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ロシア向日葵の謎  作者: 若庭葉
3/6

2:いっそう不可解な状況を作り出してしまった

 ひとしきりマスターのトランプマジックを堪能したところで、再び事件のことが話題に上る。

「結局、私たちの中でアリバイがあるんは、マスターと鞠井くんだけみたいね」

 皮肉げな笑みをルージュの端に仄めかし、冷清水が言う。事件当夜もマスターは変わらず店に立っており、尚且つ客足が途切れなかった為、アリバイが成立したとのことだった。

「鞠井さんは、確か阪神の試合を観に行くと仰ってましたよね?」

 番字が水を向ける。どうやら、彼は他の常連客たちに予定を話していたようだ。

「ええ。友人二人と一緒に、久々に甲子園まで足を伸ばしました。ま、僕らの声援も虚しく、惨敗でしたけどね」

 阪神は五点差を付けられる大敗を喫したそうだ。打線も振るわず、わずか一得点に終わったと、鞠井は慨嘆していた。

「試合が終わったあとは、三人で近くの居酒屋を数件回って、そのまま友人の家に泊まりました。一人神戸に住んどる奴がおって、元々お邪魔することになっとったんです」

 しかし、友人の証言だけでは警察に認められないのではあるまいか? 井岡はそう考えたのだが、彼のアリバイが立証されたのには、他にも幾つか理由があった。

「これはホンマにたまたまなんですが、球場のすぐ真後ろの座席に、高三の時の担任が座ってましてね。先にこっちが気ぃ付いて挨拶させてもろたんですよ。先生も俺のことを覚えていてくれて、そのお陰で証人になってもらえたわけです」

 それだけではなく、試合後に彼らが立ち寄った居酒屋の大将も、鞠井が来店したことを覚えていたそうだ。個人店の為あまり店内が広くなかったことと、直前の試合について話を交わしたことにより、記憶に残ったらしい。

 二十二時過ぎ──だいたい二十分になるかならないか頃──に入店し、会計を済ませ店を出たのが二十三時半頃。その時点ですでに、犯行推定時刻を超過していた。

「とても強固なアリバイですね。羨ましい。私なんか、ほとんどずっと一人で家におったから、たぶん最有力容疑者になってますよ。『あの女が怪しい』って、今頃マークされとるかも」

 番字が拗ねるような口調で言う。ちなみに「ほとんど」と言ったのは、彼女も事件当夜《HIMAWARI》を訪れていたからだ。

「お酒が呑みたなったんですけど、一人で晩酌って言うのも寂しいなと思って。確か、お店に入ったんが、二十一時くらいやったかな。いつものカクテルを頼んでしばらく一人で呑んどったら、冷清水さんがお見えになりましたっけ」

「そうね。私も番字さんと同じで暇やったから」

 それから一時間ほど一緒に呑んだ後、番字が先に帰り、冷清水は店に残ったそうだ。彼女が店を出たのは、閉店間際の午前一時前と言うことだが、それでもアリバイがないことには変わりない。

 先ほど話に挙がったとおり、死亡推定時刻は一昨日の夜二十時から二十三時までの間。T町にある被害者の自宅からこのバーまでは、徒歩でも十五分ほどである為、このバーに寄ったのが事件の前であれ後であれ、番字と冷清水と中利の三人には、犯行が可能だったことになる。

「あの、みなさんが最後に日向さんと会われたのは、いつなんですか?」

 好奇心のままに、井岡は質問を放つ。

「あら、警察みたいなことを訊くんですね」冷清水の口調は別段気分を害した風ではなく、純粋に面白がっている風だった。「三日前──事件のあった前の日の夜です。その日も、ちょうどみんな揃っていました」

「そうでしたね。マスターのマジックを観せてもろて、あとは閉店まで駄弁っていましたっけ。鞠井さんたちの予定も、その時に聞いたんですよ」

 番字が受け取ったバトンが、今度は中利へとトスされる。

「今思えば、あの日種をもらって帰ればよかったですね。そうしとったら、一昨日の夜にわざわざ立ち寄らんくて済んだのに」

「私も。あんまり食べすぎるのはよくないんかなって思って、この間は我慢したんですけど……結局、一昨日もらって帰りましたから」

 事件当夜、中利だけではなく番字も、向日葵の種をお土産にしていたらしい。よほどハマっているようだ。

「そう言えば、警察の人の話やと、()()()()()()()()()()()()()が、現場に残されとったらしいですね。袋の口をリボンで結んだ状態で、テーブルの上に置かれとったんやとか。三日前には持って帰ってへんかったと思うんやけど、どうしてまだあったんやろ?」

 鞠井の問いに、マスターが答える。

「事件のあった日にも、日向さんがお見えになったんですよ。中利さんと同じで、種を持ち帰る為に、お越し下さいました」

 最後に日向と会ったのは、彼だったのか。無論、犯人を除いて。

 日向が来店したのは、常連たちの中で一番早い十九時過ぎだったそうだ。彼女は「また必ず呑みに来ますから」と申し訳なさそうに言い、種を持ち帰ったと言う。事件当夜、店主は一杯も頼んでいない客二人に、無償でツマミを渡していたわけだ。贔屓客へのサービスなのだろうが、気前がいい。

「おそらく、酒の肴にするおつもりだったのでしょうが……その前に亡くなってしまったようですね」

「そう言うことですか……」

 それ以上何も言わずに、鞠井は手の中のグラスに視線を落とした。好物を口にすることなく逝ってしまった呑み仲間を悼んでいるのだろう。

 井岡は、沈黙した男の横顔を盗み見る。この中で──マスターと常連客を合わせた五人の中で──、彼女の死に最もショックを受けているのは、鞠井なのではないか? 自分でも理由はわからなかったが、井岡は何故かそう感じた。

「マスターの言うとおりなんでしょうね。日向さんの胃の中の内容物──って言うんだっけ?──からは、向日葵の種は出て来んかったみたいやし」

 沈黙を厭うかのように、冷清水が合いの手を入れた。

 その後、今度は渋沢が、「周辺の監視カメラに犯人の姿は映っていなかったのか」と尋ねる。が、犯人はどうも監視カメラのある場所や、その死角について熟知していたものと見え、それらしい人物の姿は認められなかったそうだ。こうした点からも、警察は被害者のことをよく知った人物──彼女の家を何度か訪れたことのある人間が犯人であると、睨んでいるらしい。

 そしてその条件は、常連客たち全員に当て嵌まった。

 また、すでに述べたとおり、隣人は事件当日旅行に出かけており、他の民家とはそれなりに距離がある為か、不審な物音や言い争うような声を聞いたと言った証言も、今のところ得られていないそうだ。

「でも、まだみなさんの中に犯人がおるって決まったわけではないんですよね? 今は捜査線上に浮かんでいないだけで、本当は他にも、日向さんと親しくしとった人がいてるんかも知れませんよ」

 渋沢は彼らを気遣ってそう言ったのだろう。しかし、容疑者らの反応は実、につれないものだった。


 そして、一夜空けた十月八日。事件は急展開を迎える。遺留品である向日葵の種の入った袋から、()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 しかしながら、即座に解決とまではいかなかった。それどころか、この発見がいっそう不可解な状況を作り出してしまったのである。


 僕たち──若庭(わかば)(よう)緋村(ひむら)奈生(なお)がその「謎」に挑むのは、さらに一日経ったあとのことだった。


 ※


 十月九日。

 それは、長い()()()()期間を終えた僕が大学に復帰してから、間もなくのことだった。


 その日の放課後、僕と緋村は共通の友人に呼び出され、普段はあまり寄り付かない、第二食堂の一隅にいた。連絡を寄越して来たのは井岡だったが、その隣りには彼女のボーイフレンドも座っている。渋沢寿志先輩と顔を合わせたのは、僕も緋村も、この日が初めてだった。

 第一印象は、実に正統派な「イケメン」と言ったところか。単に顔立ちが整っているだけではなく、上背もある。それでいて、人当たりの良さそうな雰囲気を纏っており、物腰も至って穏やかであった。男女の区別なく良好な関係を築くことができるだろうと思う反面、人によってはコンプレックスの対象として疎まられそうだと、卑屈な男は考えてしまう。

 ともあれ、今僕の隣りでいかにも不機嫌そうに顔をしかめている皮肉屋とは、比べものにならないほどの好青年であることは、疑いようがない。

 緋村もルックスに関しては上々なのだが、口と性格と目付きが悪い為、そのアドヴァンテージが活かされた試しがない。

「で? 俺たちにそんな話を聞かせて、どうするつもりだ? まさか、犯人を突き止めろだなんて言うんじゃねえだろうな?」

「さっすが緋村くん、話が早くて助かるわぁ」

 井岡はいかにも能天気そうな笑みを浮かべる。ふんわりとしたボブヘアーを赤みがかった茶色に染めており──彼女は定期的に髪色が変わる──、今日はダボ付いた桜色のトレーナーとデニムパンツと言う秋らしい出で立ちをしていた。白いキャップとの組み合わせは少々ありきたりにも思えるが、しかしよく似合っている。

 などと、ファッションのことはどロクに知りもしないクセにファッションチェックをしつつ、僕は二人のやり取りを静観(みまも)っていた。

「何が『さっすが』だよ。今の言葉をどう捉えたらそうなるんだ」

「ええやん、少しくらい付き()うてくれても。どうせ暇やろ?」

「そりゃあ、すでに大手企業からも仕事をもらってる秀才様と比べたらな。お前の方こそ、そんな事件とかかずらってる時間なんてあるのかよ」

 緋村の言葉には多少の皮肉もあっただろうが、井岡が優秀な芸大生であることは、事実だった。すでに作品が売れているだけではなく、昨年度末には学内の展示スペースにて個展が開かれたほどだ。僕や緋村なんぞよりも、まっとうに学業に取り組んでいる。

「まあまあ、そんな冷たいこと言わんと、知恵を貸してや。私も寿志も、()()()()()()()()()ねん」

 井岡は顔の前で拝むようにして懇願する。

 現場に残されていた向日葵の種の袋から検出された指紋。それは、容疑者の中で唯一明確なアリバイのある、鞠井さんの物だった。

「お前が心配しなくても、その人が逮捕されることはねえよ。アリバイが崩れない限りはな」

「それはそうやけど……でも、不思議やない? なんでよりによって、鞠井さんの指紋が検出されたんか。──寿志も気になるやろ?」

 不意に水を向けられた渋沢さんは、戸惑いつつも、

「まあ、な。あの人が日向さんを殺すとは思えんし、事件当時甲子園におったんなら、犯行は不可能なはずやからな。けど、だからと言って、緋村くんたちを巻き込むなんて、俺は聞いてへんぞ」

「あれ? そうやったっけ?」わざとらしくとぼけてみせる。「まあでも、せっかくこうして四人集まったんやし? もう少しみんなで考えてみよや。──あ、そう言えば、若庭くんって推理小説好きやったやろ? ミステリマニアとして、何か意見あらへん?」

 逃げ場を求めるように、僕に振る。

 偏執狂(マニア)と言うとなんとなくイメージが悪いような気がするが……概ね間違ってはいないし、頼りにされるのは吝かではない。

「急に言われても、大したアイデアは出て来ないけど……」そう前置きをしつつ、取り敢えず気になったことを尋ねる。「常連客の中に、日向さんを殺害する動機を持っていた人はいるのかな? 彼女に借金をしていただとか、誰か男性を巡って鞘当て合っていたとかは?」

「うーん、そう言ったトラブルはなかったみたいやで? なあ?」

 その言葉を、ボーイフレンドは首肯する。彼の知る限り、常連客たちの仲は良好だったそうだ。

「もちろん、秘めたる殺意みたいなもんがホンマになかったとは言いきれんけどな。特に、鞠井さん以外の三人とは、数回バーで顔を合わせた程度の間柄でしかないし」

「動機に関しては、考えるだけ無駄でしょう」にべもなく、緋村が言い放つ。「状況からして突発的な犯行だったようですし、犯人ですら予想していなかったキッカケから諍いに発展し、思わずやってしまったのかも知れません」

 少々悔しいが、言われてみればそのとおりだ。

「それより気になるのは、袋から検出されたと言う指紋です。鞠井さんの他には、誰の物も出て来なかったのですか? 無論、日向さん以外で、です」

「ああ。あとは、マスターの指紋が出て来ただけやそうや」

「なるほど……」

 口許を手で隠し──考えを巡らせる時の彼の癖だ──つつ、緋村は再び尋ねる。

「鞠井さんと日向さんは、()()()()()だったのでしょうか?」

 それは僕にしてみても意外な問いであったが、誰よりも渋沢さんが驚いていた。

「どうしてわかったんや?」

「なんとなく、そう思っただけです。──お二人は付き合っていたんですね?」

「いや、そこまで明確な関係やったわけではないらしい。俺が聞いた話やと、日向さんの方から鞠井さんにアプローチをかけとって、ちょくちょく家に招いとったみたいや」

「では、鞠井さんが彼女のアタックを疎ましく思っていた、と言うことは?」

「それはないと思うで。今はフリーやったはずやし。まあでも、好意を受け入れる予定はなかったようやけどな。こう言うと煮えきれない態度を取って弄んでいた風に聞こえるかも知れんが、鞠井さんは今の状態を楽しんどったんやろう」

 満更でもなかったと言うことか。二人の立場が逆だったのであればまだしも、わざわざアリバイ工作や突発的な犯行に見せかける偽装をしてまで、彼女を殺害する必要はないように思える。

「ちょっとちょっと。私は鞠井さんの容疑を晴らしたい言うてるのに、なんでそんな質問ばかりするん? どのみちアリバイがあるんやから、犯行は不可能やろ?」

「知ってるか? 甲子園球場からT町までは、車を飛ばせば四十分ほどしかかからないんだぜ?」

「それは知らんかったけど……だとしても、誰にも気付かれんと試合中に抜け出すなんて、できるわけないやん」

 この反論に、緋村はアッサリと頷いた。

「だろうな。──別に、俺だって鞠井さんが犯人だと考えているわけじゃねえよ。だいたい、アリバイを捏造するとして、偶然再会した恩師を証人に選ぶはずがねえからな。友人ならまだしも、さすがに高校の時の担任までグルとは思えない。計画的な犯行であれば、他にもっと確実な証人なり証拠なりを用意していたはずだ」

「やんね? 私もそう思うわ。……でも、それならそれで、そんな意地悪な言い方せんくてもよくない?」

「一つずつ可能性を潰しているだけだ。他意はない。──ところで、そのバーって言うのは、今夜も営業しているのか?」

「えーっと、どうやったっけ?」

 隣りに尋ねる。

「やってるはずやで。年末年始以外は基本休まないって言うてたから」

「そうですか……。なら、実際に見ておくかな」

「何を?」

「向日葵の種ですよ」

 意外な発言だった。井岡に話を聞かされた当初は、あんなに嫌そうにしていたクセに、結局捜査に乗り出すのか。

「もしかしなくても、協力してくれる気になったってことやんね?」

「さあな。ただ、少し興味が湧いて来た」

 この事件に対する興味かと思ったのだが、違った。

「なかなか面白そうな店だからな」

 それは同感だ。

 かくして、今夜の予定が決まる。僕たちは一度解散したあと、再び大学の近くで集合し、件のバーへ向かうことになった。

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