ふたりの男
第一話目の訂正ですが……世の中に五万円札なんて、ありませんよね……。すいません、間違えてしまいました。
そこには金管楽器、たしかホルンを持っている、一真さんが。
突然連れられたことよりも驚いたかもしれない。
「こぉら! なぁにボーっとしてんの!」
「あ、ごめんごめん」
他にも、トランペットやサックスなどの、色々な楽器を持った人たちがいた。
皆、輝いていた。
楽器の輝きとかじゃなくて、人そのものが、かな。
──あれ?
疑問を抱いた。
女の人なのに、名札が青い?
トランペットを持っている女の人の名札は、青色だった。
それに、黄色の名札の人もいる……。
「ねぇ、名札の色……とかって、何か意味があるの?」
「あぁ、一年生が黄色で、二年生は赤。三年生の先輩は、青だよ」
何故そんなことを聞くのだろう?
という顔をしていた。
……つまり、一真さんは先輩……。
一真先輩……か……。
今まで普通に話していたのが先輩とだったことが、あまり信じられなかった。
でも明日香ちゃんが言ってるし、本当なんだろうね……。
わたしはがっくりと肩を下ろした。
「ちょっ、何落ち込んでるの!? 新しい門出よ! 喜ばなきゃ!」
わたしは頷いた。
「今から先生のところ行くからね」
まだ吹奏楽部に入部したことしかわかっていないわたしは、これから何が起こるだろう……と不安になった。
音楽室の、多分隣の、【音楽準備室】と書かれているところに連れられた。
今、目の前に、凄い迫力の男の先生がいる。
Tシャツに短パン姿で、シャツインしている。
デカ眼鏡に、険しい表情。
大体45歳ぐらいだと予想がついた。
怒ってもいないのに、恐い……。
「……新入部員の、小野田沙彩さん?」
「ぁ……はいっ!」
話しているだけなのに緊張が溢れてしまい、まともに話せない。
「そ。こっちきて」
そう言われ、【第二音楽室】へ行った。
さっき先輩たちがいたのは、第一音楽室だったらしい。
「稲城、お前は練習してこい」
「はいっ!」
明日香ちゃんは、大きな声を挙げ、第二音楽室から出ていってしまった。
二つ椅子が用意され、向かい合って座った。
マンツーマンだ。
音は、第一音楽室からしか聞こえない。
わたしと先生の間には、何の音も、一切しない。
それが余計、わたしを緊張させた。
先生はバインダーを出し、そこに紙を挟んだ。
「やりたい楽器は? 入っていい楽器は、トランペット、クラリネット、フルートだ」
わたしは小学校のとき、金管バンド部に入っていた経験があった。
どうせなら、金管楽器にしようと思った。
「とっ、トランペットがいいです」
何かを紙に書いているようだ。
「音楽経験は?」
「小学校のときに……金管バンド部にっ……」
また何か書いた。
多分、わたしの言ったことを記録しているのだろう。
「じゃあ今日からお前はトランペットだ。……いっとくけど、吹奏楽部──なめんじゃねぇよ」
睨み付けられているような、鋭い視線だ。
ビクッと体が震え、俯いた。
ちょっと先生の方を見ると、先生はそこにいなかった。
音楽室の入り口から、何かを持っている先生がきた。
「これ、吹けるか?」
そう言って差し出されたのは、マウスピース。
金管楽器の音が鳴る仕組みは、このマウスピースに口をつけ、息を入れたら鳴るのだ。
無言で先生からマウスピースをもらうと、それを口につけた。
ブーッブーッ──
小さな蜂が飛んでいるようなときの音がした。
「一応鳴るな」
「はい……」
先生はわたしの手からマウスピースを奪い取ると、銀色のトランペットを持ってきた。
先輩が持ってたような輝きは減っていたが、これから吹くんだ、と思うとワクワクしてきた。
それから六時になるまで、先生とのマンツーマンの時間が続いた。
音階や吹き方が大分できるようになった。
下校完了の時刻を知らせる音楽が鳴りはじめた。
門の前で明日香ちゃんと別れると、少し前に一真先輩らしき人の姿が目に入った。
そこまでめがけ、全力で走る。
わたしの気配に気づいたのか、その人は後ろに振り向いた。
やっぱり一真先輩だ。
「……ハァッ……こんにちはっ……」
息があがっているのにも関わらず、話し掛けると、先輩の隣について歩く。
先輩は『おぅ』と言って、嫌がらずに接してくれた。
ちょうど目の前の方向から、夕陽が差し込む。
「……そういやぁ、俺の入ってる部活に今日、新入部員が入ったって顧問の先生が言ってた」
「それ、わたしのことです」
先輩はわたしの方に顔を向け、驚いたように目を見開いた。
一瞬、目が合う。
……どうしてだろう。
どうしてこんなにも、胸の鼓動が早くなるのだろう。
まともに先輩の顔が見れない……。
「そのっ、今日から……一真先輩になるわけですよね……」
緊張を紛らわそうと、話題を振る。
……ん?
……緊張……?
「まぁな」
妙に意識してしまう。
話しているだけにも関わらず。
こんなにも緊張するのはおかしい……。
男の人だからかな?
それとも──
いや、違うっ! 絶対っ!
気持ちを振り払うように、首を横に振った。
「……どうした?」
先輩に話しかけてもらうだけで、嬉しい。
「いいえっ、何でもないですっ」
「そうか? 今のは異常だったぞ」
先輩は笑う。
「ひどいですよ!」
「うそうそ」
さらに笑う。
馬鹿にされている気がしたけれど、幸せ。
このまま時が止まればいいのに……。
「あ、きれい!」
先輩は、年の差を感じさせないような、無邪気な笑顔を見せた。
また鼓動がスピードアップしていく。
「なんですか?」
「ほら、この景色! よくない!?」
先輩は手で枠を作り、それを遠くにかざす。片目をつぶり、枠の中を眺める。
わたしには正直、どこがいいのかわからなかった。
「…………?」
「ほら、覗いてみぃ?」
そう言って、先輩は枠をわたしの前にかざした。
先輩が近くなる。
嬉しくも、照れてしまう。
「夕陽に池が合ってて、神秘的じゃない?」
確かに、きれいだ。
空の上の方はまだ水色で、下にいくにつれてだんだんオレンジになっていって、見事なグラデーション。
池にはピンク色の花が咲き乱れ、水にはほんのり、空の色がうつっている。
癒されるような感じ。
「きれいですね……」
「だろ! 俺、すごい好き、こうゆうの! 将来は、こうゆうきれいな景色をいっぱい写真に撮りたい、って思ってるんだ」
「いい目標ですね」
「そうか!? そう言ってくれたの、沙彩が初めて! 超嬉しい!」
「いえいえ」
いえいえ、とか言いながら、実は凄く照れている。
『超嬉しい』か……。
先輩、わたしも同じように、嬉しいですよ。
先輩のことが知れて。
わたし
先輩のことが
好きになった
みたいです。
「さぁ、今から委員会や係の仕事を決めたいと思います!」
一時限目。
この時間は、仕事決めの時間。
「わぁぁいっ!」
クラス中が、歓声に溢れる。
わたしも、一緒に声を挙げた。
「名札を、やりたい仕事のところに貼ってください」
先生は、黒板に、様々な委員会や係の名前を書いていく。
書きおわると、
「よーい、始めっ!」
先生の合図と共に、みんな一斉に黒板目がけて走っていった。
大人しい女の子ぐらいが、みんなから外れた。
わたしと明日香ちゃんも外れた。
「ふっ……アホやんね、みんな! どうせ先に貼っても、定員オーバーのところはジャンケンで決めるのに」
明日香ちゃんは隣で、鼻で笑いながら小声で呟いた。
「……だね」
明日香ちゃんの呟きを聞いてから、男子たちを見ると笑えてくるようになった。
わたしたちは、もう何にしたいか、昨日から決めてあった。
委員会は【アルミ缶委員会】で、係は【掲示係】にする、と。
明日香ちゃんは去年の経験から、『この仕事が一番人気が無いのに、仕事は少ない』らしい。
どうせやるなら、楽な方がいい……!
と思い、賛成した。
彼女の言う通り、その二つの仕事に名札を貼る人は、一人もいない。
定員は女子二人、男子一人でぴったりだ。
わたしたちは迷わず、そこに名札を貼った。
そのあと、誰か男子がそこに名札を貼っていたのがわかった。
ジャンケンをすることもなく、わたしたちの仕事はその二つに決まった。
席から、わたしたちと同じ仕事になった男子の名札を見る。
【鈴村 大地】
と書いてある。
まだ全くクラスの人の名前を覚えてないわたし。
……誰だかさっぱり。
──ジリリリリリ──
授業終わりのベルが鳴った。
三日目なので大分このベルには慣れたが、やっぱりうるさい。
「ありがとうございました!」
日直にならって礼をする。
わたしと明日香ちゃんは自分の席に座ったまま、放課中話すのが日課になっている。
「よかったねぇ、一緒だよ♪」
「そうだね! 明日香ちゃんと一緒で嬉しいよ!」
「ちゃん付けしなくていいよ☆ 沙彩って呼びたい!」
「もちろん! 明日香!」
「沙彩!」
いつでもどこでも、一緒に行動するようになったわたしたち。
明日香に出会って、本当によかった。
「ねぇ、うちさ、沙彩のメアドとか知りたいんだけど……?」
「え……」
笑顔で聞いてくる彼女に、返事が困った。
メアドどころか、携帯すら持ってないから。
「メールできたらいいなぁ〜って♪」
自然に目線が下がってくる。
「……ごめん……」
彼女はすぐにわたしの心中を見抜いたようだった。
「……あ、もしかして、携帯持ってないとか!? ならごめんねぇ……」
「いいのいいの。今時携帯持ってないって……遅れてるよね」
笑顔を作る。
携帯……欲しいなぁ……。
だけど、買ってもらえるわけないか……。
「じゃあ、おねだりだっ!」
頼んでも、お父さんのことだし──
ごめん……多分わたしは、携帯を持つことはないと思う。
「頑張ってみる!」
あえて彼女に、家庭のことは言わなかった。
言ったことにより、散々なことになった過去があったから。
──四年前──
わたしには、友達が沢山いた。
この頃はまだ離婚していなくて、楽しく、充実した毎日を送っていた。
友達に聞くと、わたしと友達になった理由は
「明るくて、一緒にいると楽しい!」
と誰もが言う。
本当に楽しかった──この頃は。
授業が終わり、家に帰ると、玄関にランドセルを放り投げ、そのまま友達の家に遊びに行った。
遊び場の恒例、公園に行き、ブランコに乗ってお喋りをしたりと、いつものように楽しんでいた。
やがて日は沈み始め、『バイバイ〜〜』と言って別れた。
この後、わたしの気分を一気に変える出来事が起こる──
次の日。
学校なんて行きたくなかった。
誰にも会いたくない。
顔を合わせたくない。
いつものように明るく、楽しく居ることなんてできないと思う。
部屋のカーテンを閉めきり、朝だというのに光が全く入ってこない。
開けるような気分には、とうていなれない。
ベッドの布団にくるまり、枕に顔を押し付け、ただただじっとしていた。
その枕はグッショリと濡れていた。
今、どれぐらい泣いたのかわからない。
とにかく、涙が枯れてしまうほど泣いたのだろう。
目が痛い。
家の中は、怖いほど何の音もしない。
外の方でかすかに、女の子の笑い声が聞こえる。
そんな女の子が羨ましい。
リビングに行くと、お父さんがいなかった。きっと会社だろう。
もちろん……お母さんもいない。
昨日までお母さんがいた、このリビング、寝室、キッチン、洗面所……。
わたしに、お母さんがいたときの頃を鮮明に思い出させる。
お母さん、戻ってきてよ。お母さん、出ていったのは嘘だよね?
お母さんが愛しい。
今、何時かは分からない。何もせずに、結局学校にも行かず、外は薄暗くなってきていた。
お腹が空いたときは、カップラーメンを食べた。
鏡を見る。わたしの顔は、とんでもなくぐちゃぐちゃになっていた。
──ガチャ──
玄関の方から、鍵を開ける音がし、スーツ姿のお父さんが帰ってきた。
「──沙彩、飯は?」
リビングの机を見るなり、何か不満げな表情をしている。
「えっ……ないけど……」
ドンッ──!
お父さんは机を思いっきり叩いた。険しい表情でわたしを睨む。
お父さん……。
お父さんって、こんな顔するの?
今まで、見たことなかった──
「……早く、今から作れ!」
さらに怒るお父さんに、恐怖を覚える。
「そんな言っても、何も作れないよ……」
「いいから、カップラーメンでも何でもいいから! 俺は疲れて帰ってきてるんだから、それぐらいは用意しとけ! 家事もやれ!」
「…………」
そのままわたしはキッチンに立ち、お湯を沸かす。
もう止まったはずの涙が、また流れ始めていた。
「おはよう、沙彩! 昨日来てなかったけど、何かあった?」
「いや、何でもないよ。気にしないでね」
朝、笑顔で友達に聞かれた。
鏡で自分の顔がヘンではないかを入念にチェックした後、重い足取りで学校に行った。
「なんか今日、暗くなぁい? あんま喋んないし」
そう言い、友達は後にした。
ごめんね……今、とても話す気分にはなれないの。
いつもならわたしの席に集まってくる沢山の女の子たちも、今日は誰一人来ない。
自分でも気づいてる。暗いことには。
いつもより暗いだけで、こんなにも変わるの?
さっきの子以来、誰にも話し掛けられなかった。
家に帰る。
お父さんにまた飯作りを頼まれる。
やりたくなかった。
「やりたくないよ!」
歯向かう……と。
殴られそうになる。
それも嫌で……怖くて……。
まだご飯を作った方がましだ、と、その日もまたカップラーメンを作った。
その頃からかな。
自分の意志を表に出さなくなったのは。
友達が自然にいなくなっていたのは。
消極的で、暗くなっていたのは。
「おぉ〜い? どうした?」
明日香の声で我に帰る。
「沙彩って、ボーっとすること多くない? 大丈夫? 凄い深刻な顔してたし」
気付かなかった。
確かに、嫌なこと思い出してたし。嫌なこと考えると、顔が深刻になっちゃうのかな。
「とりあえずさぁ、次、早速さっき決めた委員会活動だから……。委員会やる教室に、移動しよ?」
「あ、はい」
わたしたちはアルミ缶委員会の教室へと向かった。【鈴村大地】って……誰……?
その教室内でも座る場所が決まっていて、わたしたちのクラスは、大体教室の真ん中辺りの席に指定されていた。
早速そこの席に座る。
わたしの隣に、誰か男が座った。
その人の顔をよく見ると──
おっとりとした目。
ストレートの髪の毛。
自己紹介した時、机をイライラした様子で叩いていた人。
あの、ちょっとかっこいいな、って思った人。
そう、その人こそが、
【鈴村大地】
だった。