スタート
着慣れない制服を着た。
148センチのわたしには、ちょっとブカブカ。
見慣れないスクールバッグを持つ。
まだ筆箱以外は何も入っていないから、軽すぎて違和感がある。
只今朝七時ちょっと過ぎ。
真っ白な靴を履き、セーラーのリボンを再度チェック。
七時半から始まる学校。十分もあれば着くらしいが、早めに家を出た。
階段で地図を開く。
右や左に回転させる。
「いってきまーす」
近くで、聞き覚えのある声がした。
見ると、一真さんがそこに。
「あ、よぉっ、沙彩さん」
「おはようございます」
ペコッとお辞儀する。
「つっーかさ、バッグ、同じじゃね?」
「えっ!?」
二人の服装を、交互に見渡す。
二人とも制服。
二人とも白い靴。
二人とも同じバッグ……。
「沙彩さんと俺の行き先同じ……とか?」
「わたしは豊田中学に……」
一真さんは、嬉しいとも、悲しいとも取れない微妙な顔を浮かべた。
「……そっか。一緒だな!ついてこぉい!」
返事をする間もなく、さっさと足早に歩いていく。
わたしも小走りで追いかけていく。
「なっ、何でですかっ……?」
「どうせ、行く道とか分かんないんだろっ」
前を見たまま応えた。
確かにその通り……。
「よろしくお願いします……」
なんだか恥ずかしくなって、俯き気味に呟いた。
「おぅよ」
「……………」
わたしたちの間に、重苦しい雰囲気が漂った。
何を話せばいいんだろ……。
歩きながら、彼の顔をチラチラ覗き見た。
元々トークセンスが無かったから、彼の方から話しかけてほしかったのかもしれない。
──目があった──
だが……恥ずかしくて、すぐに逆方向に背けた。
「なぁに?」
わたしの知っている一真さんより、一層優しい言い方だ。
笑って、少し垂れ下がった目。
口元がグイッと上がり、頬が横に広がっている。
「いや……ぁ……」
「そう?」
この時、顔を見なかったけれど、まじまじと見られたような視線が感じられた。
結局何も話さないまま時が過ぎ、学校に着いてしまった。
桜の木が沢山植えられている。
門から校舎に続く道は、桜の並木道のように、ピンク色に彩られている。
綺麗。綺麗なんだが。
門のところで、足が止まる。
これから中に入ることに、躊躇してしまった。
「……頑張れ」
ポン、と軽くわたしの背中を押し、彼は走り去っていった。
なんとなく、だけど……頑張れる気がした。
深呼吸をし、門を通り抜けた。
辺りをキョロキョロ見渡しながら歩いていると、先生らしき、大人の人が近づいてくる。
女の人で、大体50過ぎだと思うが……見覚えのない人。
「沙彩さん?小野田沙彩さんですか〜!?」
えっ!
何でわたしの名前を……。
「はい……そうですけど……」
「来てください」
「えっ」
その大人の人は、わたしの手を引き、校舎の中へと連れていった。
辿り着いたのは、赤いソファーと黒いテーブル。それに植物だけが置かれた部屋。
「座ってください」
「あ、はい」
言われるがまま、そっとソファーに腰掛ける。
背もたれはあったが、あえてもたれなかった。
「申し遅れました、わたくし、校長の秋山朋子と申します」
校長先生!?と表には出さず驚いたが、校長はそのまま会話を続けていた。
「本当なら、ご両親も来てくださるはずなんですけれども、忙しいそうなんですよね?」
って……お父さんは今日は仕事はないだろうし、わたしが家を出る頃、まだ寝てたし。
はぁ……まったくだ。
面倒なのか、それともわたしのことなんてどうでもいいのか……。
理由はともかく、嘘はつくなんて。
だが親が嘘をついていることなんて言えるはずもなく……
「まぁ……そうなんです」
と応えた。
「これから沙彩さんには、中舎二階の、2年4組に行って頂きます。そこがこれからの沙彩さんの教室なので、場所を覚えておいてくださいね。今から案内しますから」
校長先生は部屋を後にし、歩き進めた。
わたしも少し距離を置き、ついていく。
知らない人が通りかかる。
というより、全員知らない人だ。
2年の廊下に行くと、お喋りしたり、ちょっかいを出している子たちが沢山いた。
やたら視線がわたしに集まっている気がする。
校長先生は、【2−4】という札が掛けられた教室を指差した。
「ここが、あなたの教室ですよ」
「ほーぉ……」
「何か分からないことがあったら、近くの先生方や友達等に聞いてくださいね」
そう言い残し、校長先生は去っていった。
なっ、馴染めないなぁ──
ザワザワと騒めく教室に一歩入った途端、不安が募っていった。
転校生だというのに、一人も話しかけてくれない。
わたしの存在に気付かない?
わたしに話し掛ける興味がない?
諦め加減で教室を一周、回ってみた。
何処に座ればいいのか分からず、座席表とかがないかと思い。
「どうしたの?」
わたしより背の高い、ショートヘアの女の子。
「わたしの席って……どこですかねぇ……」
「あ、席は決まってないんだけど……。空いてる席に座ったら?」
救いの声だ。
彼女は一つ、席を指差しながら言った。
「ほら、ここだよ」
「ありがとうございます」
ゆっくりと席にバッグを置いた。
さっさから、彼女がにやけているような……。
彼女は一つ前の席に腰掛け、後ろを向き、話し始めた。
「どこから引っ越してきたの?」
そう言う彼女の顔は、満面の笑顔だ。
話してくれたのもそうだし、わたしが転校生だってことを分かってくれていたのが、胸が弾けるぐらい嬉しい。
わたしも席に腰掛ける。
「……刈谷ってところです」
「そう♪てか言い忘れてたけど、うちの名前は稲城明日香だよ!よろしくね」
「わたしは小野田沙彩って言います……」
何故か彼女は笑い出した。
わたしの肩をポンポン、と叩く。
「さっきから思ってたけど、何故敬語!?うちら同級生だから、敬語なんて使わなくていいのに!」
あ、そう言えばそうだ──
と言うか、敬語じゃないとなんか慣れない……。
「じゃあ使いません」
「あ、今使ったぁ!」
「ぁ……」
彼女は腹を抱えて笑った。
わたしもつられて笑った。
──ジリリリリリ──
授業始まりのベルが鳴る。
「ちぇっ……」
明日香ちゃんは悔しそうに頬を膨らませ、拗ねながら正面を向いた。
チャイムじゃないんだ……なんて少し珍しがっていた。
もう緊張は半分ぐらいに消えている気がする。
もう顔がにやけて仕方がない。
気味悪がられたっていい。
なんだが楽しいッ!
「転校生の方、自己紹介お願いします」
「あっ……」
このクラスの担任だと思われる、男の先生が、わたしに声をかけた。
一気に視線がわたしに集中する。
注目されるのは嫌ではないが、かなり苦手だ。
わたしは教壇の前に立たされた。
「……ぅうっと……わたしの名前はぁ……」
緊張度は最高潮に達している。
廊下の方に視線を反らしながら、カミカミで言う。
「……小野田沙彩と言います……どうぞよろしくお願いし──」
──カツン、カツン──
最後まで言う前に、後ろの方の席の男の子に目が行った。
机を爪で均等なリズムで叩き、明らかに苛々している様子だ。
さっさと済ませようと、早々席に戻った。
コソコソ──
明日香ちゃんが後ろを向き、わたしに耳打ちする。
「気にすることないよ。あいつ、超ムカつく奴だから」
「はぁ……ァ」
そう言い、前に座り直した。
『ムカつく奴』かぁ……。
本当にムカつく奴だとしたら、居心地が悪くなる気がする。
だけどそうじゃないとしたら、意外に──
──かっこいい
と思う。
その男の子はわたしの席の二つ隣に座っているが、この距離から見るとなかなかかっこいい……と思うんだ。
サラサラの髪。
おっとりとした目元。
タイプじゃない、と言ったら嘘になる。
……まぁ、見た目だけだけど。
今まで恋の経験は二回。
最終的にはわたしの勝手な片想いで終わってしまうんだが。
その、好きになった人に共通していた、見た目がこれだった。
ちなみに告白された回数は──十回前後。
よく好きな理由として言われた台詞。
「かわいいから好き」
と。
……かわいいだけ?
確かに、この消極的な性格でモテるわけがないから、見た目はせめてかわいくしよう、と努力はしているが。
休日はメイク。
アクセサリー。
流行はきちんとおさえる。
貧しい家庭だが、このことには凝る。
これだけ凝っても、生活には支障はないから大丈夫だ。
わたしは彼から顔を背けた。
なんとなく……見ていたわたしのことを、見られた気がしたから。
窓から、向かいの教室を眺めていた。
その教室は、【3−3】だった。
春とは思えない、強い日射しが、わたしの目を刺激する。
周りの木々たちが、少し影をつくる。
授業後。
慣れない授業が、やっとのことで終わり、バッグに帰り支度をしている最中だ。
わたしには特別、重い、重い、沢山の教科書たちが配られた。
見ているだけで、この量はゾッとする。
「沙彩ちゃん、大丈夫だった?慣れた?」
明日香ちゃんは、もう帰り支度が終わっている様子で、バッグを腕に掛けている。
「うーん……ぼちぼち、かな……?」
教科書を四つぐらいのまとまりに分けて、バッグに詰め込んでいく。
「ま、最初のうちはそうだよね。入学式みたいな感じで」
「うん」
「とか言って、まだうちも中2になったばっかしだしぃ、このクラスに慣れてる、って訳じゃないんだけど」
彼女は、そう言って微笑んだ。
わたしも、帰り支度は終わり、バッグを腕に掛けた。
二人一緒の歩幅で、教室を後にした。
いつの間にか、一緒に帰るように歩いている。
「あぁっ!」
彼女は何かを思い出したかのように、急に奇声を挙げた。
わたしはそれに反応して、体がビクッと震えた。
「どっ……どうしたの?」
次々にいろんな話題を出してくれる彼女は、わたしにとって、とても話しやすかった。
わたしは、話題がなかなか切り出せないんだよね。
「部活、何に入る!?」
「えっ、別に……考えてないけど」
そんなに大事ではなかったから、少しホッとした。
「良かったら、うちと一緒の部活に入らない?」
「どっちでもいいよ」
わたしの話し方は、相変わらずつまらない……と自分でも思う。
誘ってくれて、本当は物凄く『嬉しい』が溢れていたのに。
どうして、こう、思ったことを表に出せないのだろうか。
昔からの悩みなのだ。
「じゃあ決まりねッ!明日先生に言っとくから!」
彼女は胸の辺りで、小さくガッツポーズをした。
わたしたちは、下駄箱の靴に手を掛け、履く。
「沙彩ちゃんの家って、どっち方向?」
門のところまで来たところで、道が二手に分かれていた。
「そっち」
左を指差す。
急に残念そうな顔を見せた。
「あーぁ……うち、右だわ……。じゃあまた明日ね」
「うん」
「ばいばーい」
お互い手を振り、それぞれの家に帰る道へと進んだ。
時々迷いながら、ようやく家に着いた。
学校の周りには、緑が。
帰り道の途中にも、緑が。
家の周りにも、緑が。
前住んでたところと大違いだな……。
本当、田舎……。
「ただいまー……」
だが返事は決まって、帰って来ない。
いつものことだが、毎回淋しさを覚える。
バッグを適当なところに置き、手早く制服を脱ぎ、動きやすいエプロンに着替える。
腕まくりをし、シンクの蛇口をひねった。
何もない。
静かな空間。
その中でひとり、黙々と夕飯作りに励む。
一旦包丁を置いた。
──五年生の頃は、家事なんて全く出来なかったのにな。
今や専業主婦みたい。
わたしは、お父さんのお世話係なのかな……。
でも、やらなきゃな──
包丁を持つ手が重い。
力を入れて切る。
「いっ……痛っ……!」
痛みの元は、左手の中指。
パックリと皮膚が開いている。
そこから血がドクドクと滲み出ていく。
「うっ、うぅぅ……」
ポロポロと涙がこぼれ落ちる。
痛い。
痛いし。
それに、
やりたくない。
こんな生活、もう懲り懲りなの。
家にいるときは、仕事、仕事、仕事詰め。
夕飯作り、洗濯、掃除、お風呂洗い。
数えきれない。
その仕事がやっと終わったと思ったら、いつも一日が終わろうとしている時間。急いで宿題を済ませ、お風呂に入り、急いでベッドに入り──
わたしの一日終了。
自由なんてない。
わたしは『お父さん』という牢屋の中に閉じ込められて、監禁されているのだ。
だから言いたいことも言えない。
──ガチャっ、ガチャガチャ──
金属同士が当たったような音。
わたしにはそれが、玄関の鍵を開ける音だと、すぐに分かった。
この時、夕飯を作り終え、テレビの埃をはたきで落としている最中だ。
……お父さんだ。
「おかえりなさい」
玄関に出迎える。
「…………」
スーツの上着を脱ぎ、何も言わないでわたしに手渡す。
わたしも何も言わず、ハンガーに上着を掛ける。
これが日課だ。
リビングの机には、いつも決まって、缶ビール二缶と、夕飯を用意する。
夕飯は一人分。
わたしは、自分の部屋で食べるのだ。
できるだけひとりでいたい。
できるだけお父さんと離れたい。
自然にそういう思考が働き、無神経のうちに、お父さんを避けていた。
部屋に入るなり、大きな溜息をつく。
隣の部屋……つまりリビングから、大音量でテレビの音が聞こえた。
お笑い芸人か、人の笑い声が聞こえてくる。
ここ最近、全く、『テレビ』というものを観ていない。
いいな、いいな、楽しそうで──
今日も偶然、家を出たところで一真さんと会い、一緒に学校に来ていた。
来ている途中で、ふと思ったことがある。
何故、名札の色が違うんだろう……と。
そんなに重要なことではないが、不思議に感じた。
わたしの名札の色は、赤。
それに対して、彼の名札の色は、青。
男女の差か何かだろう……と勝手に自分で解決して済ませたのだが。
その後は、下駄箱の場所が違う、ということで、下駄箱の前で別れた。
「おはよぉっ!沙彩ちゃん♪」
靴から上履きに履きかえている途中だった。
背後から聞き慣れた声がする……と思ったら、明日香ちゃんの姿がそこにあった。
「おはよう」
初めて会った昨日とは違い、大分親しみやすくなっていた。
「一緒に行こっ!」
「うん」
「──ねぇねぇ、俺と一緒に、今からデートしようよ〜〜〜♪」
三年生の下駄箱の方から、耳を疑ってしまう、へんな内容の会話が聞こえてきた。
会話、というより、男の誘いがしつこく聞こえてくるだけとも言えるが。
わたしたちは教室に行くことを忘れ、その会話の様子に見入っていた。
しつこくデートを誘う男は、女の人に覆いかぶさっている。
それを拒み、必死に抵抗する女の人。
女の人の顔は、いかにも泣き出しそうな表情だ。
ヒソヒソ──
「凄いねぇー……。こんな光景、中学に入って初めて見たよぉー!てかまだ中学生なのに、すげぇッ!」
可哀想だと思うより、明日香ちゃんは興奮しているようだ。
わたしは薄笑いを浮かべた。
なんか引っ掛かる……。
あの男の顔、どっかで見たことある気が──なんてね……。
「行こうよ〜〜♪行かないと、どうなるか、分かるよね?」
男はニヤッと、怪しい笑顔を見せる。
拳を上に突き上げた。
ついに、女の人は泣き出した。
「ごめんなさい……ゥゥッ……勘弁してくださいィ……」
意外にも大きな声で泣いた女の人は、一気に注目の的になった。
周りが皆、男の方を見て耳打ちする。
男は目をカッと見開く。
「泣くなよっ!俺が悪者になってやがる!」
その時、明日香ちゃんが立ち上がった。
「そうよ!あなたは悪者よ!女の人を傷つけるなんて、男じゃないわ」
えっ!
明日香ちゃん!?
いきなり、凄い度胸!
あまりにも突然の出来事に、わたしは呆然と、口をポカーンと開けていた。
彼女は腰に手を当て、鋭い目つきで男を睨む。
「……こんにゃろぉ!」
男は耐えきれなくなったのか、その場から逃げ去った。
男の姿が完全に見えなくなったとき、下駄箱周辺は拍手に包まれた。
女の人は、明日香ちゃんにペコペコと頭をさげる。
「ありがとうございますっ!あなたは私の恩人です……!」
「いえいえ」
そう言いながら、明日香ちゃんはなんだか照れている様子だった。
「明日香ちゃん、本当に凄かったよ。……スーパーマンみたいだった」
「そう?凄いでしょ♪」
ホント、見習っちゃう。
その勇気にも、度胸にも。
「さすがだね」
彼女は頭を掻きながら、
「照れるなぁ〜〜」
とにやけた。
「ちょっと待っててっ!」
急に話題を変えた彼女は、訳も聞けないまま、席を後にした。
約十分後。
一枚の紙を手にし、戻ってきた。
紙と画用紙の間ぐらいの厚さで、色は白ではなく、黄色だった。
「さぁ、ここに名前をッ!」
そう言って彼女は、紙とペンを机の上に差し出した。
【氏名】と印刷されているところを指差す。
わたしは特に他のところは読まず、躊躇いもなく、【小野田沙彩】と記入した。
放課後、驚くことになった。
音楽室に連れられ、いきなり
「どの楽器がいい?」
と明日香ちゃんに聞かれた。
彼女の話によると、あの黄色い紙は、【吹奏楽部入部届】だったらしい。
それに名前を記入したわたしは、今日から吹奏楽部の部員となっていた。
あと、もうひとつ──
吹奏楽部には
見たことのある人が
いた。
その人は
一真さん
だった。