嵐の夜
びゅうびゅうと唸るような風の音が、小さな花屋を通り過ぎる。
窓には大粒の雨が打ち付け、店の入り口からはじわりと雨水がにじんだ。
本格的な嵐がプロスドキアの街を襲う。
こんな風の音、聞いたことがない。
こんな激しい雨、この店が壊れてしまうのでは……
「こ、この『嵐』。大丈夫なのですか……店ごと吹き飛んだりしませんか」
「大丈夫だよ。この店はしっかりしているし、何度も嵐を耐えてるはずだから」
裏通りにあるこの花屋、建物自体は相当古い。空き家であったこのレンガ造りの建物にアクロが住み着き、花屋を営み始めたのだ。
たしかにしっかりした建物ではあるが、この雨。この風……なぜリオンとアクロは平然としていられるのだろう。とても平静ではいられない。
突然、外で何かが大きな音を立てた。
「ひい!」
「大丈夫ですフィー様。外の看板が倒れたのでしょう」
轟音と共に、バリバリと稲妻が落ちる。
「わああ!」
「大丈夫です。きっとここには落ちません」
外で大きな音を立てる度、稲妻が落ちる度。耐えられぬほどの恐怖でフィリアはすくみ上がってしまう。
隣のアクロにしがみつくと、彼はフィリアをなだめるように肩を支えた。
「大丈夫ですよ。大丈夫」
「……アクロ、ありがとう」
アクロの優しい声に、フィリアもわずかに落ち着きを取り戻す。
そんな二人を、向かいに座るリオンがじっとりと見つめた。
「二人は、なんでそんなに距離が近いの」
「え?」
「なんか……妬けるね」
また、リオンが「焼ける」と言っている。何が焼けるというのだろう。
「距離が近くて当然だろう。フィー様は妹のようなものなのだから」
「本当に? フィーのこと、アクロは本当にそう思ってる?」
「何が言いたい」
フィリアがとんちんかんな思考をめぐらせているうちに、だんだんと空気が不穏なものに変わってしまった。肩を抱くアクロの腕に、力がこもる。
「リオン、私からも聞きたいことがある」
「何かな」
「お前は一体何者だ」
テーブルに、しんとした時が流れた。
外は大嵐。雨の音、風の音……ガタゴトとうるさいはずなのに、室内は妙に静まり返ってしまって。
「ちょっと……アクロ、リオン様に失礼よ」
「いいえ、フィー様。はっきりさせましょう。少なくともこの者は庭師なんかじゃありません。だったら何のために我々に近付いたのか」
鋭い目で睨み続けるアクロに、リオンは諦めたようにため息をついた。
「俺は……」
「ま、待ってください」
フィリアが、リオンの言葉を遮った。
「こんなの、フェアじゃないわ」
「フィー様……」
「彼は何もしていないじゃない。庭師じゃなくても、リオン様はリオン様でしょう?」
どう見ても、リオンは素性を明かしたくないようだった。
それはフィリアとアクロだって同じこと。二人が妖精だというのは明かせない秘密で。
そのような秘密があるのだ。きっと、リオンにも。
だったら、お互いにその秘密を尊重すべきではないのだろうか。
「ごめんなさいリオン様。これまで通り仲良くして下さると嬉しいわ」
「フィー……」
「……勝手にして下さい」
ムッとしたアクロは席を立つと、二階へと上がってしまった。
彼はきっと……こんな形で、リオンを糾弾したかった訳ではない。どこか、虫の居所が悪くなって、それで……
「……アクロも、私を守ろうとしてくれているだけなんです。ただ言い方がキツいところがあって」
「わかってるよ。彼とはもう二年の付き合いがあるんだから」
「なら、ありがたいのですが……」
はぁ、と二階のアクロへ思いを馳せた。
こんな彼は久しぶりだった。怒りっぽいアクロではあるが、癇癪のように話を投げ出すことはまず無いのに。
「フィーは愛されているね」
「は、はい。アクロは、ああ見えて愛情深いのです」
「そうだね。フィーには、特に」
昔からそうだった。アクロは何よりもフィリアを優先してくれた。彼はフィリアを拒まない。怒ることはあっても、結局許す。兄のような広い心で。
「さっき、アクロがなぜ怒ったのか分かる?」
「それは……リオン様の素性が、明かされなかったから」
「違うよ。フィーが、アクロから俺を庇ったからだよ」
フィリアが、リオンを庇ったから?
たしかにフィリアは、アクロを諌めた。ただ、あのように一方的な糾弾は良くないと思ったからで。
「ヤキモチをやいたんだよ。彼は」
「やきもち……アクロが?」
「そう。でも、俺は嬉しかった」
リオンは、強い眼差しでフィリアを見つめた。
彼の碧い瞳に捕らえられ、思わず息を飲む。
「フィーが庇ってくれて、俺は俺だと言ってくれて嬉しかった」
「リオン様」
「ありがとう。フィリア」
窓に、ぴかりと稲妻が走った。
依然として風は渦巻き、雨粒は屋根を叩き付ける。
フィリアの耳には、もう嵐の音しか聞こえない。
彼にいつ、本当の名を教えただろうか。
なぜ、リオンは『フィリア』と────
何も言葉に出来ず、何故か身動きも取れない。
心乱されるテーブルで、二人は嵐の夜に包まれた。
***
嵐の音を背にして一人、部屋のベッドにうつ伏せる。
『庭師じゃなくても、リオン様はリオン様でしょう?』
フィリアはそう言って、アクロからリオンを庇った。明らかに身分を偽っているあの男を。彼は彼だと、そう言った。
悔しい。妬ましい。
これが嫉妬というものだろうか。
姫であり、妹のようであり、そして花のようなフィリア。彼女が生まれた時から、ずっと見てきた。一番近くで支えてきた。
彼女も、アクロを一番に頼った。どこにいても、何をしていても。そして、プロスドキアでも。
自分は兄同然の存在だ。
それで構わないと思っていた。どのような形でも彼女の『一番』でいられたなら、それでいいと。自分でも口にしていたではないか。己の胸に言い聞かせるように。
でも違った。
フィリアにとって『ただのリオン』になれたあの男が、今は羨ましくてたまらないのだ。
だって自分は彼女にとって『ただのアクロ』にはなれない。きっと一瞬も、叶うことは無い。
アクロは、自身の嫉妬を認めた。ずっと目を逸らし続けた、その醜い感情を。
耳には、嵐の轟音だけが鳴り響く。
強風に揺れる暗い部屋で、アクロは叶わぬ想いに身を沈めた。
いつも読んで下さりありがとうございます!!
多忙により、次回から不定期更新になります(>_<)
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