オーケー
俺は躊躇なく、逃げようと思った。
こんなところで死ぬわけにはいかない。いくらなんでもワイバーンは無理だ。
「おいっ、そこの! まだ走れるか!」
「は、はい!」
「逃げるぞ」
俺は弾かれるように走り出した。
それに追従するように女の子も駆け出す。
ぐねぐねと曲がっている木々の間の道を。
「もっと急げ!」
木の根ででこぼことした地面をうまく走り抜ける。
すぐ後ろからはめりめりと木がなぎ倒されていく音が聞こえる。
しかしこの状況に至っても俺自身はまだ少しだけ余裕があった。
おそらく森の中にいる限りこちらの方が足が速い。
全速力で逃げればおそらくワイバーンは俺たちを見失って興味がなくなると俺は考えたのだ。
事実、段々とワイバーンとの距離が離れていっている。
問題は……この子だ。
明らかに森を歩きなれていない上に今まで逃げてきただけあって消耗が激しい。
体力勝負といったところだろうか。
俺は奥歯をぐっと噛みしめる。
しばらくそうやって壮絶な追いかけっこが続いた。
森を破壊しながら進む亜竜とその追撃から逃れようとする非力な人間。
しかしグラン森林を良く知るアランの先導によってその間の距離は相当離れた。このままなら撒けると思ったその時だ。
少女が転んだ。
足を木の根に取られたのか盛大に地面に突っ込んだ。
俺は止まって少女に声をかける。
「おい、平気か!」
痛みに顔を歪めながら少女は立ち上がろうとする。
「大丈夫です……いたっ」
左足に体重をかけた瞬間バランスを崩して尻もちをついてしまう。
どうやら足首を痛めたようだ。これでは走れない。
そんなやり取りをしてる間にもワイバーンがこちらを探すように、威嚇するように雄叫びを上げている。
「仕方ない! 俺の背に乗れ!」
俺は背中を差し出す。これで逃げ切れるかはわからないが他に選択肢はない。
しかし彼女は動かない。どうしたんだ!
「早く! 見つかるぞ!」
「もう多分ダメなんです。私、覚えられてます」
俺は一瞬彼女の言うことが分からなかった。
「どういうことだ?」
「私、精霊術師なんです」
その一言で俺は事情を理解した。
竜族というのは本来精霊を操り異能を為す種族である。
その精霊の祝福は深くその異能でS級以上に列されるのが竜だ。
しかし例外がいる。竜族にありながら精霊に愛されなかった哀れな種族がワイバーンなのだ。
そして彼らは精霊を憎む。それに愛される生き物も。
少女は身に纏った精霊を覚えられたのだ。
それでは逃げられない。どこまで離れてもどこに身を隠しても位置を捕捉される。
少女は震える声で言う。
「私はなんとかしますから」
嘘だ。彼女は詰んでいる。
こんな話あるかよ。こんな16やそこらの少女を置いて逃げるだなんて出来るか。
「逃げてください」
それでも、こんなときにもあのクソったれた呪いは俺の自由を縛る。
俺の意思に反して口は歪に、それでもゆっくりと動く。
「ぉ、オーケーだ」
~~~~~~~~~~
そういって彼は去っていった。
私は安堵の息を吐く。
これで彼が私に巻き込まれて死んでしまうなんてことにはならない。
嫌な思いをさせてしまったなと思う。
ただ、みすみす殺されるつもりは私もない。
最後までどうにか抗い続けるつもりだ。
ワイバーンがようやく私の正確な位置を掴んだようで、こちらへと向かってくるのが分かる。
目の前の木々が吹き飛ばされてその姿を再び現す。
あまりにも大きな躰がこちらを向いていおり、爪も牙も私の命を奪おうと爛々と輝いている。
その視線には隠しきれない憎しみがこもっているように感じられる。
私の持っているナイフでは傷一つつけられやしないだろう。
それでも立ち向かうほかない。それ以外に生きる道はないのだから。
ナイフに火を纏わせワイバーンの鼻先に向ける。
しかしワイバーンにはなんの牽制にもなってなかった。
ワイバーンは腕を軽く一振りし、それの余波でその火をかき消す。
その暴風は火を消すに留まらず私自身にも襲いかかってきた。
痛めた足首のせいで上手く踏ん張りのきかない私はその風で吹き飛ばされる。
「かはっ」
背中を木の幹に強かに打ち付ける。
あまりの衝撃に肺の中の空気を全部はき出し、涙目になりながら咳き込む。
全身を包む痛みの中ですでに私の戦意は折れかかっていた。
無理だ。私じゃ勝てない。
どうすればよかったのか。私はいつもこうだ。
なにかをやろうとすると上手くいかない。誰かが傷ついたり、不幸になったりする。
諦観が私の身体を支配し、力が抜けていく。
私、死ぬんだな。
そう思った瞬間、感情が決壊した。
「死にたくないよぉ……助けて誰か……!」
そしてワイバーンの大きな腕が振り上げられ、私を押し潰した。
したと思った。
しかし私の体は五体満足で残っていた。
誰かが私の身体を抱いて立っている。
あまりに突然なことで私は顔を白黒させながら男を見上げる。
そこには去っていったはずの男の顔があった。
彼は口の端を上げてこう言った。
「オーケーだ」