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ロマン・ストーリー 剣に導かれし者たち  作者: 灰庭論
第三章 公子の素養編
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第十話(98) 公子の恋

 日が沈むのを待ってから隠れ家を出て、その足で州都官邸に向かった。父上に一連の出来事を報告しなければならないからだ。何をしようと怒ることのない父親だが、今度ばかりは叱られることを覚悟しなければならないだろう。


 長官室へ行くと、父上は蝋燭の明かりの元で残務整理をしているところだった。僕の方から話をしに伺うこと自体が珍しいことだったので、説明する前から緊急事態であることを察したようだ。部屋には長官の椅子しかないので、報告は立ったまま行うのが決まりだ。


「クミン王女が正妃陛下の元にいるというのか?」


 説明を終えると、念を押すかのように訊ねた。


「はい。一昨日の晩に王宮を抜け出して、こちらに向かわれたのです」

「それを手引きしたのがドラコの弟なのだな?」

「はい。ケンタス・キルギアスで間違いありません」


 父上が顎をさすりながら唸った。


「少し前に『王宮から王女が消えた』との報告は受けていたのだ。しかし、いつものように荘園地にでも行かれたのではないかということで、特に問い合わせはなかったのだが、まさか、こんな形で見つかるとは思わなんだな。それで、手引きしたケンタスはどこにいるのだ? ひょっとして、ケンタスまで匿っているということはないだろうな?」


「ケンタスら三名はオーヒン国に向かいました。従姉上の話では、そこで裁判を受けると言っていましたので、フィンスに迷惑が及ばないように心掛けていることは確かだと思います。ロアンによると、周辺に怪しい動きは見られなかったそうです」


 僕の言葉で安心する父上ではない。


「盛夏を迎えるのでシミーズ川の禁漁区に居を移してもいいかもしれないな。あそこならば警備兵の数を増やしても不自然ではないからな。荘園や王宮が狙われていることを鑑みれば、早めに動いた方がいいだろう」


 モンクルスと一緒に仕事をしていたので、カグマン島の地図が頭の中にあるのだ。


「しかし偶然とはいえ、此度はお手柄だったな」

「お手柄とは、誰のことでございますか?」


 そう言うと、父上が笑った。


「もちろんヴォルベ、お前のことだ」

「あっ、いや、僕はてっきり叱られるものだとばかり思って」

「その感じだと、謙遜しているわけではないようだな」

「はい。父上の許可なく勝手なことをして申し訳なく思っています」

「いや、私の判断を仰ぐ必要などないのだ」


 そこで立ち上がり、父上は僕に視線を合わせた。


「三十も年が違うフィンス王太子を守り続けることなど、私にはできぬのだからな。いずれは後進に道を委ねなければならない時がくる。その時に、王太子のことを思って行動を起こせる人間が必要になってくるのだ。それがヴォルベ、お前であることに、父は誇りを感じているぞ」


「身に余るお言葉、感謝いたします。ですが、ケンタスを信用たり得る人物かどうか判断できたのは、僕だけの力ではないのです。ロアンに協力してもらい、ケンタスを査定してもらいました。ロアンがいなければ、判断を誤っていたかもしれませんでした」


 そう言うと、父上が嬉しそうな顔をした。


「よく正直に話してくれたものだ。黙っていれば、お前一人の手柄になったものを、そうしなかったのだな。それで良い。いや、そうでなければならぬのだ。他人の功績を盗んだり、隠したりする者は、その分だけ、いらぬ敵を増やしていくのだからな。そういう者は、出世は早いが転落するのも早いと相場が決まっておる」


 入れ替えのない上級貴族と違って、醜い出世争いが存在しているのが僕たち下級貴族だ。祖国を同じにし、外敵が存在していることを認識しているにも拘わらず、それでも味方同士で足を引っ張り合うのが、僕たちがいる階層なのだ。


「一人増えたが、ロアンならば安心して警護を任せることができる」


 辞去する前に、現状を訊ねておく必要がある。


「父上、クミン王女が度々王宮を抜け出していたのは有名な話ですが、しかし、このまま連絡もなく戻らないとなると、王宮は大騒ぎになるのではありませんか?」


 椅子に座り直して答える。


「いや、それほどでもないというのが王女の現在の価値を表しているのだな。王宮に危機が迫っているとの報せが入っているので、それで勝手に逃げ出してしまったというのが、王宮にいる者たちの考えのようだ」


 彼らにしてみたら、王位継承権のない王族は気疲れを起こす存在でしかないわけだ。


「その王宮の危機ですが、荘園の襲撃事件との関連性はあるのでしょうか? どこまで捜査が進んでいて、容疑者が見つかっているのか? 言える範囲で結構ですので、教えてはいただけませんか?」


 父上が慎重な構えを見せる。


「シミーズ川にある別邸の場所をケンタスに教えてはいないな?」

「はい。教えてはいませんが、やはりドラコが関与していると考えているのですね?」

「知ってたのか?」

「捜査員以外にも情報が漏れています」


 そこで父上が唸った。


「いや、その解釈は誤っているのかもしれんな」

「どういうことですか?」


「六件目の犯行から、ドラコの影がチラつくようになったのだが、ひょっとしたら、わざと印をつけているのかもしれないということだ。ドラコが関わっていると、故意にマーキングしているように思われる」


 分からない。


「どういった意味があるのでしょう?」

「それは実際に関わっている場合もあるし、罪をなすりつけようとしている場合も考えられるだろうな」


 傭兵といえども人間だ。ドラコの名前を聞いただけで逃げ出す者もいるに違いない。だから名前だけ使われてもおかしくないわけだ。ドラコにクビにされた兵士がドラコ隊を騙っている可能性も考えられるのである。


 父上が話を切り上げる。


「いずれにせよ、ユリスがオーヒン国の手前まで来ているとの報告があったので、殿下に判断を仰ぐことになるだろう。証拠がない段階だと、ドラコに容疑を掛けるわけにもいかぬからな」


 そこで退室しようとしたところを呼び止められた。


「ああ、そうだ、ヴォルベ、お前はしばらく官邸に泊まるようにしなさい」

「シミーズ川の別邸には行くなということですか?」

「いや、そういうことではない」


 王族警護から外されたわけではないようだ。


「明日、ハドラ神祇官の奥方様とお嬢様がお見えになる。それでお前にも出迎えてほしいのだ。今度はしばらく長逗留することになるだろう。そうなると教会へ行くにもお供せねばならないからな。その時にお前の姿が見えないようでは信心を疑われることにもなりかねない。そうならないためにも、客人の逗留中は許可なく外出はしないことだ」


 エリゼに会えるというのに、今はもう会うのが怖かった。


「しかしハドラ神祇官やご子息は、ご一緒ではないのですか?」

「ああ、猊下はオーヒンに滞在しておられる」

「滞在の目的な何でございましょう?」


 そこで父上が咳払いをした。


「これは、まだ非公式ではあるが、先日、ブルドン王がご逝去されたとの報告があった。それで新国王の制定に立ち会われておられるのだ。早ければ明日、明後日にも新国王が決まり、その二日後には伝令兵から信書が届くだろう」


 ブルドン王は偉大なる王様だ。生まれた国は違えど、同じ島に生を受けた者として、誇りを抱かせてくれる存在である。独立国という新たな争いの火種を生みはしたが、生まれ故郷を戦争から守った功績は認めないわけにはいかなかった。


「新しい国王が決まり次第、猊下はこちらに戻って来られる。それまでご家族を安全な官邸で守ってほしいとのことだった。ハドラ領は王都とハクタに跨る人の往来の激しい地域だからな。王宮に危険があるということで避難させたというわけだよ」


 王族だけではなく、七政院の貴族も狙われている可能性があるわけだ。しかもハドラ神祇官はオフィウ派ではないので、ハクタの魔女の処刑リストのトップに名前が記載されていてもおかしくなかった。



 翌日の昼過ぎにマナ・ハドラ夫人とエリゼを乗せた馬車が州都官邸に到着した。ハクタ市警と軍隊が合同で警護に当たり、五百人を超える兵士がハドラ領の邸へお迎えに上がり、そこからパレードのように連れて来られたという話だ。


 両親と一緒に出迎え、再会の挨拶をして、官邸前で解散式を行った。父上が兵士たちの労をねぎらい、マナ夫人が全員にブドウ酒と豚肉をご馳走すると約束するのだった。


 この日は護衛兵の負担を考慮してか、マナ夫人はエリゼを連れて貴賓室に直行し、夕食会まで部屋から出てくることはなかった。父上も兵舎でのパーティーに参加していたので大いに助かった模様である。


 エリゼとの再会はというと、もうすっかり見ず知らずの他人になってしまったかのような様子だった。「お久し振りでございます」という僕の言葉に、彼女も同じ言葉で返すだけであった。


 それでも、日増しに美しくなる魔法でも掛かっているかのように、とにかく綺麗な女性になっていた。前に会った時が、この世で一番美しいお姿だと思っていたが、それを短期間であっさりと更新してきたのだから驚く他ない。


 それだけに、夕食会での彼女の素っ気ない態度が心を押し潰した。両親の会話は耳に入って来ず、何を口にしても味がせず、視界まで不確かになる始末だ。そんな僕の気持ちも知らないで、エリゼは何事もなかったかのように食事を楽しんでいるのである。


 マナ夫人から体調を気遣っていただけたので、失礼ではあるが、お言葉に甘えて夕食後の茶会の途中で辞去することにした。ただ、これは仮病というわけではなく、気のせいということでもなく、本当に気分が優れなかったので有り難かった。


 今日ほど食欲が減退した日は記憶になかった。風邪を引いたわけではなく、気怠さを覚え、胸に雨雲が広がったかのようにモヤモヤとした気になるのだ。寝台の中で苦しみながらも、『恋煩い』という言葉を思い出した時、そこでこの症状の病名が分かったのだった。


 僕はもう、すっかりエリゼに恋をしていた。僕のことを見ようともしてくれない少女に恋をしていた。別世界に住む天使を好きになった愚かな人間だ。天使を好きになるということは、エリゼのために死んで天国に行っても構わないということである。



 翌日になるとマナ夫人に挨拶をするために、多くの貴族や商家の連中が官邸に押し掛けてきた。一日では面会しきれないということで、わざわざスケジュールを組むほどだった。そのため食事会への参加を見合わせることとなった。


 エリゼも母親のお供で挨拶に付き合わされていたので、貴賓室から一歩も出られない状態にあった。まさに彼女が言っていた『砂時計が何度もひっくり返される』という時間に支配された生活というわけだ。


 マナ夫人と顔を合わせることはないが、それでも父上から官邸内の教会にはちゃんと毎日行くようにと指示を受けた。それはハドラ家お抱えの私兵がいて、常に邸内を見張っているからだ。


 暇を持て余している状況だが、用がなければやることは決まっている。剣術や投石の稽古と、短剣の手入れと、乗馬の練習だ。同じ馬には乗らないようにしている。どんな馬でも乗りこなせるようにしておきたいからだ。


 馬車蔵ではマナ夫人への献上品を載せた荷馬車が何台も停まってあった。七政院の神祇官夫人がハクタ市に来ることなど滅多にないので、ここぞとばかりに顔と名前を記憶させるつもりのようだ。


 エリゼと出会っていなければ、ハドラ夫人に悪感情を抱いていたかもしれない。入れ替えのない上級貴族は生まれてから死ぬまで物や食事に困らない。それについて嫉妬交じりに悪態をついていたことだろう。


 エリゼと出会ってしまったがために、そんな彼女たちを擁護する気持ちが芽生えてしまったようだ。自分で選んで生を受けたわけじゃないとか、細かいスケジュールに追われる生活も見た目ほど楽じゃないとか、そんなことだ。


 いくらエリゼに恋をしていても、政治理念まで変えてはいけない。やはり入れ替えのない身分制度による階級社会は、いずれ行き詰まりを迎えるので、ユリスのように積極的に平民から有能な人材を拾い上げた方がいいのだ。


 しかし、七政院の領地支配は今のところ完璧で、言うことがないのも事実である。絶対的な名家が各地域を治めることで、秩序が保たれ、安定した税収が確保されているわけだ。現段階で、これを壊していいのかは考えものであった。


 もしも、ありえない話だが、夢物語として、僕がエリゼと結婚できたとする。そうなれば入れ替えのない上級貴族の仲間入りをするわけだ。その時になって、身内となった上級貴族を否定できるだろうか?


 自信を失いかけたところで、フィンスの顔が思い浮かんだ。欲張ってはいけない。自分が世界のルールを変えられると思ってはいけないのだ。まずはフィンスを王政復帰させること。それ以上の望みなどあってはならない。



 翌日、父上の許可をもらってフィンスに会いに行くことにした。私邸に一時帰宅するという理由まで作ってもらったので、堂々と州都官邸から抜け出すことができた。それでも尾行には充分気をつけるように念を押された。


 シミーズ川の禁漁区にある別邸は、テレスコ家の私有地でもあるので余所者がうろつくことはなかった。それでも警備の数を増やしたと聞いていたので、問題が起こらないように州都札を持ち歩くことにした。いわゆる身分証のようなものだ。


 星空の下、警備兵に州都札を見せながら別邸まで行くと、石壁に囲まれた敷地の中で、焚き火をしているフィンスとクミン王女の姿があった。どうやら甘芋を焼いているところだったようだ。


 甘芋というのは海の向こうの食べ物で、見た目はシロニンジンに似ているが、食べると果物のように甘いという話だ。ところが僕が食べた時は山葵大根に似た味がしたので、それから口にするのは控えることにしていた。


「あら、ヴォルベじゃない。まさか、匂いに釣られてやってきたんじゃないわよね?」


 クミン王女の愛らしい冗談だ。


「王女が焚き火をするなんて聞いたことがありませんよ?」

「ムサカみたいなことを言うのは止してちょうだい」

「僕もクビにしますか?」

「そんな意地悪なことを言うなら分けてあげないんだからっ」

「いいですよ。どうせ食欲なんてありませんからね」


 そう言うと、クミン王女の顔つきが変わった。


「ひょっとして、エリゼのことで悩んでいるんじゃない?」

「どうしてそのことを知っているんですか?」


 するとフィンスが申し訳なさそうに告白するのだった。


「ごめんなさい。姉上がせがむから、すっかり話してしまったんだ」


 王女は早くも弟を御してしまったようだ。


「あら、フィンス、何も謝ることないじゃない」


 従姉上には生来の気の強さがあるようだ。


「うん。気にすることはないさ。従姉上にも話を聞いてもらいたいと思っていたからね」

「話なんて聞かなくても分かるわよ」

「従姉上はエリゼの何を知っているというのですか?」

「問題はエリゼじゃないの。ヴォルベ、あなたにあるのよ?」


 そう言われても、意味がさっぱり分からなかった。


「いい? あなたは二人の異なるエリゼに恋をしたの。一人は商家の娘さんだと思っていたエリゼで、もう一人は神祇官のお嬢様であるエリゼね。商家の娘には優越感が混じった恋心を抱き、神祇官の娘には劣等感が混じった恋心を抱いている。つまり、あなたは自分自身をどんなに公明正大で、身分差に囚われないという意思を持っていたとしても、無意識に、または無自覚に身分制度が心に染みついてしまっているのよ」


 他者から指摘されて、思い当たる節があることを自覚した。


「そんなあなたへの恋のアドバイスは……、そうね。三人目のエリゼを見つけて、その彼女に恋をすることかしら?」


 言っている意味がよく分からなかった。


「姉上、どういうことなのですか?」


 フィンスも僕と同じように分かっていないようだ。


「殿方って、どうしてこうも揃いも揃って鈍いのかしらね?」


 それは男心よりも女心の方が複雑で難解だからだ。つまり僕たち男は女性よりも難しい試験を受けているということになるわけだ。しかも正解があればいい方で、解答がないケースもザラである。


「いいわ、分かりやすく教えてあげる。三人目のエリゼというのはね、相手に優越感も劣等感も抱くことなく、『この広い世界には、あなたとわたししかいない』って思える人のことなのよ。『エリゼ以外には考えられない』って周りが見えなくなるくらいの恋ができたら、自ずと愛が芽生えるものよ。その人しか見えなくなったら、上も下も存在しなくなるんですもの。ヴォルベ、あなたはまだ本物のエリゼとは出会っていないのよ」


 確かに、僕の悩みの大半は神祇官の娘という出自についてだった。


「男って、わざと鈍感な振りをしているのかしらね? そうとしか思えないわ」


 それから僕とフィンスはクミン王女から、ケンタス・キルギアスがいかに鈍感で、まるで女心が分からず、身勝手に振り回す男かという愚痴を、甘芋を食べ終わるまで延々と聞かされることとなった。



 睡眠を取った後、夜明け前に私邸に移動して、日が高いうちに州都官邸に戻った。それはエリゼに会いたいと思ったからである。従姉上からのアドバイスのおかげか、たった一日でシンプルにして明快な気持ちを抱けるようになっていた。


 官邸に行くと父上から呼び出しを受けて、そこで明日の休息日にマナ夫人とエリゼを伴って、建設中の新王城にあるオルバ教会へ行くので、僕もそれに同行するようにとの命令を受けた。念押しされたのは朝寝坊も許されないからである。


 その日は結局、エリゼに会えず仕舞いであった。この日も遠方からハドラ夫人にご挨拶する客が多く詰めかけ、昼食会と、茶会と、夕食会を、それぞれ場所を移しながら行われ、日没まで途切れることなく続いたからであった。

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