第一章 木島 音葉(きしま おとは)視点 楽しみの幕開け
でも、小・中と徒歩通学だった私にとって、電車通学は遠い世界の話だった。つい最近まで。
電車に乗ったのは幼稚園生以来だった。だから乗り方や定期券の出し方も分からず、入学式初日、まだ高校に着かない時点で汗だくになっていた。
今はまだマシな方にはなったけど、時々定期券を改札でタッチしないまま通過しようとしてブロックされる。そしてその度に周りからクスクス笑われるけど、それはもう慣れた。
ドジなんて昔から日常茶飯事な私にとって、笑われる事はそんなに珍しい事じゃない。それに、こんな珍事件が起きるのは駅だけではない。
家の近所でも、電信柱に衝突したり。
小学生時代でも、六年間通っていた小学校の構造が時々分からなくなって、いつまでも授業がある視聴覚室にたどり着けなかったり。
中学生時代でも、部活の練習日を間違えて、休校にも関わらず玄関で待ち続けた事も。
家の中でも、塩を冷蔵庫に入れて、両親から大爆笑されたり。
むしろ私がドジをしない日が異常なくらい。不謹慎ではあるけど、全くもってその通り。でも、まだ命に関わるドジをしないだけでもマシな方なのかも・・・と、毎日自分に言い聞かせている。
ただ、財布や定期券を落とした・・・なんて事になったら、今のご時世、命に関わる大事件に発展する可能性も。
だから私の場合、電車に乗る時、降りた直後、改札を抜けた後など、こまめに鞄の中とかを確認している。
こうすれば、例え何かを落としても、探す範囲が狭くなり、効率も良くなる。今はまだ落とし物はしていないけど、そうやって油断した時に限って、大切な物を落としてしまう。
これこそ『フラグ』なのかもしれない。人間には分からない、神様のイタズラか、お遊びか。でもまぁ、そんなお遊びに毎回付き合っているのが私なんだけど。
「定期券・・・よしっ
財布・・・よしっ
学生証・・・よしっ」
「落ちてたらすぐ拾って、落とし物センターに届けるよ」
あんまりにも私が毎回用心にカバンの中を確認するから、駅員さんに覚えられてしまった。でも、これはこれで対策としては良いのかもしれない。開き直りなのかもしれないけど。
そんな私も、駅員さんの顔や名前、シフトなどもいつの間にか暗記してしまった。この『黄泉川駅』は、そんなに大きな駅ではない。だから駅員さんの数もそれほど多くない。
ベテランの中年駅員さんから、今年の春に入職した新人駅員さんまで。もう去ってしまった駅員さんの事も、ボヤッとだけど覚えている。
気持ち悪いかもしれないけど、駅員さんも職業病なのか、毎日駅を利用する人は、なんとなく覚えてしまうんだとか。
でも、大勢で通学する学生や会社員、全員覚えるのには数年かかるそう。簡単に覚えられるのは、近所に住むおじさんおばさん。
けれど、私の様に不思議な素振りをしている人は、すぐに覚えられてしまう。
何故私がカバンの中を何度も確認しているのか、理由を言った事もある。
私の話を聞いた駅員さんは、「それは大事な事だよ」と言ってくれた。そう言われると、覚えられてしまうのも嫌ではないと思える。
きっと、私が近所の人から簡単に覚えられてしまうのも、ドジ対策が原因なのかもしれない。友人からは、「毎日大変じゃない?」なんて言われるけど、それで得をする時も。
駅員さんからは、旅行に行ったお土産をお裾分けしてもらう事も。近所の人からも、ハイカラなお菓子を譲り受ける事も。
この前近所のおばさんから『タピオカドリンク』を貰った。最近話題になっているから、スーパーで数本買ってみたけど、美味しくなかったんだとか。
いつまでも冷蔵庫に保管しておくわけにもいかず、私の手に渡った。まさに『棚からぼた餅』ではなく、『近所からタピオカ』だ。貰ったお歳暮やお中元の余りを横流しされる事も。
私の住んでいる地域には、私と同い年の子も沢山いる。でも、喜んで受け取るのは私だけなんだとか。
私は別に貧乏性というわけではない。ただ、『貰える物なら遠慮せず貰いたい』という、私の信念だ。
両親からは、「また貰って来たの?!」なんて呆れられる事もあるけど、それでもお裾分けの美味しさはやめられない。
「あっ、そういえばさ
コウジさん、今日実家から帰ってくるんだけど、お土産持って来ると思うよ
明日コウジさんに顔を合わせれば、貰える筈だよ」
「やめてくださいよー、私ががっついてるみたいな言い方ー
まぁ貰うんですけどねぇー」