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私いい子でしょ?

作者: 小英惟初

 扉を開いて開口一番、おはようと教室にいるクラスメイトに挨拶を送る。

 先に教室にいたみんなが私に向く。


 私が笑えばみんなも笑う。おはようの返事に私が応じ、笑顔を何気なく送れば、みんなも私に笑い返してくれる。

 そんなふうに、今日もまた笑顔の時間が始まる。


 自分の机に鞄を置いていると、後ろの席の子に名前を呼ばれ振り向いた。


「昨日、宿題するの手伝ってくれてありがとね!」


 それを聞くと、ひどく自然に私の頬は緩んだ。「私こそ。いい復習になったよ」


 ──そう、あの時私はこの子の役に立った。私自身の勉強にも資することだった。


 すると、私の席の右隣の子が羨んだ様子で喋った。


「え〜、小花(こはる)に宿題教えてもらってたの? ずる〜」


「だって分かんなかったんだもん」


「いいな〜。私も教えてもらえばよかった」


 少しだけ残念がる右隣の子の力になれればと、私は声をかけた。「別に大したことしてないって。詩葉(うたは)もまた一緒にしよ?」


「あ、じゃあ現文教えて! 明日までだよね」


 詩葉の力になれそうだと思い、私は快諾した。


「うん、いいよ。現代文ちょっと苦手だったね」


「うん。だからまだやり始めてもない。小花はもう終わってるの?」


 終わってるよと応じると、詩葉だけでなく後ろの席の咲耶(さや)にも流石! とまるで褒め称える様な反応をされてしまった。


「ねえ小花、私にも教えて!」


 咲耶からの頼みに私は快く諾したが、詩葉は咲耶に数学教えてもらったんじゃんと妬いた様に言った。


「数学も現文もやばいの!」


 咲耶がそう言うと、私は楽しいかの様に微笑み、二人共一緒にやろうね、と言った。

 二人は私に、ありがとう、と言ってくれた。


 ──二人が私を必要としているなら、生きている方がいいか。




大園(おおぞの)、分かるか」


「はい」


 蝉の鳴き声が喧しくなった数学の時間、先生に当てられた。私が答えると、先生ははい、正解と言った。

 椅子を引いて座り直したすぐ後、左隣の男子に呼ばれた。


「なあ」


「ん?」


「今の、何で解ったんだ?」


 この男子は成績優秀で、なかんずく数学を得意とする。今学期の中間考査では数学で学年一位だった。


「ちょうど予習して覚えてたところだったから」


 私が答えると、その男子は納得のいった様子になった。


「もう予習してんのか。俺はまだしてないけど、お前だったらしてるよな」


「数学予習してないんだ。意外」


 隣の男子が何か答えようとした時、私の後ろから声が割って入った。


「小花に勝てなくて頑張ってたんじゃなかった?」


「中間で勝ったって。期末でも勝つしな」


 咲耶に言い返してから、男子は板書を書き写すのに戻った。


 しかし咲耶はまだ話を続ける。「今からで勝てる? 小花はもう予習してるのに?」


 板書を写しながら、隣の男子が反論した。「今からでも勝つ」


 ──私がいなかったら、ずっと一位なのに。


 板書するチョークの擦れる音に、クラスメイトのペンを走らせる音、煩わしい蝉の鳴き声とで、 物思いに耽る気が阻害される。少し重くなった頭の中を一旦忘れ去り、ただチョークの筆跡を目で追いかけてノートに書き写すことに専念した。




「はあ」


 誰もいない自宅のマンションの自室でひとり、珍しくなくなったため息を吐いた。


『じゃあ私、出掛けてくるわね』夕食をとっていた私に、おしゃれな洋服に着替えた母がそう言った。


『買ってきてって言ってた本と、あとこれは私のおすすめの本。ここに置いてるから、また読んでね』リビングの卓上を示しながら母は言った。


 今は夕食を済ませ、友達との勉強会の前にどれか一冊を読み始めておこうと、四冊の中からその一冊を決めかねているところだ。四冊のうち、私が購入しておいてと頼んだのが二冊、母からおすすめされたのが二冊。


 母に購入を頼んだ本はもちろん自費だ。どうして自分で買わないのかというと、一人で外出するのは危ないと母に言われたからである。普段なら休日の昼間に自ら本屋へ行くのを、テスト勉強のためと母に外出を禁じられ、休日も出掛けられなかった。


 テスト期間が先週終わった月曜日。待ちに待った小説がようやく読める──だが、私の心は躍っていなかった。


 理由など考えずとも明白──自分の手にしている本が、自分の求めたものではなく、母からおすすめされたものだからだ。


(先にこっち読まないと)


 母は好意でおすすめしてくれている。その本から読む方が、きっと母は喜ぶ。自分はそうするべきだ──離婚した母の感情の受け箱には、自分がなるべきなのだから。


 しかし、読む手は全く進まない。まだ開いてすらいない。


『小花はいい子ね』


 いつのものか、母が小花の頭を撫でて褒めてくれた記憶。この時はまだ離婚していなかった。

 ──私のことを、我が子として愛してくれていた。


『小花はいい子ね』


 もういつの記憶かも覚えていないのに、その声が頭で鳴り響く。まるで烙印を押される様に。


(ね、今の私、いい子でしょ?)


 小花は目元辺りに変な痛みを感じつつも、母からの本を読んでいる。内容は何ひとつ頭に入っていない気もするが、確かに読んでいる。一枚、二枚とページを捲っている。


 いつかまた、自分のことをいい子だと褒めて、お母さんが喜ぶのを願って。


(そういえば──)


 もう久しく、母からいい子とは言われていない。

 すっとページを捲る手が止まり、ぼうっと虚空に目を向けた。


 いい子じゃない私なんて、もう──。


 文章が一向に頭に入らず、気付いた時には本を机の上に置いていた。


(集中できてない)


 頭の中が重くなり、それを誤魔化そうと頭を軽く振った。が、頭の中はいやに重いまま変わらなかった。


 何とは無しに母からおすすめされた本のもう一冊を手に取ってみると、タイトルがとても印象的だった。


『大事な人を大事にするためには』


 好みのジャンルではないから惹かれはしないものの、タイトルを見て一番にある事を思いついた。


 ──ここから、飛び降りよう。






「──もしもし、小花? 勉強会のこと覚えてる?」

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