序章 真夜中の駅構内
深夜の駅
それは、まるで異空間の様な、奇妙な空気が漂う場所。
煌々と光る電灯の光に向かう、複数の虫達。電灯に激突しながら、尚も光に群がり続ける。
まるで、それが宿命であるかの様に飛び続ける虫達。例え羽が欠損しても、触覚が千切れても、ただひたすら光に向かっている。
電灯に付いているスカート状のカバーには、飛び疲れた蛾が羽を休ませていた。蛾の羽の模様は、まるで人間の『目』にも見える。
地面には、果ててしまった虫達の亡骸が散らばり、電柱の根本には、誰が捨てたのか分からない、口が結ばれているコンビニのゴミ袋があった。
コンビニ袋からは、使用済みの割り箸が飛び出ている。その割り箸の先端を囲む様に、ハエや羽虫が漂っていた。
放置されたコンビニ袋は、心なしか少し寂しげに見える。電灯の光光に晒された事により、袋に幾つもある小さな凹みが、まるで人の顔の様にも見えた。
これを真夜中でたった一人、暗く寂しい夜道で発見したら、大抵の人間は叫び声を上げるだろう。
これで警察沙汰になっても、警察側も納得できそうだ。
この『黄泉川駅』周辺には、住宅しかない。駐在所も、コンビニもない。唯一、自販機が一台だけ稼働している。自販機にへばり付いている虫達が影を作り、地面にはまるで影絵の様に映り込んでいた。
自動改札機は、深夜になると停止してしまう。通過する電車がないから。ただ近くの壁に設置されている監視カメラだけが、小さな赤い光を発していた。
待合室には、子供達が笑顔で手を振るポスターなどが貼られている。多くの学生が利用する事もあって、非行防止のポスターが多い。
ただ、その待合室の床に捨ててあるタバコ。それは、待合室にも関わらず、喫煙してその場で捨てて行った、サラリーマンの仕業。
「待合室には自分しかいないから大丈夫」
「喫煙室がないからしょうがない」
そんなサラリーマンの勝手な自己解釈により、その場に残されたタバコは、責任を全て押し付けられ、踏みつけられてしまった。
大人を見習う子供、その子供達の手本となるべき大人。
その手本が、社会のルールを無視している。でも許されていた。だって、そのサラリーマンを見た人は、誰もいないから。
にも関わらず、子供の非行は許されず、徹底した教育が為されいる。ポスターに写っている警察官ですら、鋭い目線で見張っている。
そんな矛盾が、この小さな待合室で表現されていた。ある意味芸術でもあるのかもしれない。
駅としての全てが停止したホームは、真っ暗闇に包まれていた。普段は人が密集しているベンチも、夜の気温で冷たくなっている。
様々な人が行き交う連絡通路は、深夜の時間帯だけ広く感じる錯覚に陥りそう。連絡通路の出入口は、防犯の為にシャッターが下される。そのシャッターは、風が吹く度にガタガタと騒いでいる。
でも風さえも吹かない夜には、小さな虫が突撃しただけも、甲高い金属音が連絡通路に響く。少し剥げているシャッターの広告からは、電話番号も会社の名前も読み取る事ができない。
「・・・ジジ・・・ジジジッ」
突然、駅のスピーカーから小さなノイズが放たれる。スピーカーに隠れ潜んでいた虫達は、慌てて飛び立った。
微弱に振動するスピーカーからは、耳障りな雑音が重なり合っている。虫でも悲鳴を上げる程のノイズ。
セミの鳴き声、猫の威嚇、この葉のざわめきをまとめて一つにした様な、文字通りの不協和音。さっきまでスピーカーに止まって一休みしていた油蝉ですら、そのノイズに圧倒されて去ってしまった。
しかし、このノイズが聞こえているのは、複数の虫だけなのが幸いなのかもしれない。
もしこのノイズが通勤ラッシュの駅内に響けば、雑音が重なり続け、大騒動になる。
しかし、当然ではあるが、スピーカーとは本来、駅の柱に設置されているマイクを通さないと音は出ない。しかし、誰もいない駅の中で、ただただノイズだけが響く異様な状況。
もちろん、柱に設置されているマイクが壊れているわけでも、誰かが触れているわけでもない。駅に設置されている四つのスピーカーから、まるで悲鳴の様な不協和音が吐き出される。
本当にスピーカーそのものが叫んでいるかの様な錯覚に陥りそう。それくらい耳障りな音だった。
「・・・つ・・・次・・・は・・・
次・・・は・・・
次は・・・
沼貝 到次が逝きます
沼貝 到次が逝きます」
その言葉を最後に、スピーカーから発せられていたノイズ音は、パタリと止んでしまう。
この地域に、『沼貝 到次』なんて名前の駅なんてない。でもそれは、この地域に限った事ではない。
何故ならそれは、明らかに人の名前だからだ。
その翌日、沼貝 到次 という名のサラリーマンは
橋から身を投げて、逝ってしまった