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ロマン・ストーリー 剣に導かれし者たち  作者: 灰庭論
第三章 公子の素養編
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第五話(93) エリゼとの再会

 州都官邸の貴賓室に現れたエリゼは、薄い紅色に染めたドレスを着ており、銀の髪飾りを着けて、身体から花の香りを振りまいていた。おしとやかな表情で、雲の上にでも乗っているかのように優雅に歩くのだった。


「ヴォルベ、何をぼうっとしておる。さっさと挨拶をしないか」


 父上に注意されてしまった。


「ヴォルベ・テレスコです。初めまして。本日はよろしくお願いします」


 虚を衝かれたせいか、上手く挨拶できなかった。

 僕の無作法で下手くそな挨拶に、五人のゲスト・ファミリーが声を出さずに笑った。

 母上がガッカリしている。

 父上は表情を変える人ではない。


「エリゼ・ハドラです。本日はお招きいただき感謝いたします」


 エリゼが挨拶をしたが、僕の方を見ようともしなかった。


 それから着席し、神様にお祈りを捧げてから夕食会が始まった。主賓席のない対面式の食事だ。これほど緊張する食事会は今までに経験したことがなかった。室内警護の兵士も多く、まるで芝居をやっているような気になる。


 父上の正面に神祇官のダリス・ハドラが座っている。彼はカグマン国において、国王を除けば最も高い地位にある人物だ。つまり通常ならば僕たち家族が一緒に食事をするどころか、会って話せる人物ではないのである。


 彫像のような肉体を持ち、常に鋭い眼光で周囲の者をねめつけ、それでいて会話の要所では柔和な笑顔を見せるという魅力ある人物だ。野心家という評判通り、気を抜けば油断を招く、ある意味もっとも油断ならない男だ。


「長官はモンクルスの片腕として有名でしたからね、一度じっくりとお話を伺ってみたいと思っていたのです。早速ですが、モンクルスとはどういった人物だったのでしょうか?」


 四十代後半なので戦争を知っているはずだが、神祇官でも会ったことはないようだ。


「閣下のことをよく知りもせず、このようなことを申せば失礼に当たるやもしれませが、どことなく、両者が似ていると感じているところでございます」

「まさか、何かの間違いではありませんか? 土産の品はもうありませんよ?」


 父上の表情は真剣だった。


「決して気に入られようと申し上げたのではございません」

「それが真ならば大変嬉しく感じます」


 モンクルスは平民出身なので褒め言葉にならない場合がある。

 父上が述懐する。


「剣聖は、いついかなる時も気を休めることはありませんでした。常に周囲を警戒し、わずかな変化も見過ごすことがないのです。過敏ともいえる反応で、遠くで物音がしただけで、すぐに確認に走らされました。その音の正体が何であるか分かるまで『戻って来るな』と言うのです。デタラメな報告をした者を二度と従えず、答えを持ち帰ることができぬ者も同行を許しませんでした。大変恐縮ではありますが、そこが閣下と重なって見えたのでございます」


 父上が思い出す。


「あれは戦勝記念の祝賀会の時でございました。会食の最中に『賊が侵入した』との報告が入り、他の者が様子を見る中、閣下は即時中止を命じました。結果的にはサプライズ・ゲストを警備兵が見間違えただけで、その場で笑い話になりましたが、あの場にモンクルスがいたら、やはり閣下と同じく、即刻中止して、来場者全員を速やかに退避させていたことでしょう。その後、閣下は会場の警備責任者を務めた首都長官を更迭し、多くの批判を受けました。私奴が申し上げるのは分不相応ではございますが、しかしながら、やはりその決断が正しかったと申し上げる他ないのです。なぜなら剣聖も、また同じように多くの者を裁いてきたからでございます」


 鋭い眼光で聞いていたダリス・ハドラの顔つきが柔和な笑顔へと変わる。


「私の場合はモンクルスと違って、ただ単に臆病なだけなのですよ」


 父上が返答する。


「剣聖も同じことを申しておりました」


 ダリスが微笑みながら何度も頷くのだった。それがまた油断ならない印象を与えた。とはいえ、話に聞いていたイメージと違っていたのは確かだ。怠慢を許さぬ怖さはあるが、オフィウ・フェニックスに迎合しない政治スタンスには惹かれるものがある。


 王家に生まれていれば独裁的な恐怖政治を招くことになりそうだが、ハクタの魔女に対抗するには彼ほど頼もしい存在はいないだろう。だからといって、この神祇官に頼るのはあまりに危険だということも分かっているので、付き合い方には注意が必要だ。



 ハドラ家との夕食会はまだまだ終わらない。


「そういえば、お子は二人と聞いておりましたが、今はどちらに?」


 訊ねたのはダリスの細君であるマナ・ハドラだ。エリゼに似てとても美しく、中年女性としては珍しく肌の弛みが一切見られなかった。食事に気をつけて運動も欠かさないのだろう。エリゼの足の速さは母親から受け継いだのかもしれない。


「長兄のガイルは一年前に大陸へ渡りました」


 答えたのはマナの正面に座っている母上だ。ちなみに夫人の隣に長兄がいて、その隣に次兄が並び、そして末席にエリゼが座っていた。真ん中にいる僕の位置から彼女の方に顔を向けるのは不自然なので、一度もエリゼの顔を確認することができなかった。


「まぁ、大陸へ。それはよくお許しになられましたね」


 マナの言葉に母上が答える。


「勉学と聖地巡礼が目的でしたので快く送り出すことができたのです」

「そうでしたか」


 母上の言葉に納得する神祇官の細君だが、それは兄上がこしらえた方便だ。敬虔けいけんな信者ではないので、母上もガイルの嘘に騙されているというわけである。本当の理由は好奇心の疼きだ。幼い頃からの大陸への憧れを実現させたのである。


「父上、よろしいでしょうか?」


 そこでダリスに声を掛けたのが、長兄のリューク・ハドラだった。二十代半ばの男で、父親に似た体躯たいくをしており、精悍な顔つきまで父親の血を濃く譲り受けている。ただし、この場にいる者で彼だけが愛想笑いを一切見せないので、性格は大きく異なるようだ。


「なんだね、リューク、話してみなさい」

「マクチ村への巡礼の許可はいただけたのでしょうか?」

「まだ食事の最中ではないか、仕事の話は後にしないか」

「それは失礼いたしました」


 そこで父上が報告する。


「閣下、その件でしたら事前に話を伺っておりましたので、すでに手配しております。全員分の通行許可証も無事発行されたと報告を受けております故、明日の朝までにお渡しすることを約束いたします」


 ダリスが目を細める。


「さすがはモンクルスの片腕だ。なぜ先達がハクタを貴殿に任せたのか、よく分かりましたよ。二歩も三歩も先を読み、話を通す頃には、すでに仕事を終えているのですからね。しかも良い返事だというのに、自ら功をひけらかすことはしなかった」


 褒められても表情を変えないのが父上だ。


「閣下自らお越しになるというのに手ぶらで帰らせるわけには参りません」


 マクチ村はフェニックス家の親族が治める領主なので、いくら七政院の上流貴族であっても、許可なしでは入ることが許されないのである。無断で入ればダリス・ハドラ神祇官でも裁かれるのが島の法律だ。


 ただし犯罪者が逃げ込んだり匿われたりする恐れがあるとかで、捜査官による捜査権限の取り決めや、公務執行妨害等の罰則については、大枠として王国の法律が適用されているという話だ。


「しかし、閣下は立派なご子息をお持ちでございますね」


 父親に注意されたリュークをフォローするように父上が続ける。


「後を継がれるご子息が自ら布教活動を行い、島中の教会に足を運ぶから治安が守られ、地域の教育が進むのでしょうね。勉学に励むことをせず、街をウロウロしてばかりいる愚息ぐそくとは大違いでございまして、大変羨ましく感じているところでございます」


 そこでダリスが僕を見て、思い出したように口を開いた。


「そういえば、長官のご子息ではありませんか? 決闘をした者がいると聞きましたが」


 その言葉に母上が俯いてしまった。

 父上が正直に答える。


「ここにいる愚息で間違いございません」


 エリゼの名前が出ないということは、彼女は黙秘しているということなのだろう。

 ダリスが熱弁する。


「結構ではありませんか。人間、いつ何時、身に危険が及ぶか分かりませんからね。男子たるもの、己の身は己で守れるようにせねばなりますまい。下の子も本を読むだけではなく、少しは剣術に身を入れてもらえればと願っているのですがね」


 下の子というのは、次兄のルシアス・ハドラのことだ。二十歳前後の男で、リュークとは対照的に贅肉をだぶつかせた身体をしていた。父親から嫌味を言われたというのに、まるで他人事のようにヘラヘラと笑みを浮かべるのだった。


「しかし本を好むというのは、これまた結構でございますね」


 今度はルシアスのフォローをするように父上が続ける。


「剣聖も本を大事にされるお方でございました。国王陛下から頂いた褒美を、すぐに書物へと換えるのです。つまり金銀財宝よりも価値があるということなのでございましょう。それを若くしてご理解されているのですから、閣下のご子息には驚かされるばかりでございます」


 それを聞いて嬉しそうにしているのが、ダリスではなく母親のマナだった。

 ダリスが感慨深げに頷く。


「感服いたしました。経験豊富な長官の手に掛かれば、どんな兵士も素質を磨かれ、なくてはならない重要な戦力へと変貌を遂げるではございませんか。適材適所を心得た、組織の編成部になくてはならないお方だ」


 父上が礼を述べる。


「お褒めに預かり、光栄の至りにございます」


 そこでマナ夫人が訊ねる。


「長官、それでしたら娘のエリゼについてはどう思われますか? この子は本当にお転婆さんで、つい先日もお目付役の目を盗んで、ハクタの街を一人でどこかへ出掛けて行ってしまったのですよ?」


 父上が答える前に、エリゼが口を開いた。


「お母様ったら、『目を盗む』なんて人聞きが悪いわ」

「事実じゃありませんか」

「あれはホルムが居眠りをしていただけよ」

「同じことです」

「でも、クミン王女も王宮を抜け出していたって聞きましたよ?」

「それは年少の頃の話で、十四の娘が真似することではありません」

「でもお母様」

「よさないか」


 エリゼの言葉を制したのは父親のダリスだった。


「いや、お恥ずかしいところをお見せしました」


 日頃から母子に手を焼いているのだろう。


「長官、助言していただけませんか? 娘ったら、いつもこんな調子なんですよ?」


 マナ夫人の言葉に父上が弱り顔だ。


「そう言われましても、私どもには息子しかおりませんので、どう答えればよいのやら」


 その答えに、ダリスが豪快に笑った。


「モンクルスの片腕と呼ばれた男がこの有様では、私たちの手に負えないのも無理はない」


 その言葉に笑いが起こった。


「もう、お父様まで」


 エリゼの怒った顔は、やはりこの世で一番美しい。



 その日は私邸に帰らず、州都官邸に泊まることとなった。賓客が泊まりにきていると、家に帰るだけでも非礼となる。相手の位が低ければ夕食会が終わり次第すぐに帰るように指示を受けることもあるが、ハドラ家はお見送りまでしなければならない相手だからだ。


 とはいえ、普段ならば面倒に思う仕来しきたりも、エリゼがいるのでまったく窮屈に感じることはなかった。すぐ近くで彼女が寝息を立てているかと思うと、興奮と緊張と喜びで頭がいっぱいだ。この耳で直に聴けたなら楽師が奏でる音楽よりも安らかな気持ちになるだろう。


 その一方で、絶望に打ちひしがれていた。それは裕福な商家の娘だと思っていた彼女が、僕の手の届かない、いや、本来なら話し掛けてもいけない神祇官の娘だと判明したからである。身分差がある現実は変わらないが、想像していた立場が反対だったのが恥ずかしい。


 エリゼは上級貴族なので、下級貴族の僕とは住む世界が違う。隠れ家にいるフィン正妃は死んでいることになっているので、テレスコ家は父上の仕事で貴族の面目を保っている状態だ。五長官の職を失えば邸も取り上げられて没落貴族と呼ばれるだけなのだ。


 フィンス王太子の生存を公表し、王政に参加できる環境が整えば、従弟の僕も重要なポストを与えられる可能性もあるが、他力本願ではハクタの魔女に乗っ取られるに違いない。ユリスですら苦しんでいるのに、何もしないで地中から金を取り出すことなど不可能なのだ。


「ああ、エリゼ、君は本当に神様のところにいる天使だったんだ」


 彼女が商家の娘ならば、フィンスを王政に復帰させた後、家名を捨てて、結婚を申し込むこともできた。いや、家名を捨てなくても、父上と母上を説得すれば、エリゼを結婚相手として認めさせることができたのだ。父上が平民出身なので母上が反対するはずがない。


 しかし、七政院の貴族が相手では万に一つの可能性もないのである。雲に向かって釣り針を投げ入れるようなものだ。そんなことをしている者を見掛けたら、誰だって笑うし、僕だって頭がおかしな人だと思うに決まっている。


 しかも、今日のエリゼはまるで僕のことが見えていないかのような態度だった。一切存在を感じてくれないので、まるで自分が死んでいるのではないかと疑うほどだった。霊や幻になった気分を味わったのは生まれて初めてである。


 といっても、それが上流貴族の娘が下級貴族の息子に対する然るべき態度でもあるのだ。身分差が大きすぎると接する機会もないので、差別感情すら抱かなくなる。差別して喜ぶ貴族は下級貴族のバカ息子くらいなものだ。


「エリゼ、エリゼ、エリゼ」


 味方同士で足を引っ張り合っている下級貴族の派閥争いについて考えるのは時間の無駄だ。きっと今頃、彼女は遊び疲れた天使のような寝顔で安眠していることだろう。その顔を想像していた方がずっといい。


 互いの身分が分かった以上、もう二度と気軽に声を掛けたり、気兼ねなく言葉を交わしたりする日はやって来ないだろうが、それでも構わない。なぜなら、エリゼが生きている、ただそれだけで至上の喜びを感じているからだ。


 そうだ、僕はエリゼとの恋を諦めたというわけだ。きっぱりと諦めなければならないのが僕たちの間に横たわる深い渓谷のような身分差である。フィンスが王政に復帰したとしても、そこは変わらない。太陽を見続けることなどできないのだから。



 翌朝、エリゼと一度も目を合わせることなく、ハドラ一家を官邸の外までお見送りした。その後、平服に着替えるため本邸へと戻ったのだが、その帰り道で情報屋のジンタから呼び出しの合図があったので、急いで着替えて酒場通りに向かった。


 ジンタには前もって、邸の近くにある木の枝に黒に染めた布を巻きつけておくようにと言ってある。色が暗くなるほど重要で、黒だと『今日中に会いたい』という意味になるわけだ。それで急ぐ必要があったのである。


「どうした? ブラック・サインなんて初めてじゃないか」


 落ち合ったのは酒場通りにある、いつもの軽食バーだ。


「へい。ケンタス・キルギアスがハクタに来るっていうんで、それで急いで報せた方がいいと思ったんでさ。出発は昨日だったんで、昨夜のうちに報せることもできたんですぜ」


 ジンタの足なら王都からハクタまで半日も掛からない。


「それはすまなかった。官邸で客と会ってたんだ」


 誰と会っていたのが聞かないところがジンタの良さだ。


「それにしてもケンタスは何しにハクタへ来るというんだ?」

「目的は分かりませんが、信書を携えていたので伝令であることは間違いありませんぜ」

「ケンタスは新兵だぞ? 入隊して、まだひと月も経っていないんだ」

「そう言われても、馬と王都札まで持ってたんで、情報は確かでさ」

「昨日出発したということは、もうすでにハクタに来ているということか?」

「それが、ハクタとは方向違いの場所に向かったんでさ」

「どういうことだろうな?」


 カグマン州を出る必要がないのなら王都札を携行する必要はない。


「アッシの読みですが、おそらくボボの生まれ故郷であるヤソ村へ行ったんじゃないですかね? 大男がケンタスに道案内するように誘導してましたからね」

「信書を携えているというのに寄り道か?」

「へい。ペガス・ピップルが怒っていたので予定外の行動だと思いますぜ」

「随分と余裕があるんだな」

「それはもう、三人とも馬の扱いが見事なもんで」

「ぺガスの二番目の兄が王都の馬を調教していると言ってたな」

「へい。それで伝令を命じられたのかもしれませんぜ」

「いや、いくらドラコの弟とはいえ無理のある話だ」


 新兵のケンタスらに伝令を命じることができる人物は限られている。伝令兵を管理している軍部や警備局に命令できる立場の人間だから、七政院の上級貴族が関わっていると推察できるわけだ。


「なぁ、ジンタ、僕は移動にどれくらい時間を要するのかさっぱり分からないんだ。大体の見当でいい。ケンタスがいつハクタに到着するのか教えてくれないか?」


 ジンタが屈託のない笑顔を浮かべる。


「そういう難しいことは酒がねぇと頭が回らないんでさ」

「お前というヤツは」


 仕方ないのでラム酒を奢った。

 ジンタがそれを美味そうに飲みながら説明する。


「昨日のうちにヤソ村に到着したとして、今日のうちに引き返したとしても王都までだ。今日はその近くで泊まるとしたら、ハクタに着くのは明日の昼過ぎになるんじゃないですかね」


「伝令を託されているんだ。遅れを取り返すということはないか?」


 ジンタが僕の言葉を否定する。


「三人とも馬を大切に扱っているんでさ。無理なんてさせっこありませんぜ。なんたって馬の脚っていうのは、アッシの足と違ってすぐに折れちまいますからね」


 ケンタスが到着するまで、どうやら一日余裕がありそうだ。

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