フィリアの縁談
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昼下がり。
花屋の奥に構えられた小さなキッチンでは、皿の割れる音が鳴り響いた。
「フィー様! 皿洗いはしなくてもよろしいと、何度も申し上げたでしょう!」
「ご、ごめんなさい。アクロの美味しいランチをいただいたから……私もなにかお役に立ちたくて」
「まったく、これで割ったのは何枚目ですか!」
皿を割ったフィリアを、アクロはじろりと睨んだ。彫刻のように美しい顔をした彼が眼鏡を光らせると、ものすごく迫力がある。フィリアは途端に何も言えなくなってしまった。
「……アクロ、お皿を割ってしまってごめんなさい」
「分かれば良いのです。さあここはもう私に任せて、フィー様は店に出ていてください」
「はい……」
ガシャガシャと割れた皿を片付けるアクロを尻目に、フィリアはがっくりと肩を落としたまま店番へ向かった。
店の扉を開くと同時に、小さなため息が漏れる。アクロの言う通り、皿を割ったのはこれで何枚目だろうか。皿の一枚もまともに洗えたことが無い。なんと役立たずなのだろう……
フィリアは力無く店先にしゃがみ込むと、路面に並べた鉢植えのチューリップをちょん、とつついた。つつかれた淡いピンクのチューリップは、まるでフィリアを励ますようにふわりと揺れる。
(ありがとう、少し元気が出たわ)
彼女が薄く微笑むと、チューリップの蕾が一輪花開いた。咲いたばかりのチューリップは、明るく笑っているようで。落ち込んでいたフィリアの心も、自然と和んだ。
「フィー」
背後から足音が聞こえたかと思うと、店先で座り込んでいたフィリアの頭上に影が落ちる。
「しゃがみ込んで、どうしたの?」
フィリアは、声をかけられた方を見上げた。そこには金髪がまばゆい青年。軒先に頭がぶつかりそうなほど背が高い彼は、フィリアをまっすぐ見下ろしていた。
「リオン様」
「……もしかして今日も皿を割った?」
「ええ、その通り……私はお皿もまともに洗えない女なのです」
「フィーはもう皿洗いなんてやめたら」
「私も、ここに住んでいるのですから……何かアクロの役に立ちたくて」
「そっか……」
リオンもフィリアの隣に並んでしゃがみ込んだ。隣からフィリアの顔を覗き込む彼に、思わず及び腰になる。
「な、何でしょうか。リオン様」
「いいな。俺もここに住みたい。フィー達と」
「リオン様も?」
「俺、役に立つよ。フィーの為なら何でもする」
「そんな、ご冗談を」
「……うん、冗談だよ。アクロが羨ましかっただけ」
フィリアが返事に困っていると、リオンは笑ってごまかした。
「もうずいぶん花屋に慣れたね」
「ええ。それもアクロとリオン様のおかげです」
街の広場から一本路地裏に入った場所で、ひっそりと営むアクロの花屋。フィリアがそこで居候を始めて一週間。
彼女は皿洗いが苦手だった。
皿洗いだけではない。料理も、洗濯も、掃除も。彼女はすべてが不得手で、まるで生活力が無かった。
それもそのはず。だってこれまで、何も経験が無かったのだから。
皿洗いも、料理も洗濯も、庶民の暮らしも。
人間の国──プロスドキアでの生活も────
それは一週間前のことだった。
「フィリア。あなたの嫁ぎ先が決まりそうよ」
深い森に囲まれた妖精の国、ヒューレー。
ヒューレー城の玉座には、女王である母が静かに座っていた。
その日、女王の間に呼び出されたフィリアは薄々感じ取っていた。人払いがされた、物々しいこの空気。きっと女王からは縁談の話があるのだろうと。
ヒューレー次期女王である第一王女を除き、王族として生を受けたからには他国へ嫁ぎ和平を結ぶ。それが、か弱い妖精族を守るべき王族のさだめ。
数年前、第二王女である次女は、山の頂に住む竜族のもとに嫁いだ。二年前、第三王女である三女は、荒野に住む獣人族のもとに嫁いだ。
そしてそろそろ第四王女である自分の番であると……フィリアだって、覚悟を決めていたはずだった。
「プロスドキアとの話が進んでいるの。良いわね、フィリア」
プロスドキア──
欲深くて、悪巧みが上手い人間の国。かつて善悪の境目が曖昧だった大昔は、力の無い妖精達が人間にさらわれていたという。
まさか自分の嫁ぎ先が、そのような国に決まってしまったなんて。
「お……お母様。それは本当なのですか……」
「フィリアはプロスドキアが恐ろしい?」
「……はい」
フィリアは正直に頷いた。
姉達の縁談が決まった時……竜族のことも獣人族のことも、なんて身体が大きく恐ろしいのだろうと縮み上がった。そのような国へ嫁いでいった姉達のことを、フィリアは心から尊敬したものだ。姉達のように、自分も覚悟を決めねばと。
そしてこの日、フィリアの縁談相手として言い渡されたのは『人間』であった。獣人族と較べれば背格好もそれほどかけ離れておらず、竜族と較べてみても彼らほど威圧は感じられない。
でも──いざ縁談相手が『人間』だと決まると、足はすくんでしまって。
「あなたはプロスドキアのことを誤解しているわね。大昔の話ではそりゃあ分別の無い国だったようだけれど、文明も発達した今はそうでも無いものよ」
「そうでしょうか。人間は欲深く諍いを好む種族だと、そう聞いております」
「そう……フィリアはそう教わったのね。ずいぶん偏った知識だこと」
くすくすと母が笑う。
だって本当のことではないか。教師達にもそう習った。だから人間達に近づいてはならないと。
「あなた、アクロは覚えていて?」
「……アクロ? もちろんです。懐かしいわ」
アクロ……フィリアが幼い頃から、側仕えとして共に暮らした六歳上の青年である。ほとんど兄とも言える彼は、時に厳しく時に優しく。飴と鞭を巧みに使い分けながら、フィリアをヒューレーの第四王女として育て上げてくれた。
二年前を境にパッタリと姿を見せなくなってしまった彼を心配していたが、一体アクロがどうしたのだろう。
「アクロは今、プロスドキアに住んでいるの」
「ええっ!? なぜアクロが人間の国に?」
「プロスドキアからは、何年も前から熱心に縁談の申入れがあったのだけれど。フィリアが嫁ぐにあたって、アクロはあの国の様子を伺いに行っているのよ」
以前から、ヒューレーとの縁を望んでいた竜族の国・獣人族の国、そして人間の国。
まず第二王女が竜族へ嫁ぎ、二年前に第三王女が獣人族へ嫁ぎ……それによって第四王女であるフィリアの嫁ぎ先は、必然的に人間の国プロスドキアと決まってしまった。
するとアクロは、どのような国であるのか自分の目で見極めるため、プロスドキアへと潜り込んでしまったという。
「フィリアを守りたい一心だと思うわ。あの者はフィリアを妹のように可愛がっていたようだから……おそらくあなたの事が心配でたまらないのでしょう。フィリアが嫁ぐなら自分もプロスドキアへ、と」
「アクロ……」
「どうかしらフィリア。しばらくアクロのもとで過ごしてみては。きっとプロスドキアのこと、好きになれるわ」
フィリアは返事をためらった。女王である母から、プロスドキアでしばらく過ごしてみてはという予想外の提案。反射的に、後ろ向きになってしまう自分がいた。
ただし、自分はヒューレーの王族、第四王女。望まぬ縁談でも、妖精族のためなら受け入れる運命なのだ。その上、あの国には兄同然のアクロがいてくれる。それはなんて心強いことだろう。
怯む心を奮い立たせて、フィリアは深く頷いた。
「私……行ってみようかしら、アクロのところへ」
フィリアの返事を聞いた女王は、ゆったりと満足に微笑んだ。
こうして妖精の国ヒューレー第四王女・フィリアは、アクロを頼りにプロスドキアへ旅立つことになったのだった。
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