第四十四話(88) 死
そこでコルーナ特使が話を変える。
「陛下はバドリウス外交官と会われたのでしたな。どのような印象を持ちましたか?」
ユリスが答える。
「とても素晴らしい青年という印象を持ちました。城や邸に閉じこもるわけではなく、見聞を広め、そのためには危険を顧みない。皇帝の甥御でありながら、自ら海を渡るというのは、それは口で言うほど簡単なことではないでしょう」
コルーナ特使が深く頷く。
「陛下の仰る通りでございます。五年前に初めてお会いした時は、子どものような見た目をしておりましたからな。それから知識を蓄え、積極的に交流し、剣術の稽古も怠らないと聞きますし、まさに努力を積み重ねてこられたわけです。しかし……」
そこでたっぷりと間を取る。
「小官のことや弊国のことはどのように評されていましたかな? 邪推するつもりはございませんが、ひょっとして『信用ならぬ国』とでも言って、さらには『気をつけるように』と進言されたのではございませぬか?」
そこでユリスの反応を見る。
しかし、ユリスは何も語らなかった。
「いやいや、陛下に対してのみならず、そういうことが前にもあったのでございます。誰もが陛下のように口が堅い人物とは限りませんで、それで知ることができたのです。一方的に誤解を与えるようなことを語られては面倒ですからな、それからバドリウス殿下の動向を探るようになったのでございます。昨日もそうですが、それでこうして陛下の元へ参ったというわけなのでございます」
ユリスが表情を変えずに答える。
「先入観を抱くことには充分気をつけているつもりですがね」
コルーナ特使が謝罪する。
「それは大変失礼いたしました。小官は決して陛下を侮辱したわけではないのです。陛下がどれだけの器量をお持ちか心得ているつもりであります。世が世なれば、カイドル帝国の皇帝に即位されたということでありますからな」
コルーナ特使の若い頃は、まだカイドル帝国が健在で、クルナダ国は主にカイドル帝国と交易を行っていたので、僕たちとは異なる歴史観や価値観を持っているのだろう。フェニックス家よりもカイドル帝国の皇帝の方が上位という意識なのかもしれない。
「これは小官の頭から捻り出した言葉ではございません。バドリウス殿下に関しては、殿下のお生まれになった本国でも噂になっておるのです。それは決して評判のいいものだけではございませんでした。西側の外交官に志願したのも東側の戦地に行くのを恐れたためであるとか、趣味である船に乗りたいから外交官になっただけとか、そのような話ばかりでございます。これは陛下も大陸へ外交官を派遣すれば、小官の言葉が嘘ではないと分かることと存じます」
そこでコルーナ特使が声を潜める。
「問題はでございますね。これは西側の小国で実際に起こった話でございますが、それまで友好的にあった国同士が、バドリウス殿下が訪れたのを契機に戦争が始まり、それで一国が消滅したという事実が存在することでございます。小官はどういった事情でカグマン国が三国に分かれたのかは存じませんが、どうしてもバドリウス殿下と無関係であるとは思えぬのでございます。これが老人の戯言として杞憂に終わればよいのですが、もしやということがございます。どうか、ご理解いただきたいのは、小官はもちろんでございますが、弊国を代表しまして、決して貴国、並びにカグマン国やハクタ国、さらにはオーヒン国と敵対する意思はないと強く申し上げておきたいのです」
ユリスが頷く。
「過去に交戦した歴史はありますが、今は誰もクルナダとの戦争は望んでいません。大陸との経由地として、互いに利益を享受し合っています。その利益を独占しようという邪まな気持ちさえなければ、これからも今と同じ関係を持続させることは可能でしょう」
コルーナ特使が両手を差し出す。
「そのお言葉を聞けて安心いたしました。これからもよろしくお願いいたします」
ユリスが片手を差し出し、特使は両手を添えて握手を交わすのだった。ちなみに、両手握手と片手握手にもそれぞれ意味があり、重要度が変わってきてしまうので、ユリスは両手握手に応じなかったわけだ。
「しかし、バドリウス殿下とは今日初めてお会いしたのですが、それほど警戒すべき人物には思えませんでしたね。理想に燃えた若き指導者という印象を受けました。理想が高すぎるきらいもありますが、それも個性の一つと考えて良さそうです」
コルーナ特使が頷きつつ、首を傾げる。
「陛下の仰る通りではございますが、その理想の中身が問題なのでございます。殿下の理想は、まるで現実を理解されていない理想でございましょう? 言わば、食うに困ったことのない者の理想なのですな。クルナダには『腹を満たしてもすぐに空腹はおとずれる』という言葉がございます。それこそが商売の基本でもあるのですが、つまり、現状に満足してはいけないということですな。いつまでも天候に恵まれるとは限らないという危機感が常にあるのでございます」
それはオーヒン国にもある言葉だ。
「結局は、空腹を知らぬ貴族に政治は務まらないということでございましょう。デルフィアス陛下のように国政において実務を経験してきたお方とは、やはり意識に差があると言わざるを得ません。いやいや、不世出の統治者で在られる陛下と比べてはいけませんな。とにかくでございますね、なによりもまずは現実を元に考えねばなりません。気候の変動がなければ人口が増加するというのは、どこの地域でも当てはまることでございます。そうなれば、腹を空かせた子どものことを一番に考えねばなりません。当然、そうなれば新たな農地が必要となります。そこで新世界を求めるのは必然ではございませんか。その新世界が未開の地なのか、新大陸なのかは分かりませんが、農業技術を持って開発に向かうというのは、理想ではなく、来るべき現実なのでございます」
国土の狭いクルナダ国にとっては差し迫った問題のようだ。
「大昔からすでに取り組んでいることでございますが、植民地化には問題が付きものでございます。先住民との衝突や、未開の地での病気や、それに伴う労働力の確保ですな。それらを考慮すれば、原住民を労働力に変えるのが最も現実的であります。ただし奴隷化すれば、やがて裕福になって空腹を忘れた国民から反発の声も上がりましょう。残忍な事件だけを取り上げて非難を浴びせるのです。しかし、技術を渡すことで得られる現地人の利益は計り知れません。豊かな未来になれば、我々の時代を振り返って、殊更『あの頃は残酷な時代だった』と言われるやもしれません。ですが、決して我々だけが利益を吸い取っていたわけではないと、まずは我々自身が理解しておく必要があるのです」
ハハ島におけるオーヒン国とクルナダ国による隷属支配を正当化しているのだろう。ハハ島の領有権を巡って、両国の宗主国にあたるカグマン国とガルディア帝国が揉めているので、ユリスに牽制の意味を込めて力説しているのだ。
つまりコルーナ特使は『ハハ島の利権を横取りするくらいなら、自分たちの力で別の地域を開発しろ』と言っているわけである。これには一理あるが、そもそもガルディア帝国の属国であるクルナダ国は領土問題に口を挟むことができないというのも現実だ。
「話が逸れましたが、小官はこの通り老いぼれでございますので、あと十年も生きられるかは分かりませぬ。しかし、三十年後や五十年後の暮らしを守ってやるのが、要職に就く我々の仕事というものでございましょう」
ユリスが訊ねる。
「しかし、未開の地における土地開発では一方的な略取が行われていると聞いております。それが果たして現地人の利益といえるのでしょうか? そういうのは必ず報復があるのではありませんか? それが戦争なのか、文化侵略なのかは分かりませんが、必ずや報いがあると思われるのです。我々がした行いで苦しむのは我々ではなく、遥か先の子孫ですからね。子どもだけではなく、それらの者についても考えてやってもいいのではありませんか?」
コルーナ特使が答える。
「お言葉を返すようで申し訳ありませんが、事態は常に差し迫っている状況にあると考えているのが、我々クルナダ人であります。役人というのは、目の前にいる腹を空かせた者に、どうやったらパンを与えられるのか、という問題を解決するのが仕事でございましょう」
ユリスが答える。
「百年後や千年後の未来を想像できぬ者に政治家は務まりませんよ」
これは意見が対立しているように見えるが、そもそも両者の立場が違うので、異なる考え方になっているのだ。コルーナ特使は小国としての生き残りに懸命で、ユリスはカグマン島周辺地域の安定化とその後の平定を目指す指導者としての役割を考えているからである。
「これは大変失礼いたしました。決して見くびっていたわけではございませんが、それほどの見識をお持ちとは、正直思ってはおりませんでした。どうか、老人の自惚れ、僻み、羨望、嫉妬だと思って、ご容赦願えれば幸いに存じます」
その立場の違いを誰よりも理解しているのがコルーナ特使のようだ。
「貴方が敵国の兵站を取り仕切っていたら、かなり厄介だったでしょうね」
ユリスもコルーナ特使の才覚を見抜いているようだ。
「陛下の御為であれば、いつでもお役に立てると自負しております」
コルーナ特使は自分の売り込みも忘れなかった。おそらくだが、この人はいつでも報酬次第でこちらに寝返ることのできる人物だ。つまり、自分を高く買ってくれる人に忠実になれるということである。それはオーヒン人にも通じるところだ。
それから王妃陛下の話題に戻り、コルーナ特使が捜査協力を申し出て、ユリスが感謝を述べて、そこから再び話が逸れて、貿易の話になり、周辺五カ国での協議を行うと約束して、会談は終わった。
その日は夜更けまで寝ないで待っていたのだが、結局ミクロスとルパスは領事館に戻ってくることはなかった。ユリスも遅くまで待っていたのだが、お体に障るということで、スタム官長が半ば強引に居室へと連れて行った。
あくる日、日の出と共に朗報が飛び込んできた。それはミクロスによってもたらされた。早速捜査会議が開かれることとなった。集まったのはユリス、スタム官長、ミクロス、ルパス、ローマン、ハプスと、室内警護をしている僕とぺガスの八人だ。
「それではミクロス、説明してくれ」
ユリスに促されてミクロスが口を開く。
「ガルディア帝国の外交官の言葉にヒントがありました。通常ならば、隠し通路がなければ二人の人間を邸の外に連れ去ることなどできませんが、業者が出入りしていたとなれば話は別です。まぁ、でも、業者は盗難防止のためにチェックも厳しいという話ですよね? 実際にコルピアス邸に行って確認したところ、邸の中から物が無くなっていないか徹底的に調べたようです。それで邸から盗まれた物はないことが確認できました。しかし事件があったその日は美術品の搬入作業の他に、不用品の処分も行われていたのです。価値のあるものならばチェックするでしょうが、処分するものならばいちいち丁寧に調べたりはしません」
ユリスが早く結論を聞きたがる。
「それで、その不用品というのは?」
「絨毯です」
そう言われて、コルピアス夫妻の部屋に敷かれていた新品の絨毯のことを思い出した。
「王妃とエルマを絨毯で巻いて、その業者が邸から連れ出したというわけです。口に詰め物をすれば、身動きもできませんし、チェックの目を誤魔化すことはできます。実際に巻かれた絨毯の中まで調べなかったそうですからね」
その時の様子を想像したのか、ユリスが手で顔を覆ってしまった。
「それで、その美術品を扱う搬送業者を追うことにしました。ハドラとドラコが手配中ということもあり、道という道に検問所を設置していたおかげで、なんとか目標を見失わずに済みました。その業者の荷馬車が向かった先というのがマエレオス邸だったのです」
会議室全体が唖然としてしまった。
「デモン・マエレオスが事件に関与していると?」
ユリスも信じられない様子だ。
ミクロスが首を傾げる。
「まだそこまでは分かりませんが、場所は確かです」
「現状はどうなっている?」
「目下、監視中です」
「そこまで掴んでいながら、現場を放置してきたのか?」
ユリスは興奮しているが、ミクロスは冷静だった。
「敵兵の数が分からなければ、突撃させる命令は出せません」
ユリスが深いため息をつく。
ミクロスが付け加える。
「しかし主要な道路は押さえているので、その前に逃げられていなければ、逃亡は困難だと思われます」
そこでユリスが立ち上がる。
「これよりマエレオス邸に向かう。メンザ、兜を用意してくれ」
これは戦闘の合図である。上官たちも鎧を身に纏い、重装兵に護衛させて、前線部隊も矢避け用の防具を身に纏って目的地への行軍することになっている。ただし、冬用の防具と違って皮膚を熱から守らなければいけないので、言うほど重装備ではなかった。
それにしても、ここにきてデモン・マエレオスの名前を聞くことになるとは思ってもみなかった。振り返ると、歴史の変わり目といえる重要な出来事には、常に彼の存在が見え隠れしていたように思う。
一体、何の目的があるのだろうか? アネルエ王妃を誘拐した意味を考えなければならない。それはユリス・デルフィアスを誘き出す以外に考えられなかった。マエレオス領に向かっていること自体が敵の罠かもしれないのだ。
それでも、僕が考えているようなことはユリスも考えているわけで、護衛しているミクロスだって僕よりも早く思い至ったはずだ。それでも行軍を続けるのは、それが王妃を救う唯一の方法だと分かっているからだ。
そんなことを考えているうちに、マエレオス領に到着した。ミクロスが見張りの兵士に状況を報告させたところ、朝から動きはないとの回答が返ってきた。すでに本邸は包囲されている。
それからユリスの指示で斥候部隊が邸へと向かった。その中にはミクロスとルパスも含まれている。彼ほど実戦経験が豊富な兵士は他にいないからだ。僕たちはミクロスが戻ってくるまでしばらく林の中で待機することとなった。
いつ戦闘が始まってもおかしくない状況である。これから踏み込むマエレオス領に敵が潜んでいれば、ユリスの合図で戦わなければならない。こちらは千人いるので、撤退は相手の数が同数を超えているのが確認できた場合に限るだろう。
すぐにミクロスが戻ってきて、ユリスに報告する。
「前に訪れた時と変わった様子がありません」
「どういうことだ?」
「ブドウ畑や酒蔵で働いている者が、何事もなかったかのように働いています」
「賊が潜んでいる可能性は?」
「労働者や警備兵の顔はよく憶えていますが、成りすましていることはありません」
「邸の周辺はどうだ?」
「突撃しても問題ないかと思われます」
「よし、これより全軍をマエレオス邸に向かわせる」
それから充分警戒しながら邸を目指したのだが、ミクロスの言う通り、ブドウ畑はのどかな印象そのものだった。領内を警備している兵士に敵意はなく、不意の訪問にも拘わらず、相手がユリスだと知ると、ちゃんとその場で跪いて道を空けるのだった。
「マエレオス閣下!」
すでに千人の兵士で邸を包囲している状態である。しかし、ミクロスが扉を叩いて、何度も呼び掛けても、中からの反応は返ってこなかった。一緒に連れてきたマエレオス領の警備兵も邸の異変に首を傾げていた。
厩舎から戻ってきたルパスが報告する。
「業者の荷馬車と同じ特徴の馬車が停まってありました。古い絨毯も特徴が一致しています」
ユリスが頷く。
「よし。これから邸へと踏み込む。人質を最優先で確保せよ」
ミクロスが手斧で扉を破ろうとするが、振り上げた手斧を下ろす。
どうやら中から鍵が掛けられていなかったようだ。
ということは、もうすでに逃げられた可能性が高い。
「マエレオス閣下!」
ミクロスの声が吹き抜けの玄関ホールに響き渡った。
邸の中は静まり返っていた。
ミクロスが後発のルパスらに合図を送る。
合図を受けたルパスらが二階の階段を上がって行った。
続いて、ミクロスが僕に向かって頷く。
僕たちが向かった先は、一階の大広間だ。
そこで見たのは焼けた死体だった。
「おい! しっかりしろ!」
ミクロスが抱えて揺さぶるが、すでに意識はない。
「どうして全身に火傷を負っているんだ?」
誰かが口にした。
「でも着ている服に焼けた跡がないぞ」
「誰の死体だ?」
僕とミクロスには分かる。
それはドラコ・キルギアスで間違いなかった。
第二章 戦士の資質編 完
原典
『カイドル正史』
『ドラコ・キルギアスとの対話』
『兵士の独白』
著述者:ジジ
現代語訳者:アイ・イシグロ
小説執筆者:ライト・ペン
ヤマト語訳:石黒愛




