気付いてしまった。
いつの間にか『人間』への恐怖心はフィリアの胸から消え去っていていたこと。そして……彼らにありのままを受け入れて欲しいという、自分の気持ちに。
フィリアとエリミアは、二階の窓から裏通りを見下ろした。
裏通りのまとめ役・ペトラの指示で若者達がゴミを片付け、アクロはというと再びラナとミアに捕まっている。片付けもあと少しといったところだろうか。
「ほんと、皆『いい人』のように見えるわね」
「そうなの。本当に、私達に良くしてくれて……」
二階から階下を見下ろすフィリアに、真っ先に気付いたのはリオンだった。
彼は抱えていた荷物をわざわざ地面に置いてから、こちらへ向かって大きく手を振る。満面の笑みと、金の髪を輝かせて。
「本当に、いい人なの……」
眩しい笑顔。あたたかな優しさ。
フィリアに『羽』があったとしても、どうかそれが変わらぬものであったなら。
フィリアは、我儘にも似た願いを抱えながらリオンに向かって手を振った。




