第六話(94) ケンタスとの出会い
その日の夜、ケンタスについて相談するためにフィンスに会いに行った。警護主任のロアンに簡単な挨拶を済ませて、蝋燭の明かりしかない客間でフィンスと話し合いをすることにした。
「ジンタからの情報だけど、明日ケンタスがハクタに来るんだ」
「ドラコの弟だね?」
フィンスもドラコ・キルギアスのこれまでの功績については充分理解していた。
「うん。ハクタに来たら会おうと思っているんだ」
「州都官邸に招くの?」
「いや、父上には話を通していない」
「新兵だと官邸には入れないか」
「それもあるけど、報告自体をやめようと思って」
「長官に内緒で会うっていうこと?」
フィンスが不安げだ。
「ああ、それはフィンスも一緒に会ってもらいたいと思ってさ。だから本当のことを言えば父上に反対されるだろう? だから内緒で会わなくちゃいけないんだよ」
「それは反対されるね。母上だって許可しないさ」
「でもね、ジルバ国王にモンクルスがいたように、ユリスにはドラコがいるだろう? だったらフィンスにもケンタスのように腕の立つ男が必要なんだ。それは歴史が証明していることだからね」
「僕にはヴォルベがいる」
それが本心だというのは真っ直ぐに見つめる目を見れば分かる。
「その言葉は嬉しいけど、血縁者以外の者を信頼しないと、君に忠誠を誓う兵士はいなくなる。商人の世界と違って、個人ではなく、国のために戦ってくれる人を育てていかなければならないんだからね」
愛する土地のために戦う者は決して裏切ることはないが、新しい家を建てられるほどの商才を持つ者は、移住して、やがては外敵にもなり得る存在だ。僕たちに必要なのは前者なのである。
「それでも母上に許可をもらう前に、ロアンに相談してみないと」
確かにロアンに話を通さないことには前に進めない。
警備主任のロアンは邸の離れにある小屋で寝食し、母子がここに身を隠すようになってから一日たりとも休まず、フィン正妃のお側に仕えている三十半ばの男だ。父上が信頼する数少ない兵士でもある。
三十年前の戦争で両親を亡くし、教会で育てられていた彼の資質を見抜いて、父上が自身の警護を任せたのだ。生まれる前からこの邸にいたため、僕にとっても兄のような存在だった。フィンスにとっては父親のような感覚があるのかもしれない。
「二人揃って話をしに来るというのは、あまりいい予感がしませんね」
ロアンの小屋に入ったのは久し振りだったが、数年前に訪れた時と何も変わっていなかった。それもそのはず、炊事場の他に、部屋には寝台と机と椅子以外には何もないからだ。門を見張ったり、邸の中を警護したりする時間の方が長いからだろう。
「どうぞ、お掛け下さい」
椅子が三脚あるのは、前に来た時に座る場所がなかったため、わざわざ用意してくれていたのだろう。その椅子に腰掛けて、三人でテーブルを囲み、冷えた草茶を飲みながらケンタスについて説明した。
「つまり正妃陛下からの外出許可が欲しいというわけですね」
そう言って、仕事一筋のロアンは考え込んでしまった。
もうひと押ししてみる。
「ロアンの口添えがあれば伯母上も許可してくれると思うんだ」
「正妃陛下の御心を手前勝手に推し量ってはなりません」
ロアンが大理石のような堅物だということを忘れていた。
それでも彼を説得しないことには何も始まらない。
「でもね、ロアンは正妃陛下の警護で手がいっぱいだ。フィンスが王政に復帰すれば、自ずと人手が足りなくなるだろう? つまりロアンにとっても信頼できる部下が必要になるということじゃないか。それを自分たちの目で確かめようっていうことなんだ」
ロアンが何度も頷く。
「それは、その通りかもしれませんね」
「だろう? だから僕たちだけじゃなく、ロアンにも見極めてほしいんだよ」
「僕からも頼むよ」
王太子の言葉に腹を括ったようだ。
「モンクルスは剣の腕が立つというだけではなく、優秀な人材を発掘する能力にも長けていました。その代表的な人物がヴォルベ、あなたのお父上です。才能と才能が共鳴し合うように、優秀なる者が優秀なる人材を呼び寄せるのでしょうね」
そしてロアンはその父上に見い出されたというわけだ。モンクルスは三十年前に戦争を終わらせただけではなく、彼の門弟たちの手によって、現在に至るまでの平和な世の中まで作り上げたということになる。
「ザザ家との戦いで功績を残したはずのドラコ・キルギアスが降格処分を受けましたが、王宮が手放したドラコを、すぐにユリス・デルフィアスがカイドル州に引き抜きました。コルバ国王陛下による最後の勅令と聞いておりますので、デルフィアス殿下は何年も前から陛下に働きかけていたのでしょうね。人事権を掌握する七政院が『モンクルスの再来』をぞんざいに扱い、用無しとばかりに手放すのを密かに待っていたのです」
これが、ドラコは左遷させられた、と誰もが認識している事実の裏話だ。
「デルフィアス殿下はドラコが処分を受ける何年も前から根回しをしていたということになります。それはケンタスに目をつけたヴォルベ、あなたと同じなのかもしれませんね。ならば試してみる価値はありそうだ」
「それはつまり?」
「はい。私から正妃陛下に話をしてみましょう」
翌朝、邸の客間でフィン正妃が現れるのを待った。客人に会うわけではないというのに、身だしなみを整えるのに時間をたっぷり使うのが伯母上だ。それでも、待たされたという顔を見せないのがエチケットである。
「おはようございます」
「おはよう、ヴォルベ」
召使いを従えて現れたフィン正妃はとても美しかった。久し振りに太陽の光を受ける姿を見たので、より一層色彩が鮮やかに見えるのである。十五歳以上離れているが、姉のような感覚しか持てないお方だ。
「ヴォルベ、あなたからの相談というのは、あまりいい予感がしませんね」
「それはロアンにも言われましたが、とにかく聞いてください」
その場にフィンスもいたが、話はロアンに任せることにした。彼が正妃を長椅子までエスコートして、母親の隣にフィンスが腰掛け、はす向かいの椅子にロアンが座って事情を説明した。僕はロアンの代わりに室内警護の仕事を引き継いだ。
「そうですか、それはヴォルベのアイデアですか?」
話を聞き終えた正妃がロアンに訊ねた。
「はい。ですが、了承したのは私です」
ロアンは僕の責任まで負担してくれる男だから心強い。
「ならば、あなたに任せます」
あっさりと許可をいただけた。
「邸に招くことになりますが、それでも構わないということでございますか?」
「ロアン、あなたは私を守ると誓いましたね」
「はい。お守りいたします」
「それならば、何一つ不安はありません」
狭い小屋しか持たぬ男が、まるで世界を託されたかのように頷くのだった。
それからロアンの小屋に行き、三人で作戦会議を行った。ケンタス・キルギアスが信用に値する男かどうかを見極めるには、やはりロアン自ら確かめる必要があるということで、邸に連れて来ることにしたのだ。
そこで幾つかのテストを設けて、それに見事クリアすることができればケンタスら三人を、いずれは要職に迎えようということで話がまとまった。信用できないと判断すれば隠れ家を移す必要もあるので、賭けでもあるが、それだけの価値があるという意味でもある。
「前に外出した時よりも街が大きくなってるね」
約二年振りの外出ということもあってフィンスがとても興奮していた。足が不自由でなかったら、きっとスキップをしながら走り回っていたことだろう。僕にとっては見慣れた景色だが、彼は羽化した蝶のように心を弾ませるのだった。
ケンタス・キルギアスが寄りそうな場所は見当がついていた。王都札を携行しているので、それが使える宿屋に泊まることが予想できたからだ。馬に乗った新兵は見たことがないので、顔を知らなくても分かるはずだ。
「いないね」
「いないな」
宿屋街の広場で行き交う人を眺めていたが、馬に乗った新兵は見つからなかった。
「日が沈んでからでは見つけにくくなるよ」
フィンスが早くもくたびれてしまった。
「その場合は僕一人でも見つけてみせるよ」
ジンタが言うには、ケンタスがハクタを訪れるのはこの日の可能性が高いと言っていたが、旅慣れた彼と違って、新兵のケンタスらは大幅に遅れることも考えられる。
夕暮れ時になって、周囲に異変が起こった。
「騒がしいな」
「何かな?」
「さぁ?」
「みんな広場に向かってるよ」
「僕らも行ってみよう」
フィンスと一緒に騒ぎを見に行くことにした。
飲食店の前に到着すると、すでに百人以上を超える見物人で溢れていた。
まだまだ増えていく。
騒ぎの中心に二人の新兵が向かい合っていた。
一人は新王城の見習いの衛兵だ。新兵のくせに上等な制服を着ているということは、軍閥貴族の息子だろう。軍服の力を自分の力だと勘違いしている中身のない男だ。僕と同じ立場なので、こういう下級貴族の恥さらしが最も腹が立つのである。
そして、もう一人、
「背の高い方がケンタスだ」
フィンスが念を押すように訊ねる。
「確かなの?」
「ああ、ドラコにそっくりだからね」
ケンタスがマッシュルーム男に問う。
「一つ訊ねるが、俺は友のために戦うが、お前は何のために戦うのだ?」
どうやら決闘を始めるようだ。
マッシュルーム男はケンタスの言葉にニヤニヤしている。
「まさか戦う理由もなしに生き死にを懸けるわけじゃあるまいな?」
「その生意気な口を塞ぐためじゃ不足か?」
「そんなくだらない理由なら、剣を抜く価値もないな」
ケンタスは僕と同じ感覚を持つ男のようだ。
「ハハッ、逃げるのか?」
マッシュルーム男は、それを相手が弱気になったと勘違いしたようだ。
ケンタスが両手を広げる。
「素手で相手してやろうって言ってんだ」
その言葉にマッシュルーム男が赤くなった。
「気にするな。お前は剣を抜けばいい」
「とことん舐めやがって」
マッシュルーム男が両手で剣を構えた。
見物人がマッシュルーム男をけしかける。
しかし、すでにさっきまでのニヤけ顔は消えていた。
立っているだけのケンタスに気圧されているのだ。
「来なければ、こちらから行くぞ」
そう言って、腹に膝を入れた。
軍閥貴族の息子じゃなければ、間違いなく止めを刺していただろう。
彼は社会の仕組みを痛いほど理解しているようだ。
それから飲食店に入って食事を始めたので、邪魔しないように厩舎でケンタスら三人を待つことにした。ここからが作戦本番だ。ロアンが考えた試験が始まる、といっても二つばかり試すだけだ。
「大丈夫かな?」
フィンスが不安を口にした。
「心配いらない。僕たちはプライドだけ高い没落貴族を演じればいいんだ」
「来たよ」
食事を終えて、厩舎に現れたケンタスら三人が僕たちに戸惑っている。
「君たちの中にドラコの弟がいるんだってね。まぁ、どう見ても先ほど決闘した君だろうけどね。ほら、こちらが訊ねているんだ。ちゃんと答えてくれたまえ」
ケンタスが膝を折って答える。
「その通りです。私がドラコ・キルギアスの弟で、名をケンタスと申します」
「面を上げてくれ。堅苦しい挨拶は苦手なんだ。で、他の二人の名前は?」
知っているが、訊ねることにした。
それに対し、ペガスとボボが礼儀正しく答えた。
「僕はね、ケンタス、君のことがとっても気に入ったんだ。だから今日は僕のお家に招待するよ。お家は丘の上にある。さぁ、僕たちを馬に乗せてくれたまえ」
ケンタスがフィンスをどう扱うのかテストするため、足の不自由な従弟を彼に預けた。没落貴族の子どもを演じるフィンスを丁重に扱えないようならば、フィンスが王政に復帰しても偏見を捨て去ることは難しいからだ。
「ここで下ろしてくれたまえ」
ケンタスがフィンスを馬から降ろした。
彼の従弟に対する気遣いは本物だ。
「さぁ、行きたまえ」
僕はここでフィンスと別れることになっている。
「それじゃあ、僕は急いで家に帰らないといけないから、この辺で失礼するよ」
それだけ言って、ケンタスらをフィンスに任せた。
ここからはロアンの仕事だ。翌朝まで彼がケンタスら三人を見張ることになっている。その間にテストをしようというわけだ。少しでも不審な態度を見せれば、日が昇る前に邸から追い出すことになっている。
といっても、身元が確かなので基本的な作法を確認するだけだ。大事なポイントは、盗人のように邸の中を嗅ぎ回らないことだ。探りを入れて、何かを知ろうとする者は、相手の弱みを握ろうとする意識の表れでもある。
それと、他人の家の装飾品や調度品を手に取ってもいけない。それは相手を値踏みする行為だからだ。身なりや持ち物で判断する者には、褒賞を与えればいいだけなので御しやすいが、忠誠を誓わせるのは難しいからである。
盗みを働くのも論外だ。蝋燭一本でも盗める人間は、他人の功績も平気で盗める人間だ。また、盗み癖は直らないものなので、更生を期待してはいけない。盗んだ功績で得られた評価を維持するために、死ぬまで他人の物を盗み続けるからである。
他人の邸で家人の噂話をしてもいけない。他人の目や耳を意識できない者は、やがては口で失敗するからだ。仕事の重要度は守秘義務の有無はもちろん、その守られた情報の中身で決まるものだ。
優れた人間だけが高額な仕事に就けるようになっており、さらにはその中から選ばれた者だけが重要な契約を結べるようになっているというわけだ。大陸から伝わる古い諺にも『雄弁さは剣となり、沈黙は盾となる』とある。
「公子」
二階の自室で休んでいたところ、ロアンが結果を報告しに来た。
夜明けを迎えたということは、三人はロアンのテストに合格したということだ。
「三人に素性を明かしてもいいんだね?」
「問題ございません」
ロアンのお墨付きが出た。
「しかし、最後のテストが最も重要でございます」
「王都の兵士が王宮の騎士になれるかどうかのテストだね?」
「左様でございます」
早速、最後のテストを実地することにした。




