第九話(97) 王女の恋
翌朝、四人で食卓を囲んだ。食事は質素なもので、野菜をくたくたになるまで煮込んだスープと、雑穀を練り込んだパンと、魚の素焼きだ。ここでは見張りの兵士と同じ物を口にする決まりとなっている。
「これからは好きな物も口にできなくなるけれども我慢しなさいね」
食後に花茶をいただきながらフィン正妃が娘に新しい生活を教え込んでいるところだ。
「はい、お母様」
クミン王女が素直な返事をした。それが僕には奇異に映るのである。彼女は冷血と噂されるほど王宮で評判が悪く、宮仕えの者を容赦なくクビにすることでも有名である。そんな彼女でも身内に対してだけは態度が変わるということだろうか。
「ヴォルベ、わたしの顔は見世物じゃなくってよ」
それを王女は愛嬌のある顔で言うのだった。
「ああ、それは、あいすみませんでした」
「何か言いたいことがあるんじゃない? 従姉弟同士なんだからハッキリ言えばいいのに」
その気さくな態度も、僕が知る王女とは別人のようだった。
「ああ、それは、つまり、恐縮ながら、申し上げますと」
そこでフィン正妃が助言する。
「ヴォルベ、あなたもクミンのように気軽に話されてはいかがですか?」
「ああ、そうですね、そうしましょう」
と言いつつ、すぐには怖いイメージを払拭することなどできるはずがなかった。
「いや、その、僕の心根を正直に打ち明けると、いま、とても戸惑っているんです。というのも、五年前に父上に連れられて王都の宮中晩餐会に参加しましたが、そこでお会いしたクミン王女、いや、従姉上はそれまでと違い、突如豹変したかのように、とても冷たくて、いや、違うな。こう、澄ましておられて、話し掛けても返事が返ってくることは一度もなかったので、昨日から驚いてばかりいるのです」
それに対して声を上げたのは王女ではなく、フィン正妃だった。
「ちょっと待って。ヴォルベ、これまで聞いた話と言っていることが違いませんか?」
「ああ、それは、その……」
「お母様は、どのように聞かされていたのですか?」
「あなたは王宮の人気者だと伺っていました」
「まあ」
良かれと思ってついた嘘だが、嘘は嘘なので、フィン正妃が怒るのも無理のない話だ。
「ヴォルベ、どうしてあなたはそんなつまらない嘘をつくのです。娘が王宮で人気者になっていると聞いて、わたしが喜ぶと思ったのですか? わたしは健康ならばそれでいいと、何度も口にしたではありませんか。価値観が異なれば、褒めたつもりの言葉でも凡句となるのですよ」
そこでクミン王女の擁護が入る。
「お母様、ヴォルベばかりを責めないであげてください。元はといえば、わたしがいけないのです。嘘をついて、宮中の人間を欺いていたんですもの。冷たい仮面をつけているわたしを見れば、お母様を安心させようとして嘘をつくのも分かるわ」
弟のフィンスが訊ねる。
「姉上だって、被りたくて被った仮面ではないのでしょう?」
微笑みを浮かべる王女は、理解ある弟の存在が嬉しそうだ。
「そうね、冷たい仮面はユリスからの贈り物だったの」
クミン王女にとってユリス・デルフィアスは従兄に当たる人物だ。
「ユリスは宮中の人間を誰一人信用していなかった。誰が作ったか分からない食事は床にぶちまけて、誰が連れてきたか分からない医者には指一本触れさせることはなかった。外遊と称して王宮を抜け出していたのは、薬学の研究と、信用できる人材を見つけるためだと教えてもらったことがあるわ。子どもの頃に衰弱していく母親を見て不審に思ったらしく、そのことがお従兄様の人生に影響を与えたのね。その教訓を得て、わたしも冷たい仮面を被ることにしたの」
今度はフィン正妃が訊ねた。
「陛下は相談に乗ってくれなかったのですか?」
王女の顔に暗い影が差す。
「お父様とは、王妃を娶られてから会うことも叶わなくなったのです。お母様も存じていると思いますが、法務官のムサカがとても厳しくて、昔の慣例を持ち出しては王族の行動を制限させるのです。ユリスが五長官職に就いたのも、政務を行うには前例にないことをやるしかなかったからだわ。国政のことを考えると、お父様もムサカ法務官に従うしかなかったのね」
その慣例からフィンスを守るためにフィン正妃は雲隠れしたわけだ。ムサカ法務官に従っていたら、足の不自由な王太子は幼児の段階で殺処分されていたことだろう。王家の歴史が王家の末裔を苦しめる自縄自縛を招いているわけだ。
しかし、その慣例というのも曖昧模糊としているのも事実である。記録に残さないように努めているだけで、戦時中は後宮があったとも聞いている。宗教上問題になるから抹消しているが、矛盾するおかしな慣例がいくつも存在していたというのが現実だ。
国難が去って、王家による求心力が不要になったから王宮内のパワーバランスが崩れてきたのかもしれない。民衆にとっても、国家の象徴よりも、実務を行う七政院の上級貴族のご機嫌取りの方が大事になるわけだ。
その証拠に、フェニックス家の荘園が襲撃を受けているというのに、ハクタの街では危機感を抱いている様子が見られないというのがある。場所によっては襲撃犯を英雄扱いする者もでてくる始末だ。
王宮から王族を追い出して、荘園に住まわせてきたのがムサカ法務官だが、彼がオフィウ・フェニックスと懇意にしている事実は見逃せないポイントだ。どちらが王族の少子化を図った黒幕か断言はできないが、ハクタの魔女が絡んでいるのは間違いない。
「よく独りで耐えてきましたね」
母親の言葉にクミン王女は首を振った。
「お母様、わたしは決して独りだったわけではないんですよ?」
そう言うと、頬に真っ赤な花が咲いた。
「どういうことですの?」
「だって、わたしにはケンとペガがいたんですもの」
「あなたをここに連れて来てくれたご友人ね?」
「はい」
王女が城を抜け出していたというのは聞いていたが、外でケンタスやぺガスと知り合っていたことまでは知らなかった。ぺガスの兄が王宮の馬を育てているので、それで牧場内で会うことができたのだろう。
「お母様」
クミン王女が改まった。
「わたし、ケンタスに恋をしているの」
臆せず宣言するのだった。
「恋というのは、お芝居の中でしか知らないけれども、きっと、この胸の息苦しさは恋に違いないわ。ケンタスのことを考えただけで恥ずかしくなって、泣いてしまいたくなるんですもの。それなのに、会うと素直になれなくて、興味がないように振る舞ってしまうの。本当は何年も前から思い続けているのに、一度も正直になれなかった」
王宮生まれの王女に恋心を芽生えさせたのも平民とのふれあいがあったからだろう。
「ユリスがいなくなって寂しい思いを募らせていた時、ケンタスと再会したの。もう、五年も前になるかしら。城壁の上から、乗馬の練習をしている姿を見ているだけで幸せな気持ちになることができた。ケンタスはすごいのよ? 雨の日も、風の日も、騎兵戦の練習を怠らないの。ケンが言うにはね、矢は風の影響を受けやすく、馬は馬場に左右されやすいんだって。だから荒天の日ほど練習に励まなければいけないそうなの」
試験のためではなく、実戦のために馬を繰り、剣術や槍術や弓術の鍛錬を重ねていたわけだ。剣の達人が戦場で顔面や頭部に石をぶつけられて死ぬのが実戦の怖さである。怖さを知る者は相手がまともに戦ってくれると期待しないものだ。
モンクルスは剣聖であるが、投石も戦術に組み込んでいたのは有名な話だ。父上も毎日遠投の練習をさせられたと言っていたし、僕も正確にコントロールできるまで教え込まれたという過去がある。
大事なのは、昇進するためではなく、生き残るために鍛えなければいけないということだ。落とし穴で死ぬのも、剣を交えて死ぬのも、どちらもそこで終わることに変わりはないのだから、卑怯な手を使われることも想定しなければならない。
「その勇気あるご友人のおかげで、こうして再会できたのですね」
フィン正妃が感慨深げに呟いた。
「でも、お母様、そのケンタスなんですけど、オーヒンで裁きを受けることになったのです。それが不安で、怖くて仕方ないんです。どうしたらいいんでしょう? 国王陛下の娘だというのに、友人すら救えないのですよ?」
フィン正妃が訊ねる。
「ケンタスは裁かれることに対して何と言っていたのです?」
「裁きから逃げてはいけないと」
「ならば答えは出ているではありませんか?」
「どういうことですか?」
「裏で手を回すことなど望んでいないということです」
「でも、それでは罪人となってしまうかもしれません」
クミン王女が興奮気味に続ける。
「ケンは馬車を襲っていた盗賊を殺しただけなんですよ? ペガは『こちらが殺らなければ、殺られていたかもしれない』と言っていました。それでどうして罪人にさせられるんですか? 裁かれること自体おかしいわ」
フィン正妃が答える。
「そのことはケンタスも承知していることでしょう」
「ええ。それでもオーヒンに行くと言いました」
「それは裁きから逃げたという過去を作らないためなのでしょうね。たとえ法律の方が間違っていたとしても、裁きから逃げたという事実があれば、そちらの風聞だけが世間に流れていくものです。大切な人がいるからケンタスは逃げなかったのですよ。それが誰かは本人にしか分かりませんけどね」
ケンタスにはドラコという大切な兄がいる。
そのことを思い出し、今度は僕も訊ねてみることにした。
「従姉上に聞きたいことがあるんですが、よろしいですか?」
「断る必要はなくってよ」
王宮で見掛けた時は氷像のような印象だったけど、目の前の王女は春光のように柔らかい表情をしている。母親に似てとても美しく、その瞳の輝きは、どんな高価な宝石をもただの石ころに変えてしまうだろう。
「ヴォルベ、聞きたいことがあるんじゃなくって?」
「ああ、はい、その、王宮に危機が迫っているという話ですが、それをケンタスが報せてくれたというのは知っていますが、他に何か聞きませんでしたか? たとえばドラコの話とか、ランバ・キグスの話とか」
クミン王女が思い出しながら答える。
「王宮に危機が迫っているというのは、ジジが教えてくれたと言っていたわ。機密情報だから、本当は教えてはいけなかったみたい。でも、ジジはケンタスのことを思って伝言を託したそうなの。そう考えると、もしも本当に王宮で悲劇が起こったら、わたしはジジの優しさで救われたということになるわね」
やはりドラコの意思に反して、ジジがケンタスを王宮に誘導したようだ。
「ケンタスは兄のドラコについては何も言っていなかったのですね?」
「ええ。会えそうで、会えなかったみたい」
フィン正妃が会話に入ってくる。
「ドラコ・キルギアスがどうかしたのですか?」
未確認だが、報告することにした。
「これは確証があるわけではありませんが、僕が掴んだ情報によると、どうやら荘園の襲撃にドラコ隊の隊士が関与しているみたいなんです」
「ガサ村で消えた百人隊ね」
クミン王女が補足してくれた。
「はい。それで王宮の襲撃計画にも関与しているのではないかと思われるのです」
「まさか、ケンタスのお兄さんよ?」
王女には信じてもらえなかったようだ。
「いや、しかし、襲撃現場でドラコ隊の隊士の姿が確認されていて、犯行にはドラコ隊が用いていた暗号が使われていたことが判明しています。それに何より、ドラコでなければ、こうも立て続けにフェニックス領を攻め落とすことなどできません。つまり、何が言いたいかというと、ジジはドラコに伏せてケンタスに機密を喋ったと言いましたが、それをドラコは把握している可能性があるんです。ケンタスを王宮に向かわせて、この場所を捜し当てるために、わざと従姉上を泳がせたわけですね。今はただの憶測にすぎませんが、ドラコ・キルギアスならば、それくらいのことをやりかねないということなんですよ」
クミン王女が反論する。
「でも、ケンやペガは、わたしが王女だと知らないの」
「そうなのですか?」
王女が友人から『カレン』と呼ばれていることを知らないのはフィン正妃だけだ。
「はい。昨日の夜、別れる時に打ち明けてしまおうと思ったのですが、できませんでした。本当の身分を明かしてしまうと、もう二度とこれまで通りに会うことができないと思って、それで怖くなって、本当のことが言えなかったの」
僕もエリゼに身分を隠したので、気持ちが痛いほどよく分かった。
母親が娘に訊ねる。
「ケンタスは、あなたのことを誰だと思っていたのですか?」
「『カレン』という名の宮仕えです」
「そうですか」
フィン正妃が微笑みながら何度も頷く。
「では、ケンタスは王女ではなく、友人を助けたくて王宮に向かったということですね」
その動機が正妃陛下には嬉しかったようだ。
「お母様、喜ぶのは止してください。『カレン』はわたしではないんですから」
「そうでしたね」
身分を知ったエリゼとの絶望的な恋よりはマシだ。
そこでフィンスが話を戻す。
「しかし、ケンタスが姉上の身分を知らないということは、ドラコも弟の友人が王女であると知らなかったのではありませんか? そうであるならば、ヴォルベが危惧しているような策略はないと考えられると思うのですが」
憶測で話し合っているので、答えが出せない問題だ。
「そうですね。それでも、いつでも邸を出られる準備はしておきましょう」
フィン正妃が答えを出した。




